言葉・表現への関心

★「古代ヘブライ語」にひっかけて「こびヘツライ語」と記事を書きました。ジャッキーさん、そのひっかけ言葉に気づいて下さって嬉しいです! 本当はもっと機転のきいたジョークも織り交ぜて書くつもりだったんですが…(笑)
あとざくろの森さん、共感していただいたコメントの中で、コンビニの店員言葉について書かれてましたね。
コメントへの返信ではちょっと長くなってしまうので、あらためて記事にしました。ただ「ヘツライ語」の記事の下(=前)にこの記事が来るように、作成日時をちょっと偽造します。お許しを…



「言葉尻をとらえる」  という表現があります。
人の意見そのものや仕事のやり方に対して助言したり正すことは良しとされますが、人の言葉づかい(表現)についてとやかく言うのはタブーとされるような風潮が日本にはありますね。

でも、今回コメントをいただいて思ったのは、私のブログを訪問してくださる方たちはご自身でもブログを書いていらっしゃったり、こと音楽に携わっている方などは、日ごろから「表現する」ということに関心を持っていらっしゃる方たちなんだろうと思うのです。

ブロともさんたちの記事を拝見しても、みなさんそれぞれ世の中の出来事や日々の身の回りのことに対して、ご自身の感性で目を向けられる切り口、その表現は素晴らしいと思います。そういう方たちは問題ないんです(笑)。


表現することの大切さ

ふだん漠然と思っているだけでなく、実際に言葉にして語ってみたり書いてみたりすることによって、不明な点はあらためて調べ、頭も整理され、どうしたら人に分かりやすく伝わるか、という表現方法に関心をもつようになります。

いま渋谷あたりにいる若者たち、私自身勤めている放送局の中、あるいは昼食の定食屋さん、夜の焼鳥屋さんなどで聞こえてくるサラリーマンの会話の中でも、「ん?どうして皆さん判で押したような同じ喋り方になるんだろう?」「それってちゃんと人に伝わる表現だろうか?」と思う場面があります。

よく「最近の若い者は」式に「若者ことば」などとも言われますが、いま中学・高校生の子どもを持つ親たちの世代あたりから、すでに言葉の問題、表現力の問題はあったのではないかと思えるのです。


◆無口な人たち

たとえば定食屋さんで、「すいません」とひとこと発して店員さんを呼び、湯のみ茶碗をちょっと持ち上げるだけで店員さんは「はいお茶ですね」と気づいて入れてくれます。こういう「言わなくでも通じる文化」は日本の素晴らしい面ですね。

そんな定食屋さんの昼休み、じつに雄弁に組織論を熱く語っている4人のベテラン社員がいました。でも、できた料理を店員さんがもってきて「〇〇定食の方?」と尋ねてくれてるのに4人が4人ともだんまりのまま! もう一度店員さんが「〇〇定食はどちら様ですか?」とやや強い口調で聞き返すと、ひとりがむっつりと片手をひじの高さまで上げただけ!

なんなんだ、この人たちは! 昼の定食屋さんは戦場のように忙しいのに、返事ぐらいできんのか!…食事中の私はかなり不愉快に思いました。



バス停でバスを待っていると大勢が並んでいます。日本人はきちんと行列をつくるのが得意です。そのバス停には色んな行き先のバスがやってきますが、列は1列です。

そこに後ろの方に並んでいる人が乗りたい行き先のバスがやってきました。バスが停車し、前ドアが開いて…でも列の前の方の人には乗る気配がなく、ただ無表情につっ立ったまま。
「あれ?」と思っているうちにそのバスの運転手さんは乗る人がいないのかと思ってドアを閉めて発車しそうになる。「わ~、ちょっと待ってくださ~い!!」 …そんな経験はないでしょうか?

列の前に並んでいて、もし自分の乗りたい行き先ではないバスがやってきたら、私だったらちょっと一歩後ろに下がるとか、列の後ろにちょっと視線を投げかけて「誰か乗る人はいないでしょうか?」と、たとえ声を発しなくてもそういう視線とそぶりだけでも送ります。それだけでもちゃんと“意思表示”になるひとつの“表現”だと思うのです。
でも、そういう表現を一切してくれない無表情な人がけっこう多いように思うのです。

内々では雄弁に語り、ちょっとお酒が入れば周りが迷惑するほど盛り上がるくせに、いま目の前にいる他人とはろくに口もきかない…それは決して「いまの若者」だけが突然変異のようにそうなったわけではないと思うのです。



単にわかればいい、通じればいい、「言葉じゃないよ」「言葉では表せない感動だよ」などとうまいことを言って、なんだかんだ表現することを避けてきてしまっているような風潮はないでしょうか?

学生からビジネスマンまで、日本人はディベートが下手だと言われますね。自分の意見をきちんと表現し、相手の言うことをちゃんと理解し、違いを認めあい、どうしたらいいかを見出す…という作業に慣れていない人が多いのです。



やはり表現というのは、本当に伝えたいことをあれこれ言葉に置き換えて出してみないと分からない、ということを申し上げたいのです。 単に短く簡単にすれば分かりやすくなるとは思えません。

歌や詩、あるいは名言と言われるような作品には、決して多くは語らず、凝縮された少ない言葉でじつに奥深いことを言い表していますね。あのように表現できたら素晴らしいですが、われわれ凡人に初めからそんなことをあまり期待しない方がいいでしょう。

実際それらの名言を生み出された方たちも、はじめからたった一言で人の心を動かすような的確な表現が見つかったわけではないと思うのです。
伝えたい思い、人生のはかなさなどをあれこれ書き重ね、色々と表現しようと試みて言葉を選びに選び、最終的に厳選された「ひとこと」に絞りこむ長いプロセスがあるのでしょうから。

これからの日本を支える若い方たちにも、ぜひ言葉や表現に対してもっと関心をもっていただきたいと思うのです。


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マニュアル

家の近所のコンビニやファストフードのお店には、私よりも年上の女性たちが働いています。

彼女たちには、マニュアルはあっても無いようなもの、お客様が、何を言いたいのか、求めているのかを瞬時に判断して、体を動かし、声をかけます。挨拶もマニュアル通りかもしれませんが、表情が違います。

そういうお店では、一緒に働く若い人たちにも「気配り」が感じられます。

人生経験を積んだ人たちが、マニュアルで動く現場に入っていくと、良い影響を与えられるのではないかと、いつも思いながら、そのお店を利用しています。

Re: マニュアル

ト音記号先生

そうなんですよね。そういう“ちゃんとした方”がいらっしゃればちゃんと伝達されていくはずんです。もともとは皆さん「人間」なんですからね。
昔は当たり前にできていた地域の繋がり、世代間交流、あいさつ…といった当たり前のことが今「まちづくり」でも見直されていますが、まさに“人としての原点に帰ること”なんだと思います。

やっぱり人と人

何となく、マニュアル通りにすれば良いみたいな感じはありますが、
やっぱり一番大切なのは、人と人である事なのかなと思います。

言葉もコミュニケーションの為の物だから、
相手に正確に必要な内容が伝わるようにしたいなと改めて感じました。

パートナーと言葉について話した時に教えてくれた事で、
「○○みたいにしてしまいました」のような曖昧で重複させた表現を
無意識の間にかなり多用していた事に気付き、反省しました。
「○○をしました」と簡潔に纏めると読み手にも伝わりやすくなるのですよね。

以前、ラジオで私の曲を紹介して頂いた時に、
「音楽にも人柄が出るよね」と言うコメントを頂いた事があります。
改めて、音楽も音符で心を表現して行く手段なのかなと思いました。

ちなみに、作曲はしても作詩は全然出来ません。(^_^;)
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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