究極の「美しさ」「感動」は「恐怖」と隣り合わせ? 

2月10日(金)

究極の「美しさ」や「感動」を覚えるとき、「怖い」という感覚と隣り合わせなんじゃないか、と思うことがあります。

私はよく喩えに出すんですが…

私は幼少のころ父の転勤で京都に住んでいて、近所の小学校のお屋上から母に背負われて大文字焼を見た記憶があります。その時の私の記憶にあるのは「怖かった」という感覚。
おそらく、現実離れした、神秘的幻想的な美しさだったのでしょう。

大人になった今でも、たった一人で夜空に現れるオーロラを見たら、同じような感覚に襲われるかもしれません。

オーロラ

ありふれた日常のものではない、現実離れした未知なるもの…
大自然が作り上げた巨大な造形、大宇宙の営み… 
人間の力の及ばないものへの驚異、畏れ・恐れを感じるのでしょう。

究極の「美しさ」や「感動」って、「畏れ」に似た感覚と隣り合わせなんじゃないかと

現代のようにまだ科学が発達しておらず、さまざまな自然現象もそれがどうして起こるのかが解明されていなかったころ、人々は「おそれ」とともに「美しさ」を今よりもっと大きく感じていたのかもしれませんね。


現実とはまったく違う世界へといざなう音楽

音楽でも、たとえばホルストの「惑星」のいちばん最後の「海王星」で、バックステージからかすかに聞こえてくる女性コーラスの響きを聴いていると、宇宙のかなたに吸い込まれていくような、幻想的で神秘的な「美しさ」とともに、底知れぬ遠い世界に迷い込むような「こわさ」も入り混じった感覚へといざなわれます。

私が幼少のころから聴いていたオーケストラの楽曲の中にも「おそろしい曲」がいくつかありました。

♪ムソルグスキーの「はげ山の一夜」
赤土がむき出しになったはげ山で、夜中に骸骨が躍り狂う…その解説どおりのおどろおどろしい曲ですね。

♪ファリャの「恋は魔術師」の中の「火祭りの踊り」

♪ハチャトゥリアンの「ガイーヌ」の「剣の舞」 

♪ロッシーニの「ウイリアムテル序曲」の中の「嵐」の一節。
冒頭の弦楽器がPPのトゥリルで奏でる音による嵐が近づいてきて木々が揺れ始める不気味さ、そのあとにオーケストラが大音響でさく裂するあの短調の旋律、トロンボーンの力強く駆け上がるスケール、荒れ狂う嵐。

こういう曲を、風邪で熱を出していて夜中にトイレに行くときに思い出すだけで本当に恐かったです。


生々しい「楽器の音」ではなく…

しかし、この「おそろしい」という感覚こそ、「美しさ」や「感動」を求める上では不可欠な要素じゃないかと思うのです。現実的な「当たり前の楽器の音」ではそれは起こらないのです。

ホルストの「惑星」の最後に舞台裏から聞こえてくるのは、生々しい「女性コーラスの声」ではない、宇宙の彼方へ消えていく神秘的な音色でなくてはいけないのです。


とくに打楽器の音に求められるのは、「これはシンバルの音だ、これはバスドラムの音だ、これはティンパニの音だ…」と分かってしまっておしまいの音ではいけないんですね。

ありきたりの楽器の「音」ではなく、何かを象徴する音、その楽器の出しうる究極の表現としての「特別な音」でなくてはいけないのでしょう。


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

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