表現 ~人として大切なことを訴える力~

8月23日(火)

かつて1968年メキシコ五輪の表彰式で、黒人の人権を訴えるポーズをとったトミー・スミス(Tommie Smith)氏とジョン・カルロス(John Carlos)氏の話は有名です。

彼らは、国際五輪委員会(International Olympic Committee、IOC)の処分を受け、米ナショナルチームから除名・追放されたほか、まともな職業につけないなど、試練の生涯を送ることになりました。

ブラックパワー・サリュート

今回のリオ五輪でも、男子マラソンで銀メダルに輝いたエチオピアの選手が人権を訴えるポーズでゴールし、「帰ったら殺されるかもしれない」とインタビューに答えました。

エチオピア・フェイサ

「オリンピックに政治的な話は持ち込んではならない」ということでしょうか?

しかし私は思います。

「人種差別をなくそう」、「人間はみな平等だ」と表現することの、どこが「政治的」なんでしょうか?

スポーツを通じて、世界中の人が、民族や国境を越えて競い合える…そういう場だからなおさら「人はみな平等である」と強く実感するはずです。

もともと差別をすること自体が間違っていますが、その「差別をなくそう」と表現した個人がさらに社会から迫害されたり命を狙われるなんていうことが許されてよいのでしょうか!?



それは他国の話だけじゃありません。命を狙われることまではないにしても、今の日本だって…

「平和を守ろう」「平和憲法を守ろう」「戦争反対」…それのどこが「政治的」なんでしょうか?

人として当たり前のことを「政治的な話」として避ける、口をつぐむ。
それを言うと捕まる?、仕事を失う?、友達を失う?…ばかばかしい!


そういう風潮が社会全体にあるように思えてなりません。
個人のSNでもちょっと社会的な話題を書くとスルーされたり、社会に向けて真実を問いかけるべくマスコミまでがそういう話題を避けることにも通じているのではないでしょうか?

もし政権が本当に「圧力」をかけてきたのなら、それこそ憲法違反で大問題にできますが、マスコミや個人が勝手に「自粛」することの方が始末が悪く、ことは深刻だと私は思います。



「人は言葉で考える生き物だ」と言われます。
考えてないわけではない、でも言わない…それではいけないと思うのです。

言葉にすることで、自分が何を考えているのかが明確に形になっていくのです。
そして文章に書いたり話したりして、人と意見を交わすことで、新しい情報も入ってきてさらに自分の考えとして構築されていくと思うのです。

考えること、表現することの大切さについて以前から思ってきたところを、昨年の誕生日につづった記事です。

→ 考えること、表現することの大切さ (2015年9月)



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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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