人生における 「時間の相対性理論」

7月27日(水)

若手の演奏家グループのコンサートの終わり近く、ステージから「みなさん、2時間あまりお付き合いいただき、ありがとうございました」と挨拶がありました。そして演奏家はこうおっしゃいました。

「この2時間を、あっという間に感じましたか?それとも長く感じましたか?」「もし、この2時間をまだ30分ぐらいしか経っていないように感じた方がいらしたら、その方は30分しか歳を取ってないんですよ」と。

なるほど!

私もよく「楽しい時間は地球の回転が速くなりますね」などと言うことがありますが、それは単に時間の感じ方の違い。その感じ方によって、心身のエネルギーの消耗の仕方も違ってくるということです。

光の速さで移動していると身体機能の動きがすべて相対的に遅くなって歳を取らない(=地上での1年がわずか数時間に感じる)という話があります。浦島太郎が竜宮城で過ごした時間のように。

たしかに、思いっきり楽しく遊んで疲れるのと、重苦しい問題と直面して疲れるのとでは、ぜんぜん疲れ方が違いますね。
ならば、同じ時間をどう過ごすかによって、心身の消耗、ひいては歳の取り方にも違いが出てくる…まさに人生における時間の相対性理論ですね。

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楽しい時間は速い

お気に入りの仲間と楽しく過ごす時間、短い時間にけっこう密度の濃い話もしてるんですが、まだまだ話したいことがあって、時間がいくらあっても足りないのです。

また、旅に出ても時間はあっという間に過ぎますね。1日目にどこかに泊まり、2日目に移動してなにかイベントに参加し、3日目には違うところを観光し…ふだん仕事をしている時間とはまったく違う時間が過ぎていきます。
旅から戻ってわずか何日かして気づくと、「え!?旅行に出発した日からもう1週間!?」と。出発した日から帰ってくるまでがまるで大きな1日だったように、時間が止まっていたかのように感じたりします。

なるほど、楽しく変化に富んだ毎日を好奇心いっぱいで過ごしている人って、年齢より若くみられるのはそのためなのかもしれませんね。


苦しい時間は重く長い

逆に、つらいこと、悲しいこと、悩み、不安や負担に感じることが多いと、おなじ時間でも重く長く感じるはずです。

1年で10年分ほどの苦労をした人は、本当に一気に老け込んでしまうと言います。苦しく長い時間、本人も意識しないうちに心身を酷使しているのかもしれません。


人生には予期せぬ苦労も降りかかってきます。自分自身や家族の病い、突然の災難…自分の力ではどうにも避けることのできないこともたくさんあります。

そうした苦しみの時間は、重く長く感じることでしょう。
どうか1日も早くその重荷が取り除かれますように…と祈るほかありません。


自分で状況を変えられる重い時間

しかし苦しみの中には、自分の向き合い方次第で負担を軽くすることのできるものもあります。

その一例が、職場やグループでの「人間関係」。いま若い人でも仕事を辞めていく理由のトップがこの「人間関係」だと言います。

相手がどうしようもなく非常識、一緒に仕事がやりづらい、そんな言い方をしなくても…ということは多々あるでしょう。私にも経験があります。
でもそんな時、同僚や友達に「職場の相手がいかにひどい人か」を延々と愚痴っていても直接の解決にはならないことがほとんどです。せいぜい愚痴を聞いてもらえて少しすっきりした、ぐらいのことではないでしょうか? 話すことで頭が整理でき、自分が明日から何をすべきかが見えるところまで行けばしめたものですが。

でもそのために、金曜日の退勤後の貴重なプライベートな時間を延々と費やすのは、あまりにももったいないと思いませんか?

♪ならば…

仕事絡みの人間関係については、あくまで仕事を通じて勤務時間に考えるのです!
自分がやるべきことはちゃんとやり、努力すべきことはして、相手の立場も少し想像してみる。
それでも相手の言動になにか不条理を感じるのであれば、堂々と相手に直接「要望」なり「提案」を伝える。
もしそれができないとしたら、なにか自分自身の側に問題があるということではないでしょうか?


♪また、こんなケースはどうでしょう?

自分はそれなりに一生懸命やっているつもり。でも至らないところがあって、相手に失礼をしてしまった、
相手に怒られてしまった、まだ怒ってるかもしれない、どうしよう、顔を合わせづらい、こちらから何と言って声をかけたら良いのか…?
そんなこんなで、重い時間が過ぎていきます。

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たしかに相手もその時は感情を害して「なんなんだ!」と怒った(叱った)として、いつまでもずっとそのことだけを根に持つほど暇じゃないのではないでしょうか(笑)?

自分が悪かったなと思ったらひと言先手、素直に「申し訳なかった」「ごめんなさい」と伝えればいいのです。相手もその素直な一言を待っていて、案外さらりと流してくれるかもしれません。
それより大切なのは、その教訓をその後に活かせるかどうかでしょう。そこから新たな人間関係も築かれるのではないでしょうか?

なのに、そのたった一言を発する勇気がない、ちょっと怒られる(=叱られる)と相手とどう接したらよいか分からない、きっかけがつかめない、どう言い訳して取り繕おうか(=自分の保身)ばかりを考え、気まずく重い時間だけが過ぎていく…(老け込んじゃいますよ!)。


下手な言い訳や取り繕いはかえって相手の感情を逆なでするだけです。素直に自分の非を認め、相手にきちんと伝えることを怠り、相手と距離を置いて避け、気まずく重い時間をやり過ごしますか?
けっきょく相手には何も伝わらず、信頼回復もできないまま、へたをすれば相手との人間関係も終わり…
一事が万事、そういう人生ってつまらないと思いませんか?


楽しい時間を増やそう!

楽しい時間・苦しい時間、速く流れようが重くゆっくり流れようが、人はいずれ歳をとっていく運命を避けることはできません。時間を逆戻しすることはできません。

私も気づけば50代も後半。若いころには想像もしなかったような体調の変化、不幸にして事故や病に遭ってしまわれた方からの悲しい知らせ…

若いころは、友達や後輩が就職した、結婚した、子どもができた、子どもが入学した…といった嬉しい情報がたくさん入ってきますが、歳をとると悲しい情報やつらい情報がどうしても増えていきます

もちろん長年の友が入院したら見舞いに行く、葬儀に出て弔辞を述べるなど、悲しいことにも向き合わなくてはいけません。

ならばなおさら、若い時以上に積極的に自分なりの楽しい世界を見つけ、好奇心旺盛にあちこちに出かけ、若い人や新しい人との出会いを大切に、楽しい情報を増やすようにしたいものです。

そうした楽しいことを見つける努力をせず、ただじっと受身的に入ってくる情報だけを待っていたら、悲しくつらい情報ばかりでいっぱいになってしまいます。楽しいことを見つけられてない人は、老いるのも早いような気がします。

これは、脳の健康にとってもとても大切なこと。以前、「ナン・スタディ」に関する記事を書きましたが、20歳を過ぎれば減っていくしかない脳細胞をいかに活性化させ、健康で楽しい毎日を過ごせるか、ですね。
→ 認知症は防げる ~ナン・スタディ~


好奇心の賞味期限

思い立ったら「そのうちに」は禁句です。今できることから実行に移すのみ!

私も、50代にして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学んで卒業しました。
何時まで残業があるか分からない職場から一歩退いて、朝は早いけどわりと規則的な時間勤務ができる環境になったことも幸いしましたが、それでも2年間(自主的に追加した1年も加えて合計3年間)、夏・冬・春の休み期間を除く平日の夜ほぼ毎日2コマの授業・実技レッスンを継続するには、家族の理解ももちろん、友達のコンサートに行ったり飲みに行きたい気持ちと闘いながら、それなりの覚悟は必要でした。

夕方仕事帰りに、焼き鳥屋さんの煙に誘われることもありましたが、これから学校へ行くのにまさか酔って行くわけにはいかない…ウーロン茶で焼き鳥2~3本、なんていうこともよくやりました(笑)

でも、それなりに楽しかったし、得られたものは大きかったと思います。
「学びたい」モチベーションは20代の学生時代よりも高かったのでしょう、3年間いちども夜の授業中に眠くなったことはありませんでした。

もともと大好きな音楽の世界、以前から興味をもっていたこと、疑問に思ってきたことが解けるのが楽しくて、仕事で多少疲れていても学校に行くと元気になってしまうのです。

その習慣はいまだ抜け切れておらず、なかなか「学生」から抜け出せません(笑)
お世話になった先生の授業をたまに聴講させていただいたり、アンサンブルの授業にたまにオブザーバー的に顔を出させていただいたり、卒業生の座談会のような会合に参加させていただいたり…


感動の共有はお早めに

さきほど「好奇心の賞味期限」と小タイトルを付けましたが、わりと短期の話でもうひとつ。

それは、学んだこと、せっかくいただいた情報は、感動の素材です。帰ってすぐその日のうちには無理でも、あまり時間をあけて冷めてしまわないうちに「見てみる」「やってみる」が大切。その賞味期限の目安はだいたい1週間だと思います。

授業もレッスンも、翌週の同じ曜日にまた巡ってきます。1週間たって「まだ見てません」では先に進みません。せっかく先生からいいお話しを聞いても、すべて「その場限り」の連続で、何も身につきません。

じつはこれ、学校の授業に限らず、職場の定例会議でも、休日のサークルの集まりでも、だいたい1週間後の同じ曜日には、また同じメンバーで顔を合わせますね。前の記憶が薄れないうちに、気持ちが冷めないうちに…その目安はだいたい1週間ではないかと思います。

次回までに「見ておきます・やっておきます・考えておきます」と決めたことは、いわば参加メンバーとの約束ごと。
いつも「忙しくて…」を口実にしていたら、何もできないまま1週間なんてすぐにめぐってきます。



すべてを「完璧にやらなくては」などと思う必要はありません。むしろ逆に、たった1週間でマスターできることなんて、どの世界にもありません。
とりあえず1週間のうちに「開けてみる」「着手してみる」のです。

社会人であれば仕事も当然あります。1日にまとまって何時間もの時間をそのために確保することはなかなかできません。
でも、30分・1時間、いやもっと短い10分・20分(=たとえば移動の電車の中など)を使って、とりあえず「見ておく」ぐらいのことは、少なくとも1週間以内にはできるはずです。

もっとも、仕事が猛烈に忙しかった、家族が病気になったり、なにか行事があった…
さまざまな理由で、今週はたまたま何もできなかった、ということは当然あるでしょう。

でも2週間たっても3週間たっても1か月たっても、「まだ見てません→見ておきます」が続くようなら、それは本気でやる気がないということです。

それは、自分のこと(=義務のないこと、いつかやればいいこと)だけでなく、せっかく情報を投げかけてくれた相手、あるいは共に感動を分かち合おうとしている仲間たちの好意・期待・気持ちに応えることでもあるのです。

→ 「気持ちに応えるタイミング」(カテゴリー「コミュニケーション」2013年11月)


そこができない人というのは、その場での会話は楽しく交わせても、もう一歩踏み込んだところまで到達できない人だと思います。せっかくの出会いも、チャンスも、熟すことなく逃していくでしょう。


私もまだ20代のころはなかなか気づけず、諸先輩の期待を裏切ったり失礼を重ねたことも数知れないと思いますが、今になってようやく、そうしたちょっとした時間の積み重ねが人生なんだなと大切に思えるようになりました。


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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