歌と「ことば」

最近、あまり大きな音楽専用ホールではない小さな空間で、ピアノ(伴奏)による「歌」を聴く機会が重なりました。

クラシックでも、大編成のオーケストラもいいけど、室内楽もいい、歌もいい。
またジャズもいい、ボサノバも大好き、シャンソンもいい、カンツォーネもいい、昭和の歌謡曲も…
その時の気分によって音楽も着替えればいい。音楽にジャンル分けは不要だと思います。

その中でも「歌」は、当然ながら音楽(リズム・メロディ)に「ことば」が加わります。

私が最近聴いたコンサートでは、歌手の方がいずれも「ことば」をとても大切に、目の前のお客さんに語りかけるように歌ってらしたのが印象に残っています。

いわゆるオペラ歌手にたまにありがちな、「声の響きはとても素晴らしいんだけど、歌詞がまったく聞き取れない」という現象がなかったんです。これ、とても大切なことだと思うんですね。

古くから歌い継がれてきた「日本の歌」もなかなかいいものです。
滝廉太郎、北原白秋…日本人が忘れてはならない、大切な日本の心・懐かしい原風景をよみがえらせてくれます。また「昭和の歌謡曲」にもいいものがたくさんあります。

メロディはシンプルなんだけど、とくに歌詞を見なくても、ちゃんと耳から入ってくる「ことば」が心に沁み込んでくるのです。
べつに「音楽療法」に限らず、私たちの身近なところに、そういう音楽は一緒に生きてきたんですね。


◆「ことば」とフレージング

ジャズやボサノバを、英語で歌うか、ポルトガル語で歌うか…
シャンソンを、フランス語で歌うか、日本語で歌うか…

メロデイ(曲)は同じでも、言語が違うとまったく印象が変わりますね。
その言語のもつ独特の発音、全体としての印象ももちろんですが、ひとつひとつの単語の長さ、前置詞や接続詞のつき方によって尺(=長さ)が変わり、音楽のフレージングも変わってきます。

それはオペラの世界でも、ブロードウェイのミュージカルでも同じ。
ドイツ語で演じるのとイタリア語で演じるのと、英語で演じるのと、日本語で演じるのとでは、言語を理解できなくても「音声」としての印象そのものがまったく違うものになりますし、曲のフレージングも微妙に変えなくてはならない場面もあります。

実際、モーツァルトの歌劇でもロッシーニの歌劇でも、ドイツ語版かイタリア語版かによって、オーケストレーション(=各楽器の役割)・パート譜が微妙に異なっていることは多いです。

とくにロッシーニの作品は要注意!
若いころに作った曲を違う言語に変えて何種類も楽譜を残しているので、いろんな版が存在していて、どの版を使うかによって、指揮者が見ているスコア(総譜)と各楽器のパート譜に書かれていることが全く違ったりして問題が生じるのです。

まあでも、オリジナルの曲があって、あとで歌詞を他の言語に変える場合にいろいろと難しい問題が起きてくるのは当然ですし、多少無理な個所があっても仕方ないと思うのですが、日本人がつくった日本語の歌のはずなのに、ということも…


最近のポップス・歌謡曲

たとえばほんの一例として、カラオケでもよく歌われる一青窈さんの「ハナミズキ」という曲。
ゆったりとしたメロディ、そして歌詞がとても美しい曲で、私も大好きです。

ただ1か所だけ!
オリジナルの一青窈さんもそうなんですが、1番のサビに入る前の「庭のハナミズキ」というところがどうしても気になってしまいます。

「庭のハ  (V) ナミズキ」 と歌われてるんです(V…ブレス・息継ぎ)。
なんでそこで切るかな~?

「庭~の  (V)  ハナミズキ」と歌ってもちゃんとフレーズに納まるし、その方が「ことば」として自然に聞こえてすんなり入ってくるのに…

ちなみに、2番の「どうぞ ゆきなさい」「お先に 行きなさい」はとても自然ですね。
3番の「待たなく てもいいよ」「知らなく てもいいよ」は、親しい間柄で使う「~なくっても」という表現もあるので、とくに違和感なく入ってきます。問題は1番だけですね。

たとえばこういう個所、カラオケでも完全にオリジナルを真似るのではなく、歌詞の意味をちゃんとかみしめて、自分なりにフレージングをちょっと変えて歌ってる方に、私は親近感を覚えてしまいます。




最近のポップスの中にも、たとえばドリカム、コブクロ、いきものがかり…etc.
私もけっこう好きな歌手・いい曲は多いんですが、どちらかというとメロディとリズムが優先されて、歌詞の変なところでブレスされるのに違和感を感じてしまう場面もしばしば。

さらに、最近の歌の中には、歌詞(ことば)が全く聞き取れず、曲そのものは耳に残っているのに歌詞をぜんぜん分かっていなくて、年末の「紅白歌合戦」で画面下に歌詞がテロップで出されて、初めて「あ~こういう歌詞だったんだ!」と分かることも…(笑)

なぜ、そういう現象が増えてきたんでしょうね?

以前こんな記事を書いたこともあります。

→ 歌は世につれ 世は歌につれ ~歌詞が聞き取れない~」





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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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