アベノミクスは「投資のすすめ」 ~本当の豊かさとは?~

2016年3月6日(日)


私は経済が専門ではない。しかし、中学・高校生ぐらいの常識で見ても、最近の新聞に報じられることの中には、国の舵取りとして「本当にこれで良いのだろうか?」と思われることがたくさんある。
私がこのブログをはじめた2010年の秋から、この「★豊かさとは…?」というカテゴリーを設けて書いてきたこととも重複するが、ここ2~3年を振り返りつつ、あらためて見てみよう。


トリクルダウンのトリック

インフレ政策、大企業が儲かり、経済界が活性化することで、国民の下々まで豊かになる…これがアベノミクスの唱えるトリクルダウン。ここ数年、みなさんの実感はいかがだろうか?

トリクルダウン

大企業を優遇し利益を上げさせても、肥えるのは上ばかりで、下々にはまったく降りてこない。それどころか、むしろ格差が拡大し、貧困層はますます追いつめられているというのが多くの実感ではないだろうか?

街でインタビューすると「給料は上がっていかない」「豊かになった実感はない」という声がほとんど。
むしろ、物価は上がる、消費税も上がる、介護手当がカットされるなど福祉政策は切り捨てられる、年金の受給年齢が引き上げられたり受給額が減らされる、医療費の自己負担も増える…むしろ将来の不安は増すばかり、という声が多数を占めるようだ。

なぜこういうことになってしまうのか?
いくつかの角度から私なりに見てみることにする。


◆子育てママの悲鳴・怒り

先ごろネット上で「保育園落ちたわ、日本死ね」という書き込みが話題を呼び、反響が広がっている。
たしかに言葉遣いは汚い、論理性に欠ける、苦しいのはあんただけじゃない…といった批判の声もあるが、子育て世代の母親たちからは共感の声が多い。
→ 『保育園落ちた日本死ね』投稿は私です」

この話題、1週間以上前からネット上で見て知っていたが、表現の仕方などに賛否両論あるだろうと思い、しばらく静観していた。だが、この人が本当に言いたいことには共感できるところが多く、私なりのコメントとともにフェイスブックにシェアしたところ、思わぬ賛同をいただいた。みなさん私と同様、この投稿者の「心の叫び」に賛同されてるようだ。

安倍総理は国会での答弁で、待機児童の増加を「うれしい悲鳴」などと発言し、民主党の山尾議員に厳しく追及された。
私はべつに民主党の支持者ではないが、この山尾志桜里(しおり)議員は、ミュージカル「アニー」で初代主役を務めたのち、東大法学部を卒業し、司法試験に合格して検察も務めた経歴もある才女で、厚生労働のスペシャリスト。
論理性にブレもなく、国民・庶民の目線に立っている。安倍総理と一騎打ちをしても一枚も二枚も上手なように思える。

★注)
私はいまのところ特定の政党を支持はしていません。どうも日本という国は、「誰が、どのグループが」という所属や駆け引きに多くの時間とエネルギーを要し、肝心の本質の議論がなかなかできないところが残念です。
いまの政権与党の矛盾点を、国民の目線で鋭く追及するという意味では、ほかにも社民党の福島みずほ議員や、日本共産党の志位委員長や小池議員…etc. 個別にいいな、と思う方を個人的に応援したいですね。

山尾議員
→ 答弁で完敗続き 安倍首相が嫌う山尾議員の質問力(日刊ゲンダイ)


「保育園に子どもを預けてまで働かなくても、安心して子育てに専念できるしくみが必要」との意見もあるだろう。
ただ、女性が働くことは、必ずしも「夫の収入だけでは足りない」という経済的な理由だけではない。たとえ子どもを産んでも、男女平等に社会に参加し、責任ある仕事を続けたい、自己実現を果たしたい。まさに今の政権も「一億総活躍」をうたっているではないか!?
子育てに専念するにしても、子どもを預けて働くにしても、それは個人の選択の自由。そのどちらの受け皿も社会には求められるはずだ。

そもそも少子化(=子供の数が少なくなること)はいま急に起こってきた社会現象ではなく、何十年も前から言われてきたこと。なのに保育園が足りなくて子どもを預けられないのは、なぜ…??

保育園(施設)の数もさることながら、保育士が不足しているというのは深刻。
しかし、私が学生時代から今日に至るまで、若い女性の中に「子供が大好きだから保母さん(保育士)になりたい」という話はけっこう耳にしてきたように思う。そういう若者は決して少なくないはずなのだ。まして今は少子化で、子どもの数そのものが少なくなっている。なのに保育士が不足…??

その原因として、保育士の報酬があまりにも低すぎる という問題がある。
専門的な知識・経験を身につけ、実習を積んで晴れて保育士になり、けっこう長時間拘束されて体力も神経もすり減る労働にも関わらず、あまりにも報酬が低すぎるため、なり手が少なくなってしまうのだ。


求められる社会の受け皿

これは保育士に限った話ではなく、介護の世界でも、福祉の現場全般にも言えることだろう。
2015年春には介護手当も大幅にカットされ、介護士たちもますます厳しくなっていると聞く。

昨年(2015年)、公約だったはずの「低所得世帯の保育料無料化」を白紙撤回した。
仮にそれを実施したとして年間かかる予算は240億円程度。その財源がないというのだ!
また、3党合意だったはずの「子育て支援」も、その3千億円の財源確保ができないと、見送る気配を見せはじめている(2016年3月現在)。

民間企業の「利益追求の原理」からすれば、「利益を生み出さない効率の悪い仕事」かもしれないが、世の中には誰かがやらなくてはならない大切な仕事がある。そういうことにお金が回っていかないのだ。社会の仕組みとして非常にゆゆしき問題だと思う。

民間企業の「利益追求の原理」では成り立たない分野にこそ、国や自治体(行政)の手を差し伸べるべきではないのか? そのための税金ではないのか!?

単純に比較できる対象ではないかもしれないが、安倍政権になってからこれまで海外には85兆円を超えるお金をばらまき、オリンピックのためにいったいどれだけのお金をつぎ込もうとしているのか…!?

「一億総活躍」をうたい、「介護離職をゼロにする」などと安倍総理がインタビューで豪語するのはいいが、具体的にどうするつもりなのか?

子どもやお年寄り・障がいのある人たちのケアを、120%家族だけに押し付けるのではなく、社会全体としての受け皿づくりが必要ではないだろうか? 愛と思いやりのある、国民のための政治を望むところだ。


社員に還元されない企業の利益

企業ばかりを優遇しても、国民は豊かにならない。これには長い実績(?)がある。

この「★豊かさとは…?」のカテゴリーで初期のころにご紹介した図表をあらためて…

社員へは還元されない実績

総務庁の統計から、1990年のバブル景気の前後を3期に分けて比較したもの。
会社というのは、たとえ儲かっても社員の給与には反映させていないことがよくわかる。

★バブルに向かっていた左の1986~89年ではすべてプラスで「増加」だが、その中でもとくに高いのは「役員給与+賞与」の21%↑

★真ん中の2001~04年になると、株主への「配当」が70%の増加で断トツに高く、「役員給与+賞与」もプラス59%(倍増以上)、なのに「従業員給与」はマイナス↓

★右の2005~08年になると、株主への「配当」もマイナスに転じ、従業員への「給与」はマイナス23%(=2割以上カット)、なのに「役員給与+賞与」だけはプラス13%↑

…つまり会社は、利益が出なければ当然のように「厳しい」と賃金をカットし、たとえ利益が上がっても「先行きが不安だから」「何かのために蓄えも必要だから」と内部留保を増やし、働く社員たちへは還元しないのだ。

私も2000年前後に職場の組合で執行部を経験したが、連合の話を聞いても会社はどこも、たとえどんなに儲かっていても「厳しい」を口癖に社員への賃上げには応じないものなのだということを実感した。

そして、何年か前の年末に「年越し派遣村」が日比谷公園にできた。
私は正月早々カンパを持って日比谷公園に行き、企業とはかくも無慈悲に、真っ先に弱い者を切り捨て、寒空の下に放り出すんだな、と思った。それがこの「★豊かさとは…?」というカテゴリーを設定するきっかけともなったのである。

年越し派遣村
→ この記事の後半 「派遣村で過ごしたお正月」

そのような企業の体質が変わらない限り、企業をこれまで以上に優遇し、法人税を軽くし、総理自らが海外でトップセールスをやって日本企業の売上に貢献したところで、国民の末端までその恩恵が落ちてくるとは考えにくいのである!


回っていかない巨額のお金

内部留保=企業が現金として金庫にしまって備蓄しているお金」でしょ?→「そのお金を社員に支払いなさいよ!」、などと言ったら公認会計士3級クラスの人に笑われてしまうだろう(笑)。

内部留保とは、会社が現金として蓄えているわけではなく、企業の決算においても「内部留保」などという項目はない。あくまで概念としてのもので、「利益剰余金」と言った方がよいかもしれない。

内部留保とは、企業の純利益から、税金・配当金、役員賞与などの社外流出分を差し引いた残りで、ひらたく言えば「企業の儲けの蓄え」のことだが、会計上は「利益準備金」、「任意積立金」(いわゆる団塊の世代が一斉に退職する時期を見込んでの「退職引当金」なども)、「繰越し利益剰余金」などで、貸借対照表の「純資産の部」に計上されるもの(←決算の用語は難しい)。

‪利益剰余金等

いずれにせよ、会社が利益を上げても社員には還元されないお金(=「利益剰余金」)があるわけで、その額は2007年の時点ですでに100兆円を超えている!

今年の国家予算が96兆円だとして、国を回す1年分の総予算よりも大きな金額である。その巨額のお金が企業の「内部留保」となって動いていないのである!

企業にこれだけ「蓄え」があると、銀行(金融機関)がお金を融資しようとしても、借り手がなかなかつかない。金融緩和で低金利政策→ゼロ金利、さらにはマイナス金利へと日銀がやっても、なかなか借り手がつかず、お金が動かないカネ余りの状態がまだ続くとみられる。

先ごろ、日銀の黒田総裁が国会に呼ばれ、ゼロ金利からマイナス金利に転換したことについて問われていたが、その答弁を聞いていて、私には「アベノミクスはもう限界なんです」という意味に聞こえた。


◆インフレ政策は 「投資(ギャンブル)のすすめ」?


アベノミクスという言葉を初めて耳にしたころ、「デフレからの脱却」=「インフレ政策」と単純に理解した。
そこには金融緩和、低金利政策がセットであった。いまでもその大筋は変わらないだろう。

大企業を中心に、大きなお金の動きを作り出し、その効果を国民の下々にも行き渡らせる、そのために、何本かの矢を放っていく…と。

しかし、国民ひとりひとりの目から見ると、インフレで物価が上がるということは…?

子どものころ、いままで100円のお小遣いで買えたものが110円、120円…と値上がりしていく。でもお小遣いそのものはそんなに上げてもらえない。だから今まで買えたものが買えなくなり、不幸せに感じたものだ。

同じ理屈で、いま10万円を机の引き出しにしまっておいても、物価が上がれば同じものが10万円では買えなくなってしまう。言い換えれば お金の価値が下がってしまう のである。

また低金利政策で、銀行にお金を預けてもろくに利子はつかない。昭和40年代には銀行の利子は5分5厘(5.5%)なんていう夢のような時代があった。今は0.何パーセント。定額貯金で100万円預けておいても、1年たって1万円にも満たない。

こうなると、お金をただ貯金して眠らせておくより、そのお金をなにかに運用(=投資)して新たな価値を生み出した方が良い、という発想になる。むしろ、ローンを組むなら金利の低い「今でしょ!」で、消費を増やしましょう、どんどん投資しましょう、と。

アベノミクスはまさにこの「投資」を活発にすることが狙いで、貨幣経済の動きを活発にし、世の中で動くお金を増やそうとしている。
一般の主婦もサラリーマンも、あなたも私も、企業も個人も「積極的に投資しましょう」と。

消費税を8%に上げるとしたことで、車やマイホームなどいずれ購入を考えている人たちは、消費税が上がる前に買っておこうと駆け込み需要が増えた。

たしかに一時的に金回りはよくなり、企業活動への期待から株が買われて株価が上がり、海外の事情も追い風となって円高から円安に転じた。

「ほらね、民主党時代になしえなかった、16年ぶりのデフレからの脱却を果たしましたよ!」と大きな手柄のように豪語していた安倍政権。

ここにきて原油価格が下がり(ガソリンや灯油が値下がりして喜んでいる人もいるはず)、中国経済が先行き不安となり、株価は急落。海外の不安要因からドルが売られて円が買われ、円高に戻る動きも…
すると「これは外的な要因で、一時的なもので、アベノミクスの失敗ではない」と…?

しょせん私に言わせれば、投資家(=マネーゲーマー)の一喜一憂による行動が数字になって現れてるだけの、きわめて実態のない数字。そんなものに振り回されて政権が評価されるのか?

アベノミクス、デフレからの脱却(=インフレ政策)は、いわば「投資(ギャンブル)のすすめ」。言葉は悪いが、ギャンブルを奨励する政治ではないか!

そして政府自らもギャンブルをやり、国民から預かっている大切な年金資金を株に投資して大きな損失を出した。その失敗のつけはすべて国民に…!?
年金の受給額を減らす?、受給年齢をゆくゆくは75歳~に引き上げる?…冗談じゃありませんよ!


◆副作用は貧困層の拡大・格差の拡大

本当の意味での経済成長には、国民の所得が上がって消費が増えなくてはいけない。
ところが現状は、大企業を優遇しても中小・零細企業、ひいては働く個人、国民ひとりひとりにまで「豊かになった」という実感が広まっていかない。

「まだ道半ば」という言葉を信じていつまで待っても、このやり方では国民の末端にまで豊かさが巡ってくることは本当にあるのだろうか…?

アベノミクスの効果が十分に出ていないどころか、むしろ副作用が深刻になっている。
こうしている間にも、年間120万円以下での生活を強いられている底流老人といわれているような人たちをはじめ、低所得者で生活費を切り詰めている人たちが存在する。物価の上昇は直接響くだろう。
さらに消費税も上がり、福祉などの社会保障は切り捨てられ、医療費の自己負担も増え…二重三重の苦しみに追い詰められている。
2015年12月の時点で生活保護を受けている世帯は163万世帯、過去最悪の結果となっている。
もはや「格差の拡大」などと静観してる場合ではなく、待ったなしの状況なのだ。


◆弱きを切り捨て、強きを優遇する政策

これもこのカテゴリーでことあるごとに書いてきたことだが、今の政権は「弱きものからむしり取り、弱きものを切り捨て、強きものを優遇し、強きもののための政治」である。

そもそも、税金は儲かった者からたくさん徴収し、生活に厳しい人からは少なく…というのが古代からの税の原則ではなかったのか?


①消費税の逆進性

かつては贅沢なものには「物品税」が10%課せられていたが、日常品・食料品などの生活必需品は非課税であった。

自動車やグランドピアノなど高級なぜいたく品とみなされるもの、劇場への入場、温泉への入湯には特別な税金が課せられていた。
しかし、銀座の高級クラブでグランドピアノを購入する場合は「ぜいたく品」だが、音大生が勉強のために買う楽器は免税価格で買える、といった個別の配慮がうかがえた。

それが、消費税が導入されて物品税が廃止されてからは、一律に免税なし。一見「平等」に見えるが、弱い人への配慮がなくなり、弱いものにほど重くのしかかるのが消費税なのである。

この消費税の逆進性については、竹下内閣の時に消費税が導入された当初(1989年)から指摘されていて、当面は3%でスタートするが、弱者への配慮・品目ごとに税率を変えるなどきめ細やかな対応を検討するという約束だったはず。
それをずっと放置したまま税率だけを5%、8%と上げてきて、ここにきてようやく「軽減税率」という話になった。

来年春に消費税10%に上げるに際して、食糧品だけは8%に据え置く(=ほかの物品よりは少し安いままにする=「軽減税率」)ということだが、国民の実感として、今の8%より安くなるわけでもないのに「軽減」とはなんだ、という感覚もあるだろう。

生鮮食料品だけでなく加工食品も軽減の対象に含めたことを大手柄のように公明党さんはおっしゃるが、外食か持ち帰りかの区別も曖昧であったり、線引きが難しい課題はあるし、もっと軽減税率の対象を日常生活品全般に広げるべきだと思う。

もし仮に今の物価水準で消費税10%となったら、一般家庭にはどれほど影響するだろうか…?

消費税負担の逆進性

私の想いとしては、10%への消費増税は凍結するべきだ。
もし軽減税率をやるなら、今の8%かかっている商品の税率を下げるか非課税とする。
そして外食費に関しては、1回ひとりあたり500円以下は非課税、1000円以下は何%、2000円以下は何%、3000円以下は何%…という風にぜいたくな外食ほど高い税率にする。さらに領収書を切って「会社の経費」として飲食するものにはより高い税率で。

つつましく生きる個人にはやさしく、ぜいたくな人からは高く、法人(会社)からはさらにしっかり取る…という発想に切り替えたいものだ。
法人税の減税をやめ、富裕層からあと1%ずつ税金を集めれば、消費税10%は必要ない、という試算もあるようだ。先ほどの企業が留保している「利益剰余金」に対して課税する、ということも考えられるのではないだろうか?
経済学者や心ある政治家に、ぜひご検討いただきたい!


②法人税を軽くして消費税を重く

消費税は輸出を主な業とする企業にとって二重のうまみがある。
下請けからの仕入れにも消費税がかかっているという前提でその分を補てんしてもらい、実際には下請けにはそれ相当分を払っていない、という実態もあるようだ。

さらに、海外に輸出する場合、海外からは消費税はいただけないので、その分は還付されるという制度を利用すれば、消費税という制度は輸出大企業ほど有利でおいしい制度なのである。

消費税

消費税は国民に重くのしかかり、大企業にとっては「うまみ」となり、さらに法人税の減税…
個人には厳しく、法人(企業)に優しい構造が二重三重にできているのだ。

法人税↓消費税↑ 新聞「赤旗」(日付不明)
★クリックすると大きな画面になります


③復興特別税も、法人は早々に廃止

東日本大震災からの復興のために、特別な税金を設けると決め、平成25年1月1日からからスタートした。法人の利益に応じて課税するものと、個人の所得に課税するものとの大きく2種類。

法人税を現行よりも軽減する代わりに、この復興税を課税するとしたはずなのに、当初予定していた3年度が過ぎないうちに法人の復興税は「廃止」し、さらに法人税も軽減する流れになっている。

一方、個人にかかる復興特別税は…?

私の手元に届いた地元の信用金庫からのお知らせ

H25.1.1~復興特別税

預金金利や公共債の利子に対して国税が15%、地方税が5%、それに加えて復興特別税が0.315%加算され、トータルで20.315%。さらに出資金の配当金に対しては、トータルで20.42%。この制度は、今のところ平成49年12月末まで続く予定である。

大震災への復興のためにお金を出すことを嫌だというつもりは毛頭ない。
現に私も音楽活動を通じて震災直後にチャリティ活動に参加し、それなりのまとまった金額を日赤を通じて寄付しているが、そのお金がどこでどう使われているのかがさっぱり見えない。きちんとしたお金の使われ方があって、払える者は払いたいと思う…それはいいのである。

ただ、これだけ金利が安い中、個人がこつこつと貯蓄したなけなしの預金金利には向こう10年間しっかり復興税をつけておいて、なぜ法人への復興特別税は早々に打ち切ってしまうのか? 
さらに復興特別税に代える前提で減らした法人税を、元に戻すどころか、なぜさらに「減税」をするのか!?

個人からはむしり取り、企業はどんどん優遇する!
まさに、貧しいものからはさらにむしり取られ、富めるものはますます潤う…トランプゲームの「大貧民・大富豪」みたいな社会である。

豊かな者、儲かった利益に対しては多くを課税し、弱き者への課税は軽くする…という本来の姿に戻すべきだ。
来年4月の消費税10%化を予定通り進めることについて安倍総理は「世界に冠たる日本の社会保障のため」と先日の国会で豪語したが、消費税を上げる以前に、企業への優遇措置を改めるべきだ。
それこそ先ほどの企業の「内部留保(=利益剰余金)」に対して課税する、という考え方もあり得るのではないか?


◆国民の所得そのものを上げた「所得倍増計画」

国民が実感を持てる経済成長戦略とは?

かつて、1960年の池田勇人内閣の時に「所得倍増計画」というのがあった。
正確には「国民所得倍増計画」、国民総生産を20兆円にまでもっていくとする長期計画で、発案者は経済学者の下村治。

戦後10年以上が過ぎ、戦後の復興から「もはや戦後ではない」と言われ、技術は進み、国民の所得を倍に、月給5万円だった人の月給を10万円に!  

電気洗濯機、冷蔵庫、テレビ…これは「三種の神器」と言われた。そのほかにも電気炊飯器、電気掃除機…etc.
そうしたものが各家庭にどんどん普及し、それまで手作業だった家事が機械化されて楽になり、時間にも心にも余裕ができた。

空いた時間(=最近あまり聴かなくなったが「余暇」)に何をするか? 
習いごと、趣味の活動、そして旅行(=海外旅行もこのころ解禁され、だれでも飛行機に乗って外国へ行けるようになった)、映画や音楽会…etc.
主に精神的な豊かさを求めることが多いが、そうしたことの多くも「消費活動」であり、お金の回りはよくなり景気を押し上げる。

さらに自家用車。それまで車を持っているのはお医者さんと学校の先生ぐらいだったのが、みんな車の免許をとってマイカーが持てるようになった。

街には自動車が増え、交通渋滞や交通事故が増え、公害問題も深刻になったが、人々の「夢」が商品化され、それらを手に入れるためにみな仕事を頑張ってお金を稼ぎ、流通が増え、それがまた新たな需要を生み…まさに高度経済成長は「所得倍増計画」をはるかに上回って、1970年代のオイルショックまで続くことになる。

少なくとも、国民が実感をもてた、名実ともに中味のある経済成長だった。いま再びそのような経済成長は望んでもおそらく無理だろう。90年代に巻き起こった、主に土地の値段を釣り上げることで実態のない数字だけがどんどん上昇していく、いわゆる「バブル」が起こったが、あのような現象が再び到来してほしいとも私は思わない。



昭和の高度経済成長は、同時にマイナス面も提示した。先ほど書いた交通渋滞や交通事故、公害といった社会問題もさることながら、モノやお金による豊かさの追求は、本当に人々を幸せにしたのだろうか、という疑問も投げかけた。

モノやお金による豊かさの追求は、どこまでも満たされることがなく、ようやく新しいものを手に入れても、人と比較して不幸に感じたり、モノやお金を手に入れるために恐ろしい殺人や強盗も起こるようになる。昭和時代の刑事ドラマも、そうした人々の陰の部分を描いてきたように私は感じた(←テーマ音楽もとても侘しく暗いものが多かった)。

また、誰でも努力すればお金を稼げるという自由競争の原理は、秀吉が農民出身であっても天下人になれたように、またゴールドラッシュのアメリカンドリームのように、誰でも差別なく自由に、努力によって手に入れられる素晴らしいことのようにも思えるが、競争・足の引っ張り合いが激しくなる。 

人の気持ちが見えず、自分さえ儲かればいいという身勝手な発想になり、ストレスの溜まる社会になっていく。「お金をたくさん持っていること=自分が努力した結果」であり、「お金さえ出せば何をやってもいいんだ」という、資本主義の歪んだ姿にも。

モノやお金による人間の欲望は、それこそ無間地獄のように際限がないもので、本当の意味での「豊かさ」とはかけ離れた姿になることもある。

★「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、
   無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

→ 世界でもっとも貧しい ムヒカ大統領 の言葉である。



不健全な「経済の虫」たち

話を最後に現代に戻そう。
安倍政権が掲げる、「企業中心」「経済第一主義」「成長戦略」は、国民の生活を踏みにじりながら、きわめて不健全な姿で、真の豊かさとは反対の方向に進んでいるように思えてならない。

「金儲け」の原則ばかりで動いていて、人としての優しさ・思いやりに欠ける政策が多すぎる。
儲かるためならなにをやってもいいのか?

そんな情報ばかりで、それこそFBで日々シェアしていたらきりがないが、ここ数年の間に私の目にあまりにも…というものに絞っていくつか触れておく。

まずは、2015年の正月(元旦)の東京新聞1面のトップの記事から

武器輸入国支援
★クリックすると大きな画面になります(以下、新聞記事は同様)

「武器を買ってくれる国には、資金を提供します」
…海外へのばらまきもある種の「投資」?

そもそもは、経団連からの武器輸出提言が

 経団連の軍拡提言jpg

財界には、過去にこんな発言をした人物も…

そろそろ戦争でも

2014年4月に武器輸出3原則を緩和して実質的に武器輸出を可能にし、ガザ地区を攻撃するイスラエルのネタニアフ首相と安倍総理は会談。その頃書いたブログ記事をご参照。
→ 「イスラエルより愛をこめて」


そして、武器輸出に関連する企業からは…

自民に1億献金

すべての企業ではないとしても、こういうカネの循環があることは否定できない。
企業・団体からの政治献金(愛媛新聞 2015126)
(愛媛新聞 2015年12月6日)

武器商人

武器産業・政治献金

こういうことも背景にあった上での、昨年の「安保法制」「集団的自衛権」だったのである!

安保法制を強引に通して間もなく、昨年10月1日には「防衛装備庁」なるものが発足。法案を強行採決してからわずか1か月足らずで「庁」が設立できるはずがない。つまり前々からこういうことが本当の狙いの安保法制だった、ということだ。

この「防衛装備庁」なるものができる話をいち早く大々的に取り上げたのは「赤旗」である。

防衛装備庁

★2015年10月1日の夜7時のNHK「ニュース7」では、この「防衛装備庁発足」の話題には一言も触れず!
夜9時の「ニュースウォッチ9」では、27分ごろからの「トゥディズ・ウォッチ」という1日の出来事をハイライトで伝えるコーナーで、「スポーツ庁の発足」の話題にくっつけて「防衛装備庁も今日発足しました」とわずか10秒足らず報じただけだった。

中国を脅威とし、日本人の命と安全を守るために集団的自衛権が必要だ、などといった「説明」をあらためてどう思うだろうか?
自衛隊を海外に派遣し、日本が直接攻撃を受けていなくても他国のために闘える国へ、他国に武器(←国会では「弾薬」と答弁)を供給できるようにしたい…その背景には「経済」という大きな力が働いていることは明らかである。

まだまだこの2~3年の間に目にした、とんでもない記事は尽きないが、きりがないのでこの辺で


これでもまだ、経済(=金儲け)を崇拝し続けますか?

「景気」とか「経済戦略」という言葉につられ、企業の先行きをどう見るか、まるで企業を馬に見立てた競馬新聞のような経済新聞をうつろなまなざしで眺めているサラリーマンたち。会社人間のバイブルでしょうか?
いわばマネーゲームの予想屋のような目で経済をとらえる…言葉は悪いがそうした「経済の虫たち」によって、今の政権は容認(崇拝)され、支えられていると言っても過言ではないでしょう。

私がこのカテゴリー内でもしばしば使ってきた表現。

「人の命よりも、地球よりも、経済(=企業の利益)は重い」
(↑ 中学の社会科で、憲法の基本的人権に絡めて、「人の命は地球よりも重い」と学んだはず。)

武器の輸出だけでなく、原発の事故しかり、列車の脱線事故や高速バスの重大な事故しかり…おかしな事件や事故、政治と癒着したさまざまな不正・疑惑・隠ぺい…etc.

その陰には、まず必ずと言ってよいほどこの価値観が作用しているように思う。
この価値観こそが、人類の敵であり、人の心を腐敗させ、社会を滅ぼす、がん細胞のような存在ではないだろうか!?


◆(結び) あたらしい豊かさへ

物価は安く安定していて、自分の身の丈に合った、本当に必要なものを大切に使い、たとえ給与が上り続けなくても必要なものは手に入る幸せ。

子どもができても、親が要介護になっても、自分自身が病気や障がいを負っても、社会のしくみに助けられて最低限の生活は守られる幸せ。

そしてすべての生きる人が、生きがいと誇りをもって生きられる幸せ…

冒頭に書いた子育て支援策や介護といった、企業の経済・効率化の原理では成立しないような、でも本当に大切なことにこそ、国が積極的にお金を出して受け皿をつくっていかなくてはいけない。

また、オリンピックに見られるようにスポーツの世界には巨大な商業市場も絡んで異常なまでの巨額のお金がつぎ込まれるが、スポーツ以外にも人々に感動と勇気を与えること、たとえば芸術・文化・伝統工芸といった世界にも、もっと国が理解を示して援助を回しても良いと思う。

弱きを助け、人々の精神的な豊かさのために上手にお金を使う。
本当の意味で「豊かさ」を実感できる社会に方向転換していかなくてはいけない!


(まだまだ尽きないが、とりあえず「完」! 2016.3.6)

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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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