人を幸せにする「経済」へ

7月17日(祝・月)

戦後あっという間に急速な「経済成長」を遂げた日本は、世界からも注目されました。勤勉で努力家の日本人。
しかし、昭和40年代になると、「エコノミック・アニマル」などという、あまり良い意味とはいえない呼ばれ方をした日本人。

その後の飽食の時代、バブル景気、実体のないお金の流れ、そして一部の大企業や政治家の周りに集まる巨額のお金の一方で、日々の生活にも困窮する人たちとの格差の拡大…

経済成長の陰に置き忘れてきた「人として大切なこと」はなかったでしょうか?

「経済」は人を不幸にするためのものでしょうか、それとも幸せにするためのものでしょうか?
あらためて「経済」って何…?、本当の意味での「豊かさ」って何…?


◆需要と供給

私は経済が専門ではありませんが、世の中のお金の流れ(=経済)の大きな要素に「需要=それを必要とする=ニーズ」と、それを満たす「供給=生産・販売」があって成り立っている、ということぐらいは分かります。そこに「お金」(=通貨)の流通があって経済は成り立つわけです。

戦後まだ間もないころのように、食べ物もまともにない、着るものも住むところもない…そんな時代には「需要」は無限にあったわけです。

復興して企業が活動をはじめ、そうした需要に応えるべくさまざまなモノが作られるようになります。工場や事業所ができることで「働く場」ができ、そこで働いて「賃金」をもらえば、好きなものを買うことができます。ハイカラなもの、憧れだったものが手に入り、豊かな気持ちになれる…朝のドラマ「ひよっこ」の時代ですね。

さらに、テレビ・洗濯機・冷蔵庫といった「三種の神器」に象徴されるように、モノの進化が人々の生活を変え、あらたな文化を創り出しました。「文化包丁」「文化住宅」…さまざまなものに「文化」がつくようになりました。

池田隼人内閣で言われた「所得倍増計画」で、人々の所得もどんどん増え、購買力が伸び、企業の商品開発が進み、去年より今年、今年より来年…と売り上げがどんどん伸びた。いわゆる高度経済成長ですね。

しかし、どんなことも永久には続きません。ある程度モノが満たされてくると、「需要」そのものが飽和状態になります。


◆あらたな需要を創り出す

ある程度「供給」が行き渡ってくると「需要」が低迷します。空腹だった人が満腹になってくると食べ物を欲しくなくなるのと同じです。
供給する側としては、なんとか「べつ腹」を作って食べてもらおう、となります(笑)。

そう、「ないモノを満たす」供給から、人々にとってより魅力的なもの・もっともっと欲しくなるもの…といった「あらたな需要」を生み出すことへと企業の視点にも変化が起きていきます。

一般教養の経済のレベルですが、私も「エスキモーに冷蔵庫を売るには?」という喩え話を聞いたことがあります。
もともと氷原に住んでいるエスキモーに冷蔵庫なんて必要ありませんよね。周りすべてが天然の巨大な冷蔵庫(冷凍庫)なわけですから、アザラシの肉でもなんでもそこに突っ込んおけばいいのです。
そこで、エスキモーたちに「ビール」という飲み物を教えるんだそうです。ビールを氷原に突っ込んでおいたらがちがちに凍ってしまいますね。凍らせないで適温に冷やして飲むから旨いんんだ…と。そうやって冷蔵庫を売るんだそうです。

経済を学ばれた方なら誰でもご存知の、有名な喩え話のようですが、ここには大きなキイワードがあります。ひとつはビールを美味しく飲むという「文化」を広めるということ。
そしてそれを享受するためには冷蔵庫が必要なんだという「あらたな需要」を創り出すことです。

おそらくどの企業も、これに近い発想で「あらたな需要」をどんどん創り出してきたのではないでしょうか?
モノのない(少ない)時代には、洗剤でも電球でも車でも、その基本的な「性能」を他社と比較して売る…そんなCMがほとんどでしたが、高度成長が進むにつれ、新しい商品の紹介にはなんらかの「新しい文化」をイメージさせるようなCMが多くなっていきます。

「まあ素敵」「あんなのほしい」…そんな需要がどんどん生み出されていったのです。



ウルグアイの世界一貧しい大統領といわれたムヒカ大統領はこう見ます。

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「豊かさや幸せというのは、お金で買うものではない。人々がほしいものがどんどん創り出されてそれを欲しいと思う気持ちに支配される。手に入らないと不幸だと感じる。その不幸を埋めるためにモノを買う。買ったものはすぐに古くなり、また新しいものが出るとそれが欲しくなる。不幸を埋めるためにモノを買い続ける…そこには際限がない」

「ものを買うために払っているのは『お金』ではない。お金はもともとあったものではなく、あなたが何らかの労働をして払われたものだ。つまりモノを買うためにあなたの『人生の大切な時間』を注ぎ込んでいるということだ」
(いずれも、過去に見聞きしムヒカ氏の言葉を私なりに要約しました。)


経済=企業の効率化?

人々の暮らしを守ること、より効率のよい便利なもの、安全に欠かせないもの…これまで不可能だったことが最新技術の進歩によって可能になって生み出されることも数多くあります。
技術革新があらたに創り出してくれた新たな需要(=ニーズ)によって企業も成長し、人々の暮らしを豊かにし…それは健全な経済の姿です。

しかし、先ほど見たように、企業が製品を売るために無理やり創り出された需要(=ニーズ)もけっこうあるはずです。
本来人が生きる上で必要とも言えないようなモノがどんどん創り出され、それを欲しいと思う人間の限りない欲望を生み出し、ひいては悲劇を生み出す…戦争に使われる武器を作る産業などはその最たるものと言えるかもしれません。



ともかく企業は、儲かることをやります。もっと明確に言えば「儲かることしかやらない」、「儲からないことは切り捨てていく」のです。それが世界共通の「企業の論理」であり「効率化」ということです。

時として、人々の安全のために満たされなくてはならない安全基準が破られたり、人件費を最小限に抑えるために過度の労働が課されて事故につながったり…最近とても多いですね。

*「人の命よりも、地球よりも、経済(=企業の利益)は重いのか?」

…私もこのブログ内でしばしばそんな表現をしてきました。

そうした企業の理論では成り立たない(=採算が合わない)ことの中に、人として、社会にとって大切なことはたくさんあるのではないでしょうか?
経済成長の陰に置き忘れてきた大切なことが…


ボランティア=無料奉仕が当たり前…?

これもこれまで何度となく書いてきたことですが改めて。

ボランティアという言葉のもともとの意味には「無料奉仕」なんていう意味はありませんでした。「自らの意思に基づいて行う仕事」というのが本来の意味です。

「仕事」と言うと報酬を伴う労働と受け取られがちですが、ここでは「仕事=人が手間暇をかけなくてはいけないこと」という意味で用います。

瓦礫の撤去・人命救助・災害復旧に駆けつける善意の人たちによる大変な「仕事」、子どもたちの行事、地域のお祭りなどの行事の準備・実行にかかる「仕事」、医師や看護師のような専門の資格はなくても福祉や医療の世界で必要とされるさまざまな補助的な「仕事」、お年寄りの話し相手になったり音楽を奏でて心のケアにあたる「仕事」…etc.

そうした「仕事」は、企業の論理、採算ベースで考えたら成り立たないものでしょう。
企業の効率という視点では、儲からないこととして真っ先に切り捨てられる分野でしょう。

でも、そこには本当にそれを必要としている人たちがいる(=需要が明確にある)のです。企業が儲けるために無理やり創り出された需要(=ニーズ)ではなく、誰かがやらなくてはいけないことが現実に目の前にあるのです。
それに携わる「仕事」が、なぜ無料奉仕が当たり前で良いのでしょうか?

企業の儲けのための「仕事」と、本当に必要とされていることに応える「仕事」と、どちらの「仕事」が社会にとって大切で称賛されるべきなのでしょうか?

なにも、がっぽり儲けようと思ってボランティアをする人はいないはずですが(笑)、最低限の交通費・必要経費をはじめ、それなりの「仕事」に見合った対価はどこからか支払われるような仕組みが早急に必要ではないでしょうか?


◆企業の社会貢献

一時期、企業が文化にお金を出す「企業メセナ」ということが言われ、大きな有名企業がこぞって美術館や音楽ホールを建設し、行事に企業名を冠にかかげましたが、その経費の多くは「企業の宣伝・広報」すなわち「企業イメージの向上」のために消えました。

コンサートのチケットも、本来なら企業の協賛が入ることで安くなってもいいはずなのに、むしろ高いものになり、音楽を学ぶ貧しい音大生のポケットマネーでは手の届かないものとなってしまいました。

海外の一流アーティストを呼ぶために高いギャラをはずみ、彼らは日本に来るとたくさんギャラがもらえると喜びましたが、企業がそれだけのコストを無償で出すわけもなく、莫大な広告宣伝費をかけて、クラシック音楽・世界の一流演奏家といった文化の香りを「企業イメージの向上」の広告塔としたのです。

しかしバブル崩壊後、そうした企業の協賛は引き潮が引いていくように去っていきました。
そもそも文化で企業イメージの向上を、ひいては企業の業績につなげようなどというゲスな考えが間違っていたのです!

そういう意味では、バブルが崩壊した後の今も、音楽などの芸術文化に協賛してくださっている企業は「ほんもの」といえるのかもしれませんね。


その昔、王宮が音楽家を招いて宮中で演奏させたり作曲家に曲を依頼したのは、音楽の好きな王侯貴族たちでした。また絵画や彫刻の好きな王侯貴族たちは、著名な絵描きや彫刻家に作品を作らせました。

もともと「儲かる仕事」ではない芸術文化の世界を支えるのはお金のあるスポンサーですが、そのスポンサーが「自分のイメージ向上・アピールのため」ではなく、本当に自分が好きな世界だから、ある程度理解しているからお金を出す、というのが本来の姿ではないでしょうか?

音楽などの芸術に関係する人たちも、いくら素晴らしいものを創り出そうにも生活が成り立たないのでは話になりません。よきスポンサーを見つけて、理解されるだけの技術を磨くこと。

そして、お金を持っている人たちにとって、いかにして「より儲けるか」よりも、あるお金をどう使うか、お金の使い方こそが重要ではないでしょうか?
健全な企業としては、内部留保を増やすばかりでなく、本当に社会にとって必要とされているところにお金を出すことで社会に貢献することにステイタスをもっていただきたいものです。


これも私の持論ですが、これからは社会からも音楽の必要性がさまざまな場面で求められてくるようになる。ならばプロ・アマ問わず音楽に携わる者たちも、自分の音楽や身の回りのことだけでなく、社会にも目を向けていく必要があるのではないか、と。

→ 音楽と社会との架け橋



「経済」という言葉は、人を惹き付ける大きな力を持っています。
政権が「経済」という言葉を用いることで支持率を集めることからもそれはうかがえます。

しかし、「お金の流れ」で人々の暮らす社会の仕組みを考えた時、「経済」という言葉は決して大企業中心の「儲かる原理」や、企業の業績・株価の予測だけではないはずだ、と私はずっと思ってきました。

「経済」が人々の「不幸」に結びつく社会ではなく、人々の「幸せ」に結びつく社会でなくてはいけないのではないか…と。


<追記>

◆祭り・イベントも「経済効果」


私が大学を出て間もなく民間の研究所に勤務した時期があります。そのとき最初にかかわった案件に「文化イベントの都市経営効果に関する研究」というのがありました。

青森のねぶた祭・輪島の朝市・十日町の雪まつり・京都の地蔵盆・神戸ポートピア…etc.
歴史的な伝統ある行事、日常生活から派生した行事、新たに創り出された行事など、さまざまなタイプがありますが、それぞれ地域にどんな「効果」を及ぼしているのか?

地域の伝統・文化を継承する、子どもに郷土愛をはぐくむ、地域のマイナス面(例.豪雪など)を逆に活かす、街のにぎわいを演出する、新たな出会い・交流を生み出す…etc. さまざまな仮説を立てて事例を見ていきました。

京都には祇園祭や葵祭などの大規模な伝統行事も多い中、街中の路地ごとに毎年お盆に繰り広げらえる「地蔵盆」という行事があります。この「地蔵盆」について京都大学の建築学科の研究室が調査を続けていました。

「あそこに子ども(孫)が生まれた、今年なん歳になった」など、お地蔵さんを回り持ちで守りながら、子どもを介した地域のコミュニティが守られてきたという側面があります。昔ながらの路地ごとには10~15世帯、人数にして30~40人、その規模がお互いに顔と名前が分かって行事を運営しやすいと言います。

それが、京都郊外の新興住宅地・マンションで「地蔵盆」をやろうとすると、人数が多すぎてうまくいかない…つまり伝統行事を守ることでコミュニティの適正規模が守られてきた側面があるのではないか、と。
地蔵盆を運営できる規模で地域を設計していくことで、地域のコミュニティが守られ、防犯などにも力を発揮すると。

そして、子どものころ祝ってもらったこと、地域の人たちとロウソクの灯のもとで過ごした時間…そうしたことが郷土愛、地域のアイデンティティとして形成されていく…

学生時代、「建築」というと理科系の1学部としか認識していなかった私にとって、まさに「人」「社会」「コミュニティ」という分野を研究されていて奥の深い世界だなと感じたのと合わせて、地域の行事・イベントにはじつに多面的な効果があるんだなと実感し感動を覚えたのでした。

たしかに行事・イベントには、商店街のイベントや博覧会のように大きな「経済効果」を生むもの、それを期待してつくらるイベントもあります。
しかし、最近話題になる地域イベントのほとんどは、あまりにも「経済効果」への期待ばかりに集中しすぎではないでしょうか?


◆観光地も「商売」激戦地

20年ほど前、カナダを旅したことがあり、ロッキー周辺の国立公園では本当に雄大な自然を満喫することができました。
山の名称や標高、その周辺に生息する鳥・動物・植物の案内がすっきりとしたステンレス板にレリーフされていて、余計な広告は見かけません。それがとても心地よかったのです。
トイレと食べ物を調達できる場所はなければ困りますが、過度な土産物屋や広告看板はいらないのです。

しかし日本の観光地は…

滝を見るために車をちょっと止めるにも駐車料金を何百円か徴収される。湖を眺めてしばし深呼吸したいのに、土産物屋さんのスピーカーから大音量のBGM、湖には白鳥の形をした遊覧船、あちこちに広告看板、どっちを向いても商売・商売…
温泉が出た、テレビドラマの舞台になった、地名が何らかの脚光を浴びた…みな寄ってたかって「観光誘致」の大騒ぎ!

すべてにおいて「経済=金儲け」が最優先してしまう国であることが哀しくなります。



この「★豊かさとは…?」のカテゴリーでは、ブログを開設した2010年からさまざまな切り口で書いてきましたが、今回の記事と大きく関連するのがこちらの記事(2016年3月)です。ちょっと長いですが…

 「アベノミクスは投資のすすめ~本当の豊かさとは?~」




プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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