テロ等準備罪 ~もし本当にテロ対策が目的なら?~

5月25日(木)

「テロ等準備罪」と名前は改められたが、実質は「共謀罪」 の手直し。
すでに過去3回も国会に提出されたが、いずれも否決されて廃案に追い込まれている。

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それはなぜか?
すでに多くのメディアでもネット上でも情報はたくさん出ているので、私からここであらためて書くまでもないが、大きくまとめると…

★未だ「犯罪行為」が成立していない段階で、個人が「思う」「口に出す」「話し合う」という段階で取り締まるということが現在の法体系とは大きく矛盾する
★何をもってなにを「共謀」したら罪に問われるのかが不明
★個人の思想の自由・言論の自由を大きく制限するもので憲法で保障された基本的人権に反する
★過去の「治安維持法」への回帰であり政府による個人への監視・統制への道を開く危険がある

…などが大きな反対理由である。

気に食わない上司を懲らしめてやりたいなどと居酒屋で話しただけで、あるいはネット上に政権批判を書き込んだだけで逮捕されるんじゃないか、という心配・不安の声も聞かれる。
「これは一般人を対象とするものではない」という総理のことば通り信じられるかどうかはともかく、そこまで一般人の行動を監視して取り締まることは事実上不可能であり、私はそんなレベルの心配はまったくしていない。

問題は、なぜこのような法案を、いまこの時期に通そうとしているのか…?

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◆もし本当にテロ対策が目的なら?

テロなどの凶悪犯罪を未然に防ぐことは大切であり、国際的にもごく一般的・常識的なものだ、日本も国際社会の中で足並みをそろえる必要がある、というのが賛成派の声であろう。

たしかに、国際的な行事や人が多く集まる劇場や交通機関を狙ったテロは世界各地で起きており、日本でも決して無縁とは言えない。それに対する何らかの対策を考えることは当然であり、国際的な基準に合わせる必要がある…と。

しかし…

今の政権から出されている法案の中味・議論の進め方・決め方が、どうも「テロを防ぐためにはどうしたら良いか?」という本質とはずれたところで議論されているような気がしてならない(自民党閣僚の口から「テロを対象にはしていない」などという信じがたい発言も飛び出した。だったら何のための法案なのか!?)。

そもそも何を「共謀」とみなすのか、その定義も、捜査の対象も明らかにされず、人権侵害を心配し反対する野党側の声に対してきちんとした説明をしないまま、「数の力」で決められようとしていることに大いに問題があると思う。

そこで、「たしかにテロを防ぐための対策は大切ですね」という原点は共有したうえで(いわば「対岸」に渡って考えてみて)、現在出されている法案(=共謀罪の手直し版)が、果たしてその「答え」と言えるのか?…以下、逆からの検証を試みてみたい。


◆まずは現行法でできる「テロ対策」の検討

政府はすぐに2020年の東京五輪を挙げるが、国際的な公式行事、多くの人が集まる社会的な行事はオリンピック以外にも多数ある。また劇場やショッピングセンターといった多くの人が集まる公共の場も多い。いま世界の各地で、そうした場所を狙ったテロが多発しているのも事実だ。
もしそうしたテロ対策を考えるなら、まず現状において、テロを未然に防ぐための監視・予防対策がどう取られているかを把握し、防犯カメラや警備体制、さらに建物内に死角をつくらない設計などトータルに検討すべきだろう。

<現行法をめぐる議論のポイント>

現行の刑法で定める「殺人」「強盗」「放火」といった重大犯罪には、その「予備罪」「未遂罪」も重く罰する規定がある。それら現行法との関係・バランスはどうなのか?

一般に殺人事件は、個人的な恨みを持つ相手(個人)に対して行われるものだが、1980年代から頻発している通り魔殺人など、不特定多数を狙った犯罪、さらにテロといった従来予測し得なかったような犯罪が進化している。
現行法で適用できること、現行法では不十分な点があるとしたらどういったことが考えられるか?
それを洗い出して十分に議論したうえで、「テロ等準備罪」も含めた新しい法律の立案が論じられるべきだろう。

しかし、国会ではそういった議論は一切なされていない。



そもそも「テロ」の定義は?

テロの正確な定義は知らないが、私なりの見解で書かせていただくと…

「不特定多数の人を殺傷したり、交通・通信手段など公共性の高いものを破壊または機能停止させる行為」

…といったところでいかがだろうか?

イベント会場に爆弾を仕掛けるとか、交通機関およびそれを制御するシステムを破壊する、さらに最近のサイバーテロといったものまでを含めると、このような文面で定義されるのではないだろうか?

<議論すべきポイント>

ニュース報道では、イスラム系過激派組織ISが犯行声明を出すものは「テロ」とされるが、単に社会に恨みをもつ個人が歩行者天国で車を暴走させて多数を殺傷しても「テロ」とは呼ばない。思想的な背景や計画性があるものが「テロ」と呼ばれるようである。

では、今回対象とするのはどこまでか?思想的な動機・計画性をもって行うものだけを対象としてよいのか、衝動的な無差別殺人なども含めて凶悪な犯罪すべてを未然に防ぐことを目的とするのか?

私は個人的には後者、すなわち、社会の安全を考えるなら思想的背景や計画性の有無にかかわらずすべての凶悪犯罪を対象としなければ意味がないと考える。



◆「共謀罪」となんら変わらない「テロ等準備罪」は不要!

「テロへの対策については、今ある現行法で十分である」という見方を、もっとも分かりやすく書かれている次の文書をここでご紹介しておきたい。
鳥取県弁護士会会長の大田原俊輔氏の「会長声明」と称するこの文面がとても分かりやすい。

法律の専門家らによるこの見解によれば、憲法で定める基本的人権に反するこの法案を通す必要はない、ということである。


◆それでもなお「テロ対策」のための新法が必要だというのなら…

ここまで書いてきたことを十分に議論したうえで、それでも現行の刑法等では対応できない部分があって、「テロ対策」のために新しい法律を立案する必要があり、「事前の準備」にも焦点を当てる必要があるとすれば…(あくまで、「もし仮に~~なら」という話として)

いまだ犯罪としての構成要件を満たしていない(=犯罪として成立していない)ことも捜査の対象とすることになるわけである。これは人権侵害と背中合わせである。

いくら「一般人を取締りの対象とするものではない」とくりかえし答弁されても、一般人なのか犯罪予備の実行犯なのかの判断はどこで誰がするのか?

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捜査してみなければ分からないではないか? 一方的に疑いをかけられた人が不当に人権侵害されるのではないか?…総理大臣も法務大臣も、その基本的な疑問にきちんと答えていない。

ここでもまた「もし」の話として、私なりに代弁するなら…


◆社会の安全=公共の福祉

社会にとって大きな危険を避けるために、個人の自由や権利が一部制限を受ける場合もある。
例えば、現在でも行われている警察官による職務質問

夜遅くに自転車に乗っているだけでも警察官に呼び止められ、この自転車は誰のものか、なぜこんな時間にここにいて何をしているのか…色々と聞かれる。人相・服装などによって呼び止められる人と呼び止められない人がいるようだが(笑)。
運悪く呼び止められて質問攻めにされても、逃げたり反抗して手を払いのけたりしたら、それこそ公務執行妨害で逮捕されてしまう。とんでもない人権侵害だともいえるだろう。

しかし自転車が盗難車ではないか、ひったくり・空き巣・下着泥棒などの犯罪と関係しているのではないか…挙動不審な者を呼び止めて「調べる」ことは、「防犯」の上でも大切で、警察官の職務権限として認められているのである。

つまり、社会の安全を守ること=「公共の福祉」とのバランスにおいて、個人の自由や権利もときに一部制限される、ということである。

「テロ等準備罪」もまさにその延長線上にあるといえる。いまだ重大犯罪は犯していないが、その疑いのあるものを事前に発見し、未然に防ぐことが必要であるならば、多少なりとも人権侵害の問題とは常に背中合わせあることは事実なのだ。


<検討されるべきポイント>

何をもって「テロ等準備」とみなすのか?
今の法案では、277もの行為(すでにある法律で定められている行為)を総くくりにして併記しているが、これでははっきり言ってなんの意味もない。

もし私が法の立案をする立場だったら、まず冒頭にあげたテロの定義から…

「不特定多数の人を殺傷したり、交通・通信手段など公共性の高いものを機能停止させる行為(=テロ行為)、およびその準備とみなされる行為」と定義づけるだろう。

それ以上の文言を条文にはあえて書かない。

前半の「テロ」の定義によって、一般人の一般的な行為はもともと対象とするものではないことが明白になる。
そして「およびその準備とみなされる行為」。こちらが重要なわけだが、具体的に何をどのようにやったら「準備」なのか、それをぐだぐだと条文に列挙して示すことには無理がある。
そこは条文に列挙すべきことではなく、司法の判断にゆだねられるべきことではないか。

「キノコやタケノコを採ってそれを不法に売ってテロの資金源に…」とか「花見に双眼鏡や地図を持っていったら『下見』だ」などと、なにをくだらない議論を国会でやっているのか?

さらに問題は、すでに刑法で定められている殺人・強盗・窃盗・放火…といった個々の行為を、何をもって「テロ行為」とみなすのか?

それらはすべて個々のケースごとに司法の判断にゆだねるしかないだろう。
それが立法と司法との分権・独立の意味である。法律にグダグダと事例を列挙するのではなく、法の趣旨に照らして善か悪かを個々に判断するのは司法の役割。


個人の人権侵害とのバランスについて

この法律ができることによって、個人の自由や権利が侵されることになるのではないか、という点はしっかり議論されなくてはいけない最も重要なポイントである。

しかし、総理大臣も法務大臣もそこにきちんと答えているとは思えない。


<もし私だったら、こう答弁する>


「たとえば警察官の職務質問の例を見てもわかるとおり、重大な犯罪を未然に防ぐことと、ある程度の個人の人権侵害になりうることとは、常に背中合わせの関係にある。
テロ等準備罪の適用が、重大犯罪を未然に防ぐためには有効であるとはいえ、個人の自由・権利を不当に侵害することはあってはならない。
そこには細心の注意を払い、捜査機関など関係機関とよく連携して、捜査対象や捜査方法の適正化を図っていく」

…法務大臣ならこれぐらいの答弁をなさってはいかがだろうか?



目的と方法論のちぐはぐ

はじめに書いたように、いま通されようとしている「テロ等準備罪(=共謀罪)」に関する議論が、本当にテロを未然に防ぐための議論になっていないのではないか、という疑問。
また仮にこの法律が成立して施行されたとして、本当にテロを未然に防ぐことに有効なのか?
つまり、目的にかなった法律の立案になっているのだろうか…?

一昨年の「集団的自衛権」を含む安保法制をちょっと思い出してみていただきたい。

アジア近隣の「脅威」など新たな国際関係の中で、「日本という国を、国民を守る責任がある」と言い、防衛力の強化を訴えるのであれば、まず今の自衛隊でできうる最大限の防衛(=個別的自衛権)について十分な議論がなされるべきだった。

しかし、自衛隊法の見直しや、今の憲法下でできうる自衛隊の活動範囲、緊急時の自衛隊や防衛相の対応マニュアル作りなど、当面緊急に検討すべきことの議論はほとんどなされていない。

「アメリカの艦船に乗った母子」や「となりの火事」に喩えた稚拙な紙芝居で、「国民を守るため」と表向きはいいながら、実際は自衛隊が海外に行ってアメリカ(同盟国)の後方支援をできるようにすること、すなわち集団的自衛権の話にすり替えられた。

野党は当然ながら反発して質問を重ねたが、後方支援とは何か、戦闘地域とはなにか、戦闘が行われていない地域とはどういう地域か、支援のために武器は供給できないが弾薬はよいのか、ミサイルは武器なのか弾薬なのか…といった、言葉の定義のやりとりで珍問・珍答が飛び交い、議論は平行線のまま。

政府は「日本を国民を守るために」と言っておきながら、肝心の日本の「防衛」についての議論はいっさいなされないまま、海外で他国のために戦える国へと変えてしまう法案を、一方的に「審議は尽くした」と打ち切って「数の力」で強引に通した。
多くの憲法学者が「憲法違反である」とした法案に、多くの若者も政治に関心を向け、何万人ものデモが毎週金曜日に国会・首相官邸を囲んだにもかかわらず。

国会での採決も、議長の任命をめぐってごたごたするどさくさに紛れ、暴力も飛び出す醜い状況の中で…
まともな議論ではとうてい理解は得られず、あのようなスキを突いただまし討ちのような採決で「数の力」で通さなければ成立しないような法案だった、との見方も多いだろう。



今回の「テロ等準備罪」も、そもそも「テロとは何か?」「テロを防ぐために何をなすべきか?」という議論は一切なされないまま、277もの行為を対象として列挙。
適用のいかんによっては個人の人権を著しく侵害する、かつての治安維持法にも通じる危険のある法案を「数の力」で通そうとしている。

いったい日本をどういう国にしたくて、誰のため・何のための法案を通しているのだろうか…?


<付記>

~近年の新しい法律(条文)にみる事例の列挙~

条文に具体例を列挙しすぎ!

「危険運転致死傷罪」しかり、「ストーカー防止法」しかり、あまりに具体的なことを列挙しすぎて、けっきょく使い物にならない法律ばかりが作られている。

具体的な事案を列挙すれば「定義」が固まるものではない。むしろ変な限定解釈によって適用不能な法律ができあがり、立法の意味をなさない。
その例を「危険運転致死傷罪」と「ストーカー防止法」に見るが、過去にもblogに書いていることと重複するので軽く蒸し返すにとどめる。


*「危険運転致死傷罪」

飲酒運転やスピード違反・信号無視など悪質で危険きわまりない運転による哀しい犠牲が後を絶たず、通常の自動車運転致死傷罪(業務上過失)では刑の上限も決まっていて、あまりにも実態に合わないという議論はかなり前からあった。
そこで、悪質で危険な運転には通常の交通事故以上に重罰を科せるようにというのが狙い。

当初は、飲酒運転・スピード違反の常習者には、運転行為そのものを重く罰しようという趣旨だったが、国会で法案が成立してみたら終わりに「致死傷罪」がくっついていた。
飲酒運転やスピード違反を繰り返しているだけでは取り締まりの対象とはならず、人を死傷させる事故が起きて初めて適用できる。

しかも、その条文たるや…

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「アルコールや薬物の使用で正常な運転ができない状態で…」などと、かなり具体的に書いてある。
実際、この法律ができた後も悪質な「危険な運転」による事故は後を絶たないが、なかなかこの法律が適用されることはない。

記憶にあるのは福岡で起きた重大事故。20代の市役所職員が飲酒運転を常習していて、酒を飲んで一般道を100キロ近い速度で運転させ、ついに橋の上でワゴン車に激突、二人の子どもの命を奪った事故(事件)。当然ながら「危険運転致死傷罪」で起訴された。

しかし、一審の福岡地裁は「被告は飲酒はしていたが、事故を起こすまでの間100キロ近いスピードで運転をしてきており、『正常な運転ができない状態』だったとは言えない」として、危険運転致死傷罪を認めなかったのだ!…なんという愚かな限定解釈!? 
飲酒運転=正常な運転はできない、という意味で条文を解釈すべきだろう。
それに、一般道を100キロ近い速度で走行すること自体が十分「危険な運転」だろう!
これを危険運転と呼ばずして何と呼ぶのだ!?

その後の控訴審で危険運転が認められ、さらに上告審でも争われて危険運転と確定したが、当たり前のことが認められるまでに費やされた年月は…?

「(安全意識を著しく欠く)危険な運転をした者は」
…危険運転致死傷罪の定義はこれでよいのでは?

さらに、「こういう運転をしたら死傷者を出すかもしれない」ということを十分に予見でき、それでも「まあいいか」と実行した(常習としていた)ならば、「未必の故意(=いまだ必然とはいえない故意)」があったとみなし、殺人罪での起訴も視野に入れてもよいと、私は以前から思っている。



*ストーカー防止法


もう一つの例を見てみよう。

埼玉県桶川で起きた女性殺害事件をきっかけにできた法律。被害者の女性が男性から度重なる嫌がらせ・脅迫を受けつづけ、警察にも何度も相談したにもかかわらず…というあの悲惨な事件をきっかけに、重大犯罪が起きる前でも対応できる(=ストーカー行為そのものを処罰できる)ように新設された法律である。

しかし、何をもって「ストーカー行為」とみなすのかが問題で、「手紙・FAX・電話」は条文に書かれているが「メール」は書かれてない(→対象外)。
また、ストーカー行為そのものを処罰する刑は軽く、むしろ法律沙汰にされて軽微ながら刑を受けた加害者が被害者への恨みを一層増幅させる危険もあるだろう。


問題は「この行為はストーカー行為に当たるかどうか」の定義ではなく、被害者が恐怖に感じるような内容の行為が、その後の重大事件につながる危険があるかどうか、であり、それを未然に防ぐことに役立たなければ意味がない。

この法律ができた後も悪質なストーカー事件は多発したが、被害者が本当に身の危険を感じ、事前に警察に助けを求めていたにも関わらず、けっきょく最悪の殺人事件にまで発展してしまったケースが何件あっただろう。


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その後もたびたび「改正」が加えられている。2013年6月には「メール」を加えたが、blog・ツイッター・ラインといった日々進歩するSNSには触れていなかった! その後もあれこれ「追加」しているようであるが…

具体的な通信手段が問題ではなく、被害者が迷惑と感じ、もしくは身の危険を感じるような執拗な通信・つきまとい…といった行為そのものを問題にすべきだろう。
(刑法199条「殺人:人を殺したるものは」だけである。拳銃で、ナイフで、レンガブロックで…などといった凶器や手段は一切かかれていない。それで良いのだ。)

さらに驚くべきは、ストーカー行為を取り締まれる地域(=管轄)の限定。
当初は、被害者の住所を所管する警察署しか動けなかったため、加害者の住所、およびストーカー行為の行われた場所を所管する警察署も動けるようにする、というのが2013年の改定内容。

当初は被害者の住所を所管する警察署しか対応できないように明記されていたとはあまりにも範囲が狭すぎて驚きだったが、改正法で「加害者の住所」「ストーカー行為の行われた場所」を加えただけで十分と言えるのだろうか?

被害者の実家は?、勤め先は?、講演や旅行で行く先は?…「カルメン」は最後に闘牛場でホセに刺されるが、加害者が執拗に追いかけて凶悪犯罪に及ぶ場所は、どこでもありうる。

これだけ交通も発達した現代において、犯罪がひとつの警察署管内だけで完結してくれる方が珍しいのではないだろうか?
警察は全国組織なわけだし、国内法なので海外までは無理としても、せめて日本全国どこでも適用できるようにすべきだろう。



これらの例からも明らかなように、法律の条文にあまりにも具体的なことを書きすぎることで、かえって司法の場で使えないような本末転倒なことが起きているのである。

まずは現行法の範囲内でできることを十分検討し、その上でどうしても新しく法律を作る必要があるというのであれば、起こりうる犯罪を広く想定して分析し、ただ思い付き的にいろんな事例を列挙するのではなく、包括的に定義した条文にしなければ意味がない。

このことからも、今回の「テロ等準備罪=共謀罪」において、すでにある277もの行為を対象とするような法案が、いかに法律的に見て論理性を欠くものであるかが分かるだろう。


新しい法律の表現力

時代に変化に応じて、あらたに起こりうる犯罪を想定して、法律も新たに作る必要がある場面もある。

私の記憶にあるところでも、1964年(昭和39年)の東海道新幹線の開業に合わせて「新幹線特例法」ができた。高速で専用軌道を走る新幹線の安全を確保すべく、それまでの「列車往来危険罪」とは別に法律を作り、法的な面からも新幹線の安全を守ったのだ。

また、すでに起きた凶悪犯罪をもとに新法が作られるケースとして、1970年(昭和45年)の「よど号乗っ取り事件」(4月)や「プリンス乗っ取り事件」(5月…犯人は射殺された)
を受けて「航空機等の強取等に関する法律」(いわゆるハイジャック防止法)ができた。
それらの法律は、実際に起こりうるさまざまな事案・危険を想定し、それらを包括的に表現する条文がうまく作られていたと思う。

最近できる法案は、いまは技術的にどんなことが可能で、どんな行為が起こり得て、それを防ぐにはどうしたらよいか?…といった現実に即した想定の詰めがあまりにも甘く、思いつく限りのことを稚拙にもただ箇条書きに並べるだけで、実際には適用すら難しいような使い物にならない法律も多い。

立法府である国会、とくに立案する政府関係者の法律的なセンス・文章表現力にも大いに問題があるように思えてならない。




プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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