マスコミの影響力は大きいが…

こんな世の中になったのは「マスコミのせい」…?

わがままで短絡的な犯罪が多くなった。自分のことだけでいっぱいいっぱいで政治や社会に目を向けない人も多い。芸能人のスキャンダルや娯楽にばかり目を奪われている。国の先行きを左右する一大事についてあまりにも無知・危機感がない…etc.

そういう話題になると必ずと言ってよいほど出るのが「マスコミの影響は大きい」という声です。

「視聴率」という前近代的な商業主義的な数字に振り回されて、ウケを狙って売れてる芸能人を連れてきて、旅・グルメ・クイズ・バラエティ…レベルの低いボケとツッコミ、「え~!」というわざとらしい効果音を入れ、どの局も似たような安易で低俗な番組が多すぎる…と憤りを感じる面はたしかにあります。
なので、家に帰ったらテレビのスイッチを入れ、だらだら惰性で見る習慣を断ち切って久しいです。

たしかに、放送番組も「需要と供給」のバランスで成り立っています。
マスコミがそういう番組を流すから国民の思考回路がこうなる、とも言えるし、国民が求める番組をつくるとこうなる…ニワトリとタマゴのような話になるのです(笑)。

「マスコミと社会」について…
私が学生時代のころに、ちょっとタイムスリップしてみたいと思います。



◆「全員集合」は諸悪の根源だった…?

いまからもう40年近く前の学生時代、社会学で「マスコミ論」に触れたことがあります。
そこでよく耳にしたのが「テレビで暴力や性的な表現が多いから犯罪が増える」という仮説。
テレビの影響で、そういう欲望をあおるから模倣して犯罪が増えるのだ、というのです。

かつてドリフの「8時だよ全員集合」の影響で、子どもが下品な悪ふざけをしたり先生の言うことを聞かなくなる、と目くじらを立てる教育関係者の声があったことを思い出します。

しかし、あの「全員集合」という番組が本当にいけなかったのでしょうか?

最近のお笑いのようにツッコミの勢いで笑いを取るのではなく、毎回の設定の中で5人のキャラクターそれぞれの奇想天外な展開、計算しつくされた絶妙なタイミングで「え、まさか本当にそこまでやるの?」という本気の「ボケ」の連続で、腹筋が痛くなるほど笑わせていただきました。

毎週全国各地を回りながらの生放送で、あれだけの台本を書き、それを具体化する大道具の本気度も半端ではなかった。いま思い出しても素晴らしい文化だったと思います。

たしかに学校のクラスの男子の中には、私と同様、あの番組で見たネタを学校で真似して怒られた経験のある人もいらっしゃるでしょう。
でも、本気で差別や偏見をもったり陰湿ないじめの原因になることではなく、多くは「実際にはありえない状況=仮想」を楽しんでいたのではないでしょうか?


◆「模倣」か「代償」か?

凶悪犯罪を扱う刑事ドラマでも、性的な表現の多い大人向けの深夜番組でも、見る人がちゃんとした常識と理性をもって見れば、実際にやってよいことと悪いことの区別は当然つくはず。現実にはできないことをテレビの仮想現実の中で疑似体験して楽しむ(=代償)…それが娯楽ですね。

そういう理性を持った人が多い社会なら、そのような娯楽によって潜在的な欲求が満たされること(=代償)で、むしろ現実の犯罪を抑止している、という面もあるはずです。

刺激・模倣によって犯罪が増えるのか、代償によって犯罪が抑えられるのか?
そこは、その社会を構成している人たち次第なのです。

暴力的な映画や番組を流すことで、ある町では犯罪が増え、ある町では犯罪が減った…ということが「実証」できたらよいのですが…


社会学では、科学のような「実験」はできない

化学・科学の世界では、ある因果関係を調べるために、一定の条件である要因を加えたケースと加えないケースを「実験」して「検証」することができますね。
しかし、社会学をはじめ人間の行動科学の分野では、そうした純粋な条件下での「実験」は不可能です。

とくに社会学は、社会の中のさまざまな事象が、あることに影響を与えたり影響を受けているきわめて流動的な状態。
いわば、お風呂の栓を抜いて排水しつつ、水とお湯を足し続けているような状態に近いでしょう。
ある事象とある事象の因果関係について「仮説」を立て、流動的な「社会」という巨大な装置の中で「観察」するしかありません。せいぜい「統計」をとって比べるぐらいでしょう。

…ここまで、学生時代から思っていたことをちょっとつづってみましたが、要は…


◆なんでもマスコミのせいにしない

冒頭に書いたような最近の番組の傾向には、たしかに問題もあると私も思っています。
公平な立場で伝えるべき報道が、政権の都合のいいように偏っていないか、逆に政権を批判することばかりに偏ってはいないか…?

いつの時代でもどこの国でも、多かれ少なかれテレビ各社・新聞各社によってどっち寄りの視点で報道するか、それぞれの傾向はあるものです。
私自身、なにか社会や国会で大きな動きがあった日には、夜のニュースで複数局を見比べて、どの局がどのニュースをどのような切り口で伝えたかをチェックしているぐらいですから。

そこで「〇〇局ではこのニュースをまったく取り上げなかった」「表面的に伝えただけでまったく突っ込んでいない!」「けしからん!」などと批判だけしてても仕方ないと思うのです(←たしかに、明らかに酷いときは批判もしたくなりますが)。


一人一人が情報を選び、考える力を!

いまは多くの情報源が溢れています。大手の新聞・テレビだけでなく、それこそグラビアアイドルも載せているような雑誌や日刊紙は、政治家のスクープのような記事もなんの圧力も気にすることなく出しやすい立場にあるといえるでしょう。それこそ今はネットによる情報も溢れています。

それらの中には、感情に走って誇張された情報、未確認情報、場合によってはフェイクともいえるような情報もあります。そうした情報の中から、「何が真実なのか?」を各人がしっかりと判断して取り入れる力が求められてきます。

またSNSでもしばしば見受けられることですが、記事の表の見出しだけを見て感情で反応し、投稿の趣旨から外れたコメントが続くことも…
記事に書かれている内容をちゃんと読んで理解し、「この問題のどこがどう問題なのか?」をきちんと理解する力・考える力・議論できる力が大切になってきます。

→ 考えること、表現することの大切さ(2015年9月 58歳を迎えた日につづった記事です)


大切なのはひとりひとりが自分で情報を取捨選択し、自分の頭と常識で考える力ではないでしょうか。

私も、父子二代にわたって公共放送の一角に携わった人間として、マスコミが世間に与える影響・責任はもちろん大きいと思ってきました。報道の在り方について思うことも当然あります。

しかし、国民・有権者も決して無能な受身型ロボットではないはずです。なんでもかんでも「マスコミが~~だから…」と、人のせいにしたような言い方をしてはいけないと思うのです。


週半ば深夜の独り言でした。

プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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