本当の「積極的平和主義」とは?

7月31日(金)

ゆうべ、帰りのバスの中ふと思った「権利」ということの意味。
→ 「権利=授かったものへの感謝から」

法学部の学生のころから漠然と思ってきたことながら、今に至ってなぜこんなことを思ったのか?
言うまでもなく最近議論されている「集団的自衛権」「個別的自衛権」といった言葉の最後につく「権」、さらに社会にうずまくさまざまな権利の主張…



国際的にみると、ほとんどの国では「集団的」も「個別的」も区別なく「自衛権」は1本です。
自国が攻められたら応戦する、親しい国がやられたら援護する、当然の権利として。それが「ふつうの国」です。
いま日本を取り巻く状況もめまぐるしく変化し、さまざまな「脅威」もある。だから日本も「ふつうの国」になろうじゃないか。海外もそれを称賛してくれてるし…

平和主義を唱えることを「理想論」と言い、「世界中の国が一斉に武器を放棄すれば平和になるだろう」と言います。まさにジョン・レノンの「イマジン」の世界。
でも、それは「理想論」でしょ?=できるわけないでしょ?、「現実論」として武器をもたなくてはいけないでしょ?、集団的自衛権も必要でしょ? と。(↓ 文末参照) 

…そうでしょうか?

どこの国の人々も、みな与えられたたった一つの命を大切に、幸せに生きる権利があるのです。



日本は過去の戦争で大きな犠牲をだし、世界で唯一の原爆被爆国として「過ちは繰り返しません」と誓った国。日本は日本でしかないのです。
世界中の国が一斉に武力を放棄することを命じることはできません。そんな権利はありません。

ならば、日本はせめて、「個別的自衛権だけは持つけど集団的自衛権は持たない(=自国が攻められたときだけ最低限の武力行使はするが、他国のために軍を派遣したり支援はしない)と世界に向かって宣言したらどうなのでしょう?

そういう国を攻めようと思う国があるでしょうか?

すでに「アメリカの弾薬庫」とまで言われた中米のコスタリカという国が、集団的自衛権を放棄したことで平和を確立した例もあります。危険だから武力で装備しよう、ではなく、発想の転換です。
→ 「持つことの危うさ、持たざることの強さ」


まずは日本から、国連憲章に向けて、他の国も日本に続くことを提案する。
それこそが、日本にしかできない 本当の「積極的平和主義」ではないでしょうか?
理想論でしょうか…?



★「理想論」

サラリーマン社会においても「それは理郎論だよ」という言葉をたびたび耳にしてきました。
でも、とかくそれは「そりゃ、できれば理想だけどね=無理だよ=現実は…」と。
問題は、安易に現実論に流れることなく、なんとか実現できないか、知恵を絞り、提案し、自らやってみて…どこまで本気で「理想」を追い求めたかどうかです。

あと、「理想」とは自分に都合のいいベストな条件のもの、追い求めるもの、ととらえられがちです。
さまざまな商品の宣伝文句に並ぶ「理想的な〇〇」、恋人探しの「理想の相手」…etc. 山のあなたの空遠くまで探し求め、見つからなければ絶望するもの。
しかし、私は「自分自身がどうありたいか」を想い描くことではないかと、思ってきました。


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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