ちょっとした想像力・表現力を!

自分には関係ない?

東日本を大きな津波が襲った2011年の夏、上の娘を連れて江の島を訪れたことがあります。 まだ夏休みに入る前の平日だったので、「海の家」も設置されたばかりで人もまばらでした。
娘とカレーをいただいていたすぐ脇で、「海の家」のお兄さん(「お兄さん」といっても30は過ぎていたと思われる)が、若い女性2人連れに盛んに声をかけていました。

(男性)「どこから来たの~?」
(女性)「千葉から」
(男性:さも驚いたように…)「え~、千葉なの~?いつこっち来たの?」
(女性)「けさ。鎌倉まで来て…」

(注:総武本線は東京駅の地下ホームを通って横須賀線と直通運転しているから、鎌倉まで乗換えなしで1本で来られる。べつに驚くようなことじゃない。)

(男性:驚いた割には千葉からのアクセスの話は続かず…)「働いてんの?学生?」


…娘とカレーを食べながら、飛び込んでくる会話に「つくづくアホやな~」とこみあげてくる。
会話がちょっと途切れてお兄さんが移動したところで私はお兄さんに聞きました。

「あの~、もし今ここで津波警報が出たらどこに避難誘導するんですか?」…と。

ところがそのお兄さんも他の海の家のスタッフも誰も答えられない!
せめて「不勉強で申し訳ないです。まだ海の家を開いてわれわれも来たばかりなんで、すぐに調べておきます」ぐらいの反応を期待したのだが、それもなく…
「あ~、分かんないです」と無表情に答えただけ。(あのね~!!)


東日本大震災による津波であれだけの被害を出し、日本国内だけでなく世界にも報じられてまだ半年。
相模湾や東海沖でも近々地震があるかもしれない、と多くの人たちが心配している中、これから2か月も海の家で働こうとしているいい大人が、まったく危機意識がないというか、目の前に危険が現実のものとなって押し寄せるまで、まったく我が身の問題として捉えられない、想像もできないってことなんでしょうか…?

稲村ケ崎~極楽寺~長谷あたりは海からわりと近くに高台がありますが、江の島あたりはずっと平地が続き、仏舎利塔の立つ小高い山は江ノ電の江ノ島駅を越えなくてはいけません。

その少し前に首都圏の番組でも取り上げていましたが、江ノ島付近では、新しくできたマンションなど高い建物が一時避難場所に指定されていて、海岸沿いの道には看板も立てられ、ハザードマップも配られているはず、と逆にお兄さんに教えてあげました。
「どの建物に誘導したら良いのか、非常階段の鍵はふだんどうなっているのかぐらい確認しておいたらどうでしょう」と。


自分の身に起こるまで「リアル感」がもてない?

同じ2011年に放送が地デジになるという話は、総務省がもう何年も前から告知していたほか、NHKも「〇月〇日で今のテレビは見られなくなります。ご相談は…」と何ヶ月も前からミニ番組もひっきりなしに放送していたし、番組の途中でもうるさいほどテロップが出ていました。

ところが、東北など一部の地域を除いて予定通り地デジに切り替わったとたんに、わずか1週間で10万件以上もの問い合わせ電話があったといいます。

そのうち、「新しいチューナーを入れたんだけどうまく映らない」といった接続や操作の技術的な問合せは3割程度で、残る7割は「なんで映らないのか?」「 どうしていきなり切り替えるの?」といったクレームの混じったもの。おそらく、仮に切り替えの時期をあと半年あるいは1年延期しても同じような問合わせをする人はいたでしょうね。

切り替わってからわずか数日のうちに「映らない」と問い合わせをしてくるということは、ほぼ毎日テレビを観ている(た)人、ということですよね。
 
何年も前から告知され、何ヶ月もずっと放送でも呼びかけていたにもかかわらず、いざ「その日」がやってきて本当に自分の家のテレビが映らなくなるまで、まるで「他人(ひと)ごと」、「まさか本当にそうなるとは思わなかった」んでしょうか…??


ちょっと先を予測する想像力

上のふたつのサブタイトルに書いたとおり、「自分には関係ない」・「自分の身に起こるまでリアル感がもてない」という人たちが少なからずいるということです。

毎日の通勤電車でも、駅で電車を待っているときに自分は前にいて、後ろにも電車に乗ろうとしている人が大勢いたら、乗車してドア付近に立ち止まったらどうなるかは簡単に予測できることです。
後から乗ってくる人に押し込まれてお互い不愉快な思いをする、電車の発車が遅れ、そのちょっとした蓄積でダイヤが乱れる、ということを何も感じないのでしょうか?

また、こちらが降りる駅で網棚の上にのせた荷物を取ろうとしているのに、ちょうど網棚のすぐ前にある横棒(つり革よりも上)に手をかけてたいてい経済新聞を読んでいる(眺めている?)無表情なサラリーマンに、「ちょっとすみません」と声をかけます。でもいっこうに手をどけてくれないんです。「あの~、荷物を取りたいんです。そこの手をどけてもらえませんか!」と、そこまで言わなきゃ分からないのか!?

あと例えば、自分が座っている座席の両隣が空いたとします。そして目の前に老夫婦や親子連れなど2人一緒の人がいたら、あなただったらどうしますか?
どっちかにすっとずれてくれたら目の前の2人は並んで座れるんです。そういう状況にあって、どうして「何も動かない、何も感じない」でいられるんでしょうか?

電車やバスの乗降口のほかにも、エスカレーターやエレベーター、改札を出たすぐのところ(=人の導線が限られている場所)で突然立ち止まられたら人の流れはどうなるか?…そのほんのちょっとした想像力に欠ける無神経さ・ワガママがどれほどの迷惑になるか?

こんな注意書きを掲げられなくても、ほんの一瞬先を予測する想像力があるかどうかです。

エスカレータ立止り禁止 


想像力は生きている証し!

人間は「ことば」をもった生き物です。頭の中でなんらかの「ことば」に置き換えることによって、今現実に目の前にないものごとについても伝達したり、先のことを予測したり、理解したりします。それは「想像力」と「表現力」の賜物です。

「表現力」といっても、長文を書いたり演説するようなことまで要求してません。隣人が何かしようとしていたらちょっと譲る、半歩退く、そこに立ち止まらない…といった、ほんのちょっとした振る舞いだけでも社会的には立派な「表現」のひとつだと思うのです。

また「想像力」は、音楽・芸術にもスポーツにも、車の運転にも欠かせないばかりか、生命を守り維持したり子孫を残すことに至るまで、あらゆる生きる営みに欠かすことのできない「生きる力」そのものだと思うのです。

想像力と表現力に欠ける、使おうとしないということは、極言すれば「生きる力が足りない」あるいは「生きることを放棄している」とも言えるのではないかと私は思うのです。


プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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