切り倒される木、刈り取られるつぼみ

5月27日(月)


「すでに斧は足元に用意されている。よい実を結ばない木は切り倒され、火の中に投げこまれるであろう」(ヨハネによる福音書第3章)

これは、ファリサイ派やサドカイ派と呼ばれるユダヤ教徒に対して聖ヨハネが言った言葉です。

ファリサイ派とは戒律を重んじるユダヤ教徒たち、サドカイ派は祭司のような役割をもつ人たち。いずれも熱心なユダヤ教徒で、人々からは「正しい」と見られていた人たちです。

しかし、自分たちはアブラハムの子で、何かあればアブラハムが助けてくれると信じ、自分たちが「正しい」と思う基準で生きている人たち、という意味で聖書ではしばしば語られます。

そこでヨハネが例えとして言った「よい実を結ばない木」とは、神の前で悔い改める謙虚な生き方から外れた生き方を意味します。今日の会社組織などで言われるような「期待された役割を充分に果たせない人」という意味ではありません。

でも、この「切り倒される木」の例え話は、人間のつくる組織の中でもしばしば言われることですね。自分の価値基準で自分の世界に生き、与えられたチャンスを活かそうとせず、組織やグループの目指す方向・期待に添えない人はやがて放り出される、という意味で「恐ろしい」と感じるのは私だけではないでしょう。



さて、もう何年も前のことですが、ちょうど今ぐらいの季節に街を歩いていたら植栽を刈り込むチェーンソーの音。近くまで行って見て驚きました!
なんと刈り込まれていたのは、私の大好きなアジサイだったのです。

ちょうど梅雨入り前、色づいて大きくなり、これからまさに花(見えているのはガクの部分ですが)を咲かせようとしている先端部が無残にも刈り取られていくのです。

私は思わず「何やってるんですか!せっかくこれからが見ごろなのに!」と。
すると作業員は淡々と「役所から言われてやってるんで…」 


やはり何年も前のこと、秋口にも街路樹が刈り込まれていました。
その時に刈られていたのはサザンカでした!

私は恥ずかしながら花を見てツバキかサザンカかを見間違えることがありますが、サザンカは秋から冬に真っ赤な花を咲かせることぐらいは知っています。

「♪垣根の垣根のまがり角~」で始まる童謡『たき火』の2番に、「さざんかさざんか咲いた道~」とありますね。

よりによって、その植物がこれから花を咲かせようという一番いい時期に、なぜ?
無残に刈り取られる植物たちに、いったいどんな罪があるのでしょうか…?



もし枝がぐんぐん伸びてきて「止まれ」の標識を覆い隠すなど、道路の安全上すぐに対応しなくてはいけない危険があるならともかく、2つの事例ともまったくそんな必要性は感じられませんでした。

行政の担当者はいろんな部署に配置転換されますから、必ずしもその分野の専門家とは限りません。私も組織にいるひとりとしてそこは理解します。

でも、発注する側がたとえ素人であっても、そもそもなんのために仕事をしてるんでしょうか?
実際に作業を請け負う業者はプロの専門家のはずですよね。

「なにも今やらなくても、せめて花が終わってからにしませんか?」とひとこと進言ぐらいできないのでしょうか?



どんな組織でも、上の組織あるいは上の立場で来る人は決して神様ではありません。不完全で過ちもおかすごく普通の人間です。
現場のことは「報告」を受けるだけで、専門的なことや現場の細かい事情は必ずしも分からなくても、それ自体はしかたないと思います。 
 
でも、せっかくその部署にいるのなら、たとえ短い期間であってもその世界のことを知ろうとは思わないのでしょうか?
現場で長年やってきたその道のプロの言うことに謙虚に耳を傾け、学ぶということはないのでしょうか?

基本的なことすら分からない、分かろうとせず、どんなに不条理なことを言われても、上層組織や上層部の人の言うことは「絶対」なんでしょうか?
なんの提案も進言もすることなく、ただ「はい、分かりました」でやるだけの「兵隊さん」しかいないのでしょうか…?
現場で自分が手がける対象を愛する気持ちも、職人としてのプロ意識も絶滅してしまったのでしょうか?


もし自分のお金で家を建てるなら、設計・構造計算ができなくて部材に関する知識はなかったとしても、専門家の言うことに耳を傾け、少しは勉強もして、少しでもいい家を建てたいとは思いませんか?

役所や組織では、自分のお金を使うわけじゃないから、そういう意識がもともとないのかもしれませんね。 ごく基本的な常識から見ておかしなことでも、言いだしたら絶対に見直そうとしません。

数字だけを見たら無駄のように見えることでも、その世界では絶対に必要なことも多々あります。その理由を説明しても、自分たちがいったん「削ろう」と判断したことは結局は削ろうとしてきます。
肝心なことはなかなか動き出さないくせに、一度決めたことは誰がなんと言おうと強引にやり切ろうとします。 自分が担当のうちに「業績」として。

そういう中で、上に対して意見を言ったり提案するような人間は、組織の中では嫌われてどんどん追いやられていくんでしょうか?反抗分子として邪魔者扱いされ制裁を受け、切り倒されるのでしょうか? これから精一杯きれいに咲こうとしている芽も無惨に刈り取られてしまうのでしょうか…?

…あ、これはどこか特定の役所や組織を皮肉った例え話じゃありませんよ。
あくまで今どきのごく一般論として…(笑)


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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