五輪に想う… 

2018.2.21

◆平昌五輪も中盤を過ぎました

ウィンタースポーツにほとんどご縁がなく、ただでさえ運動音痴の私にとって、モーグル・ジャンプ・フィギュア…すべての競技の選手を尊敬します。

中でもあのハーフパイプ!スノボやスキーでほぼ垂直にそそり立った壁から宙を舞い4回転×4回転してちゃんとまた着地してすべり続ける…とても人間技とは思えません!

でも私が好きなのは、技だけでなく音楽の解釈まで含めた「美」「芸術点」が問われるフィギュア。怪我から復帰した羽生結弦選手の演技には本当に感動をいただきました。

A_20180217174954b85.jpg
*17日(土)、デイホームで見ていた羽生結弦選手の演技

また、集中力とチームワークが勝負のカーリングも面白いですね。ビリヤードのような物理的な考察と、狙ったとおりにもっていくあの集中力…球技や格闘技にあまり興奮しない私ですが、こういう競技はけっこう好きです。

個人で参加する選手も、団体で参加する選手も、「ここ一番」という場面で見せる真剣な表情、結果を受け止めて見せる笑顔、ともに闘った他の国のアスリートと笑顔を交わし相手をたたえてハグする姿…どれも素晴らしいです!

ただ、そんな五輪の中でふと思うところをつづらせていただきます。


マスコミは 「メダルの数」に大騒ぎしすぎ!

今回に限らないのですが、メディアはやたら「メダルの数」に発狂しすぎです!

4年に一度、世界最高レベルの選手が世界から集まる中で、金・銀・銅のメダルを獲得するのは大変なこと。
称えられるのは大いに賛同しますが、これまでのオリンピックでの日本のメダル獲得数と比較したり、アスリートの動向を追いかけるたびに「メダルは期待できるでしょうか?」とどの局のアナウンサーも絶叫するのは正直うんざりです。「あなたたちのためのオリンピックじゃないでしょう」と言いたくなります。

音楽コンクールと同様、4年に一度、世界の最高レベルの人が技を競う場。そこで頂点を目指して日々努力を重ねてきたアスリートたちが主役。

上にも書いたようにどの競技も「人間技とは思えない」私としては、どのアスリートも素晴らしい。もちろん日本の選手たちの活躍にも手に汗を握って見守ります。
でも、さらにその上を行く素晴らしい選手が世界にはいます。金・銀・銅のメダルに輝く選手たちは、たとえどの国の選手でも「素晴らしい」と思いますし、感動をいただいている私です。

日本を代表して参加しているアスリートたちが、国民的にメダルを期待されるプレッシャーたるやいかばかりでしょう。
もっともそれが励みともなり、自分との闘いを乗り越える力にもなっていることは確かでしょう。表彰台に上がるアスリートたちは「みなさんの応援のおかげで」と口を揃えます。とっても人間もよく出来てるんだと思います。

でも、何もしないでサッカーWカップや五輪の時だけ「ニッポン・ニッポン」と、変な国民意識(集団心理?)で騒ぐのには正直違和感を覚えてしまう私です。


「日の丸・君が代に違和感を感じる」という方へ

表彰台で流れる「日の丸」、掲げられる「君が代」に違和感を覚えるという方がいらっしゃいます。

ともすると過去の悲しい歴史を彷彿とさせるとか、右翼のような印象を持たれる方も…。
少なくとも、そうした問題意識を持たれることは素晴らしいと思います。

でも、「日の丸=国旗」であり「君が代=国歌」ですよね。それに違和感を覚える国民がこんなにいる国って、他にあるでしょうか?

入学式や卒業式をはじめとする公式の行事でステージに「日の丸」が掲げられていたり、国家としての「君が代」を歌ったり演奏することに私は抵抗はありません。
(後述のように、音楽的な面・歌詞の内容面で「君が代」よりもっといい「国歌」はできないのか、という議論はあってよいと思いますが、今のところ「君が代=国歌」です。)


◆国旗や国歌を、自分に都合よく間違った使い方をしてきた人たち

ここにつづることはあくまで私個人の意見です。

日の丸(=国旗)や君が代(=国歌)が悪いわけじゃないのです!

侵略したアジアの諸国で、日本(軍)が現地の人たちに強制的に「天皇」をあがめさせ「君が代」を歌わせた皇民政策が間違っていたのです。日の丸のハチマキをして特攻に出ていったあの時代(=時の為政者・軍の上層部)が間違っていたのです。

また、いつの時代も自らを「国家」の代表のようにふるまう者は現れます。薩長の戦いでも戊辰戦争でも、古くは南北朝の足利尊氏も「天皇の命を受けて」という大義名分をもって「皇軍」として戦ってきました。いわば天皇を担ぎ出して自らの正当性を主張するわけです。国旗や国歌がそういう場面で利用されてきたのです。

最近、私がとても違和感を覚えたのは、先の総選挙前に安倍総理が自民党候補者の応援演説をした際に、街頭に集まった人たちに「日の丸」の旗を配布して、応援のために振らせていたことです。

政府専用機の尾翼に大きく日の丸がマーキングされているのは良いんです。総理大臣や外務大臣が「日本国の代表」として海外に出かけるんですから。
250px-Japanese-Airforce-002-02.jpg

でも、選挙で自民党の応援演説をするときに「日の丸」の旗を民衆に配って振らせるのはまったく意味が違うでしょう!?
日の丸で応援される安倍さん
「日の丸」は「自民党の旗」じゃありません! 
今のところ政権与党だからといって、まだ選挙前に自分たちが日本の代表でもあるかのように「日の丸」を私物化しないでいただきたい!

それに対して、五輪に「国」を代表して参加したアスリートが、世界の舞台で頂点に立ち、表彰台で流れる「国歌」、掲げられる「国旗」は、世界の常識から見て「正しい使われ方」だと思います。

一部に間違って使う人のお陰で、「国家」や「国旗」そのものに抵抗を感じてしまう国民がいるというのは本末転倒だと思います。


◆「君が代」について

題名からして分かるように、「君=天皇」のことですね。「君が(の)代が未来永劫続きますように」という意味の歌です。

今日、天皇制をどうとらえるかですが、主権在民の民主国家において天皇は「象徴」です。いまの天皇・皇后陛下も、皇太子も、平和主義者で人間的にも魅力のある方ですが、少なくも「天皇のために国がある」という状況ではありません。そこであの題名・歌詞が果たして「日本の国歌」としてふさわしいのかどうか…?

また、「君が代」のあのメロディは、音楽的に見ると「雅楽」の旋律です。古代から続く日本文化ではありますが、果たして現代の日本においてあのメロディが国歌としてふさわしいのかどうか…?

戦後70年以上経ち、そろそろ時代に合った国歌を考え直してはどうかという議論があっても良いのではないでしょうか…?
憲法九条を見直すことより、議論に値するのではないかと私は思うのですが…

*くりかえしますが、ここに記したことは、あくまで私の個人的なものです。

2018年頭 「ニュース串刺し」

2018年頭 「ニュース串刺し」

世の中の出来事あまたある中で、どんなニュースを拾ってどう並べるかによって、見え方は大きく変わるものです。
単品として出来事を見るだけでなく「こんなことが起きている、なのに一方では…」という面も見えてきます。名付けて「ニュース串刺し」!

「偏見」はなくとも「主観」はどうしても入ってきますが、それで良いと思います。新聞・放送局などマスコミ各社も、それぞれの「主観」による「ニュース串刺し」があっても良いのではないでしょうか?
昨年後半から年始にかけて、目についた主なニュース(主に見出し)を私なりに拾い集めてみました。


*「北九州・豪雨災害から半年 いまだ避難生活1200人」
*「熊本地震から1年半、いまだ軒先避難生活が45世帯も」
 (2017.12.16)

自然災害は仕方ないとして、なぜこんなに行政(地方・国)の支援は遅いのか?
北九州や熊本だけでなく、東日本大震災の被災地、原発事故で避難生活を余儀なくされてる人たちの生活は元に戻ったのか?
国民、とくに被災者というもっとも「弱い立場」の人のための施策はなぜこんなに遅いのか?

なかなか進まない復興の要因として、建築・土木業界の深刻な人手不足があると言います。
安倍総理は求人倍率をもって「雇用が増えた」と豪語してますが、まだまだ仕事を求めている人はいるはずなのに、なぜ人手不足…?本当に必要なところに手が届くような社会の仕組みになっていない、ということではないでしょうか…?

これに関して「就労の機会=仕事」「経済=お金の流れ」の2つの側面から見てみましょう。

就労の機会(=仕事)

熊本に関しては、壊れた住宅を建て替え・修理するための「補助」を受けた者は仮設住宅に入る申請枠から外される…という行政のルールがあり、仮設住宅にさえ入れないため震災から1年半たって2回目の冬もこの寒空の中テント暮らし。おかしいでしょ!?

たしかに自宅を建替え・修繕できて住むところがあるのに仮設住宅に居座られたら、仮設を必要とする人が入れなくなる…はい、通常の常識ではそうですね。しかし1年半たっても一向に建替え・修理は遅々として進んでいないばかりか、着工のめどすら立っていないと言います。建築・土木の人手が足りないのです

*「世田谷でも、保育園の着工が軒並み遅れ」 (2017.夏ごろのニュース)

地方でも都内でも、土木・建築関係はどこも人手不足が深刻なようです。
企業の業績は伸び、「有効求人倍率が…」「雇用の機会が増えた」などと政権の手柄のように言われますが、まだまだ仕事を求める人は多いはずのに…なんで?

一方…

*「リニア工事をめぐり、大手ゼネコン4社が談合の疑い」

民間であるJRからの発注だから問題ない?…いえいえ、国からも莫大なお金がつぎ込まれている巨大な国家プロジェクト。専門的技術面が高いとはいえ、大手が横で結託して落札値段を一定以上に引き上げている=無駄なお金でゼネコンだけが肥えている、ということです。

*「東京では、2020年に向けてオリンピック関連施設の建設・インフラ整備が急ピッチ」
*「オリンピック景気に大いなる期待」


はい、たった2週間のイベント(お祭り)のために大フィーバー。あちこちでまだ使える愛着のある建物がどんどん取り壊され、地面が掘り返されてます。
いくら「レガシー(=遺産)」としてオリンピック後も使うとはいえ、けっこう無駄なものも多いのでは…?

要するに、巨大なお金が動くところにだけ土木・建築関係が寄ってたかっている…言葉は悪いですが、そういうことなんでしょう。

クルットル
歴史上の人物とは一切関係ありません(ネット画像より)


その「働き」「お金」の一部でも、北九州・熊本・福島に回せないのか…??
世の中に必要とされる「仕事」が現実にあるのに、働き手がいない…?
なぜ…???? 

この寒空のもと、いまだに不自由な暮らしを強いられている被災者のために、どこのゼネコンでも住宅メーカーでもいいから「よし、われこそは!」と名乗り出て、まずは着工してあげようというところはないのか?

へたなCM制作に何千万もかけより、被災者に住宅をプレゼントしたら、おそらく企業イメージもかなり良くなるのではないでしょうか?
でもそこは強制はできません。「企業」ですからね。でも、すべてを「無料奉仕」でやれとは言いませんが賄いきれない分は、それこそ「国としての復興予算」として国に請求する、国も個別に見てそれを認める…という仕組みがあっても良いのではないでしょうか?

私がかねがね「豊かさとは…?」というカテゴリーでも書いてきたように、世の中に本当に必要とされる仕事、誰かがやらなくてはいけない仕事にこそ、ちゃんとお金が回っていくような仕組みが必要。

なのに、今の日本は、バブリーなお金にばかり支配され、役所の打ち出す策やルールはいかにも机上でタテマエとタテ割りで作ったような形式的なものばかりで、本当に必要・大切な仕事を最優先して回せる機動力のある仕組みになっていない…


◆経済(=お金)

*「日銀、景気は緩やかな回復傾向にあるとして、引き続き金融緩和を続ける」
*「年明けの株式市場、500円以上の高値で取引開始」
*「戦後のいざなぎ景気以来の長期的株価上昇」


経済、経済って、財界・大企業だけを優遇して内部留保を増やし、「景気がよい」と答える企業が増えれば「豊か」になったといえるのでしょうか?

歴代首相の中でも群を抜いて海外へ出かける機会の多い安倍総理。そのたびに海外にばらまかれるお金は公金(=国民が納めた血税)。国会での承認など一切なし…?

そしてそのばらまきが「投資」として巡り巡って還元されるのは海外でインフラ整備をしたりモノを売る大手の日本企業…
しかし、日本企業にビジネスチャンスをトップセールスしてもらった挙句、法人税も大幅に緩められる復興税も廃止されるなど、どこまでも企業を優遇しても、働く人たちの所得(給与)は一向に増えないのか?

*企業の内部留保は、現在400兆円(=国家予算のほぼ4倍)
*給与が上がらず物価が上がることで、豊かさとは実感は逆に
*人がる貧困・格差が広がっている!


株価の上昇は、アメリカ経済をはじめとする見通しの期待感から株が買われたことによるところが大きい。投資家たちのきわめて気まぐれな行動が数字になって現れたもの。そんなバブリーな数字と、大企業の景気判断だけで「アベノミクスの効果だ」なんて豪語しないでいただきたい!



お金のあるところに寡頭な競争がひしめき合い、過度な低価格でのサービス競争で「働き方」も大いに問題になっています。人の命と健康にも直結する緊急の課題ですが…

*「働き方改革、実行は先延ばしへ」…企業側の条件がなかなか整わないのが理由。
*「生活保護の支給額が、最低賃金を上回っている。→生活保護を引き下げる」

違うでしょう!!
生活保護費が定められたのはかなり以前のはず。そのころに比べて物価も消費税も上がっていて、生活はギリギリ以下。とくに窮地に立たされている人たちの貧困は深刻です。なのにその生活保護費をさらに削る…?
真逆でしょう。生活保護費よりも低い最低賃金があるということが大問題なのです!

そんな「実態経済」の矛盾や現実問題を尻目に(尻目にでも入ってるのか?)…

*「安倍総理、正月明けは経団連関係者とゴルフ」

のんきなもんですね。経団連関係者との絆を深める方が、ご自身の政治生命にも影響力ありますからね…。国民、とくに被災者という弱い人のことなんか、どうでもいいんですか!?
それでよく「国民の命と安全を守る」などと決まり文句のように言えますね!

エーカゲン 
「二世」まで声に出して読んで下さいね!



「国民の命と安全」の話題が出たついでに、この問題にも触れないわけにはいかないでしょう。

◆北朝鮮は本当に「脅威」なの…?

はい、北朝鮮の度重なるミサイル発射や核実験は、国際的にも非難されるべき挑発行動です。そこは間違いありません。
しかし、北朝鮮のあの「挑発」の狙いはどこにあるのか…?

北朝鮮がどうしてあんな国になったのか?
それは今から70年前の朝鮮戦争によって北緯38度線ができたことに発していることは明らかです。
同じ民族が南北で寸断され、行き来もできなくなった。南は、アメリカや日本の力を受けて豊かになった。しかし一方の北は…

北は、同じ民族である南(=韓国)に対してではなく、列強・アメリカの横暴、世界支配に対して大いに怒っているわけです。
そして、そのアメリカとべったりの体制をとる日本・韓国・中国といったアジアの動向を逐一見守っているのです。
アメリカへの敵意・反発がすべての根源にあり、国民洗脳、核開発、対外的な暴言へ…

国際ルールを無視した核開発やミサイル発射はもちろん許されませんが、それを言うなら、なぜアメリカはあんなに核を持っていて良いのか?

そして日本も、核保有国の顔色を窺って、「核廃絶」の国連決議に賛成できない!

*「核廃絶に向けた国連決議に、日本は反対の立場」
*「広島・長崎 被爆者たちの怒りと涙」
*「なぜ唯一の被爆国・日本が核廃絶に賛成しない!?」


そんな日本も含めたアジア諸国の動きを「北」は逐一見て、自分たちの国を守るため(=安倍総理と同じ根拠)で防衛のために核開発や大陸間弾道ミサイルの開発をすすめているのです。

*「米韓の合同軍事演習に、北は強い怒り」

当然でしょう。それに対してアメリカはじめ国際社会が「けしからん」と言って「制裁」を強化すれば、北はますます意固地になり、自らの防衛を正当化して核開発をすすめ、挑発行動を繰り返すでしょう。

*「トランプ大統領 (北に対して)あらゆる手段がテーブルにある」
*「安倍総理 トランプとの会談で完全に意見の一致」


北をますます刺激し、意固地にさせる…はたしてこの方向でよいのでしょうか?

*「拉致被害者の家族 高齢化が進む」
*「いっこうに進まない拉致問題」


「挑発」に対して「制裁強化」だけを掲げ、「対話」を否定したら、拉致問題の解決はますます遠のくのではないでしょうか?


◆「北の脅威」は、天から降ってきた好機…?

そんな北朝鮮ですが…

*「金総書記、平昌五輪への参加を表明」
*「北朝鮮、南北通信チャンネルを再開、数回もやりとり」
*「来年(2018年)から、対南対話に入る見通し?」


ほう、やはり北も、世界を相手に戦争をしたくて仕方ないわけではなく、本当は「対話」をして国際社会への仲間入りをしたい、それが本音でしょう。

もし本当にアメリカに対して戦いを挑むつもりなら、「発射実験」ではなくとっくにアメリカ本土に核ミサイルを撃ち込んでいるでしょう。

なのに…

*「Jアラート発動 列車の運転も一時見合わせ」
*「Jアラートを受けて、全国の学校でちらしを配布」
*「頭をかくしてうずくまる 頑丈な建物に避難するなどマニュアル化」

じつにくだらない!ほんとうにバカじゃないのか…?
72年前の大戦で、「敵が上陸してきたら竹槍で戦え、焼夷弾の空襲を受けたらバケツリレーで消せ」の方がまだましだったのでは…?

核ミサイルに、「頭をかくしてうずくまる」「丈夫な建物に避難」「列車を停止」で身を守れるんでしょうかね…(笑)
そもそも、大陸間弾道ミサイルの高度は4000メートル?その高さなら人工衛星が日々日本の上空を通過してますよね。

ところが…

*「日米でアンケート実施 『北を脅威と感じる』が過半数」
*「ミサイル防衛に一基1000億を投入」
*「相手国の基地への先制攻撃も可能に? 国会で議論へ」


はい、政府・安倍総理の本当の狙いはここでは?

「北を脅威」として国民の意識を高め、防衛費の拡大、ひいては憲法改正への道筋につなげたい…それが安倍総理の本音ではないでしょうか?

*「安倍総理 今回の解散は国難解散」 (2017年9月)
*「安倍総理 憲法改正の議論に向けて意欲を示す」


安倍総理が2~3か月ぶりに首相官邸に泊まった時に、なぜか北はミサイルを発射する…サイト上でけっこう話題になっています。ここにはあえて掲載しませんが、キム総書記が電話している画像と、安倍総理が電話してる画像を並べて「そろそろ1発お願いね」なんていうコラボ画像に思わず笑ってしまいましたが、冗談だけにしておいてほしいです。


最後にひとこと…

◆「憲法」とは?

憲法は国家のあるべき姿を定め、あらゆる法規の上位に位置するもので、一政権の暴走に歯止めをかけ、日本の平和主義を恒久的に貫くものです(とくに9条)。

一般の法律や条令・規則のように、時代が変わったら時代に合わせて変えてもいいなどという論理は、法(憲法)をちゃんと理解していないから出てくるものです。

教育の無償化、緊急事態法、皇位継承…などといったテーマは、なにも憲法そのものを変えなくても、他の法律・規則で十分対応できることです。→教育基本法、一般法規や自衛隊法への「緊急事態」に関する記述の追記、緊急事態特別措置法(仮名)、皇室典範などで時代の変化に対応することはできるのです。
国民がもっともらしく「うん、それは重要だよね」と思うようなテーマを出してきて憲法改正に結び付けよう、という姑息な手に騙されないでいただきたい。

そもそも「20歳をもって成人とみなす」などという定義だって、憲法のどこにも書かれてません。公職選挙法や民法といった個別の法律の中に詳細が書かれているのです。

憲法は、そんな個々のことを決めるためにあるのではなく、もっと大きなテーマ、こと過去の戦争で犯した過ち・過大なる犠牲への反省にたって、日本人の頭脳を結集して(=最初の草案はたしかにGHQが作っているが、その後の項目の加除・文言の精査には日本人の叡智が集められている)作られたものです。

それを、時代の変化・世界情勢の変化・一政権の思惑で改正を議論すべきではありません

20160204003407e2a_20180105192009485.jpg 20160204003407ec5_201801051920091d4.jpg
2015年に政府自民党が配布したマンガによる「憲法改正ってなに?」という文献。こんなものに洗脳されてはいけません!

もし本当に憲法改正を議論するのであれば、根本的な「国の在り方」について学識経験者や法律の専門家も交えて、国会・国民とともに客観的な議論を尽くして文言を精査する必要があります。

少なくとも今の自民党案のような改正案は納得できませんし、これまでの集団的自衛権を含む安保法制・秘密保護法・テロ等準備罪…といった重要法案の時のような国会運営では「きっちりした議論がなされた」とはとうてい言えません。

質問には正面から答えず、論点をすり替えられ、ごまかされ、質疑を繰り返せば繰り返すほど矛盾が明らかになり、「このような状況で採決なんかすべきではない」という声を強引に封じ込めてだまし討ちのように採決してしまう…そんな政権に憲法改正の議論を託してはいけないと思います。

憲法改正に関しては、最終的には国民投票があるから、決めるのは国民だ、と言われても、正直いまのような政権の言うことにころっと騙されて、「ほかよりマシだから」で自民党に圧倒的な「数の力」を与えてしまうような国民有権者が多い中、果たして正しい判断ができるのかどうか…?

「憲法改正」に関しては、一昨年(2016年)2月に詳しく書いたこちらの記事をご参照ください。
→ 「憲法改正は必要…?」


*長文をご精読、ありがとうございました。
今年も、音楽の話題や身近な楽しい話題だけでなく、たまにはこんな社会的テーマについても私なりにつづっていきますので、どうかよろしくお願いします。シェア歓迎。賛同・反論はコメント欄にご遠慮なく。



「赤と白のバラ」の想い出(2000年の元旦)

早いもので、もう18年も前の話… 当時の懐かしい個人的な記録写真を公開させていただきます。

◆元日恒例の「ウィーンフィル ニューイヤーコンサート」

ウィーンの音楽の殿堂、学友協会のムジークフェラインで元日のお昼に行われるニューイヤーコンサートを生中継で受ける番組です。私も以前、この番組の美術担当として何年か関わらせていただいたのです。

こちらは2000年 元旦のスタジオセット
2000年ニューイヤー2
(コンパクトなフィルムカメラで撮影)

元旦から出勤ですが、朝からスタジオをセッティングしたら、本番は夜の19時~。スタジオ内でゲストトークの生収録が前後にありますが、ウィーンからの中継画像をモニターで観られる、音楽好きには天職のようなお仕事。

しかし、じつはこの年、ちょっとした忘れられないエピソードがあったんです。

前年の暮れに、ウィーンの会場ではどんな花が飾られるのかという情報が番組担当者から来るので、できれば中継を受ける東京のスタジオも同じ花で飾りたい…この時は赤と白のポインセチアだったんです。

ところが、花屋さんの業界では、クリスマスを過ぎると市場からいっさいがっさいポインセチアが消えてなくなるんです

 ★ウィーンからの情報が入ったのはクリスマスを過ぎてからでした。
  前に分かってたら花屋さんに発注して確保しておけたんでしょうが、そこは仕方ない。



◆あまりの商業主義に怒り!

そんなバカな! 自然界では2~3月ごろまで鑑賞できる植物ですよ。私は局内の花屋さんに思わず文句を言いました。「せめてスタジオ内のテーブルに並べる数鉢だけでもなんとかならないのか」と。しかし市場に聞いても、他の花屋さんに聞いても答えは同じ。わずか数鉢がどこにもない!

デパートでもどこでも、季節を先取りした商戦が盛んですが、あまりにも酷いと思いませんか?

正月明けると正月飾りは消えて早々に節分・まめまき、それが過ぎるとひな祭り、つぎは入学式、そして端午の節句…夏の海山の季節が過ぎると秋も早々にハロウィン、それが過ぎるとクリスマス…
どんどん季節を先取りして、売れ筋のものだけを並べる。過ぎたものは一切姿を消す。

たしかに季節外れの売れないものを年中店頭に並べておけとは言いません。しかし中には季節イベントに関係なく欲しい基本的なものだってあるでしょう。 

たとえば、正月飾りの松はなくなっても、松の盆栽がいっさい姿を消してどこでも手に入らなくなるでしょうか?、ひな祭りを過ぎたら、赤い毛氈が一切手に入らなくなるでしょうか?…etc.
デパートの店頭には並んでなくても、せめて注文したら手に入る状態であってしかるべきでは?

しかも、真冬にスイカを要求してるわけじゃない。自然界には春まであるはずのポインセチアが、クリスマスを過ぎたらわずか数鉢すら手に入らなくなる…あまりにも商業主義が過ぎるんじゃないか!?

 ★生産者と直接コネクションをもつ、という知恵が当時の私にはありませんでした。
 ★その季節に売れそうなものを売るだけ売って姿を消す…次の年にはもう同じものはない。
  モデルチェンジして部品もない、修理もきかない。また新しいものを買わせる…!


「売れないものを並べてもしょうがないじゃん。向こうは商売なんだから」…
はい~?(右京さん風に)、単に私が理不尽なクレイマーなんでしょうかね~?

…18年たった今でも正直私の中でくすぶっています(泣・笑)


バラの香りで埋め尽くされたスタジオ

たしかに文句だけ言って喧嘩別れで終わったのなら単なるクレイマーですね。
でも私は花屋さんに対して怒ったのではなく、あまりにも酷い市場の商業主義について怒ったのです。花屋さんも「たしかに」と同情的でした。
そして気を取り直して、その花屋さんに真っ赤なバラと真っ白なバラを大量に発注し、いいお仕事をしていただきました。

当時収録が行われていた「N響アワー」・「芸術劇場」共通のスタジオセットをそのまま使ったので、大道具を新規に作る予算はゼロ。番組美術にかけられる予算の大半を「バラの花」につぎ込んだのです!

2000年ニューイヤー1 2000年ニューイヤー3

元旦の朝からスタジオ内はバラの香りでいっぱい。
ただ、スタンドにかためて置くだけでは、まるでパチンコ屋さんの開店祝いみたいなので(笑)、適度にばらして、テーブルの上やセットにも少し並べ…

2000年ニューイヤー5 2000年ニューイヤー4

本番終了後、ゲストの方はもちろん、番組南東者や照明・カメラのスタッフさんたちも花を少しずつ紙に包んで持ち帰られました。災い転じてなんとやら、いいお正月になりました。 

以上、まだ髪もそれなりにあったころの18年前の私がお伝えしました。

2017 衆議院選結果に思う

10月23日

「期日前投票が伸びている」とのニュースに、さすがにここに来て安倍政権の是非を問うことに国民的な関心も高まってきたのかな、と少々期待したのですが…


◆またしてもこんなに「数の力」を!?

投開票のあった翌月曜日の朝、無表情なサラリーマンを見るだに怒りがこみあげてくる私ですが、今朝は大型の台風21号が関東を直撃していた早朝に出勤だったため、アドレナリンの分泌が分散されたようです(笑)

はじめに断っておきますが、私は「自民党政権を打倒せよ!」とまで過激なことを申し上げるつもりはありません。

ただ、あまりにも国民の声をないがしろにし、憲法を軽んじ、国会を軽視し、見かけの数字だけの「経済」だけをエサに「投資」にまい進し、国民(とくに弱い立場)を追い詰める政策を推し進め、それらを「数の力」に任せて強引に決めていく…安倍一強体制をなんとか止めたい、そのために野党にももっと頑張ってほしい、口先だけでなく本当に「丁寧な説明」・「しっかりした議論」を尽くして、国民や野党も納得できるようなものの決め方をする=「民主主義を取り戻す」こと。

国民有権者も「どっちが勝つか」の勝ち馬レースではなく、なにより投票率をもっと上げ、どこを支持するにしても物事の本質を見極めて一票を投じてほしい…それを切に願ってきました。

その結果がこれですか…?

PK2017102302100269_size0.jpg

今回の衆議院選で、ここまで自民が全国的に票を伸ばした要因について、すでにメディアでも色々言われてますが、私なりに冷静に考えてみました。

結論として、これまであまりにも野党がだらしなさ過ぎた。それが今回「希望の党」の出現によって露呈し、結果として野党共闘をひっかき回されてマイナスに作用した、と見ます。

その辺りをあらためて振り返ってみたいと思います。


◆「希望」の失速

都議選で自民党に圧勝した小池都知事ひきいる「都民ファースト」。そのうち国政にも撃って出るのではないか、との予想どおり、安倍総理が冒頭解散をするタイミングに見事あわせて「希望の党」を立ち上げ自ら「代表」に。

女性なのに政治的な戦術に長けた凄腕、都議会選の旋風を国政にも吹かせてくれるのか、と正直期待しました。自民党も正直なところ予想外の展開に焦ったのではないでしょうか?

都議会選での大敗に焦った自民党、森友・加計問題の追及の迫る中、新たな改造内閣人事を発表し「仕事人内閣」…?
笑わせていただいたと思ったら、まだ何も仕事はおろか、国会での所信表明もしないままいきなり冒頭解散。
「いまなら勝てる」と打って出た安倍総理の賭けに、野党が一丸となって受けて立つ選挙。NHKでも投票前日のニュースで何度なく表現していたように、「5年つづいた安倍内閣の存続を問う選挙」。

「政治を変えるのは地方から」が私の持論です。まして東京都は「巨大な地方」です。
東京都議選で起こった風は、必ずや国政にも吹くだろう…と。

しかし、その後の「希望」があまりにも酷く失速して自滅してしまったのです!

民進党から移ってこようとする議員にいわゆる「踏み絵」をつきつけ、「排除します」と明言してしまった(9月28日)。

「誰でもかれでも無条件に受け入れるわけではありません、党の目指す方向に合う人かどうかはきちんと見極めるつもりです」ぐらいに言っておけばよかった。党としてのポリシーが強調されて良いイメージにもなったでしょうに。「排除します」の一言が大きくマイナスになった。

小池氏は、会見でも歯に衣着せずものを言う姿勢は立派ですが、やたらカタカナ英語を使うなど上から目線を感じたり、やや人を馬鹿にしたような発言が鼻につく、とおっしゃる人も多いようです。

さらにその後出してきたマニュフェストに「スギ花粉ゼロ」など、現実的に考えてどうやって実現するのか、というようなことを書いてしまったことで、中高生からも「なに、あれ?」と笑われてしまいました。そんなことも失速の一因でしょう。

また、憲法改正に賛成であるなど、自民党と本質的には変わらず、裏で自民党と結託してるんじゃないか、小池氏は「都知事」として期待を浴びて就任したばかりなのに二足の草鞋を履くつもりか、築地問題や東京五輪はどうなるんだ…といった不信感へ。戦略はたしかに上手いけど腹の底でしたたかに何を考えているのか…「緑のたぬき」なる汚名も。


◆もともと野党がだらしなさすぎた!

「希望の党」の問題はそれとして、その出現によってここまで野党(とくに民進党)が大揺れに揺れたことは、いかにそれまでだらしなかったかを露呈してくれました。
小池新党「希望」の誕生が、民進党を事実上解体させ、野党共闘をひっかき回し、弱体化させることに貢献しただけで終わってしまった感がぬぐえません。

しっかりした理念をもち、自民党の出してくる法案や政策に論理的に一貫して反対していたのは「共産」「社民」ぐらいでしょうか?

野党第一党でかつて政権にも就いたことのある「民進党」があまりにもだらしなかった。何をどうしたいのかが見えなかった。
解散の少し前に、民進党の代表選びがありましたが、あそこで前原氏が代表になった時点で「だめだ、こりゃ」だったと私は見ています。

代表になったばかりの前原氏から発せられる言葉のあちこちに「?」が感じられ、「この人大丈夫?」と思っていた矢先、「希望」が立ち上がったとたんに自ら民進党を裏切って寝返りました!

さらに元代表だった岡田氏も、さっさと民進を捨てて「無所属」で立候補!しょせん民進党のポリシーなんてなかったのでしょうか? 民進党はその程度の野党だったということでしょうか?

あそこでもし枝野氏が代表になって、「上からの政治ではなく、国民目線での政治、草の根の政治で民主主義を取り戻す!」というメインテーマ(=「立憲民主党」を立ち上げたのと同じポリシー)で民進党内を結束させ、さらに共産や社民などとも連携して野党共闘体制を固めていたら、おそらくまったく違う結果になったのではないか…と。自民党(与党)もそれを最大に恐れていたはずです。

後になって「もし~~だったら」は言っても仕方ないですが、枝野氏も、かつて総理までなった菅直人氏も、けっきょく古い「民進党」の中では頭角を現すことができなかったのでしょうか…? 「立憲民進党」という新しい星のもと当選を果たしました。


今回の注目はなんといっても「立憲民主党」の急成長!

枝野氏の街頭演説には日に日に人垣が増え、枝野氏の口から発せられるメッセージのひとつひとつに「そうだ!」という聴衆の声があがり、わずか1か月足らずで人気は急上昇、今回「野党第一党」になりました!

枝野氏をはじめ、菅直人氏など立憲民主党から立候補した多くの候補者が当選、もしくは小選挙区において自民党候補者と接戦になりました。
国民が求めていた「自民以外の受け皿=託してみたい野党」はまさにこれだったのです!

もう少し早くこの体制ができていて、共産や社民などとの連携も強化されていたら…と思っても虚しいですが、逆に事実上「民進」が解体したことで、新しいものが生まれた、そのためのプロセスだったと思って、今後に期待したいところです!


それにしても「他よりマシだから」の自民が多すぎないか?

立憲民進党に期待を託して一票を投じた人は多かったはず。その分、「ぶれない野党」として前回の総選挙で22議席まで伸ばしていた共産党への支持票がこちらに流れたともいえるでしょう。

「希望」に希望が持てないから、民進があまりにも酷くて見捨てられたから、今のところ他に政権を任せられそうな政党がないから…で、結局「他よりマシだから」で自民党に一票された方が、全国津々浦々にこれだけいた…?

さらに、長い歴史に支えられた動員力・組織力によって、自民党には組織票という強みがあります。
無党派層が政治に関心・疑問をもち、投票に足を運んで野党に一票を投じなければそれだけ有利なのです。

日本列島北から南まで津々浦々、よくもまあ自民党候補者の「万歳三唱」が響き渡ったことか!?
あれだけ問題視されて辞任した疑惑の閣僚の面々が見事に当選を果たしています。

これで安倍総理はじめ自民党政権は「国民からこれだけ信を得た」とばかり、森友・加計問題はさっさと葬り去り、憲法改正や消費税増税、その他国民(とくに弱い立場)の人たちを切り捨てる政策をさらに加速させることは火を見るより明らかなのに、それを想像できないのか、はたまたそれで良しとするのか…?

この国の国民は、本当に「今さえよければいい」「政治は自分たちの生活に直接関係ない」「日本は平和だ」あるいは、「北朝鮮などの脅威に対して安倍さんは守ってくれるだろう」…そんな幻想を抱いているんでしょうか?

「あ~あ、もうどうなっても知らんぞ」です!
民意がこんなレベルで、今後憲法改正の議論・国民投票で正しい判断・選択ができるのか?…と。


なぜ「野党」が必要なのか?

最後に、私は前々から言い続けているように、選挙は「どっちが優勢でしょうか、どっちが勝つと思いますか?」の勝ち馬予想のアンケートじゃないんです!

どっちが勝つか、どこに政権を取らせたらよいか、ではなく、今までの安倍・自民の一強体制で、なんでも「数の力」で国民の声も憲法もないがしろに勝手に決められてしまうことに危機感を感じないのか、という点です。

短期間で急成長した「立憲民主」と合わせて、共産党や社民党にも無党派層の人たちからの票が集まっていたら…
なにより、いかなる選挙でも投票率50%そこそこ、という意識そのものがあまりにも低すぎませんか?
それが一強体制の「数の力」を与える結果になってしまっているということに、どうして気づかないのか…と。


★おことわり

主義主張、どの政党を支持するかはあくまで個人の自由です。
ただ繰り返し申し上げてきた通り、一党一強体制による「数の力」で民主主義が捻じ曲げられてはいけない、と思うのです。

筋の通らないことには「NO」といい、税金の使われ方、私たちに大いに関係のある制度や法律の決められ方について、国民・有権者はどう考え、どういう選択・行動をすべきなのかを私なりに考えているまでです。

美しい芸術文化、自然、おいしいグルメ、楽しい話題…そんなたわいない幸せ・当たり前の平和が続くことを願えばこそ、ちょっと真面目に社会にも目を向けていたいのです。片方だけ見て、片方に目をつぶることは私にはできません。
いわば独り言だと思っていただいて構いませんが、何か多少なりとも参考になることがあれば幸いです。


真夏の辞任劇 ~本丸は国をあげての隠蔽では!?~

7月27日(木)

真夏の辞任劇が止まりません。

野党側では、民進党の野田幹事長(元首相)の辞任、つづいて蓮舫代表の辞任。
一方、南スーダンへの自衛隊派遣における「日報」の存在をめぐる隠蔽疑惑で、防衛省の部署のトップ2人の辞任につづいて、今夜突然の稲田防衛大臣の辞意表明…

一般に「辞任=何らかの責任をとって自ら身を引くこと」ですね。
「罷免」「更迭」されるよりも前に、自らの判断で「辞任」する方が、本人の今後のためにもダメージが少なく、大きな組織としても「本人の事情」として扱えます。

そういう意味で、民進党の野田幹事長および蓮舫代表の辞任は理解できます。

都議選以降、これだけ安倍政権の支持率が急降下しているにもかかわらず、野党第一党としてその「受け皿」になれていないこと、民進党の内部に統率力が欠け、支持率も低迷している…その責任をとって幹事長と代表が揃って辞任。自らの責任を感じて、自らの意思で辞任…

この大切な時期に、なにをやってるんだ、しっかりしてくれよ、とは思いますが、少なくとも「辞任」の意向そのものに違和感は感じません。


不気味なのは、稲田防衛大臣の辞任

一方、防衛省幹部の辞任と稲田防衛大臣の辞任には、大きくひっかかるものを私は感じます。
自らの責任をとっての辞任ではなく、もっと大きな力がバックにあるのではないか、と。

南スーダンに派遣された自衛隊の「日報」の存在をめぐる問題。防衛省としての隠蔽、およびその事実を稲田防衛大臣が「知っていた」のかどうか、「隠蔽を了承した」のかどうか…?
たしかにそこが焦点ですが、はたしてこれは防衛省および稲田防衛大臣だけの問題なのでしょうか?

朝日デジタル27日20時すぎ朝日デジタル 27日 20:08

街の声によると、先の都議選における応援演説での失言、軍・防衛・戦闘のことをどこまでわかっているのか…? 稲田防衛大臣の資質に問題があるのではないか、辞任は当然だ、という声が圧倒的に多いようですが、はたして防衛大臣としての資質だけの問題なのでしょうか…?

本丸は安倍政権…?

集団的自衛権を含めたあらたな安保法制の成立によって、自衛隊をPKO活動として南スーダンに派遣し、一部武力行使も含めて他国の軍への「後方支援」に当たった初めての事例。

ただし、その派遣先で「戦闘」が行われていたら速やかに「撤退」させる約束だったはずです。

今年5月に放送されたNHKスペシャルで、派遣された先で何が起きていたのか、どんな状況だったのかを派遣された自衛隊員たちが匿名で明かしました。

すぐ近くに迫撃砲が撃ち込まれ、一部の隊員たちは「死」を覚悟し、家族にあてた「遺書」まで書いたという事実が明らかになりました。そこで行われていたのは、まぎれもなく「戦闘」だったのです!

しかし、国(=政府)は「武力による衝突」と呼び、「戦闘」とはみなしませんでした。

現地隊員から報告を受けた「日報」が防衛省内に存在していたことは、政権にとって都合の悪いものだったに違いありません。
当初は「廃棄された」「存在しない」「確認できない」…と繰り返してきましたが、実際にはそれが存在したことが明らかになったわけです(どこで誰が告発したんでしょうね?)。

防衛省幹部は、稲田防衛大臣に「報告した」といい、一方の稲田防衛大臣は「報告は受けていない」「(非公開とすることを)了承したことはない」と、そこは平行線のまま。

稲田防衛大臣に責任をとって辞任する考えはなく、安倍総理も「職務を全うすることで責務を果たしていただく」と言ってきました。
その責任の内容とは「管理・監督責任」「今後このような問題が起こらないように」…と。そういう問題なのでしょうか?

それがなぜ、8月3日の内閣改造を1週間後に控えた今このタイミングで、急に「辞任」に至ったのか…???
安倍総理と40分にわたって「会談」したそうですが、総理とはどういうやりとりをしたのか…???


◆かつての大本営発表と同じでは?

ここまでお読みいただいて、お感じになりませんか?
これは稲田防衛大臣だけの問題(=大臣としての資質の問題)ではないのです!

自衛隊を派遣し、現地で「戦闘」が行われていたにもかかわらず、自衛隊をすぐに撤退させなかった…その政府の判断にかかわる重大な問題です。

自衛隊の海外派遣、武力行使も含めた後方支援という、戦後初めてのケースにおいて、「現地では戦闘が行われていた」との情報を、防衛省および国(=政府)がどう受け、どう判断・処理されたのか…?

まさにこれは、太平洋戦争における大本営発表と通じるものを感じます。
現地の状況を正しく把握し、正しく判断することなく、政府の思惑によって事実を隠蔽し、撤退させることなく駐屯を継続させ、国民にも事実を隠して嘘をつく…という図式ではないでしょうか?

そこを徹底的に究明しようとするならば、稲田防衛大臣の説明責任を継続させるべきではないでしょうか?

本丸はあくまで安倍政権と見るべきでしょう!

稲田防衛大臣も当然ながら「日報の存在」を知った時点で、どう扱うか、「非公開とする」という防衛省幹部との「合意」も、政府側との板挟みの中でやむを得なかったのではないか…?
安倍総理に相談したのかどうか(当然ながらなんらかの報告・相談はあったのではないか?)、総理からどういう指示があったのかも含めて、そこを明かさなくては問題の本丸には到達できないのではないでしょうか?

安倍政権には、これまでも資質に欠ける大臣を任命した「任命責任」があることも事実でしょうが、本質はそんな甘いものではなく、国を挙げての隠蔽体質、かつての大本営と同じ過ち を犯そうとしていることこそが本質と見るべきではないでしょうか?

都議会選 大きな流れをどう見るか?

6月30日(金)

きょうで6月も終わり。一年の半分が過ぎたことになります。
さて、いよいよ東京都議会選ですね!

952_400.jpg

言うまでもなく、ここで特定の政党・候補者を応援・よろしく…と申し上げるつもりは毛頭ありません。
あくまで、大きな流れをどう見るか…

投票に足を運ぼうと思うきっかけに、「考える」ためのご参考までに。


小池都知事の戦略のうまさ

都知事に立候補した段階から、古い体質の自民党都議連に対決姿勢を鮮明に打ち出して見事当選。都民の中にも、古い自民党体質への不満があったとみるべきでしょう。

そして就任早々、オリンピック開催施設への見直し、豊洲の新市場の見直しを手掛け、移転に「待った!」をかけ、これまでの歴代都知事のもと進められてきたあまりにもずさんな計画の数々を暴露する結果となりました。

移転が留保されたことで、市場関係者の焦り・怒りも頂点に達したところで、「築地」の将来構想と「豊洲」の位置づけを示し、市場関係者からも大いに絶賛を受けました。
そして、それと前後して自民党に離党届を提出。これまで「都民ファースト」を掲げつつもまだ籍は自民党にあったわけですが、ここではっきりと自分の立ち位置を宣言したわけです。

行政のトップとしての経験はまだないながらも、有言実行の行動力、都議選へのタイミングとしても絶妙な「時の読み方」…
本当に上手いな、というのが正直なところです。



国の政治を変えるのは「地方」から

これは私の持論です。

首都・東京は「大きな地方」です。ここの政治を変えることは、国の政治を変えるアプローチになります。

今回の新しい風には私も大いに期待しているところです。
この新しい風が、自民党にとっては「逆風」であることは今さら言うまでもないでしょう。

都政ではなく「国政」の話になりますが…

これまで数々の法案や政策を、野党からの質問や国民の世論に対して「ていねいに説明」、「しっかりと議論」、「理解を深めていく」ということを本当にどこまでやってきたのでしょうか?

野党や国民の声を無視して、質問にはまともに答えず、だまし討ちのような手法で「数の力」で通してきた法案・政策の数々…

政権がころころ変わり、海外から「いったい誰を日本の代表として交渉していいかわからない」と言われたり、重要な政策がいつまでも「決められない政治」は困りますから、ある程度「決められる政治」「行動力」「安定政権」を求める声もあるのは理解します。

しかし、民主主義の原則である国会の審議をないがしろにして、どんなことも「勝手に決められてしまう政治」、「ほかよりマシだから」の一強体制の弊害が、あちこちに噴出しているのが今の状況ではないでしょうか? 

国会審議の進め方しかり、忖度への疑惑に対する説明責任を果たしていないこと、さらに閣僚や自民党員による暴言や問題発言の数々…
これらすべて「数の力」への驕りから来ているといっても過言ではないでしょう。

「逆風」と言いますが、すべて自分で蒔いてきた種、「因果応報」「自業自得」ではないでしょうか!


◆「もしかして?」も視野に

ここはあまり大きく報じられていないところですが…

小池氏はたしかに自民党に離党届を提出、受理されました。自民党の下村博文幹事長代行は6月1日、報道陣に対して「小池氏の離党届を受理する方針」を明らかにしました。

しかしその後、どのように処理されたのか、正式に離党手続きが終わったという報道は一切ありません。
どうやら、受け取ったものの、まだ正式に党内審議にもかけておらず、離党手続きは保留している状態との情報も。

もし仮にそうだとしたら…

今回の都議会選では「逆風」を認める自民党が、小池氏率いる「都民ファースト」が圧勝した暁には、小池氏に離党を思いとどまるように働きかけ、なんらかの駆け引きをし、あわよくば都民ファースト丸ごと自民党に組入れるつもりでは…??

都知事選のとき、小池氏のほかにもう一人擁立した自民党候補よりも小池氏が優勢と判断したとき、安倍総理が「よし、小池でいこう」と言ったことを思い出しませんか?
あれは何を意味していたのか…??

あまり考えたくないシナリオですが、万一にもそんな可能性があるとすれば…

今の風向き予報と感情だけで「こっちが有利かな」で同じ方向に流れるのは危険だということだけは申し上げておきたいです。


あらたな風にも「数の力」は要注意!

「みんなこっちに一票入れるだろう、今回はこっちが優勢だろう」という勝ち馬レースの予想のような感覚でみんなが集中すれば、またしてもそこに「数の力」が生まれます。

「数の力=民意=民主主義だ」とする見方をされる方もいらっしゃるでしょうが、私はそういう認識が危険だと思っています。

正しい道を進むのに邪魔が少ないのは良いでしょうが、もし万一「間違った道」に進んでしまいそうなときに、周りがすべて「イエスマン」ばかりという状況になってしまいます。

私はこれまで「数の力」の弊害をいろいろ書いてきました。
その自民党の一強体制を崩すべく、ここで都民ファーストが票を伸ばしてくれることは大いに歓迎なんですが…

小池都知事をトップに「都民ファースト」と名を連ねる若手議員には、正直まだ経験も実績も充分とは言えません。
はじめは誰でも初心者ですから、それはまあ良いとして、仮に「都民ファースト」が最大議席を獲得し、そこに今回は公明党も加わるとなると、またしても「数の力」が生まれる可能性があります。

新しい風が古い体質に風穴を開けてくれることは大いに歓迎しますが、新しい力が「数の力」をもって、万が一にも間違った道に進みそうなとき、しっかりと立ちはだかって「NO」と言えるブレない野党にも、ここはひとつ正念場として頑張っていただいて、1議席でも伸ばしていただきたいな…と。



どの党、どの候補者をよろしくなどとは私からは一切申し上げません。
ここに書いたことは、あくまで大きな流れをどう読むか、という私の見解に過ぎません。

とにかく選挙にはちゃんと行っていただいて、それぞれの選挙区の候補者をよく見て、「勝ち馬に一票」ではなく「誰に民意を託したいか」を考えていただけたら…

19598819_398233533905533_2199329627050986691_n.jpg

「思い込み」と「印象操作」

6月21日(水)

あまりこの話題ばかりいつまでも書くのは本意ではないのですが…
参議院も通過されてしまった「テロ等準備罪=共謀罪あらため」。

私も35年も前とはいえ、いちおう法律(とくに刑法)を学んだ者として、まだ実行に着手もしていない行為、犯罪の構成要件を満たしていない行為を捜査対象とできてしまうような法案は、これまでの日本の法律体系とは大きく流れを異にするものです。

もし「予防」と言う意味で、これまでの法体系を大幅に変えてでもこうした法案が必要だとするなら、もっともっと国民をも巻き込んだ議論が十分になされ、野党も国民も理解できるまで議論を深める必要があると思います。

しかし国会では、そうした議論が十分になされたとは到底言える状況ではありません。なぜこんなに急いで、強引に通さなくてはならないのでしょうか?
また、そのような問題ある内容・決め方であるにも関わらず、法案成立に賛成できるのでしょうか?


◆目的と中味は?

一昨年の「集団的自衛権」を含む安保法制もそうでしたが、「国民の命と安全を守ることは重要」、はい、そこは誰も否定しません。

でもそれに対する「答え」が、なぜいきなり「集団的自衛権(=他国のために戦える国にすること)」だったのでしょうか?
自国の防衛を考えるなら、今の憲法でできる限りの自衛隊の活動範囲・発動や指揮系統といったことを先に議論したうえで、どうしてもそれでは足りない部分をどうするかを議論し…という審議もろくにせず、PKO活動の範囲を大きく拡大するような法案を、あのような混乱する国会で「数の力」で強引に押し切りました。

今回もまったく同じです。
「テロ等の凶悪犯罪を未然に防ぐため」という目的はごもっとも。世界の各地でも凶悪なテロは多発しており、日本も「国際基準で対策を考えるのは大切なこと」だと。

しかし、それに対する「答え」がこの法案なのでしょうか?
その中身は…?、「テロ等準備」の定義は…?、犯罪組織かどうかの見極めは…?

277もの行為を列挙し、捜査機関および政府が「怪しい」と睨めばそれこそ「山菜やタケノコを採ること」も「花見に双眼鏡や地図を持参していること」も「テロ等の準備」とみなされてしまう可能性も否定できない法律。

まだ実行に着手もしていない者をどうやって「立件」するのか? 憲法で保障されている基本的人権の著しい侵害となるのではないか?

またこれに類する「事前の準備」をもっと厳密に定めた法律をもつ諸外国でもテロは実際に起きています。こんな法案でテロの防止に有効に役立つとも思えません。

この法案成立に「賛成」している人は、この辺りをどうとらえているんでしょうか?

警察権限が無限に拡大しないよう運用規定をしっかり整備すればよいと言いますが、その具体的な方法や中味が国会で示されて議論されたのでしょうか?

賛成論者にそのあたりを何度となく問いかけてきましたが、いまだ誰からもきちんとした答えを頂けていません。


◆「知らないのに賛成」 or 「知らないから賛成」?

どんなことにも賛成・反対はあってよいと思います。ただし、なんらかの明確な理由があるならばです。

少くとも反対している人たちは、街頭でプラカードを持っている20代の女子大生でも主婦でも、この法案のもつ意味・問題点をちゃんと理解し、それをろくに議論もしないで、こんな強引に通されようとしていることに対して「とんでもない」と反対してるのです。明確な反対理由があるんです。

それに対して賛成している人たちの多くは「テロを防ぐことは大切だから」という表向きの理由だけで賛成されていて、反対の人たちが訴えるようなさまざまな問題についてきちんと説明できない方が多いようです。

北海道の調査結果ですが、こんなデータを見つけました。

「テロ等準備罪について知っていますか?」という質問への答えと、「この法案に賛成ですか、反対ですか?」を聞いた結果を年代別に集計(単純集計の列記)したものです。


C-a-_NmUMAA-7cD.jpg


各年代、上段の水色の帯が「知らない」と答えた人の割合、下段の赤い帯が「賛成」の割合です。
みごとに連動してるように見えませんか?

ただ、これだけだと2つの質問への回答を単純集計したものを並べただけなので、より厳密に相関関係を見るには「知っている」と答えた人のうち「賛成」が何%・「反対」が何%、あるいは「賛成」と答えた人のうち「知っている」割合と「知らない」割合、といったクロス集計を取ってみないと厳密な相関は分かりません。

でもまあこの単純集計を並べただけでも「各年齢とも、知らないと答える割合が高いほど賛成の割合が高い」という傾向は明らかに読み取れますね。

え?、中味を知らないで「賛成」? 

「理由なき反抗」っていうタイトルの映画があったかどうか知りませんが(笑)、「理由なき賛成」ってなんなんでしょうね?

たしかにニュースの街頭インタビューでも、賛成の人の声のほとんどは「テロ等の重大な犯罪を未然に防ぐことは大切だから」という声が賛成理由のほとんどでした。

むしろ、中身も問題点もわかってないから、単純に表向きの目的だけで「賛成」できるのかもしれません(←私の勝手な推測ですが)。


◆支持政党別の「賛成」の割合

中味をよく知らないから、表向きの「目的」だけで「いいんじゃないか」と思ってしまう…
情けない話ではありますが、まあ分からなくもありません。

しかしこちらはどうでしょう?

支持政党別に見た「賛成」の割合の差です。

c73e9d.jpg


これはある意味とても不思議だと思いませんか?

どの政党を支持している人でも、テレビや新聞の報道、国会中継(今回あまり放送されなかったが)の様子などから得ている情報量そのものはあまり変わらないはずです。

与党の支持者といえども、必ずしも政権の中枢にいる人と懇意にしていて、法案の中味をしっかり説明されて熟知しているとも思えません。

なのに、支持政党によって賛成の割合になぜこうも差が出るのでしょう?

これは脳科学・人工知能を研究している人も不思議に思う、人間の脳の「思い込み」の働きによるものではないでしょうか?

自分の好きな人だから信用できる、信用したい、同じことをやっても許せる、悪いのはこの人じゃない…いわゆる「あばたもえくぼ」の心理です。
好きな政党が出してきた法案だから間違いない…、さらに先ほどの(表向きの)目的がごもっとも→「賛成」と。

この法案が、個人の自由や権利を脅かす「治安維持法の再来か?」と心配する声にもまったく耳を貸さず、「そんな事はあり得ない」と信じてるんですね。反対する人たちは倒閣目的だ、なんでもごちゃまぜにする、言いがかりだ…etc. と。



この法案が採決される数日前に、若い自民党議員がある駅前に立っていて、演説が一区切りついて通行人と握手したりしていたので、私はちょっと足をとめて「テロ等準備罪はなぜ必要なんですか?」「野党が指摘するような問題・危険性は?」と尋ねたんですが、はっきりとした答えは返ってきませんでした。
私も先を急いでいたので、それ以上突っ込んだ話はできませんでしたが、自民党議員(おそらく都議会選)でさえこの法案についてしっかり説明できないんだということがよくわかりました。

まあ、自民党の国会議員は、政府案に賛成しないと「造反者」とされてしまうので、たとえ中味をよく判っていなくても、場合によっては疑問を感じていても「賛成」に回らざるを得ないのはある意味「しかたない」かもしれません(←本当は、どの党から立候補しようがどこに所属してようが、賛否の議決権は議員ひとりひとりの判断であるべきなんですが)。

しかし自民党を良しとする人たち(一般の有権者)は、なぜ内容もよくわからないまま簡単に「賛成」となるんでしょうか?
そして、反対したり質問で突っ込む野党は“くず”で、野党がくだらない質問をするから審議が妨害されてる、などとよく言えるものだな、と。

まあ、その程度の論理性しかないとすれば、ごく基本的な法律の骨格部分について問うても、反対の人が納得できるような「答え(説明)」ができるはずありません。
だいたい法案を出してる政府閣僚、法務大臣でさえきちんと明確に説明できない法案なんですから…



上の支持政党別の法案への賛成のグラフで、いずれの政党支持層とも、時間がたつと前よりも賛成が減っているんです! つまり国会で審議したことで、理解が深まって賛成が増えたのではなく、逆に与野党の支持層いずれも賛成が減っているんですね。これは何を意味するのでしょうか?
知れば知るほど理解・賛成できない法案だということではないでしょうか。


◆購読紙別の内閣支持率

さてこちらは感覚的にも想像できるところですが、購読している新聞ごとに、内閣支持率がこんなにも違うんだな、ということをあらためて。

購読紙別内閣支持率

★この6月17・18両日に東京都内で実施された調査結果をJX通信社がまとめたもので、母数など詳細は不明。

とくに産経新聞と東京新聞とは極端で、産経新聞の読者では「支持しない」が5%であるのに対し、東京新聞の読者では「支持する」が5%、真逆です! ここまで差があるということです。


見え方の違い

前から何度となく出してきた「ルビンの杯」という心理学でよく用いられる図です。

20150128164443b12_20170621181816b2d.jpg

中央の黒い部分を「柱・杯」などの造形と見れば左右の白い部分は「背景」ですが、両側の白い部分を「横顔」が向き合っていると見れば真ん中の黒い部分は「背景」に変わります。

描かれている面・輪郭線はまったく同じなのに、まったく違う見方ができて、どっちで認識するかによって見え方が違う…それは何事にもよくあることです。ですから、見解の違いはいろいろあって良いわけですが…


論理をすり替えないで!

社会・政治的な話題をどういう立場でどっち寄りに見るかによって、見え方がまったく違うものになることは改めて驚くまでもありません。

ただ、見方・立場は違っても罵倒言葉や論理のすり替え はやめましょう!
言葉は、国語辞典に出ている、一般の人がごく一般に使う意味で使いましょう。

そして「数の力」にものを言わせないでいただきたい。今の政権の問題・おかしさは明らかに存在するのです。それに対してきちんと答えず、他者批判にすり替えないでいただきたい

それは議論の土台を崩すことになります。

top.jpg

参議院も閉会して週を明けた19日(月)、夕方らか安倍総理の会見がありました。
国会終了後の会見としては異例の「謝罪」から入りましたが、いったい何に対する謝罪なのかと思いきや…

*印象操作ともいえる質問に感情的になってしまったことへの反省…?
*国会審議に関係ない話題に時間を費やしてしまったことへの反省…?

なんですか、それ?

政権のトップとしてあってはならない「忖度」に関するさまざまな疑惑を追及する野党からの質問が「印象操作」?

総理自らが、マスコミ関係者に寿司や天ぷらをご馳走し、政権よりの報道を流させることこそ「印象捜査」というのですよ! 
与党が野党からの追求で窮地に立たされることが予想される時期に、連日「国会中継」がなかった不思議。

ニュースで取り上げる際にも、同じ内容でも出す順序だけで印象は変わるのです。たとえば…

A.与党の見解を先に紹介した後で、「しかし一方では」と野党の疑問・追求の声を投げかけて終わる

逆に、

B.野党の反発の声を先に「こういう声もありますが…」と出しておいて、その後に総理の見解を長々と流す

AとBでは、真逆な印象を与える可能性が高いといえるでしょう。
こうしたちょっとしたことの積み重ねで、印象は造られていくのです。



一方、国のトップとしてあるまじき行為があったのか・なかったのか、国民が知りたい真実を、国民の目線で、国会の場で質問することがなんで「印象操作」なんでしょうか…?

言葉をすり替えないでいただきたい!

そもそも、国会の場でなぜそのような議論をせざるを得ないのか?
いつまでも何をやっているのか?
知りたい事実にちっとも答えないから、無駄な時間を費やすとも言えるのです。

そして、なにより「テロ等準備罪=共謀罪あらため」を強引に採決にもっていこうとする与党の姿勢に対して、必死の抵抗として「忖度」の問題追及に… それを追求する野党がすべて悪いんでしょうか?

もしやましいことがないなら、きちんと分かるように誠実に答え、再調査も証人喚問も必要ならすぐに応じるべきでしょう?そして本題の法案に関する審議にしっかり時間をつくり、中身の議論をすべきでしょう。

すべて野党が悪い、野党のせいで国民の印象を悪くした…それを「謝罪」というのでしょうか?
ある情報筋によると、あの会見によってさらに支持率を下げる結果になった、との情報も…


★最後にお断りしておきますが…

私はなにも自民党政権を打倒せよ、などとクーデターを望んでるわけではありません。
ただ、今の安倍政権の出してくる政策・法案の数々は、国民を切り捨て、大企業や政治家に都合良いものが多く、国会における審議・答弁のしかた、物事の決め方、答弁に見る人間性などには大いに問題ありと思ってきました。

そのような政権に「数の力」を与え、野党の声も無視してなんでも強引に決めていく暴挙は、民主主義の力で止めなくてはいけないと思っています。

「他に政権を任せられる政党がないから」「他よりましだから」…
という消去法的な理由で、今のような政権を容認して「数の力」を与え続けて良いのでしょうか?
強そうなものに寄り添い、何が正しいのか、何がおかしいのかを考えない人があまりにも多過ぎないでしょうか?

信念をもって今の政権を「支持」する人はいてもいい。でも、「数の力」のおごりや、自分たちこそが正しくて野党が邪魔してる、という態度はいただけません。

今の政権に問題ありと思うのであれば、たとえ自民党支持者でもきちんと認めて同じテーブルで議論すべきだし、「他よりマシだから」という選択ではなく、それぞれの選挙区から、誰をわれわれ国民の代弁者として国会に送るか、という視点で選挙に臨んでいただきたいのです。

国民目線で明らかにおかしなこと、問題点を指摘する野党にも真摯な態度できちんと向き合い「議論」すべきです。
理由ある「賛成」、理由ある「反対」、「何が本質か?」…それらをちゃんと見極められる力をわれわれ有権者ももっていたいと。

➡ 民意の「民」は、民主主義の「民」


最近の与野党攻防に思う ~国会は議論の場・暴走を止めよ~

6月13日(火)

今国会の会期中に「テロ等準備罪=『共謀罪』あらため」を通したい与党。
それをなんとか阻止して廃案に追い込みたい野党との攻防が続いています。

森友問題が浮上して少し経った3月に書いたblogで、このようなスキャンダルで政権が揺るがされるとしたら、あまりにも政治レベルが低すぎる、と私は書きました。

しかし、その後の「教育勅語」に関する認識をはじめ閣議決定でなんでも決め、国会での審議も一方的に打ち切って「数の力」でなんでも通してくる政権与党の暴走を止めるには、たとえどんな小さなことでも政権に対する不正疑惑はきちんと追求して真相を明らかにしていかなくてはいけない、と思うようになりました。


疑わしきは明らかに!

籠池氏が爆弾発言ともいえる会見をし、その後国会で証言もしました。その証言内容に関して、与党は当初「偽証罪で訴える」と強気な構えでしたが、その後どうなったのでしょう?

森友問題はどこかへなりを潜めてしまいましたが、それに代わって浮上してきたのが加計学園に関する疑惑。「忖度」という言葉が今年の流行語になるのでは、というほど、政治のトップと私人とのつながりが問題になっています。

前川元文部事務次官による「総理の意向」と書かれた文書の存在が示されました。

DAo92dEW0AAl9_T.jpg

菅官房長官は当初「出所もわからない『怪文書』みたいなもの」と発言して問題にするに値しないといった見解を示しました。

しかし…、存在していたとされる文書に記載された人物が示されると、文科省は「同姓同名の者がいる」と答弁(笑)。
さらに、現役の文科省職員から、あの文書は実在していることを告発する声が複数。

そこで、自由党の森裕子議員から、迫真にせまる質問がぶつけられました。
「このままじゃいけないと、命がけで告発してるんです。部下を見捨てるんですか!」と。

moriyuko-kake-1.jpg dadaf7b4bed65deb29be880294a7480c.jpg


さらに、加計学園の建設が予定されている今治市の行政文書に、首相官邸に呼ばれて会見した記録が残っていることを指摘され、それに対する藤原豊内閣府審議官からの答えは…

DB1g9xmU0AAWc_g.jpg

「自分が今治市の方々にお会いしたかどうかも含めて、確認できておりません」「自分がお会いしたかどうかについては記憶にありません」

…なんですか、それ!?

森裕子議員の手元には、付箋の付けられた資料(今治市の行政文書)が揃ってるようです。
この場におよんで誰を守ってるんですか? 醜いにもほどがあるでしょう!

1970年代のロッキード事件以来「記憶にない」は使いまわされてきましたが、最近は「確認できない」…いい加減にしてください!
記憶もあいまい、公式な記録もない、確認もできない…そんな状態で公職が務まるんですか!?

やましいことがないなら、疑惑に対してきちんと誠実に答え、必要ならば関係者の証人喚問にも応じ、すみやかに真実を国民の前に明らかにすべきです。

こんなごまかしと逃げで国会審議の時間を無駄にすべきではありません!


国会は国民のための議論をする場!

冒頭に書いたように、この一連の疑惑追及は、今国会でなにがなんでも「テロ等準備罪=『共謀罪』あらため」を通そうとする与党に対する、野党による必死の抵抗の一端。

しかし、疑惑追及に対してこんなふざけた答弁をしているようでは、もはや国会が「議論の場」として機能しているとは思えません。

法務大臣の問責決議案や、内閣不信任案…それらも、国会本会議で採決にかけられて、自民・公明らの与党による「数の力」であっさりと否決されることは明らかですが、国会会期中に残された時間を少しでも稼ぎたい「苦肉の策」、いわば非常ブレーキのようなものだと私は見ます。


与党側、および安倍政権を信頼する人たちの目には、野党がくだらない質問をして足を引っ張ってると映るのでしょうね。

ならばお伺いしたいのですが、もし本当に「凶悪なテロを防ぐこと」が目的だとしたら、今出されている「テロ等準備罪=共謀罪あらため」が本当に有効な法案と言えるのでしょうか?

質疑において、不明確な答弁を繰り返すあの審議をどう見るのでしょうか?

「テロを防ぐにはどうすべきか」という議論が国会できちんとなされ、この法案の定義・対象・有効性についてちゃんと納得できる説明がなされましたか?

国会は本来そういうことを議論すべき場、国民のためになる政策論を構築する場でしょう。それができず、なんでも「数の力」で押し通そうとするから、野党としても、国会運営の方法論と時間とをにらみながらさまざな手で阻止しようとしてるわけです。いわば国会が与野党の「かけひき」の場になってしまっていて、国民のための議論の場になっていないのです。


そもそも法案の目的は? 

「テロ等準備罪」が本当にテロの防止にどう役立つ法案なのか?、
この法案が国民の表現の自由・意思の自由を不当に侵害するものではないのか?、
この法案によって捜査の対象となる人・団体・行為はどうなのか?

…といった問題について、どこまできちんとした議論が交わされたといえるんでしょうか?

「花見に双眼鏡や地図をもっていけば準備にあたる」とか「山で山菜やタケノコを不法に採って売ればテロの資金源になる」…など、とうてい大人の議論、それも国会での法案にかかわる議論とは思えないような議論をしてきて、野党からだされるさまざまな質問には真正面から答えず…

誰がどう見ても、法案の是非をめぐる議論は全くなされていないに等しいのではないでしょうか?

→ テロ等準備罪 ~もし本当にテロ対策が目的なら?~

それを、「時間が経過した→審議は尽くした」などと言って採決に持ち込まれ、またしても「数の力」で通されてしまうとすれば、とんでもないことです。


◆「目的→法案(答え)」がすり替えられている!

それは一昨年の安保法制をめぐっても同じでした。

「国民の命と安全を守る」ことは当然大切です。でもそれがなぜ「集団的自衛権=他国のために戦える国にする」ことになるんでしょうか?

アジア等周辺の「脅威(=あの頃は中国、今は北朝鮮)」から国民を守るため?

もし「日本人の命と生活を守るため」の法案なら、まず今の憲法下における自衛隊の役割を精査し、緊急時に自衛隊がどこまでどのように機能できるかをきちんと議論しましたか?
大規模な災害時にヘリコプターを出すにも、いちいち国からの指示を待たずに都道府県からの要請レベルでも出動できるように…といった現行法の下でさまざまな運用規定の見直しで、自衛隊がより機動力を持てるか、そのためにどんな法整備が必要か?

そして、もし万一日本が攻撃を受けた場合の個別的自衛権でできる範囲を明確にした上で、それではどうしても無理な部分について集団的自衛権をどうとらえるか…といった議論にもっていくのが本来の順序でしょう。

そうした議論が国会でなされたようにはとうてい思えません。
そして、なぜいきなり集団的自衛権なのか? 「日本人の母子が乗ったアメリカの艦船が攻撃を受けたら」とか「となりの火事」を例に挙げたあんな稚拙な紙芝居で「丁寧な説明」と言えるんでしょうか?

実際には、南スーダンへの自衛隊の派遣、現地で行われていたのは「戦闘」ではないと言い続けて、日本の自衛隊の活動範囲を解釈いかんによってどこまでも広げるためのものだったのではないでしょうか?


暴走を止める

「日本を守るのは大切、政府の責任だ→安倍政権は正しい、行動力がある」と妄信している方たちも、こうした論理のすり替え・国会審議の在り方・採決に問題はないのか…についてどう思われるんでしょう?

私は今の自民党政権のやることなすことにやみくもに反対しているわけではなく、個々の政治家を罵倒するようなことも書きたくありません。しかし今の安倍政権のやり方は、あまりにも国民をないがしろにした強引なものだと思うのです。

国会をきちんとした審議の場にすること。
次々に出てくる疑惑に対して、面白おかしくスキャンダル的にあげつらうことが目的ではなく、たとえどんな小さなアリの一穴からでも「政治の不正」について追及すべきは徹底的に追及して、国民の前に「真実」を明らかにしてほしい、と願うまでです。

国民は政治の「かけひき」に興味があるんじゃありません。真実が知りたいのです!

疑惑追求に対しては姑息に逃げ、ごまかし、法案の審議はきちんとせず、むしろ審議を避けてさっさと決めてしまおうという風にさえ見えます。

冒頭に書いたように、本来は政策の中味を論じるべきですが、今の政権が数の力で暴走を続けるのであれば…

通常のブレーキが利かない暴走車を止めるには、サイドブレーキを引く・斜面に乗り上げる・壁に車体をこすりつける…手段はなんでもいいから、とにかく止めることが先決でしょう。

プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
このすぐ下の「カテゴリ」から興味のあるテーマごとにクリックして覗いてみてください。
一部パスワードをご存じのメンバーの方のみ閲覧できるページを含みます。

カテゴリ
カウント開始 2011.1.14~
リンク
最新記事
最新コメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR