真夏の辞任劇 ~本丸は国をあげての隠蔽では!?~

7月27日(木)

真夏の辞任劇が止まりません。

野党側では、民進党の野田幹事長(元首相)の辞任、つづいて蓮舫代表の辞任。
一方、南スーダンへの自衛隊派遣における「日報」の存在をめぐる隠蔽疑惑で、防衛省の部署のトップ2人の辞任につづいて、今夜突然の稲田防衛大臣の辞意表明…

一般に「辞任=何らかの責任をとって自ら身を引くこと」ですね。
「罷免」「更迭」されるよりも前に、自らの判断で「辞任」する方が、本人の今後のためにもダメージが少なく、大きな組織としても「本人の事情」として扱えます。

そういう意味で、民進党の野田幹事長および蓮舫代表の辞任は理解できます。

都議選以降、これだけ安倍政権の支持率が急降下しているにもかかわらず、野党第一党としてその「受け皿」になれていないこと、民進党の内部に統率力が欠け、支持率も低迷している…その責任をとって幹事長と代表が揃って辞任。自らの責任を感じて、自らの意思で辞任…

この大切な時期に、なにをやってるんだ、しっかりしてくれよ、とは思いますが、少なくとも「辞任」の意向そのものに違和感は感じません。


不気味なのは、稲田防衛大臣の辞任

一方、防衛省幹部の辞任と稲田防衛大臣の辞任には、大きくひっかかるものを私は感じます。
自らの責任をとっての辞任ではなく、もっと大きな力がバックにあるのではないか、と。

南スーダンに派遣された自衛隊の「日報」の存在をめぐる問題。防衛省としての隠蔽、およびその事実を稲田防衛大臣が「知っていた」のかどうか、「隠蔽を了承した」のかどうか…?
たしかにそこが焦点ですが、はたしてこれは防衛省および稲田防衛大臣だけの問題なのでしょうか?

朝日デジタル27日20時すぎ朝日デジタル 27日 20:08

街の声によると、先の都議選における応援演説での失言、軍・防衛・戦闘のことをどこまでわかっているのか…? 稲田防衛大臣の資質に問題があるのではないか、辞任は当然だ、という声が圧倒的に多いようですが、はたして防衛大臣としての資質だけの問題なのでしょうか…?

本丸は安倍政権…?

集団的自衛権を含めたあらたな安保法制の成立によって、自衛隊をPKO活動として南スーダンに派遣し、一部武力行使も含めて他国の軍への「後方支援」に当たった初めての事例。

ただし、その派遣先で「戦闘」が行われていたら速やかに「撤退」させる約束だったはずです。

今年5月に放送されたNHKスペシャルで、派遣された先で何が起きていたのか、どんな状況だったのかを派遣された自衛隊員たちが匿名で明かしました。

すぐ近くに迫撃砲が撃ち込まれ、一部の隊員たちは「死」を覚悟し、家族にあてた「遺書」まで書いたという事実が明らかになりました。そこで行われていたのは、まぎれもなく「戦闘」だったのです!

しかし、国(=政府)は「武力による衝突」と呼び、「戦闘」とはみなしませんでした。

現地隊員から報告を受けた「日報」が防衛省内に存在していたことは、政権にとって都合の悪いものだったに違いありません。
当初は「廃棄された」「存在しない」「確認できない」…と繰り返してきましたが、実際にはそれが存在したことが明らかになったわけです(どこで誰が告発したんでしょうね?)。

防衛省幹部は、稲田防衛大臣に「報告した」といい、一方の稲田防衛大臣は「報告は受けていない」「(非公開とすることを)了承したことはない」と、そこは平行線のまま。

稲田防衛大臣に責任をとって辞任する考えはなく、安倍総理も「職務を全うすることで責務を果たしていただく」と言ってきました。
その責任の内容とは「管理・監督責任」「今後このような問題が起こらないように」…と。そういう問題なのでしょうか?

それがなぜ、8月3日の内閣改造を1週間後に控えた今このタイミングで、急に「辞任」に至ったのか…???
安倍総理と40分にわたって「会談」したそうですが、総理とはどういうやりとりをしたのか…???


◆かつての大本営発表と同じでは?

ここまでお読みいただいて、お感じになりませんか?
これは稲田防衛大臣だけの問題(=大臣としての資質の問題)ではないのです!

自衛隊を派遣し、現地で「戦闘」が行われていたにもかかわらず、自衛隊をすぐに撤退させなかった…その政府の判断にかかわる重大な問題です。

自衛隊の海外派遣、武力行使も含めた後方支援という、戦後初めてのケースにおいて、「現地では戦闘が行われていた」との情報を、防衛省および国(=政府)がどう受け、どう判断・処理されたのか…?

まさにこれは、太平洋戦争における大本営発表と通じるものを感じます。
現地の状況を正しく把握し、正しく判断することなく、政府の思惑によって事実を隠蔽し、撤退させることなく駐屯を継続させ、国民にも事実を隠して嘘をつく…という図式ではないでしょうか?

そこを徹底的に究明しようとするならば、稲田防衛大臣の説明責任を継続させるべきではないでしょうか?

本丸はあくまで安倍政権と見るべきでしょう!

稲田防衛大臣も当然ながら「日報の存在」を知った時点で、どう扱うか、「非公開とする」という防衛省幹部との「合意」も、政府側との板挟みの中でやむを得なかったのではないか…?
安倍総理に相談したのかどうか(当然ながらなんらかの報告・相談はあったのではないか?)、総理からどういう指示があったのかも含めて、そこを明かさなくては問題の本丸には到達できないのではないでしょうか?

安倍政権には、これまでも資質に欠ける大臣を任命した「任命責任」があることも事実でしょうが、本質はそんな甘いものではなく、国を挙げての隠蔽体質、かつての大本営と同じ過ち を犯そうとしていることこそが本質と見るべきではないでしょうか?

都議会選 大きな流れをどう見るか?

6月30日(金)

きょうで6月も終わり。一年の半分が過ぎたことになります。
さて、いよいよ東京都議会選ですね!

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言うまでもなく、ここで特定の政党・候補者を応援・よろしく…と申し上げるつもりは毛頭ありません。
あくまで、大きな流れをどう見るか…

投票に足を運ぼうと思うきっかけに、「考える」ためのご参考までに。


小池都知事の戦略のうまさ

都知事に立候補した段階から、古い体質の自民党都議連に対決姿勢を鮮明に打ち出して見事当選。都民の中にも、古い自民党体質への不満があったとみるべきでしょう。

そして就任早々、オリンピック開催施設への見直し、豊洲の新市場の見直しを手掛け、移転に「待った!」をかけ、これまでの歴代都知事のもと進められてきたあまりにもずさんな計画の数々を暴露する結果となりました。

移転が留保されたことで、市場関係者の焦り・怒りも頂点に達したところで、「築地」の将来構想と「豊洲」の位置づけを示し、市場関係者からも大いに絶賛を受けました。
そして、それと前後して自民党に離党届を提出。これまで「都民ファースト」を掲げつつもまだ籍は自民党にあったわけですが、ここではっきりと自分の立ち位置を宣言したわけです。

行政のトップとしての経験はまだないながらも、有言実行の行動力、都議選へのタイミングとしても絶妙な「時の読み方」…
本当に上手いな、というのが正直なところです。



国の政治を変えるのは「地方」から

これは私の持論です。

首都・東京は「大きな地方」です。ここの政治を変えることは、国の政治を変えるアプローチになります。

今回の新しい風には私も大いに期待しているところです。
この新しい風が、自民党にとっては「逆風」であることは今さら言うまでもないでしょう。

都政ではなく「国政」の話になりますが…

これまで数々の法案や政策を、野党からの質問や国民の世論に対して「ていねいに説明」、「しっかりと議論」、「理解を深めていく」ということを本当にどこまでやってきたのでしょうか?

野党や国民の声を無視して、質問にはまともに答えず、だまし討ちのような手法で「数の力」で通してきた法案・政策の数々…

政権がころころ変わり、海外から「いったい誰を日本の代表として交渉していいかわからない」と言われたり、重要な政策がいつまでも「決められない政治」は困りますから、ある程度「決められる政治」「行動力」「安定政権」を求める声もあるのは理解します。

しかし、民主主義の原則である国会の審議をないがしろにして、どんなことも「勝手に決められてしまう政治」、「ほかよりマシだから」の一強体制の弊害が、あちこちに噴出しているのが今の状況ではないでしょうか? 

国会審議の進め方しかり、忖度への疑惑に対する説明責任を果たしていないこと、さらに閣僚や自民党員による暴言や問題発言の数々…
これらすべて「数の力」への驕りから来ているといっても過言ではないでしょう。

「逆風」と言いますが、すべて自分で蒔いてきた種、「因果応報」「自業自得」ではないでしょうか!


◆「もしかして?」も視野に

ここはあまり大きく報じられていないところですが…

小池氏はたしかに自民党に離党届を提出、受理されました。自民党の下村博文幹事長代行は6月1日、報道陣に対して「小池氏の離党届を受理する方針」を明らかにしました。

しかしその後、どのように処理されたのか、正式に離党手続きが終わったという報道は一切ありません。
どうやら、受け取ったものの、まだ正式に党内審議にもかけておらず、離党手続きは保留している状態との情報も。

もし仮にそうだとしたら…

今回の都議会選では「逆風」を認める自民党が、小池氏率いる「都民ファースト」が圧勝した暁には、小池氏に離党を思いとどまるように働きかけ、なんらかの駆け引きをし、あわよくば都民ファースト丸ごと自民党に組入れるつもりでは…??

都知事選のとき、小池氏のほかにもう一人擁立した自民党候補よりも小池氏が優勢と判断したとき、安倍総理が「よし、小池でいこう」と言ったことを思い出しませんか?
あれは何を意味していたのか…??

あまり考えたくないシナリオですが、万一にもそんな可能性があるとすれば…

今の風向き予報と感情だけで「こっちが有利かな」で同じ方向に流れるのは危険だということだけは申し上げておきたいです。


あらたな風にも「数の力」は要注意!

「みんなこっちに一票入れるだろう、今回はこっちが優勢だろう」という勝ち馬レースの予想のような感覚でみんなが集中すれば、またしてもそこに「数の力」が生まれます。

「数の力=民意=民主主義だ」とする見方をされる方もいらっしゃるでしょうが、私はそういう認識が危険だと思っています。

正しい道を進むのに邪魔が少ないのは良いでしょうが、もし万一「間違った道」に進んでしまいそうなときに、周りがすべて「イエスマン」ばかりという状況になってしまいます。

私はこれまで「数の力」の弊害をいろいろ書いてきました。
その自民党の一強体制を崩すべく、ここで都民ファーストが票を伸ばしてくれることは大いに歓迎なんですが…

小池都知事をトップに「都民ファースト」と名を連ねる若手議員には、正直まだ経験も実績も充分とは言えません。
はじめは誰でも初心者ですから、それはまあ良いとして、仮に「都民ファースト」が最大議席を獲得し、そこに今回は公明党も加わるとなると、またしても「数の力」が生まれる可能性があります。

新しい風が古い体質に風穴を開けてくれることは大いに歓迎しますが、新しい力が「数の力」をもって、万が一にも間違った道に進みそうなとき、しっかりと立ちはだかって「NO」と言えるブレない野党にも、ここはひとつ正念場として頑張っていただいて、1議席でも伸ばしていただきたいな…と。



どの党、どの候補者をよろしくなどとは私からは一切申し上げません。
ここに書いたことは、あくまで大きな流れをどう読むか、という私の見解に過ぎません。

とにかく選挙にはちゃんと行っていただいて、それぞれの選挙区の候補者をよく見て、「勝ち馬に一票」ではなく「誰に民意を託したいか」を考えていただけたら…

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「思い込み」と「印象操作」

6月21日(水)

あまりこの話題ばかりいつまでも書くのは本意ではないのですが…
参議院も通過されてしまった「テロ等準備罪=共謀罪あらため」。

私も35年も前とはいえ、いちおう法律(とくに刑法)を学んだ者として、まだ実行に着手もしていない行為、犯罪の構成要件を満たしていない行為を捜査対象とできてしまうような法案は、これまでの日本の法律体系とは大きく流れを異にするものです。

もし「予防」と言う意味で、これまでの法体系を大幅に変えてでもこうした法案が必要だとするなら、もっともっと国民をも巻き込んだ議論が十分になされ、野党も国民も理解できるまで議論を深める必要があると思います。

しかし国会では、そうした議論が十分になされたとは到底言える状況ではありません。なぜこんなに急いで、強引に通さなくてはならないのでしょうか?
また、そのような問題ある内容・決め方であるにも関わらず、法案成立に賛成できるのでしょうか?


◆目的と中味は?

一昨年の「集団的自衛権」を含む安保法制もそうでしたが、「国民の命と安全を守ることは重要」、はい、そこは誰も否定しません。

でもそれに対する「答え」が、なぜいきなり「集団的自衛権(=他国のために戦える国にすること)」だったのでしょうか?
自国の防衛を考えるなら、今の憲法でできる限りの自衛隊の活動範囲・発動や指揮系統といったことを先に議論したうえで、どうしてもそれでは足りない部分をどうするかを議論し…という審議もろくにせず、PKO活動の範囲を大きく拡大するような法案を、あのような混乱する国会で「数の力」で強引に押し切りました。

今回もまったく同じです。
「テロ等の凶悪犯罪を未然に防ぐため」という目的はごもっとも。世界の各地でも凶悪なテロは多発しており、日本も「国際基準で対策を考えるのは大切なこと」だと。

しかし、それに対する「答え」がこの法案なのでしょうか?
その中身は…?、「テロ等準備」の定義は…?、犯罪組織かどうかの見極めは…?

277もの行為を列挙し、捜査機関および政府が「怪しい」と睨めばそれこそ「山菜やタケノコを採ること」も「花見に双眼鏡や地図を持参していること」も「テロ等の準備」とみなされてしまう可能性も否定できない法律。

まだ実行に着手もしていない者をどうやって「立件」するのか? 憲法で保障されている基本的人権の著しい侵害となるのではないか?

またこれに類する「事前の準備」をもっと厳密に定めた法律をもつ諸外国でもテロは実際に起きています。こんな法案でテロの防止に有効に役立つとも思えません。

この法案成立に「賛成」している人は、この辺りをどうとらえているんでしょうか?

警察権限が無限に拡大しないよう運用規定をしっかり整備すればよいと言いますが、その具体的な方法や中味が国会で示されて議論されたのでしょうか?

賛成論者にそのあたりを何度となく問いかけてきましたが、いまだ誰からもきちんとした答えを頂けていません。


◆「知らないのに賛成」 or 「知らないから賛成」?

どんなことにも賛成・反対はあってよいと思います。ただし、なんらかの明確な理由があるならばです。

少くとも反対している人たちは、街頭でプラカードを持っている20代の女子大生でも主婦でも、この法案のもつ意味・問題点をちゃんと理解し、それをろくに議論もしないで、こんな強引に通されようとしていることに対して「とんでもない」と反対してるのです。明確な反対理由があるんです。

それに対して賛成している人たちの多くは「テロを防ぐことは大切だから」という表向きの理由だけで賛成されていて、反対の人たちが訴えるようなさまざまな問題についてきちんと説明できない方が多いようです。

北海道の調査結果ですが、こんなデータを見つけました。

「テロ等準備罪について知っていますか?」という質問への答えと、「この法案に賛成ですか、反対ですか?」を聞いた結果を年代別に集計(単純集計の列記)したものです。


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各年代、上段の水色の帯が「知らない」と答えた人の割合、下段の赤い帯が「賛成」の割合です。
みごとに連動してるように見えませんか?

ただ、これだけだと2つの質問への回答を単純集計したものを並べただけなので、より厳密に相関関係を見るには「知っている」と答えた人のうち「賛成」が何%・「反対」が何%、あるいは「賛成」と答えた人のうち「知っている」割合と「知らない」割合、といったクロス集計を取ってみないと厳密な相関は分かりません。

でもまあこの単純集計を並べただけでも「各年齢とも、知らないと答える割合が高いほど賛成の割合が高い」という傾向は明らかに読み取れますね。

え?、中味を知らないで「賛成」? 

「理由なき反抗」っていうタイトルの映画があったかどうか知りませんが(笑)、「理由なき賛成」ってなんなんでしょうね?

たしかにニュースの街頭インタビューでも、賛成の人の声のほとんどは「テロ等の重大な犯罪を未然に防ぐことは大切だから」という声が賛成理由のほとんどでした。

むしろ、中身も問題点もわかってないから、単純に表向きの目的だけで「賛成」できるのかもしれません(←私の勝手な推測ですが)。


◆支持政党別の「賛成」の割合

中味をよく知らないから、表向きの「目的」だけで「いいんじゃないか」と思ってしまう…
情けない話ではありますが、まあ分からなくもありません。

しかしこちらはどうでしょう?

支持政党別に見た「賛成」の割合の差です。

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これはある意味とても不思議だと思いませんか?

どの政党を支持している人でも、テレビや新聞の報道、国会中継(今回あまり放送されなかったが)の様子などから得ている情報量そのものはあまり変わらないはずです。

与党の支持者といえども、必ずしも政権の中枢にいる人と懇意にしていて、法案の中味をしっかり説明されて熟知しているとも思えません。

なのに、支持政党によって賛成の割合になぜこうも差が出るのでしょう?

これは脳科学・人工知能を研究している人も不思議に思う、人間の脳の「思い込み」の働きによるものではないでしょうか?

自分の好きな人だから信用できる、信用したい、同じことをやっても許せる、悪いのはこの人じゃない…いわゆる「あばたもえくぼ」の心理です。
好きな政党が出してきた法案だから間違いない…、さらに先ほどの(表向きの)目的がごもっとも→「賛成」と。

この法案が、個人の自由や権利を脅かす「治安維持法の再来か?」と心配する声にもまったく耳を貸さず、「そんな事はあり得ない」と信じてるんですね。反対する人たちは倒閣目的だ、なんでもごちゃまぜにする、言いがかりだ…etc. と。



この法案が採決される数日前に、若い自民党議員がある駅前に立っていて、演説が一区切りついて通行人と握手したりしていたので、私はちょっと足をとめて「テロ等準備罪はなぜ必要なんですか?」「野党が指摘するような問題・危険性は?」と尋ねたんですが、はっきりとした答えは返ってきませんでした。
私も先を急いでいたので、それ以上突っ込んだ話はできませんでしたが、自民党議員(おそらく都議会選)でさえこの法案についてしっかり説明できないんだということがよくわかりました。

まあ、自民党の国会議員は、政府案に賛成しないと「造反者」とされてしまうので、たとえ中味をよく判っていなくても、場合によっては疑問を感じていても「賛成」に回らざるを得ないのはある意味「しかたない」かもしれません(←本当は、どの党から立候補しようがどこに所属してようが、賛否の議決権は議員ひとりひとりの判断であるべきなんですが)。

しかし自民党を良しとする人たち(一般の有権者)は、なぜ内容もよくわからないまま簡単に「賛成」となるんでしょうか?
そして、反対したり質問で突っ込む野党は“くず”で、野党がくだらない質問をするから審議が妨害されてる、などとよく言えるものだな、と。

まあ、その程度の論理性しかないとすれば、ごく基本的な法律の骨格部分について問うても、反対の人が納得できるような「答え(説明)」ができるはずありません。
だいたい法案を出してる政府閣僚、法務大臣でさえきちんと明確に説明できない法案なんですから…



上の支持政党別の法案への賛成のグラフで、いずれの政党支持層とも、時間がたつと前よりも賛成が減っているんです! つまり国会で審議したことで、理解が深まって賛成が増えたのではなく、逆に与野党の支持層いずれも賛成が減っているんですね。これは何を意味するのでしょうか?
知れば知るほど理解・賛成できない法案だということではないでしょうか。


◆購読紙別の内閣支持率

さてこちらは感覚的にも想像できるところですが、購読している新聞ごとに、内閣支持率がこんなにも違うんだな、ということをあらためて。

購読紙別内閣支持率

★この6月17・18両日に東京都内で実施された調査結果をJX通信社がまとめたもので、母数など詳細は不明。

とくに産経新聞と東京新聞とは極端で、産経新聞の読者では「支持しない」が5%であるのに対し、東京新聞の読者では「支持する」が5%、真逆です! ここまで差があるということです。


見え方の違い

前から何度となく出してきた「ルビンの杯」という心理学でよく用いられる図です。

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中央の黒い部分を「柱・杯」などの造形と見れば左右の白い部分は「背景」ですが、両側の白い部分を「横顔」が向き合っていると見れば真ん中の黒い部分は「背景」に変わります。

描かれている面・輪郭線はまったく同じなのに、まったく違う見方ができて、どっちで認識するかによって見え方が違う…それは何事にもよくあることです。ですから、見解の違いはいろいろあって良いわけですが…


論理をすり替えないで!

社会・政治的な話題をどういう立場でどっち寄りに見るかによって、見え方がまったく違うものになることは改めて驚くまでもありません。

ただ、見方・立場は違っても罵倒言葉や論理のすり替え はやめましょう!
言葉は、国語辞典に出ている、一般の人がごく一般に使う意味で使いましょう。

そして「数の力」にものを言わせないでいただきたい。今の政権の問題・おかしさは明らかに存在するのです。それに対してきちんと答えず、他者批判にすり替えないでいただきたい

それは議論の土台を崩すことになります。

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参議院も閉会して週を明けた19日(月)、夕方らか安倍総理の会見がありました。
国会終了後の会見としては異例の「謝罪」から入りましたが、いったい何に対する謝罪なのかと思いきや…

*印象操作ともいえる質問に感情的になってしまったことへの反省…?
*国会審議に関係ない話題に時間を費やしてしまったことへの反省…?

なんですか、それ?

政権のトップとしてあってはならない「忖度」に関するさまざまな疑惑を追及する野党からの質問が「印象操作」?

総理自らが、マスコミ関係者に寿司や天ぷらをご馳走し、政権よりの報道を流させることこそ「印象捜査」というのですよ! 
与党が野党からの追求で窮地に立たされることが予想される時期に、連日「国会中継」がなかった不思議。

ニュースで取り上げる際にも、同じ内容でも出す順序だけで印象は変わるのです。たとえば…

A.与党の見解を先に紹介した後で、「しかし一方では」と野党の疑問・追求の声を投げかけて終わる

逆に、

B.野党の反発の声を先に「こういう声もありますが…」と出しておいて、その後に総理の見解を長々と流す

AとBでは、真逆な印象を与える可能性が高いといえるでしょう。
こうしたちょっとしたことの積み重ねで、印象は造られていくのです。



一方、国のトップとしてあるまじき行為があったのか・なかったのか、国民が知りたい真実を、国民の目線で、国会の場で質問することがなんで「印象操作」なんでしょうか…?

言葉をすり替えないでいただきたい!

そもそも、国会の場でなぜそのような議論をせざるを得ないのか?
いつまでも何をやっているのか?
知りたい事実にちっとも答えないから、無駄な時間を費やすとも言えるのです。

そして、なにより「テロ等準備罪=共謀罪あらため」を強引に採決にもっていこうとする与党の姿勢に対して、必死の抵抗として「忖度」の問題追及に… それを追求する野党がすべて悪いんでしょうか?

もしやましいことがないなら、きちんと分かるように誠実に答え、再調査も証人喚問も必要ならすぐに応じるべきでしょう?そして本題の法案に関する審議にしっかり時間をつくり、中身の議論をすべきでしょう。

すべて野党が悪い、野党のせいで国民の印象を悪くした…それを「謝罪」というのでしょうか?
ある情報筋によると、あの会見によってさらに支持率を下げる結果になった、との情報も…


★最後にお断りしておきますが…

私はなにも自民党政権を打倒せよ、などとクーデターを望んでるわけではありません。
ただ、今の安倍政権の出してくる政策・法案の数々は、国民を切り捨て、大企業や政治家に都合良いものが多く、国会における審議・答弁のしかた、物事の決め方、答弁に見る人間性などには大いに問題ありと思ってきました。

そのような政権に「数の力」を与え、野党の声も無視してなんでも強引に決めていく暴挙は、民主主義の力で止めなくてはいけないと思っています。

「他に政権を任せられる政党がないから」「他よりましだから」…
という消去法的な理由で、今のような政権を容認して「数の力」を与え続けて良いのでしょうか?
強そうなものに寄り添い、何が正しいのか、何がおかしいのかを考えない人があまりにも多過ぎないでしょうか?

信念をもって今の政権を「支持」する人はいてもいい。でも、「数の力」のおごりや、自分たちこそが正しくて野党が邪魔してる、という態度はいただけません。

今の政権に問題ありと思うのであれば、たとえ自民党支持者でもきちんと認めて同じテーブルで議論すべきだし、「他よりマシだから」という選択ではなく、それぞれの選挙区から、誰をわれわれ国民の代弁者として国会に送るか、という視点で選挙に臨んでいただきたいのです。

国民目線で明らかにおかしなこと、問題点を指摘する野党にも真摯な態度できちんと向き合い「議論」すべきです。
理由ある「賛成」、理由ある「反対」、「何が本質か?」…それらをちゃんと見極められる力をわれわれ有権者ももっていたいと。

➡ 民意の「民」は、民主主義の「民」


最近の与野党攻防に思う ~国会は議論の場・暴走を止めよ~

6月13日(火)

今国会の会期中に「テロ等準備罪=『共謀罪』あらため」を通したい与党。
それをなんとか阻止して廃案に追い込みたい野党との攻防が続いています。

森友問題が浮上して少し経った3月に書いたblogで、このようなスキャンダルで政権が揺るがされるとしたら、あまりにも政治レベルが低すぎる、と私は書きました。

しかし、その後の「教育勅語」に関する認識をはじめ閣議決定でなんでも決め、国会での審議も一方的に打ち切って「数の力」でなんでも通してくる政権与党の暴走を止めるには、たとえどんな小さなことでも政権に対する不正疑惑はきちんと追求して真相を明らかにしていかなくてはいけない、と思うようになりました。


疑わしきは明らかに!

籠池氏が爆弾発言ともいえる会見をし、その後国会で証言もしました。その証言内容に関して、与党は当初「偽証罪で訴える」と強気な構えでしたが、その後どうなったのでしょう?

森友問題はどこかへなりを潜めてしまいましたが、それに代わって浮上してきたのが加計学園に関する疑惑。「忖度」という言葉が今年の流行語になるのでは、というほど、政治のトップと私人とのつながりが問題になっています。

前川元文部事務次官による「総理の意向」と書かれた文書の存在が示されました。

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菅官房長官は当初「出所もわからない『怪文書』みたいなもの」と発言して問題にするに値しないといった見解を示しました。

しかし…、存在していたとされる文書に記載された人物が示されると、文科省は「同姓同名の者がいる」と答弁(笑)。
さらに、現役の文科省職員から、あの文書は実在していることを告発する声が複数。

そこで、自由党の森裕子議員から、迫真にせまる質問がぶつけられました。
「このままじゃいけないと、命がけで告発してるんです。部下を見捨てるんですか!」と。

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さらに、加計学園の建設が予定されている今治市の行政文書に、首相官邸に呼ばれて会見した記録が残っていることを指摘され、それに対する藤原豊内閣府審議官からの答えは…

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「自分が今治市の方々にお会いしたかどうかも含めて、確認できておりません」「自分がお会いしたかどうかについては記憶にありません」

…なんですか、それ!?

森裕子議員の手元には、付箋の付けられた資料(今治市の行政文書)が揃ってるようです。
この場におよんで誰を守ってるんですか? 醜いにもほどがあるでしょう!

1970年代のロッキード事件以来「記憶にない」は使いまわされてきましたが、最近は「確認できない」…いい加減にしてください!
記憶もあいまい、公式な記録もない、確認もできない…そんな状態で公職が務まるんですか!?

やましいことがないなら、疑惑に対してきちんと誠実に答え、必要ならば関係者の証人喚問にも応じ、すみやかに真実を国民の前に明らかにすべきです。

こんなごまかしと逃げで国会審議の時間を無駄にすべきではありません!


国会は国民のための議論をする場!

冒頭に書いたように、この一連の疑惑追及は、今国会でなにがなんでも「テロ等準備罪=『共謀罪』あらため」を通そうとする与党に対する、野党による必死の抵抗の一端。

しかし、疑惑追及に対してこんなふざけた答弁をしているようでは、もはや国会が「議論の場」として機能しているとは思えません。

法務大臣の問責決議案や、内閣不信任案…それらも、国会本会議で採決にかけられて、自民・公明らの与党による「数の力」であっさりと否決されることは明らかですが、国会会期中に残された時間を少しでも稼ぎたい「苦肉の策」、いわば非常ブレーキのようなものだと私は見ます。


与党側、および安倍政権を信頼する人たちの目には、野党がくだらない質問をして足を引っ張ってると映るのでしょうね。

ならばお伺いしたいのですが、もし本当に「凶悪なテロを防ぐこと」が目的だとしたら、今出されている「テロ等準備罪=共謀罪あらため」が本当に有効な法案と言えるのでしょうか?

質疑において、不明確な答弁を繰り返すあの審議をどう見るのでしょうか?

「テロを防ぐにはどうすべきか」という議論が国会できちんとなされ、この法案の定義・対象・有効性についてちゃんと納得できる説明がなされましたか?

国会は本来そういうことを議論すべき場、国民のためになる政策論を構築する場でしょう。それができず、なんでも「数の力」で押し通そうとするから、野党としても、国会運営の方法論と時間とをにらみながらさまざな手で阻止しようとしてるわけです。いわば国会が与野党の「かけひき」の場になってしまっていて、国民のための議論の場になっていないのです。


そもそも法案の目的は? 

「テロ等準備罪」が本当にテロの防止にどう役立つ法案なのか?、
この法案が国民の表現の自由・意思の自由を不当に侵害するものではないのか?、
この法案によって捜査の対象となる人・団体・行為はどうなのか?

…といった問題について、どこまできちんとした議論が交わされたといえるんでしょうか?

「花見に双眼鏡や地図をもっていけば準備にあたる」とか「山で山菜やタケノコを不法に採って売ればテロの資金源になる」…など、とうてい大人の議論、それも国会での法案にかかわる議論とは思えないような議論をしてきて、野党からだされるさまざまな質問には真正面から答えず…

誰がどう見ても、法案の是非をめぐる議論は全くなされていないに等しいのではないでしょうか?

→ テロ等準備罪 ~もし本当にテロ対策が目的なら?~

それを、「時間が経過した→審議は尽くした」などと言って採決に持ち込まれ、またしても「数の力」で通されてしまうとすれば、とんでもないことです。


◆「目的→法案(答え)」がすり替えられている!

それは一昨年の安保法制をめぐっても同じでした。

「国民の命と安全を守る」ことは当然大切です。でもそれがなぜ「集団的自衛権=他国のために戦える国にする」ことになるんでしょうか?

アジア等周辺の「脅威(=あの頃は中国、今は北朝鮮)」から国民を守るため?

もし「日本人の命と生活を守るため」の法案なら、まず今の憲法下における自衛隊の役割を精査し、緊急時に自衛隊がどこまでどのように機能できるかをきちんと議論しましたか?
大規模な災害時にヘリコプターを出すにも、いちいち国からの指示を待たずに都道府県からの要請レベルでも出動できるように…といった現行法の下でさまざまな運用規定の見直しで、自衛隊がより機動力を持てるか、そのためにどんな法整備が必要か?

そして、もし万一日本が攻撃を受けた場合の個別的自衛権でできる範囲を明確にした上で、それではどうしても無理な部分について集団的自衛権をどうとらえるか…といった議論にもっていくのが本来の順序でしょう。

そうした議論が国会でなされたようにはとうてい思えません。
そして、なぜいきなり集団的自衛権なのか? 「日本人の母子が乗ったアメリカの艦船が攻撃を受けたら」とか「となりの火事」を例に挙げたあんな稚拙な紙芝居で「丁寧な説明」と言えるんでしょうか?

実際には、南スーダンへの自衛隊の派遣、現地で行われていたのは「戦闘」ではないと言い続けて、日本の自衛隊の活動範囲を解釈いかんによってどこまでも広げるためのものだったのではないでしょうか?


暴走を止める

「日本を守るのは大切、政府の責任だ→安倍政権は正しい、行動力がある」と妄信している方たちも、こうした論理のすり替え・国会審議の在り方・採決に問題はないのか…についてどう思われるんでしょう?

私は今の自民党政権のやることなすことにやみくもに反対しているわけではなく、個々の政治家を罵倒するようなことも書きたくありません。しかし今の安倍政権のやり方は、あまりにも国民をないがしろにした強引なものだと思うのです。

国会をきちんとした審議の場にすること。
次々に出てくる疑惑に対して、面白おかしくスキャンダル的にあげつらうことが目的ではなく、たとえどんな小さなアリの一穴からでも「政治の不正」について追及すべきは徹底的に追及して、国民の前に「真実」を明らかにしてほしい、と願うまでです。

国民は政治の「かけひき」に興味があるんじゃありません。真実が知りたいのです!

疑惑追求に対しては姑息に逃げ、ごまかし、法案の審議はきちんとせず、むしろ審議を避けてさっさと決めてしまおうという風にさえ見えます。

冒頭に書いたように、本来は政策の中味を論じるべきですが、今の政権が数の力で暴走を続けるのであれば…

通常のブレーキが利かない暴走車を止めるには、サイドブレーキを引く・斜面に乗り上げる・壁に車体をこすりつける…手段はなんでもいいから、とにかく止めることが先決でしょう。

テロ等準備罪 ~もし本当にテロ対策が目的なら?~

5月25日(木)

「テロ等準備罪」と名前は改められたが、実質は「共謀罪」 の手直し。
すでに過去3回も国会に提出されたが、いずれも否決されて廃案に追い込まれている。

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それはなぜか?
すでに多くのメディアでもネット上でも情報はたくさん出ているので、私からここであらためて書くまでもないが、大きくまとめると…

★未だ「犯罪行為」が成立していない段階で、個人が「思う」「口に出す」「話し合う」という段階で取り締まるということが現在の法体系とは大きく矛盾する
★何をもってなにを「共謀」したら罪に問われるのかが不明
★個人の思想の自由・言論の自由を大きく制限するもので憲法で保障された基本的人権に反する
★過去の「治安維持法」への回帰であり政府による個人への監視・統制への道を開く危険がある

…などが大きな反対理由である。

気に食わない上司を懲らしめてやりたいなどと居酒屋で話しただけで、あるいはネット上に政権批判を書き込んだだけで逮捕されるんじゃないか、という心配・不安の声も聞かれる。
「これは一般人を対象とするものではない」という総理のことば通り信じられるかどうかはともかく、そこまで一般人の行動を監視して取り締まることは事実上不可能であり、私はそんなレベルの心配はまったくしていない。

問題は、なぜこのような法案を、いまこの時期に通そうとしているのか…?

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◆もし本当にテロ対策が目的なら?

テロなどの凶悪犯罪を未然に防ぐことは大切であり、国際的にもごく一般的・常識的なものだ、日本も国際社会の中で足並みをそろえる必要がある、というのが賛成派の声であろう。

たしかに、国際的な行事や人が多く集まる劇場や交通機関を狙ったテロは世界各地で起きており、日本でも決して無縁とは言えない。それに対する何らかの対策を考えることは当然であり、国際的な基準に合わせる必要がある…と。

しかし…

今の政権から出されている法案の中味・議論の進め方・決め方が、どうも「テロを防ぐためにはどうしたら良いか?」という本質とはずれたところで議論されているような気がしてならない(自民党閣僚の口から「テロを対象にはしていない」などという信じがたい発言も飛び出した。だったら何のための法案なのか!?)。

そもそも何を「共謀」とみなすのか、その定義も、捜査の対象も明らかにされず、人権侵害を心配し反対する野党側の声に対してきちんとした説明をしないまま、「数の力」で決められようとしていることに大いに問題があると思う。

そこで、「たしかにテロを防ぐための対策は大切ですね」という原点は共有したうえで(いわば「対岸」に渡って考えてみて)、現在出されている法案(=共謀罪の手直し版)が、果たしてその「答え」と言えるのか?…以下、逆からの検証を試みてみたい。


◆まずは現行法でできる「テロ対策」の検討

政府はすぐに2020年の東京五輪を挙げるが、国際的な公式行事、多くの人が集まる社会的な行事はオリンピック以外にも多数ある。また劇場やショッピングセンターといった多くの人が集まる公共の場も多い。いま世界の各地で、そうした場所を狙ったテロが多発しているのも事実だ。
もしそうしたテロ対策を考えるなら、まず現状において、テロを未然に防ぐための監視・予防対策がどう取られているかを把握し、防犯カメラや警備体制、さらに建物内に死角をつくらない設計などトータルに検討すべきだろう。

<現行法をめぐる議論のポイント>

現行の刑法で定める「殺人」「強盗」「放火」といった重大犯罪には、その「予備罪」「未遂罪」も重く罰する規定がある。それら現行法との関係・バランスはどうなのか?

一般に殺人事件は、個人的な恨みを持つ相手(個人)に対して行われるものだが、1980年代から頻発している通り魔殺人など、不特定多数を狙った犯罪、さらにテロといった従来予測し得なかったような犯罪が進化している。
現行法で適用できること、現行法では不十分な点があるとしたらどういったことが考えられるか?
それを洗い出して十分に議論したうえで、「テロ等準備罪」も含めた新しい法律の立案が論じられるべきだろう。

しかし、国会ではそういった議論は一切なされていない。



そもそも「テロ」の定義は?

テロの正確な定義は知らないが、私なりの見解で書かせていただくと…

「不特定多数の人を殺傷したり、交通・通信手段など公共性の高いものを破壊または機能停止させる行為」

…といったところでいかがだろうか?

イベント会場に爆弾を仕掛けるとか、交通機関およびそれを制御するシステムを破壊する、さらに最近のサイバーテロといったものまでを含めると、このような文面で定義されるのではないだろうか?

<議論すべきポイント>

ニュース報道では、イスラム系過激派組織ISが犯行声明を出すものは「テロ」とされるが、単に社会に恨みをもつ個人が歩行者天国で車を暴走させて多数を殺傷しても「テロ」とは呼ばない。思想的な背景や計画性があるものが「テロ」と呼ばれるようである。

では、今回対象とするのはどこまでか?思想的な動機・計画性をもって行うものだけを対象としてよいのか、衝動的な無差別殺人なども含めて凶悪な犯罪すべてを未然に防ぐことを目的とするのか?

私は個人的には後者、すなわち、社会の安全を考えるなら思想的背景や計画性の有無にかかわらずすべての凶悪犯罪を対象としなければ意味がないと考える。



◆「共謀罪」となんら変わらない「テロ等準備罪」は不要!

「テロへの対策については、今ある現行法で十分である」という見方を、もっとも分かりやすく書かれている次の文書をここでご紹介しておきたい。
鳥取県弁護士会会長の大田原俊輔氏の「会長声明」と称するこの文面がとても分かりやすい。

法律の専門家らによるこの見解によれば、憲法で定める基本的人権に反するこの法案を通す必要はない、ということである。


◆それでもなお「テロ対策」のための新法が必要だというのなら…

ここまで書いてきたことを十分に議論したうえで、それでも現行の刑法等では対応できない部分があって、「テロ対策」のために新しい法律を立案する必要があり、「事前の準備」にも焦点を当てる必要があるとすれば…(あくまで、「もし仮に~~なら」という話として)

いまだ犯罪としての構成要件を満たしていない(=犯罪として成立していない)ことも捜査の対象とすることになるわけである。これは人権侵害と背中合わせである。

いくら「一般人を取締りの対象とするものではない」とくりかえし答弁されても、一般人なのか犯罪予備の実行犯なのかの判断はどこで誰がするのか?

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捜査してみなければ分からないではないか? 一方的に疑いをかけられた人が不当に人権侵害されるのではないか?…総理大臣も法務大臣も、その基本的な疑問にきちんと答えていない。

ここでもまた「もし」の話として、私なりに代弁するなら…


◆社会の安全=公共の福祉

社会にとって大きな危険を避けるために、個人の自由や権利が一部制限を受ける場合もある。
例えば、現在でも行われている警察官による職務質問

夜遅くに自転車に乗っているだけでも警察官に呼び止められ、この自転車は誰のものか、なぜこんな時間にここにいて何をしているのか…色々と聞かれる。人相・服装などによって呼び止められる人と呼び止められない人がいるようだが(笑)。
運悪く呼び止められて質問攻めにされても、逃げたり反抗して手を払いのけたりしたら、それこそ公務執行妨害で逮捕されてしまう。とんでもない人権侵害だともいえるだろう。

しかし自転車が盗難車ではないか、ひったくり・空き巣・下着泥棒などの犯罪と関係しているのではないか…挙動不審な者を呼び止めて「調べる」ことは、「防犯」の上でも大切で、警察官の職務権限として認められているのである。

つまり、社会の安全を守ること=「公共の福祉」とのバランスにおいて、個人の自由や権利もときに一部制限される、ということである。

「テロ等準備罪」もまさにその延長線上にあるといえる。いまだ重大犯罪は犯していないが、その疑いのあるものを事前に発見し、未然に防ぐことが必要であるならば、多少なりとも人権侵害の問題とは常に背中合わせあることは事実なのだ。


<検討されるべきポイント>

何をもって「テロ等準備」とみなすのか?
今の法案では、277もの行為(すでにある法律で定められている行為)を総くくりにして併記しているが、これでははっきり言ってなんの意味もない。

もし私が法の立案をする立場だったら、まず冒頭にあげたテロの定義から…

「不特定多数の人を殺傷したり、交通・通信手段など公共性の高いものを機能停止させる行為(=テロ行為)、およびその準備とみなされる行為」と定義づけるだろう。

それ以上の文言を条文にはあえて書かない。

前半の「テロ」の定義によって、一般人の一般的な行為はもともと対象とするものではないことが明白になる。
そして「およびその準備とみなされる行為」。こちらが重要なわけだが、具体的に何をどのようにやったら「準備」なのか、それをぐだぐだと条文に列挙して示すことには無理がある。
そこは条文に列挙すべきことではなく、司法の判断にゆだねられるべきことではないか。

「キノコやタケノコを採ってそれを不法に売ってテロの資金源に…」とか「花見に双眼鏡や地図を持っていったら『下見』だ」などと、なにをくだらない議論を国会でやっているのか?

さらに問題は、すでに刑法で定められている殺人・強盗・窃盗・放火…といった個々の行為を、何をもって「テロ行為」とみなすのか?

それらはすべて個々のケースごとに司法の判断にゆだねるしかないだろう。
それが立法と司法との分権・独立の意味である。法律にグダグダと事例を列挙するのではなく、法の趣旨に照らして善か悪かを個々に判断するのは司法の役割。


個人の人権侵害とのバランスについて

この法律ができることによって、個人の自由や権利が侵されることになるのではないか、という点はしっかり議論されなくてはいけない最も重要なポイントである。

しかし、総理大臣も法務大臣もそこにきちんと答えているとは思えない。


<もし私だったら、こう答弁する>


「たとえば警察官の職務質問の例を見てもわかるとおり、重大な犯罪を未然に防ぐことと、ある程度の個人の人権侵害になりうることとは、常に背中合わせの関係にある。
テロ等準備罪の適用が、重大犯罪を未然に防ぐためには有効であるとはいえ、個人の自由・権利を不当に侵害することはあってはならない。
そこには細心の注意を払い、捜査機関など関係機関とよく連携して、捜査対象や捜査方法の適正化を図っていく」

…法務大臣ならこれぐらいの答弁をなさってはいかがだろうか?



目的と方法論のちぐはぐ

はじめに書いたように、いま通されようとしている「テロ等準備罪(=共謀罪)」に関する議論が、本当にテロを未然に防ぐための議論になっていないのではないか、という疑問。
また仮にこの法律が成立して施行されたとして、本当にテロを未然に防ぐことに有効なのか?
つまり、目的にかなった法律の立案になっているのだろうか…?

一昨年の「集団的自衛権」を含む安保法制をちょっと思い出してみていただきたい。

アジア近隣の「脅威」など新たな国際関係の中で、「日本という国を、国民を守る責任がある」と言い、防衛力の強化を訴えるのであれば、まず今の自衛隊でできうる最大限の防衛(=個別的自衛権)について十分な議論がなされるべきだった。

しかし、自衛隊法の見直しや、今の憲法下でできうる自衛隊の活動範囲、緊急時の自衛隊や防衛相の対応マニュアル作りなど、当面緊急に検討すべきことの議論はほとんどなされていない。

「アメリカの艦船に乗った母子」や「となりの火事」に喩えた稚拙な紙芝居で、「国民を守るため」と表向きはいいながら、実際は自衛隊が海外に行ってアメリカ(同盟国)の後方支援をできるようにすること、すなわち集団的自衛権の話にすり替えられた。

野党は当然ながら反発して質問を重ねたが、後方支援とは何か、戦闘地域とはなにか、戦闘が行われていない地域とはどういう地域か、支援のために武器は供給できないが弾薬はよいのか、ミサイルは武器なのか弾薬なのか…といった、言葉の定義のやりとりで珍問・珍答が飛び交い、議論は平行線のまま。

政府は「日本を国民を守るために」と言っておきながら、肝心の日本の「防衛」についての議論はいっさいなされないまま、海外で他国のために戦える国へと変えてしまう法案を、一方的に「審議は尽くした」と打ち切って「数の力」で強引に通した。
多くの憲法学者が「憲法違反である」とした法案に、多くの若者も政治に関心を向け、何万人ものデモが毎週金曜日に国会・首相官邸を囲んだにもかかわらず。

国会での採決も、議長の任命をめぐってごたごたするどさくさに紛れ、暴力も飛び出す醜い状況の中で…
まともな議論ではとうてい理解は得られず、あのようなスキを突いただまし討ちのような採決で「数の力」で通さなければ成立しないような法案だった、との見方も多いだろう。



今回の「テロ等準備罪」も、そもそも「テロとは何か?」「テロを防ぐために何をなすべきか?」という議論は一切なされないまま、277もの行為を対象として列挙。
適用のいかんによっては個人の人権を著しく侵害する、かつての治安維持法にも通じる危険のある法案を「数の力」で通そうとしている。

いったい日本をどういう国にしたくて、誰のため・何のための法案を通しているのだろうか…?


<付記>

~近年の新しい法律(条文)にみる事例の列挙~

条文に具体例を列挙しすぎ!

「危険運転致死傷罪」しかり、「ストーカー防止法」しかり、あまりに具体的なことを列挙しすぎて、けっきょく使い物にならない法律ばかりが作られている。

具体的な事案を列挙すれば「定義」が固まるものではない。むしろ変な限定解釈によって適用不能な法律ができあがり、立法の意味をなさない。
その例を「危険運転致死傷罪」と「ストーカー防止法」に見るが、過去にもblogに書いていることと重複するので軽く蒸し返すにとどめる。


*「危険運転致死傷罪」

飲酒運転やスピード違反・信号無視など悪質で危険きわまりない運転による哀しい犠牲が後を絶たず、通常の自動車運転致死傷罪(業務上過失)では刑の上限も決まっていて、あまりにも実態に合わないという議論はかなり前からあった。
そこで、悪質で危険な運転には通常の交通事故以上に重罰を科せるようにというのが狙い。

当初は、飲酒運転・スピード違反の常習者には、運転行為そのものを重く罰しようという趣旨だったが、国会で法案が成立してみたら終わりに「致死傷罪」がくっついていた。
飲酒運転やスピード違反を繰り返しているだけでは取り締まりの対象とはならず、人を死傷させる事故が起きて初めて適用できる。

しかも、その条文たるや…

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「アルコールや薬物の使用で正常な運転ができない状態で…」などと、かなり具体的に書いてある。
実際、この法律ができた後も悪質な「危険な運転」による事故は後を絶たないが、なかなかこの法律が適用されることはない。

記憶にあるのは福岡で起きた重大事故。20代の市役所職員が飲酒運転を常習していて、酒を飲んで一般道を100キロ近い速度で運転させ、ついに橋の上でワゴン車に激突、二人の子どもの命を奪った事故(事件)。当然ながら「危険運転致死傷罪」で起訴された。

しかし、一審の福岡地裁は「被告は飲酒はしていたが、事故を起こすまでの間100キロ近いスピードで運転をしてきており、『正常な運転ができない状態』だったとは言えない」として、危険運転致死傷罪を認めなかったのだ!…なんという愚かな限定解釈!? 
飲酒運転=正常な運転はできない、という意味で条文を解釈すべきだろう。
それに、一般道を100キロ近い速度で走行すること自体が十分「危険な運転」だろう!
これを危険運転と呼ばずして何と呼ぶのだ!?

その後の控訴審で危険運転が認められ、さらに上告審でも争われて危険運転と確定したが、当たり前のことが認められるまでに費やされた年月は…?

「(安全意識を著しく欠く)危険な運転をした者は」
…危険運転致死傷罪の定義はこれでよいのでは?

さらに、「こういう運転をしたら死傷者を出すかもしれない」ということを十分に予見でき、それでも「まあいいか」と実行した(常習としていた)ならば、「未必の故意(=いまだ必然とはいえない故意)」があったとみなし、殺人罪での起訴も視野に入れてもよいと、私は以前から思っている。



*ストーカー防止法


もう一つの例を見てみよう。

埼玉県桶川で起きた女性殺害事件をきっかけにできた法律。被害者の女性が男性から度重なる嫌がらせ・脅迫を受けつづけ、警察にも何度も相談したにもかかわらず…というあの悲惨な事件をきっかけに、重大犯罪が起きる前でも対応できる(=ストーカー行為そのものを処罰できる)ように新設された法律である。

しかし、何をもって「ストーカー行為」とみなすのかが問題で、「手紙・FAX・電話」は条文に書かれているが「メール」は書かれてない(→対象外)。
また、ストーカー行為そのものを処罰する刑は軽く、むしろ法律沙汰にされて軽微ながら刑を受けた加害者が被害者への恨みを一層増幅させる危険もあるだろう。


問題は「この行為はストーカー行為に当たるかどうか」の定義ではなく、被害者が恐怖に感じるような内容の行為が、その後の重大事件につながる危険があるかどうか、であり、それを未然に防ぐことに役立たなければ意味がない。

この法律ができた後も悪質なストーカー事件は多発したが、被害者が本当に身の危険を感じ、事前に警察に助けを求めていたにも関わらず、けっきょく最悪の殺人事件にまで発展してしまったケースが何件あっただろう。


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その後もたびたび「改正」が加えられている。2013年6月には「メール」を加えたが、blog・ツイッター・ラインといった日々進歩するSNSには触れていなかった! その後もあれこれ「追加」しているようであるが…

具体的な通信手段が問題ではなく、被害者が迷惑と感じ、もしくは身の危険を感じるような執拗な通信・つきまとい…といった行為そのものを問題にすべきだろう。
(刑法199条「殺人:人を殺したるものは」だけである。拳銃で、ナイフで、レンガブロックで…などといった凶器や手段は一切かかれていない。それで良いのだ。)

さらに驚くべきは、ストーカー行為を取り締まれる地域(=管轄)の限定。
当初は、被害者の住所を所管する警察署しか動けなかったため、加害者の住所、およびストーカー行為の行われた場所を所管する警察署も動けるようにする、というのが2013年の改定内容。

当初は被害者の住所を所管する警察署しか対応できないように明記されていたとはあまりにも範囲が狭すぎて驚きだったが、改正法で「加害者の住所」「ストーカー行為の行われた場所」を加えただけで十分と言えるのだろうか?

被害者の実家は?、勤め先は?、講演や旅行で行く先は?…「カルメン」は最後に闘牛場でホセに刺されるが、加害者が執拗に追いかけて凶悪犯罪に及ぶ場所は、どこでもありうる。

これだけ交通も発達した現代において、犯罪がひとつの警察署管内だけで完結してくれる方が珍しいのではないだろうか?
警察は全国組織なわけだし、国内法なので海外までは無理としても、せめて日本全国どこでも適用できるようにすべきだろう。



これらの例からも明らかなように、法律の条文にあまりにも具体的なことを書きすぎることで、かえって司法の場で使えないような本末転倒なことが起きているのである。

まずは現行法の範囲内でできることを十分検討し、その上でどうしても新しく法律を作る必要があるというのであれば、起こりうる犯罪を広く想定して分析し、ただ思い付き的にいろんな事例を列挙するのではなく、包括的に定義した条文にしなければ意味がない。

このことからも、今回の「テロ等準備罪=共謀罪」において、すでにある277もの行為を対象とするような法案が、いかに法律的に見て論理性を欠くものであるかが分かるだろう。


新しい法律の表現力

時代に変化に応じて、あらたに起こりうる犯罪を想定して、法律も新たに作る必要がある場面もある。

私の記憶にあるところでも、1964年(昭和39年)の東海道新幹線の開業に合わせて「新幹線特例法」ができた。高速で専用軌道を走る新幹線の安全を確保すべく、それまでの「列車往来危険罪」とは別に法律を作り、法的な面からも新幹線の安全を守ったのだ。

また、すでに起きた凶悪犯罪をもとに新法が作られるケースとして、1970年(昭和45年)の「よど号乗っ取り事件」(4月)や「プリンス乗っ取り事件」(5月…犯人は射殺された)
を受けて「航空機等の強取等に関する法律」(いわゆるハイジャック防止法)ができた。
それらの法律は、実際に起こりうるさまざまな事案・危険を想定し、それらを包括的に表現する条文がうまく作られていたと思う。

最近できる法案は、いまは技術的にどんなことが可能で、どんな行為が起こり得て、それを防ぐにはどうしたらよいか?…といった現実に即した想定の詰めがあまりにも甘く、思いつく限りのことを稚拙にもただ箇条書きに並べるだけで、実際には適用すら難しいような使い物にならない法律も多い。

立法府である国会、とくに立案する政府関係者の法律的なセンス・文章表現力にも大いに問題があるように思えてならない。




ニュース記事を串刺しにしてみると…

4月30日(日)

加古隆さんの♪「パリは燃えているか」を聴きながら、過去の愚かな過ちの歴史をl繰り返さないことを祈りつつ…

いま報じられているニュースを、単品ではなく、いくつかを串刺しにしてみると、何が真実なのかが見えてくるような気がします。

たとえば…


◆海自艦、初の米艦防護へ 四国沖まで、安保法制に基づき

2015年に成立した安全保障関連法に基づいて、平時から自衛隊が米軍の艦船などを守る「武器等防護」を実施するよう、稲田朋美防衛相が初めて自衛隊に命じたことが分かった。米海軍の補給艦が防護対象という。複数の政府関係者が明らかにした。


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【写真】長崎・壱岐の北西約20キロを航行する米海軍の原子力空母カールビンソン=29日午前10時2分、朝日新聞社機から、迫和義撮影

 米軍からのニーズが高かった任務で、自衛隊法に基づき、防護のために自衛官は必要最小限の範囲で武器を使える。昨年11月から12月にかけて南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊の部隊に「駆けつけ警護」の任務が加えられたのに続き、安保法制に基づく自衛隊の任務が本格化する。

 政府関係者によると、海上自衛隊の護衛艦「いずも」が5月1日午前に横須賀基地(神奈川県)を出港。房総半島沖周辺で米海軍の補給艦と合流し、四国沖までこの補給艦を守りながら一緒に航行する計画とされる。

 この補給艦は、北朝鮮による弾道ミサイル発射への警戒をはじめ、日本近海で情報収集などをしている米太平洋艦隊の艦船に補給する見通し。29日に対馬海峡から日本海に入った米海軍原子力空母カールビンソンの艦隊に補給する可能性もあるという。カールビンソンは北朝鮮のさらなる挑発を抑えるため、同日から日本海で韓国海軍と合同訓練を始めた。訓練には韓国海軍のイージス駆逐艦「世宗大王」や哨戒機などが参加している。

(朝日新聞デジタルより) 



一方…

マレーシアでキム・ジョンナム氏を暗殺、国連決議に反して弾道ミサイル発射を繰り返すなど、常識では考えられない人道に反することを繰り返す北朝鮮ですが…

◆「金正恩の時代、確実に終わる」 北朝鮮元公使が会見

 昨年夏に韓国に亡命したテ・ヨンホ元駐英北朝鮮公使は25日、民衆蜂起による金正恩(キムジョンウン)政権の崩壊もありうるとの見方を示した。ソウル外信記者クラブでの記者会見で語った。日本人拉致問題を巡って、「北内部の指導層は日本にだまされたと考えている」と語った。

 テ氏は「北内部で政権に対する反感が高まっている」と説明。「住民は政権の宣伝運動に耳を貸さない。確実に金正恩の時代は終わる」と語った。

 背景の一つとして、外部情報の流入や不正の横行を指摘。「韓国ドラマを見て捕まっても、2千ドル(約23万円)払えば釈放される」と語った。「私が子供のころ、北の経済規模が南より大きいと学んだが、今は映画やドラマで南の生活水準が高いことを知っている」とも説明。北朝鮮も住民に対して「経済水準は南が上だが、米国の植民地に過ぎない」と説明しているという。

(朝日新聞デジタルニュースより)




どちらも朝日新聞(デジタル)。とくに政権寄りでも反政権寄りでもない記事だと思います。
しかし、同じ日に出されているたったこの2つのニュースを串刺しにしてみるだけで、

「北朝鮮は驚異だ」「きのうはミサイル発射の情報を受けて東京メトロも一時運転を見合わせたんだって」「本当にミサイルが飛んでくるかもしれないぞ」…という脅威論を前提に、

「日本はアメリカに全面的に協力していくんだ」と集団的自衛権の行使を当然のように扱い、日本も武力行使できる方向にもっていこうという政府の意図が浮き彫りになりませんか?

「ミサイルが発射されたら、頑丈なコンクリートの建物に避難せよ」とか「化学兵器が使われたら、窓を絞めよ、来ていた衣服は切り裂いて脱ぎビニール袋にいれよ…」などなど、じつにきめ細やかな注意書きが学校でも配布されてるようですが…

もし本当に北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射してくる危機が現実のものとしてあるのなら…
なぜ、ミサイル攻撃に対応するすべをなにも持たないまま原発を再稼働させ、ミサイル対策も皆無のまま放置するのか?

国会で山本太郎議員からの質問になにひとつ具体的に答えられなかった答弁は、まさに映画「シン・ゴジラ」の政府の危機管理能力そのものではありませんか。

そして、そんな危機的状況にありながら、大臣・副大臣など閣僚らがこの大型連休に海外遊説に出かけるんでしょうか?


状況をどう見るか?

これから書くことはあくまで私見ですが…

北朝鮮がかたくなになるのは、孤立への恐れの反動・強さの誇示と見ます。
朝鮮半島を二分する戦争(=70年前の朝鮮戦争。停戦状態のまま)によって民族は分断され、南を支援したアメリカや日本は大きな経済最長を遂げたのに対し、北はどうなのか?

南(=韓国)とアメリカとが共同軍事演習を強化することに反発し、自分たち(北)こそが正義であると…

しかし、中国やロシアからも見放されて世界で孤立すること、および核兵器の発射ボタンを押すことで全面核戦争になったら地球規模でどういうことになるか…それが分からないほど馬鹿ではないのではないか?

成功したミサイル発射は劇的に報じ、失敗したミサイル発射は国民に知らせない…
つまり国民に向けては「強いぞ」と誇示しつつ、国際的には孤立することが本当は怖くてしょうがない。
拉致問題も含めて、むしろ本音では対話のきっかけを探っているのでは…?

だから、ここでトランプ大統領の言う「あらゆる選択肢がテーブルにある」などと、シリアに対して行ったような武力行使も視野に入れてることを絶賛したり、まちがっても日本が先制攻撃に手を貸すようなことがあったら、それこそ歴史の過ちを繰り返す愚です。

日本が北朝鮮に向けていきなり武力行使することは今のところ考えにくいですが、トランプ率いるアメリカ軍が北朝鮮に早まった行動をとった場合、日本は当然ながらアメリカのやったことを批判することなく容認・絶賛するでしょう。そうなれば、日本も北朝鮮から真の標的にされるでしょう。

常識の通じる相手かどうか…と言う前に、国際社会が連携してあくまで平和的な解決を目指すべきです。
ひとたび挑発に乗って武力衝突となれば、もはや第二次世界大戦の比ではなく、地球滅亡への道へと進みます。

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…以上、私なりの見方に過ぎません。私は評論家でも預言者でもありません。
しかし、報じられていること・皆が騒いでいることを一方的に鵜呑みにして動揺することなく、自分なりに「なぜ?」を求めていきたいと考えています。

新聞・テレビ各社の報じ方・切り口もさまざまですが、国民ひとりひとりがさまざまな情報の中から「何が真実か?」「ことの本質は何か?」を考えて読み取る力が、今後ますます大切になってくるような気がします。

先日書いたこちらの記事もご参照いただけたら…
→ 「マスコミの影響力は大きいが」



加古隆「パリは燃えているか」

4月29日(土)


大型連休の初日

●早朝の北朝鮮のミサイル発射情報に東京メトロが運転見合わせをしたとか…?

●ミサイルが発射されたときの注意事項なるものがもっともらしく広報され、小中学校では配布されてるとか?

…それ自体意味のないことだとは申しませんが、空襲を受けたらバケツリレーで消せ、敵が上陸してきたら竹やりで戦え、と同レベル。国として、国際社会としてやるべきことは?


●米国内の憲法違反でたびたび停止されるような大統領令を出し続けるトランプ大統領が、シリアに対して爆撃をしかけたことを全面的に「賛同」する日本の政権

…かつてのトンキン湾襲撃事件は、北ベトナム爆撃を開始するための「ねつ造」だったことが判明しても、中東に大量破壊兵器など存在しなかったことが判明しても、過去の米国の武力行使について正当性がはたしてあったのかどうかの検証は一切していない。国会で野党から質問されても一切答えません。


●「憲法を改正した方がよい(改正してもよい)」と思っている人が43%…などという某放送局の世論調査結果が報じられたり…


「愚かな過ちの歴史」に逆戻りさせるような力・扇動がいたるところに働いているように思えてなりません。


加古隆 ♪「パリは燃えているか」


https://youtu.be/urlIxLTx300

ちなみに「パリは燃えているか」という同じタイトルで、1966年にアメリカとフランス合同で作られた戦争映画(フランス・レジスタンス(共産主義者とドゴール派)と自由フランス軍によるパリの解放を描いたノンフィクションの原作)があるようです。


かつて「映像の世紀」のテーマ音楽ともなったこの曲を聴きながら、あらためて世界の平和を祈ります。

日本の、世界の指導者たちが、正しい民意によってを正しい方向に導かれますように!


答えは風の中…?


音楽や自然など美しいものを求めたり、ひたむきに何かに取り組んだり、美味しいものや可愛らしいものに癒されたり…

しかし、ふと社会・政治に目を向けると…

閣僚の失言・とんでもない法案、横暴な決め方、嘘とごまかし、議論になってない国会審議…etc. 「とんでもない」話題には事欠きません。見たくもないけど、放ってもおけない。

しかし、日本人はなぜこうもおとなしいのでしょう?

昼の食堂でニュースがかかっていて、どんなに重要なことが国会で決められようとしていても全く誰も見ていない! 野球やサッカー、芸能人のニュースの時だけ振り返る…
サラリーマンもOLも会社内の狭~い人間関係の話(それって「仕事の話」?)、あとは男性ならクルマやゴルフの話、女性なら女子会の話、アプローチしてくる男性のうわさ話…etc.

「政治の問題=わたしたち社会の問題」ですよね?

いつまでこんな政権に「数の力」を与えておくのでしょうか?
どこまでやりたい放題やられたら、どこまで国民が踏みにじられたら、どこまで切り捨てられたら、どこまで騙されたら、分かるんですか?、気づくんですか?、目覚めるんですか?

…ボブディランのように「答えは風の中」ですか?

SN上でシェアしたりコメントして拡散することも無意味ではありませんが、職場の人と、サークルの仲間と、個人的な友達と、飲み友・ママ友と…身近な人との間でも、たまにはちょっと社会に目を向けた話題を交わしてもよろしいのではないでしょうか?

そして選挙では各自の意思表示をしっかりしていくこと。
それが堕落した政治に対する正しいリアクションではないでしょうか?

1にも2にも「民意」を高めること。
そのために、これまで私がひっかかってきたいくつかのキイワードごとにまとめておきます。


◆「そういう人を選んだのはわれわれ有権者だから…」?

よく政治家が不正を働いたり、公約を平気で破ったり、悪事が暴露されたようなときに、「まあ、そういう人を選んでしまったのはわれわれ国民有権者だから…」などとおっしゃる方が必ずいます。
政治家だけを責めるんじゃなく、「見る目がなかったんだから…」という諦めや慰めにも似た思いなんでしょうか…?一見穏やかな大人の意見のように聞こえなくもありませんが、私は「あなた、民主主義を分かってますか?」と長年思ってきました。

小学校の学級委員、あるいは地域で長年よく知っている人を信頼して役員に推薦したら、じつはとんでもない人だった…というなら「見る目がなかった」ともいえるかもしれません。

でも、多くの犯罪者もそうですが、前々から明らかな犯罪者なんて少数です。まして立候補した候補者のことをわれわれがどこまで前もって知っていたでしょうか?
ほとんどの場合、公約に掲げたこと・所属政党・経歴などを見て「信用」するしかないんですよね。
その候補者が議員に当選して公約を守らなかったり不正を働いた場合、われわれ有権者への「裏切り」ですよね。そこは厳しく追及されてしかるべきでしょう?
しっかり見届けて、追及すべきは追求するまでが有権者の責任でしょう!

一方、私がよく、こんな政権に「数の力」を与えてしまう民意に歯がゆい思いをし、「こんな政権を良しとしているのも、有権者の民意だ」などと表現することがあります。
決して政権・とんでもない議員の暴挙を許す(?)意味で「まあ、そういう人を選んでしまったのは民意だから」なんて擁護したり諦めの意味ではなく、「これだけやりたい放題やられて、まだ黙ってるのか?民意はどうなってるんだ!?」という意味です。


与党は大多数の国民有権者によって「支持」されてるの?

私も中学生のころまででしょうかね、最大与党である自民党は、国民の大多数によって「支持」されてるんだ、と思ってました。しかし本当にそうでしょうか?

最近の国政選挙でも地方選挙でも、投票率は軒並み50%そこそこ。約半数しか投票に行ってないわけです。
そして、投票に行った人のうち3分の1~せいぜい半数が自民党に投票すれば、揺るぎない最大与党が過半数議席を獲得します。
半数の半数、つまり最大でも全有権者のせいぜい25%に過ぎません。その中にはいわゆる組織票や「ほかよりマシだから」という票を含んでいます。

2014年12月の衆議院の解散総選挙の後の調査によると、自民党に投票したのは全有権者のわずか17%だったというデータがあります(読売新聞調査)。
しかも、その自民党に投票した人のうち65%が「ほかよりマシだから」…これって本当に「支持」って言えるんでしょうか?

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→ 
衆議院解散総選挙結果に思う
(2014年12月)


◆「しかし野党もね~」「他のどこに政権を任せられる?」…じゃない!

選挙になると「でも他の野党もね~」「じゃ、どこに政権を任せられる?」などと言ってなんだかんだ勝ち馬に一票で「ほかよりマシだから」で自民に一票ですか…?

あのね~、選挙は「今のところ政権を任せられるのはどこですか?」のアンケートでもなければ、「どっちが優勢ですか?どっちが勝つと思いますか?」の勝ち馬レースの予想でもない、まして「どこがほかよりマシですか」の消去法の選択でもないんです!

この後いくつかの論点で書きますが、自民党政権「一強」の「数の力」でやりたい放題にさせない、民主主義を取り戻す、そのための一票を投じるべきではないでしょうか?


自分たちの社会のこれからを考えて、おかしな法案、危険な道の選択にははっきり「ノー」と意思表示をする。「誰(どの政党)にわれわれ国民の声を託して国会で議論してほしいか?」を各自よく考えて候補者の中から選ぶ、それが選挙です!

毎朝「経済」と名の付く新聞を無表情に眺め一見インテリに見えなくもない熟年サラリーマンが真顔で「経済=企業の利益、経済界のための政策はやっぱり大切だよな」などとおっしゃいます。経済界・大企業を優遇すれば国民生活も豊かになる…アベノミクスをまだ信じるのですか?

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民進党の悪口にすり替えないで

あとよく聞くのが民進党(かつての民主党)の悪口ですね。
いまの安倍政権のさまざまな問題、一党強のさまざまな弊害を指摘していると、必ずと言ってよいほど「でも民主党はもっとひどかった」と口をはさんで来られる方がいます。それはそれ、これはこれ、全く違う話にすり替えないでいただきたい。
子どもが間違ったことをして叱られてるときに、「あの子はもっと悪いです」なんて言ったら親や先生からなんといわれましたか?

おそらく民進党を悪く言う人は、かつて政権を託した民主党に「裏切られた」感も人一倍強いのかもしれませんが、「自民か民主(いまの民進)か」「どっちがマシか」の2者択一の頭しかないんでしょうか?

私がここで言う「野党」とは、民進党だけを言ってません。また「〇〇か△△か」といった日本人の大好きな二者択一の話でもありません。
さまざまな野党の中にも光る議員はいらっしゃいますし、全国の地域ごとに立候補している野党さまざまな党の議員たちに頑張って議席を獲得していただきたいのです。自民一党強の体制がよくない、ということなんです。次をお読みください。


◆「数の力」を与えない!

先ごろのパククネ大統領の弾劾のニュースを見ていて、韓国では与党が過半数議席に達してないことを知りました。
また同時に、野党がすべて結束しても3分の2に達しないのです。

つまり与党側の主張にせよ、野党側の主張にせよ、党が結束するだけでは結論が出ないわけです。
これは何を意味するか?

安倍総理がいつも口先だけでは言っているように、「丁寧に説明」し、「しっかり議論」をし、「理解を深め」、野党も合意して賛成が得られなければ通らなくなるのです。それこそが本当の民主主義ではないでしょうか?

「ねじれ」大いにけっこう じゃないですか!
戦後の混乱期などには「安定した政権」も大切ですが、いまのように民主主義の根幹が危ぶまれているときに一強体制は危ういのです。


必ずしも政権交代ではなく 野党ゆえに期待できること

一強体制は危ういと申し上げましたが、いまは必ずしも政権打倒・政権交代を叫ぶ気持ちは私には正直あまりありません。「数の力」による一強体制が問題だと申し上げてるのです。

以前のように、それこそ1年おきにトップがころころ変わり、外国から見ていったい誰と交渉すればよいのか分からないような状態が良いとは決して思いません。

また、仮にどこが政権を取っても、与党となって政権の座についたとたんに、財界や官僚からのさまざまな「力」が働いて「国民の目線による、国民のための政治」からはかけ離れた方向に向かい、多かれ少なかれ今の自民党とも似たような政治になる可能性は、過去の経験から見ても十分あり得ます。

ならばなおさら、選挙で「じゃ、どこに政権を与えたらいい?」「ほかよりマシだから」…じゃないのです!

いまの野党には、残念ながら自民党政権にとって代わって日本のかじ取りを任せられる党は残念ながら見当たりません。

ただ、野党には、財界や官僚からのしがらみを受けることのない野党ゆえの役割(=国民の目線で国会で議論する使命)があるのです。その野党に1議席でも多く伸ばしていただくこと。

2014年12月の衆議院解散総選挙では、日本共産党がそれまでの9議席から21議席へと大きく伸ばしました。
議席数が増えることで、国会での質問に与えられる時間が長くなり、政府案に対して鋭く切り込んだ質問ができる時間が多くなるほか、議案提案権というものも獲得できます。より国民の視点での議論をしてもらえるようになるはずです。

日本共産党に限らず、全国の選挙区で皆がそれぞれに「この議員を応援したい」と思う候補者を国会に送り込むというのが、本来の選挙の原点のはずです。

有権者は、勝ち馬レースの予想、強そうなところに「他よりマシだから」で一票ではなく、「国民の代弁者」を応援して育てる という意識があってよいはずです。


◆議員を「見守る」視点

あと、そもそもの疑問ですが、ある党に所属しているからと言って全員が党としての意見と完全に同一である必要がありますか?

本来の議会制民主主義では、何党に所属していようと、法案や政策など個々の決議には議員ひとりひとりの意志で賛否を出すべきなのですが、実際のところ、所属政党で統一して全員が賛成に回らないと「造反」などと呼ばれますよね。

国会法にも議員運営法にもそんな規定はなく、あくまで党の規則にあるだけです。議員たちは長いものにまかれて党に所属できなくなることを恐れるんです。

ならば、われわれ有権者は、地元で当選して国会に送り込まれた議員に対して、「こんな法案に賛成するなら、二度とあなたには投票しませんよ」と言ってもよいのです。

たとえ自分が投票した候補者でなくても、「地域の代表」として国会に送り込まれた議員に、地元有権者の一人として「二度とあなたには投票しませんよ」と言うことは決してウソでも脅しでもありません。

有権者みなでそういう監視の目をもっていけば、党にいられなく以前に議員として当選できなくなるんだぞ、ということを知らしめることができるはずです。


無所属、当選したら自民党…?

最後にひとつ「無所属」というのも要注意です。
立候補の時には「無所属」なのに、当選したら「自民党」となる…これってどうなんでしょう? 
将棋の「歩」が敵陣に入って「金成り」になるような変身ぶり、しかも予測不能ですね!

小選挙区、比例代表など今の選挙制度にも問題はありますが、所属政党で候補者を選ぶ有権者にとってこれは「裏切り」ともいえるとんでもないことです。

有権者は前もって「無所属」の立候補者にその意思をしっかり問い、もし選挙後に変身したらそれは「裏切り」としてリコールの対象にすべきでしょう。

所属政党の鞍替えしかり、不正しかり…

 「センセイに なってしまえば 別の人」なんて下手な川柳が笑いにならないように!

最後に、冒頭に書いたように政治の話(=私たち社会の大切な話)をタブーのように避けるのではなく、もっと日常的に考え・表現していきませんか? 一昨年の誕生日に書いた記事です。

→ 考える・表現することの大切さ (2015年9月)


2017年4月22日 章

プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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カウント開始 2011.1.14~
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