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感動は生もの 待ったなし!

2018.6.11

子どもの頃、旅先で「そろそろホタルが飛んでるかもしれない」という話題になったら、夕食もそわそわ、早く外に見に行きたかったものです。
見られるか見られないかは、行ってみなくては分かりませんが、とにかく行ってみるしかなかったはず。「今度、そのうち見に行こうね」…なんて言われて納得できたでしょうか?

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大人になると、いつごろから「今度、そのうち」が口癖になっていくんでしょう…?


◆「そのうち」「今度ぜひ」でそれっきり…

すでに準備万端で、「さあ、具体的にどうしましょう」で打合せに入り、すぐ実現できるようなことは限られています。

多くは、ふと浮かんだ夢のようなアイディア、雑談的な発想から出てきたアイディアから、「もうちょっと詳しく相談」→「具体的な例を出してみる」→「とりあえずやってみる」…そうやって少しずつ形ができてくるもの。

共同でビジネスを始めようという話でなくても、「遊び」であったり、何かの活動の「企画」だったり、趣味で何かを始める話だったり…どんなことでも、まずは相手とコンタクトをとる、せっかく頂いた情報を確認するなど、具体的に動き出すこと。手探りながらも「やってみる」こと。「そのうち」「今度ぜひ」は禁句なんです!


◆感動は生もの、思い立ったが吉日!

小学校時代…
鉄道模型というものが世の中にあると知ったら、いきなり買ってはもらえなくても、どんな種類があるのかを人に聞いたり資料を集めたり、まずはデパートの売り場に行って穴のあくほど眺めたものです。何かをせずにはいられなかった。

高校・大学時代…
何かを作りたくてムズムズするのも、「あの曲を弾いてみたい」と思うのも、なぜか試験前(笑)。そんな、すぐには実行できない時でも、あれこれ考えたり、下調べしたり、スケッチしたり…とにかく今できることを何かせずにはいられなかったものです。
ただ「思っただけ」では、試験が終わったらどこかへ消えてしまってます。

思いたったら冷めないうちに、「鉄は熱いうちに打て」なんです。

今やらなくてはいけないこと(本業)はしっかりと。でも好きな世界を大切に。「遊び」は「義務」じゃないから逆によほど真剣にならなきゃできない世界…
中学3年生の時に出会った模型屋さんのおやじさんから学んだ大いなる哲学です!
→ 
遊びから学ぶ 人生の恩人


◆友達と一緒に…はやめた方がいい

趣味でなにかを始める、なにかを調べる・学ぶ、どこかで活動をはじめる…そんな時、だれかと一緒にできたらいいなと思うこともたしかにあります。

でも、はじめから「友達と一緒に」はやめた方がいい…これは私の長年の経験から。
「もう少し~~してから」「そのうち」…という人を待ってはいられません!

大人には、今すぐできない理由はたくさんあります。
「今はまずこれをやらなくてはいけない」という最優先のことがある、人それぞれ優先順位は違う…それは仕方ありません。子どもじゃあるまいし、その場にしゃがみこんで「やだ~」とダダをこねて泣いたりはしません。

でも、「もし~~したらどうしよう」という不安や、「もう少し~~してから」という完ぺき主義でなかなか腰が上がらない人が本当に多い。だから何事も一歩踏み出せないんです。
素直に言われたことをやってみれば、何ということはない簡単なことだってあるのに…
ちょっとやってみてその面白さに気づけば、人生観や世界観が変わるかもしれないのに…

とにかく行ってみる、話を聞いてみる、とりあえずやってみる…思い立ったら、冷めないうちにまず1歩踏み出すかどうか、そこが分水嶺です。



「馬を水飲み場に連れて行くことはできる。でも馬に水を飲ませることはできない」ということわざがあります。

「そのうち」「もう少し~~してから」という人を何度も誘ったり、何度も連絡を取ってタイミングを合わせるのは大変です。
またどちらか一方がもっと踏み込みたいのに、相手がそれほど熱がないと、気遣ったり遠慮してしまったり…お互いが足を引っ張り合う結果になることも多いです。

せっかく美味しいラーメン屋さんに連れて行ってるのに、麺をなんども持ち上げて「こしがありそうですね」とか「本当に美味しいんですか?」などと言ってるばかりで、いつまでたっても口に運ばない人がいたら、どう思いますか?
こっちは勧誘員でも営業マンでもない。なんでこっちが「大丈夫ですから」「本当に美味しいですよ」などと誘う立場になってエネルギー使わなきゃいけなんでしょう?

桃太郎さんも、出かける前に犬やキジやサルの参加を募るメールなんかしてませんよね。

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思い立ったら、まずは一人で始めること。やっていく中で同志もみつかり、つながってくるものです。


(追記)

◆感動の共有


せっかく手作りケーキを出されても、ちょうどたまたまお腹が一杯ですぐその場でいただくことはできないこともあります。それはしょうがない。

でも、いつもいつも「そのうちいただきます、今度ぜひいただきます、食べてみたいです」などと言われ続けたらどうでしょう…?

感動は強制できるものではありません。興味のない人を誘っても意味がない。
興味がないならないとはっきり言っていただきたい。
「~~してみたいです」などと心にもないことは言わないでいただきたい!

もし本当に興味があるなら、いつまでも未来形で「食べてみます」じゃなく、実際に食べてみてほしい!
そして「どうだった」のか聞きたい!
いつまでも行動しない、反応がない、「どうだったのか」の打ち返しがない…がっかりですね。

行動(アクション)と反応(レスポンス)…「感動の共有」って、そういうことなんじゃないでしょうか?

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テレビの役割 スポンサーとの新しい関係を!

2018.5.13

NNNドキュメント「南京事件Ⅱ」

5/13(日)深夜放送のNNNドキュメント「南京事件Ⅱ」
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 放送:5月13日(日) 24:55~25:50 (地上波)
 制作:日本テレビ
 再放送:5月20日(日) 11:00~(BS日テレ)

「南京事件はなかった。あれは中国側の捏造だ」と大真面目にいう政治家らがいます。
一般国民の中にも、日本の過去の過ちを検証したり反省することを「自虐的」などと表現する人たちがいることを覚え、哀しくなります。

当時の日本軍の数から考えて殺害された人数が不自然だとか、日本軍の南京入城前に撤退した中国軍の仕業だとか、まったく関係ない写真を南京事件として公開した…などなど。

その真偽のためにも「記録」を極力残し、検証し、過去の過ちを繰り返さないよう努力することは絶対に必要なこと。

なのに、終戦直後に政府の命令により、軍の公式記録はすべて「焼却処分」!?
今日の文書改ざんや隠蔽にも通じるものを感じざるを得ません。

たとえ過去には生まれていなくて、直接自分が知る所ではないとしても、イデオロギーを超えて「事実」を探求し、国としての過ちを謙虚に認め、隣国に「申し訳なかった」と思う気持ちって大切だと思います。

かつて従軍して虐殺を命じられた兵士の手記などを長年集め、こつこつと調べていた人がいたのです。すでに2015年にも放送され、観た人には大きな反響と衝撃を与えたこの番組。
その第二段が今回のNNNドキュメント「南京事件Ⅱ」です。

その内容は、次の記事に詳しく書くことにします。
    ↓
「南京事件Ⅱ」 ~これでも「南京事件はなかった」と言えますか?~

しかし、多くの人に観てほしいこういう番組の放送がなぜか 日曜の深夜(24:55~25:50)!
(同じ深夜でも、金曜の深夜ではなく、よりによって日曜深夜に…)

録画予約しましたが、なぜ皆が起きているゴールデンタイムにやらないの…!?


◆番組制作者の思い vs 外からの「力」

何年にもわたってこつこつと調べてきた事実、200人を超える関係者らに聞き取り…これだけ手間暇かけたドキュメント番組を制作した人は、多くの人に観てもらいたいはずです。

NHKが毎年8月に放送している終戦の特集でも、証言を集めたり現地を訪ねたりして戦争の事実を検証しながら「あの戦争は何だったのか」を考える番組が多く、それらをちゃんと観る人は観ているのです。

「一般大衆」と言えるほど多数派ではないかもしれませんが、すくなくとも少数派ではあっても、そういう番組があれば観て考える人たちはいるのです。

なのに、そうした重要な番組を、こんな時間帯の放送枠に組むのは局の編成の判断…?
いや、そのバックに「スポンサー企業」およびそれを束ねてる「広告代理店」「大きな力」があると思います。

私が学生時代、法学部のゼミでさえ、ちょっと真面目な話を出すと一瞬固まって「まあまあまあ、は~い、カンパーイ」とはぐらかしていたような輩たちも私と同年代。若者から私ぐらいの年齢まで「考えたくない人たち」が世の中には大勢いるのでしょう。

とりわけ、過去の戦争にまつわる話、日本の過ちに関するテーマなど、暗くてつまらない、と決めつけ、それをゴールデンタイムに放送してたんじゃ「視聴率が取れない」、と勝手に決めつけてる風潮が…

「視聴率」って、その時間帯に何チャンネルを付けていたかを調査するだけで、番組の中味への評価なんて関係ありません。スポンサー企業のCMをいかに見てもらえるか…? そんな商業主義で番組がつくられ、放送局の枠が占拠されているのです!


◆売れないものは斬り捨てる「商業主義」

売れるものだけを作って並べる、売れないものは製造中止…そんな商業主義が、テレビの世界にも大いに影響しています。

真面目に考えたい人たちは「マスコミがいけない。マスコミがくだらない番組をつくるから国民がアホになるんだ」と言います。
しかし一方、マスコミは「視聴率」という幻の数字に振り回され、ウケを狙った番組を多く作ってきた。つまり「需要」があるから。この話、けっきょくニワトリと卵なんです。

昼の定食屋さんでニュースがかかっていて、国民にとってとても重要な案件が国会で審議されている話題をやっていても誰一人ニュースを観ようともしません。会社内の狭~い人間関係の愚痴や、半径数メートルの娯楽ばかり。
ところが野球やサッカーや芸能人の話題になるとふり向いて画面を観る…これが現実なんです。そっちに照準を合わせないと視聴率は取れないんです。



一番組一スポンサーだったころ

ところで、放送番組を流す側(放送局)と、それに協賛する企業(スポンサー)との関係は?
かつては一つの番組にはある企業が専属的にスポンサーとしてついていました。

鉄人28号 
トムとジェリー コンバット 

たとえば「鉄人28号」=グリコ、「トムとジェリー」=サンスター(シオノギ製薬)、「コンバット」=鷲のマークの大正製薬(→いまでも同社のゴキブリ退治の薬に「コンバット」という商品名が生きている!)…といった具合に、「その企業はその番組に協賛してるんだな」というイメージも定着していました。懐かしいですね。

私が小学生のころ観ていた「サンダーバード」(ご存知ですか?)、イギリスで制作され、はじめにNHKで日曜夕方放送され、その後民放で放映。そこでスポンサーについた企業はプラモデルの会社でした。

サンダーバード

サンダーバードの1号~5号、さらに搭載車両のジェットモグラタンクや基地に至るまで、さまざまなモデルが作られました。私も夢中になった一人です。


◆番組本編が商品を売るためのCMに?

当然ながら、あの頃は先に番組があって、それを模型(商品)化していました。
しかし、いまの戦隊ものや変身するヒロインものでは…

返信グッズ(サイトより)

ミラクルパワーを生み出す秘密のステッキやペンダントなどが、玩具メーカーによって発案・製造され、それを模したものがアニメに登場する…

つまり「商品化」と「番組づくり」が一体、いや、むしろ「商品化」が先にありきで、番組(アニメ本編)はそのための「宣伝」になってるんです!…どこまで商業主義!

また、「ご覧のスポンサーがお送りします」で連なる企業たち。今はひとつの番組にいったいいくつの企業が提供で名を連ねているでしょうか? しかもその企業が、同じ時間帯の他局の番組のスポンサーにもなっている…
競馬に喩えると、自分が信じる馬に「願」をかけるんじゃなく、広く浅くいろんな馬券をちょこっとずつ買いあさっている…そんな感じでしょうか?

かくして、同じ時間帯に民放各局どこにチャンネルを合わせても同じ企業のCMが…どんだけ企業はCMを垂れ流したいんでしょう?
しかもゴールデンタイムにCMを連続して出せるような企業は、誰もが知ってる有名企業ばかり。もはや新商品の「告知」の意味よりも、企業名・商品名の連呼です!

そんな企業群が、番組の中味や放送時間帯にいろいろ言ってくる…
番組制作者のポリシーも、放送局の独自の判断もどこまで貫けるのやら…完全に「商業主義」に乗っ取られて、放送局はどこも似たような売れっ子タレントを使って「旅」と「グルメ」と「クイズ」を合体させたようなバラエティ番組を外注でつくって電波に乗せて流すだけ?


◆放送局とスポンサーとの新しい関係を

ここからは私が長年思ってきた提案です!

個々の番組ごとにスポンサーを付けるのではなく、ある局の番組を信用して、そこにどんとスポンサーとなる企業群を集める。あるいは、ある曜日の何時~何時の時間帯にうちの企業は協賛して提供する、という具合に大枠での協賛にするのです。

放送局が自らのカラーを打ち出してしっかりした番組を作る。娯楽でもいいしドキュメントでもいい、メディアとして、こういう文化を発信したいという独自の主体性を持つのです。それに協賛する企業がスポンサーとして資金を「提供」するのです。

そして放送局は、せめてニュース報道番組ぐらいはスポンサーなしで独自に制作・放送する!どこにも忖度することなく、報道に専念することができるはず。

また、1日のうちでも1週間の中でもいいから、ある時間帯にはCMを流さな時間帯を設ける。途切れることなくしっかり見せたい番組はその時間帯に持ってくるのです。


個々の番組内容に企業や代理店がいちいち口をはさんでくる余地はなくなります。
広告代理店も、過労死問題が起きるほど仕事が多すぎるんでしょうから、少し楽しててください。番組づくりは放送局に任せましょう。

そして、時間帯ごとにスポンサーとなる企業群を設けることで、たとえば子供向けのお菓子メーカーのCMはこの時間帯、女性の下着のCMはこの時間帯、車やウイスキーのCMはこの時間帯…と、棲み分けができるでしょう。今のように、子どものお菓子のCMのあとに女性のブラのCMが入り、車のCMになり…という混在はなくなるでしょう。

そして何より、CMを見せるためのつなぎのように思わせぶりなところで途切れる番組ではなく、あくまで「番組」が主役で、それに協賛する企業が名を連ねる…という、「協賛」「提供」の本来の姿になるでしょう。


◆補足 

つい最近、さまざまな娯楽・バラエティ番組の制作費一覧が掲載された記事を見ました。

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Yahooニュースより 5/4(金)

ウケを狙ってどんどんエスカレートしてきたバカ番組、いや失礼、バラエティ番組の数々。あらゆる番組が「旅」と「グルメ」と化し、芸能人に旅をさせて大騒ぎ。
スタジオ内に遊園地みたいな巨大セットを組んで、芸能人を大勢集めてクイズ。小学生の「国語」「社会」「理科」並みの問題に正解して大騒ぎ…

上の一覧リストの中で私が「いいかな」と思える番組は、「ブラタモリ」、「鶴瓶の家族に乾杯」、「ためしてガッテン」(いずれもNHK)、民放では「タモリ倶楽部」、「パネルクイズ アタック25」、「マツコの知らない世界」ぐらい。いずれも200~400万円の安上り番組でした(笑)。
あと、下町など街角を訪ねて歩く「お散歩」系の番組など(おそらく制作費は低い)は安心して観てられますね。



この比較表を掲載したニュースでは、ようやく各局とも「費用対効果」を考え、あまりにも馬鹿げたカネの使い方を考え始めたとのことですが、問題は内容。

60年ほど前にテレビの放送が始まったころとは大きく変わり、いまは必要な情報はネットはじめさまざまな手段で得られる時代。
お茶の間で家族がそろってひとつの番組を観ていた時代ではなく、一人一人の興味の対象でさまざまなメディアから情報を選択できる時代。ひと昔前の「どっきりTV」的なものもYoutubeにあふれています。

あらためて、テレビの役割って何なのか、テレビの存在意味って何なのか…?
各局がそれぞれ主体的な「主張」をもって、カネをかけるより「中味で勝負」で番組づくりを考えていくべき時に来ているのではないでしょうか?


紀尾井ホールへの想い ~時流に流されることなく~

2018.4.24(火)

僭越ながら、私は社会人になって民間の小さな研究所で「まちづくり」に関わった当時以来、世の中の常識に埋もれることなく、儲かることに走ることなく、考えること・提案することを柱に生きてきたように思います。

某放送局の関連会社に身を置いてから、新日鉄が記念事業としてなにかを創りたい、という話から「紀尾井ホール」に至るまでの4年間、コンサルタントとして関わりました。
たまたまかかってきた電話に私が出て上司に取次いだこと、私が趣味で音楽(オーケストラ)をやっていることから会合に参加させていただいたことがきっかけでした。

バブル期に各地にホールが建設され、大企業が文化・芸術を広告塔として「冠コンサート」を展開していたような傾向に流されることなく、本当に良いホール・使いやすいホールとは何か?、企業が文化にお金を出すとはどういうことか?、若手の育成につながることとは何だろうか…?

作曲家の池辺晋一朗先生をはじめとする専門委員の先生方を交えて、私の上司のF氏、新日鉄のH氏・T氏らとともに4年間、毎週火曜日の午後に定例会議をもち、ずっと考えました。当時の議事録はすべて保管しています。

・「箱もの」にお金をかけるより「中味(自主企画)」に力点を!

・「若手の育成」=奨学金を出して「個人」を援助するよりもむしろ日本に必要なのは「アンサンブル」を育てること。そのため、ホールを本拠地とする室内オーケストラをつくり「自分たちの響き」を生み出せるように!

・あまり稼働することのないパイプオルガンを飾るよりも、ホールの「響き」を最優先する

・出待ちスペースとステージとの温度差がないように、バックヤードではチェロのケースを持ってすれ違えるだけの幅を、といった演奏者に使いやすい機能を

・日本の音色(和楽器)をコンサート形式で聴ける小ホールを併設する

・新日鉄財団を設立するが、企業名は前面に出さず「紀尾井ホール」とする…etc.

…もう24~28年も前のことですから、「仕事の話」としては時効でしょう(笑)



世の中の主流がこうだから、これは売れ筋だから、これは売れないから…
そういう価値基準だけでどんどん大切なもの、基本的なものが失われて行くことを私はとても寂しく感じます。

また、ひとつ前のブログ記事に書いたように、「人」として何が常識で、何が正しいのか?
正しいことを言ってはなぜいけないのか…?

上から言われたこと、マニュアルに定められたこと(=上から下へのトップダウン)はやるが、現場で感じること・利用者からの声を真剣に受け止めて上に進言し、変えていこうという提言(=下から上へのボトムアップ)をしようとしない・しづらい多くの会社・組織…

たとえメジャーな売れ筋ではなくても、ごく基本的に必要なものがどんどん店頭から消える(手作りの危機)…「売れるものしか置かない」=商業主義の姿!


私がこういうことを言わなく(書かなく)なったら、それは私が生きる力を失う時、私が存在する意味がなくなる時でしょう。

→ 「われ思う、ゆえに我あり」!

われ思う、ゆえに我あり!

2018.4.22(日)

新年度にスタートしたNHKの日曜朝の番組に「チコちゃんに叱られる」というのがあります。
当たり前のこと、あらためて問われると「なぜ?」…ちゃんと答えられないと、チコちゃんから「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られるんですね(笑) 

「当たり前に受け流してることながら、あらためて、なぜ?」…その視点に私は興味をもちます。

けさたまたま見ていたら、「ドレミの名前はどこから?」というのがありました。
何年か前に私もブログにも書いたテーマ!…私のブログの視点と似たものを感じます。
→ ドレミの起源(2011年7月)

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ところで、私のブログも8年目となります。
ここに書くことはあくまでも個人的な価値観ですが、私なりに「常識」と感じることについて問いかける要素も当然含まれます。

このブログをお読みいただいている方、あるいは実際に私と面識のある方はお判りでしょうが…

私には私の価値観があり、譲れないものがあります

人によってこだわる部分、ちょっとマニアックに調べてみてわかること、好きな世界、譲れない部分、価値観…etc.
ばらつきはあるでしょうが、ごく基本的・常識的な部分で「おかしい」「なぜ?」と思うことはあるはずです。

私も時にマニアックにこだわりもしますが、少なくとも「問いかけ」では、ごくごく基本的な当たり前のことしか出してません。

ところが、「おかしい」と思うことを言わない・言えない、「言う方がおかしいの?」…そんな風潮を感じてしまうのです。

東大出のエリート高官が平気でセクハラ発言をする。それを告発した女性記者が批難を浴びる…「なぜ?、正しいことをちゃんと言った側が批難されなきゃいけないの?」


親の常識・良識

子どもの習い事の発表会で、自分の子どもだけを応援し、子どもの出番だけを写真におさめる。それは昔から常でした。
発表会は、お金を払って芸術を享受するコンサートとは違います。自分の子ども、知り合いの子の日頃の成果を見る場ですから、1日中客席にいて出てくる全員の演技を鑑賞する義務はありません。

しかし…

朝から荷物を置いてまとめて席取りし(センターのかなりいい席)、ほとんどその場にいない親…何考えてるんですか!
そんな一部の非常識な人への対策として、主催者側で「〇時間以上離席する際の席取りはおやめください。〇時間を経過したら荷物は回収します」などとルールを作り、いちいち会場内に張紙したり場内アナウンスしなくてはいけないんでしょうか??

最近の小学校の運動会では、なん年生の〇〇m走はプログラム何番で、該当する学年の生徒の親には、クラスごとの編成・第何レースで何コースで走るかまで情報が出されます。それぞれの親たちがゴールを捉えられる撮影ポイントに集まりますが、自分の子どもの出番が済んだらその場をどいて次に出番を待つ親と入れ替わるなど、上手にやってますよ。常識があればスムーズにできるんです。


あと、レッスン・教室を見学に来てべちゃくちゃ喋り続けてる親!
劇団や楽団、さまざまな習い事、レッスンは見学自由とはいえ、子ども(自分の子どもだけではなく、同じ門下の子どもたち)が一生懸命やっている姿を見ることが目的のはず。そこで大した中身もないママ友会話をべちゃくちゃと延々と。

とくに音楽系などで集中力が要求される場で、ろくに「見学」する気もなくべちゃくちゃやられたら、子どもたちも集中できないばかりか、ちゃんと見学したいこちらにとっても迷惑です!

「見学する気がないんなら出ていけ!」でしょう。それが常識じゃないんでしょうか。

それを言う先生は「怖い」「おかしい」んでしょうか…!?
先生も教室も「お客様(=受講者)は神様」で、何も言えないんでしょうか!?

何も感じない人はともかく、多少なりとも私と同じ思いを抱いたあなたならどうしますか?

1.レッスン後、先生に伝えて先生から次回注意してもらう
2.教室(事務局)に電話・FAX・手紙などで伝えて注意してもらう
3.「あの~、子どもたちが一生けんやってるんだから少しは静かに見ませんか?」と直接言う

子どももいる場でレッスンを中断して嫌な空気は作りたくないので「3」には慎重さが必要でしょう(メモを手渡す、トイレに立った時などを狙って廊下で伝えるなど)。「1」か「2」の方法で主催者側に伝える、「3」で直接伝える。細かい方法はともかく、大きくその3通りでしょう。

でも、それでもいっこうに改善されなかったら…?
そもそも、なんでこっちが長い間気にして、知恵を絞らなきゃならないの!?


◆基本的なものが店から消える…

可愛らしいキャラクターグッズが人気、売れるものを優先して店頭に並べる…それは当然あるでしょう。
でも、基本的なものはなくさないでほしい!

たとえば文具店では、大学ノート無地のクリアファイルといったごく基本的なものは十分な在庫を置いておいてほしい。
毎日必要なわけではないが、クリアファイルなどはまとめて10冊とか20冊ほしいこともある。なのに棚にわずか3冊しかない…

私が子どものころには、学校近くには「町の文房具屋さん」(個人商店)があり、接着剤や電池、豆電球などを配線するためのリード線(ビニールコード)などは苦労なく買えました。
しかし、今はそういう個人商店が少なくなり、そういう基本的なものを買うのにも苦労することしばしば。

接着剤も、模型をやってる人なら基本的に分かるでしょうが…
水性のボンド(黄色い容器に入った木工用)・合成ゴム系の万能タイプのボンド・2液を混合して時間をかけて硬化するエポキシ系…その3タイプが基本。
たいていの工作にはこの3種類のいずれかで事足りるものなんです。そんなに多品種はいらないけど、その基本的な3タイプは必需品です。
そのほかに必要があるとすれば、プラモデル用の接着剤のようにABS樹脂を溶かしてくっつけるタイプ、あとは瞬間接着剤ぐらい。

ところが、最近はコンビニはもちろん文具・デザインの店でさえ、「アロン~」という商品名の瞬間接着剤ばかり、どれが何用か迷うほど細分化した多品種をただずらっと並べるばかりで、合成ゴム系の接着剤・木工用ボンド・エポキシ系…といった基本的な接着剤を置いてないのです!
 
あと、「スティックのり」も、私は赤い元祖「ピット」を愛用してます。
最近は、青色で渇くと色が消えるタイプが主流なんでしょうか? でもあれ、乾燥してちょっと時間がたつと予期せぬときにパリっとはがれてしまうんです!
楽譜を製本したり、郵便物を封印するのに、それじゃ困るわけです(←経験ある方いらっしゃいませんか?)。

液体タイプのもの(郵便局によく置いてあるタイプ)は貼る時にしわになりますが、少なくとも予期せぬ時に剥がれることはありません。赤いピットがなければ多少しわになっても液体タイプを使いたい(=実際に使った人なら分かるはず)。

帰宅後に作業していて、スティックのりがなくなって買いに行くのはたいてい夜ですからコンビニ。ところがコンビニの棚には、赤い基本的な「ピット」も液体タイプもなく、「青色→色消え」タイプしか置いてない店がほとんど。
もう何年も前ですが、この「青色→色消え」タイプは予期せぬ時に剥がれるトラブルがあるので、赤いピットも置いてほしいと大手コンビニの経営者に何度となく伝えてるのですが、一向に改善されないまま。なんで…???

だいたい店員が工作もやらなければ基本的なことを分かってないのです。ただマニュアル通り仕入れて並べるだけ?
以前、文具・デザイン具を専門とする老舗の「I 屋」の二子玉川店でパステルを求めたけど、店にないばかりか、店員(正社員)が「パステル」というものを知らなかった!
コンビニにパステルがなくてもさすがの私も文句は言ませんよ(笑)。でも文具・デザイン具の老舗の社員が、デザインで使う基本的なパステルも知らないの…!?

私が求めるものは、そんなに特殊? 私がごく当たり前に必要とするものは、それこそ東急ハンズのような店に行くしかないんでしょうか? あるいは、最近はなんでも通販で買えとでも…!?


商売の原則からして「売れるものを主に仕入れる」、「売れないものは置かなくなる」…それはある程度仕方ないと思います。最近はお店でもデータを取って、売れるものを優先的に入れ、売れないものは排除していくんでしょうね。

でも、私は世間の統計通り・世間の売れ筋に沿って生きてなんかいませんよ!
実際に何かを作ったり使う人として、当たり前の基本的なもの、ごくふつうに必要なものは必要なんです!

駅の売店やコンビニなど、限られたスペースしかないから売れないものは置かなくなる…それは仕方ない。
でも、文具などを専門に扱う店舗だったら、売れ筋のものだけじゃなく、基本的なものはちゃんと揃えてほしい!
私の要求することって、そんなにマニアックで特殊!?

一般に店頭は季節の風物詩のようにめまぐるしく移り行くものですが、過去にこんな経験も…
→ 赤と白のバラの思い出 


◆基本的な人としてのマナー

バス停にはいくつかの行先が併記され大勢並んでいる。バスが来たが列の前方にいる乗らない人がなんの意思表示もせずボーっと立ってる…おいおい、こっちはそのバスに乗りたいんだよ。乗らないんなら一歩下がるとか、何か意思表示できないのか!?
歩道(時には車道も)に横一列広がって歩いてる人たち…「Gメンやるなら滑走路でやれよ」…古い?(笑)

いちいち挙げ始めたらきりがありませんが…

ようやく暖かくなってきましたが毎年秋~春にかけて、1年の半分近くの間ずっと私のストレスになっていることのひとつ=レストランのテーブルでのコートの着脱!
なぜみんな着膨れ状態のまま席(食卓)について、すぐ隣で食事している人がいる所でコートを脱ぎ、食べ終わるとその場でガバっと着るの!?

席のすぐ後ろのビニールシートの外は寒風吹きすさむ「屋台」じゃなんですよ。ビル内のレストランなら、レジで支払いを済ませてドアの外に出てもまだビル内。レジの前あたりにもコートを着るスペースぐらいはある。
なぜ食卓を立ったその場で、すぐ隣で食事してる人がいる所で、マフラー&コートで重装備しなきゃいけないわけ?

人の家を訪問、あるいはちゃんとしたレストランなら、玄関を入ったところでコートは脱いでクロークにかけてから食卓につく、それが当たり前でしょう!

あまりにも狭い席のすぐ隣で、無神経にコートを着ようとする人に、私は「すみませんが、ここでコートを着ないでいただけませんか」と、こちらの食器を手で覆いながら申し上げます。
こちらの言い方(表現)にもよるでしょうが、たいていそれで逆切れされることはなく、そこで初めて「アッ!すみません」と気づくようです。私にすれば、なんでそんな当たり前のことも言われなきゃ分からないの?(←「ボーっと生きてんじゃねえよ!」)

これは客ひとりひとりの「常識」であって、店に責めはありませんが、店に入ってきた客に席を案内するにあたり、せっかくこちら(客)が配慮して入口付近でコートを脱ごうとしてるのに、「どうぞ」とせかさないでいただきたい!

むしろ、できることなら混雑時には他のお客にも「コートはこちらでお脱ぎください」と言ってから席に案内してほしい。それがむしろ常識だと思うんですが、こちらがおかしいんでしょうか??


言い方(表現)の問題はあるにせよ…

私は、思ったことはそれなりに表現する方だと自覚しているので、あまりストレスは溜めこまないタイプだと思います。
一方、ぼーっと生きていて何も感じない人はともかく、少なくとも「おかしい」とは思いつつあえて言わない(言えない)人は多いのでは?

私も若い頃(20~40代)は性格も尖がってたでしょうから、きつい言い方をしてきたこともあります。そのことで、せっかく楽しく一緒に出かけた友人・家族にまで不愉快な思いをさせてしまったこともあったと反省もします。

しかし、単なるクレーマーとして相手を責め立て、相手を完全否定したり罵倒するような破壊的な言い方はいけませんが、少なくとも「今後の改善」を期して相手に伝える・提言するすべを持っていてはいけないんでしょうか?

私はそんなに特殊な要求ばかりしてるんでしょうか?
言わないことが当然で、言う方が「変な人」なんでしょうか?
まあ、そこは全ての人に同意してもらうことではなく、分かる人が分かってくれればよいことなんですが…


<追記>

「いちおう上には伝えます」

改札を出て、行きたい場所に近い出口や乗換案内を見る。しかし案内サインが肝心な場所にない、あるいは分かりづらい、そのサインに従って行くとえらく遠回りになる…よくあることです(机上のサイン計画、トップダウンで決められるものが、必ずしも現場で見やすいとは限らない)。

「ここにこういうサインが一つあればいいのに、このサインはかえって不親切だからこう改めたら良いのに」…と思うところを駅員に伝えます。
ところが、多くの駅員は無表情に「上には伝えます」…それだけ?
案の定、簡単に改善できそうなこともそれっきり、何ヶ月経っても改善は見られない。

利用者に一番近い現場で毎日働いてる駅員さん、それ以前に一人の「人」として、「あ、そうですね」「なるほど」「ご指摘ありがとうございます」…ではないんでしょうか?

上から言われたこと、マニュアルになってることはやるけど、それ以外のことはまったくやる気無し?
利用者の目線で見て「たしかに」と思うことはないんでしょうか? 下から上に「提案」して改善できることは改善しようとは思わないの?


上から下(トップダウン)、下から上(ボトムアップ)

これ、駅員(鉄道会社)だけの話ではなさそうです。
あらゆる量販店でも、データ上「売れ筋」のものをただ仕入れて並べるだけ。実際にそれを使う消費者にとって、絶対に必要なものはあるはずなのに、どんどんそういうものが消えていく。
会社のトップレベルで決められることには、往々にしてそういうことが多いのではないでしょうか?

上が決めたこと、マニュアルで定められたことは下々にすぐに徹底するけど、利用者の声→店員へ、店員(売り場)から上へ、という「下から上」へのコミュニケーションがほとんどない。…なぜ??


◆考えることを止めてしまった人たち

人間には本来「思う」「感じる」「考える」という機能があるはずです。
ところが、学生時代から管理教育の場に慣らされ、社会人となってからは会社・組織の中で長く生きていると、思ったこと、素朴に「なぜ?」と思うこと・もっとこうすればいいんじゃないかと提案する…といったことをやっても、どうせ何も変わらない、むしろ言ったことで「じゃあ、お前がやれよ」と言われたり、白い目で見られたり、出る杭は打たれる…。

けっきょく考えるだけ無駄、むしろストレスの原因になる。→自己防衛反応として
「考える・感じる・思う」ことをやめてしまう?


◆「手作り」も絶滅?

「手作り」の世界をサポートすべく誕生した東急ハンズでも様変わりは多く、かつてあった素材のコーナーごとなくなってしまっているケースも多々あります。
流行りもの・キャラクターグッズのコーナーが様変わりするのは当然として、文具・デザイン・建築模型…といった世界はある程度普遍的で、街の文具屋さんでは手に入りづらいものでもここに来ればある、という需要はあったはずなんですが…

ここにも「売れないものは置かなくなる」の原則で、上の方で決められた方針どおり、必要な人にとっては必要なものがどんどんなくなっていく傾向が見て取れます。

「手作り」を続ける人は少数なんでしょう。それは分かってます。でも、それを支えてくれる素材売り場がなかったら、「手作り」は絶滅するしかありません



やってしまった後悔 vs やらなかった後悔

2018.4.8

本当にその通りだと思います!

後悔

リタイヤされたご年配の方に「あなたが人生において後悔することがありますか?」と尋ねると、多くの人が「リスクを恐れて行動しなかったこと」と答えるそうです!

完全にリタイアして、人生も終わり近くなってからそれに気づくか、少しでも早く気づくか…


リスクを恐れる?

何かをやって失敗することも当然あります。失うものもあるでしょう。
でも、失敗の原因をきちんと解明して同じ過ちを繰り返さないように前に進んでいけば、絶対に得るものもあるはずです。

ところが、何もやらなかったら失うものもないでしょうが、得るものも何もないでしょう。
いや、本当に失うものはないでしょうか? 人生の貴重な時間が失われていくのでは…?

はじめから転ぶこと・失敗することを恐れて、マニュアル通りのこと、言われたことしかやらない。迷ったらやめておく…そういう生き方が増えているように思います。

企業・組織などの求める成果主義・合理主義・効率主義も、無駄なこと(無駄かもしれないこと)・リスクを伴うこと・やらなくてもよいことは避けて通る生き方を助長する一因になっているのかもしれませんね。

でも、少なくともリスクや、他にもっと効率のよい方法があるのでは、と考えているなら、そして後になって「ああ、やっておけばよかった」という後悔が「だんだん大きくなる」のであれば、まだ救いようもありますが…


単に、動かないだけ?

せっかく情報を出してあげてるのに、「やってみたいです」「見てみます」(未来形)のまま、いつまでたっても動かない人。
たいていそういう人は、1か月たっても1年たっても「やってみたいです」と言っています(笑)

やってみてダメなら、他にもっといい方法があるかもしれない。模索しながら少しずつでも進んでいきます。でも、やりもしなかったらそれさえ分からない。

できない理由は「いま仕事が忙しくて」「バタバタしてて」…?
「いまの仕事が一段落したら」…そのころにはまた次の仕事にうずもれるんじゃないでしょうかね(笑)



「本業はやってあたり前。遊びは、本業以上に本気にならなきゃできない世界」…私が中学3年からお世話になっている鉄道模型屋のオヤジさんの名言です! → 遊びから学ぶ 人生の恩人

仕事は報酬(お金)をもらっている以上やらなくてはいけないこと、やって当然のこと。
また、たとえ報酬をもらっていないボランティア趣味のサークルでも、活動・役割には期限もありますし、いったん引き受けた役割には責任も伴います。

でもそれ以外、個人的に興味をもった世界・趣味・ライフワークには期限もありませんし、やらなくても誰からも責められません。だからこそ、よほど「本気」でやろうとしなければいつまでもできないのです!

「やってみたいです」とずっと言い続けている人が、完全にリタイアして日がな1日なにもやることがなくなったら、本当にやるんでしょうか?…おそらく、なにもやらないんじゃないかと私は思います。

とくに、感動は生もの、人生のひとこまに待ったなし!
「そのうち」「時間(余裕)ができたら」…は禁句です!

忙しい日々の中、「来週〇曜日まではちょっと時間がありません」などと具体的におっしゃる方は信用できます。
そして、「とりあえず、ここまで見てみました」「やってみました」「どうだった」…といった反応を完了形で頂けると、こちらも自分の時間をやりくりし、知恵を絞りながら、一緒に探求していきたいと意欲がわいてきます。

「やってみたいです」「見てみます」という希望的・近未来系の言葉だけでは、私は信用しません。
口先だけ・その場限りの「本気」に騙されて、せっかく親身にあれこれ情報提供してあげても無駄!
その後どうなったのかイライラし、結局こちらのおせっかい・一人相撲に終わるのがオチ。…最近ようやく嗅ぎ分けられるようになりました。

来るものは拒まず、されど、無理強いはせず (「去る者は追わず」ではなく)

<中国の格言>
   
「馬を水飲み場に連れていくことはできる。
      しかし、馬に水を飲ませることはできない」

ライブの空気を大切に!

2017年8月29日 ゆく夏に…

私も歳のせいでしょうか、Jazzが好きになり、ライブに行く機会が増えました。

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前もってチケットを買って、あらたまって出かけるクラシックのコンサートももちろん素晴らしいですが、平日の夜にふと時間ができ、FBなどで情報を得て、知っているミュージシャンのライブにふらりと出かけ、軽く水割りやオードブルを頂きながらジャジーなひとときを…癒しになります。

クラシック畑の人も、お酒や食事を楽しみながら、適度な歓談もしながら、気楽にクラシック音楽に親しめるような場づくりをもっと考えても良いのでは?…そんなことも思う昨今です。


音楽を楽しむ空気だけは大切に

ジャズのライブは、親しい友達と語らいながら、楽しく飲食しながら楽しめばよい世界。クラシックのように息をつめてシーンと聴く必要はありません。

ただし、「音楽(生演奏)を楽しむための空間」です。その場にある程度ふさわしい会話・適度な声量はぜひ考えていただきたいものです。

これまで私もしばしば味わった困ったケースから…


必要以上に爆笑するサラリーマングループ

「いやいや部長が」でガハハ…、「俺なんか八王子だから」でガハハ…、ぜんぜん可笑しい話でも何でもないところで、なぜかやたら爆笑が…
「箸がころげても可笑しい」のおっさんバージョンですか?

いやいや、サラリーマン社会も大変な足の引っ張り合い社会。一緒に飲みに来てる仲間同士も腹の底では何を考えてるのやら…。
そんな中、とにかく相手が何か言ったら「笑い」で受ける。相手に「敵ではありませんよ」を示す、一種の友愛行動が長年身についているのでしょうか…?

➡でも、生演奏を楽しんでる人がすぐ隣にいるんです。そういう会話は居酒屋でお願いします(→居酒屋でも隣に飲食している人がいるんです。貸切でない限り、適度な声量でお願いします)。

★会社の話・愚痴・自慢話を延々と

「こんど来た〇〇部長は、前どこにいて、そこでの評判がどうで、こういうことに気が付かない人で…」…それって「仕事の話」でしょうか? 私に言わせればひとつの会社、それも狭~い職場の中の俗人的な噂・愚痴ですね。
「その人のお陰で、俺はこんなに苦労してるんだ」「俺は前にこんな仕事をして効果を上げてきたんだ」的な自慢話ですか…?
爆笑が入らなくても、こういう話を延々とされると周りは不愉快になってきます。

➡そんなに素晴らしい組織論・仕事観をお持ちなら、勤務時間中にしらふで示してください。きっと部下たちもここでそんな話を延々と聴かされるよりよほど納得されるでしょう。

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ホテルのラウンジで、決まった時間になるとピアノの生演奏が入る…それはちょっとお洒落なBGMですが、ミュージックチャージをとっているわけではありません。あくまでBGMです。
そこでは商談も歓談も自由です。あまりにもその場の雰囲気にそぐわない会話を大声でされたら迷惑ですが、とくに音楽を聴くためにお客さんが集まっている場所ではありません。

しかしライブハウスは、ミュージックチャージを払って、みなさん「音楽を聴きに」来ているのです。
オーダーをしたり、グラスや食器の触れる音、隣同士のちょっとした会話はライブならではの臨場感でもありますが、会社人間のストレスをここに持ち込まないでいただきたい! というか、音楽を聴く気がないなら来ないでいただきたい!


★シンガーはあなた指名のホステスじゃない!

一方、歌・音楽はある程度好きで、あちこちのライブハウスに足しげく通ってらっしゃると思しき常連さん。
美人のミュージシャンとも顔なじみで、ネット上でもいろいろ情報を得てるんでしょうが、あまりにもわがもの顔での馴れ馴れしい会話、プライベートに突っ込んだ暴露話、品のない会話…ほどほどにご勘弁願いたいですね。

ミュージシャンたちと親しくなるのは結構ですが、生演奏の世界、演奏家と聴衆は一期一会
今宵ここに集まったお客さんも、みな何かのご縁で来場され、今日ここでしか聴けない演奏との出会いを楽しみに来てるんです。あなた一人の庭じゃないんです。

歌の合間のトークにも程よいリアクションは話し手にとっても嬉しいでしょうが、あまりにも度を過ぎたチャチャは入れないでいただきたい。シンガーは、あなたご指名のホステスじゃないんです!



ミュージッシャンの方も、せっかくの生演奏、席が埋まってくれなくてはどうしようもないでしょうが、ある程度相手を選んで招待するか、「音楽を楽しむ場」の最低限のマナーぐらいはレクチャー(トークでやんわり注意するなど)していただきたいですね。

また場を提供しているライブハウス側も、あまりにも音楽の妨げになるような会話を大声で続けているお客さんにはちょっと注意していただくなど、「音楽を提供する側」にいらっしゃるんだという意識を持っていただけたら嬉しいですね。

「非常識」にどう対処するか?…どの世界でも頭の痛いところですが、せっかく癒しのひとときを求めて来ているまともな人たちに不快感とストレスを与えないように…

「テロ等準備罪」の矛盾・問題点

6月15日(木)

ついに今朝、「中間報告」などという異例の形で「テロ等準備罪=共謀罪あらため」が参議院を通過してしまいました。またしても与党の「数の力」によって、国民や野党の強い反発・疑問に答えることなく…

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今国会の会期中になんとしてもこの法案を通したい与党と、それを阻止したい野党との攻防が頂点に達し、採決まで秒読み段階となった6月14日(水)夕方、私はFacebook上で次のような「問いかけ」をしました。

これだけ問題・危険・矛盾に満ち、多くの国民や野党が反対する法案が、またしても「数の力」で強引に通されようとしているのに、現政権を「信じ」て疑わない人たち、および政治的な話題に触れようとしないで黙認される人たちは、私のこの素朴な疑問(=反対派の不安・憤り)についてどうお考えなのか…と。


私からの問いかけ(6月14日(水)FB投稿のコピーより)>

Q1.「テロ等準備罪」の中味をよくご存じでしょうか?

Q2.では、この法案が本当にテロの防止に有効だと思われますか?
その理由もお聞かせください。


Q3.277もの行為をひとまとめに「準備罪」とみなすようですが、では現行法における殺人・殺人予備罪・殺人未遂罪、凶器準備集合罪、その他「強盗」や「放火」などの重大な刑法犯罪に付加された「未遂罪」…それらとの整合性はどうなのでしょうか?

Q4.現行の刑法では、「実行の着手」があって初めて犯罪としての構成要件が成立します。ところが「準備罪」では、なにをもってどの段階で「準備」とみなされるのでしょうか?

Q5.今の法体系にはない、まだ実行に着手されていない「意思」「話すこと」だけで捜査対象となるとすれば、憲法で定める基本的人権の侵害にはならないのでしょうか?

そして…

Q6.上にあげたような基本的なことが、国会の審議できちんと説明され、議論は尽くされたと思いますか?

どうか、私にも理解・納得できるように、明確な説明をお願いします。



「国民の多くは今の政権を支持していて、反対しているのは少数」、「野党の質問がくだらないから無駄な時間を費やすことになる」といったご意見をお持ちの方は私も知る範囲でも何人かいらっしゃいます。

しかし皆さんどこまで「テロ等準備罪=共謀罪あらため」について中身をご存知なんでしょうか?

テロ等準備罪




一夜明けて、私の問いかけに何人かの方からコメントをいただきました。みなさんありがとうございます。

ある方からは「せっかく高木さんがこのように項目別に問いかけられているのだから、〇〇さんちゃんと答えてはいかがですか?」とあり、それに促されるように賛成論の方から回答がありました。

しかしその内容は「私は法律の専門家ではないのでそこは分からない」とのこと。

また「高木さんのこれらの質問は、法律の専門家でないと分からないものなのでしょうか?」との公開の問いかけもいただきました。

私も決して法律の専門家ではありません。ただ、今からもう35年以上前ですが、いちおう法学部で学んだことのある者として、ごくごく一般的な法律の基本認識として…

新しい法案を提示するのであれば、「テロ等の重大犯罪を未然に防ぐため」という大きな目的(立法趣旨)は良いとして、ではそのために、どういう人のどういう行為を対象にするのか、その適用範囲は、今ある法律(刑法など)とのバランスは、そしてこの法案がテロを防ぐのに有効といえるかどうか…といったことを国会の場で徹底的に議論すべきだと思うのです。

国民はもちろん、国民の代表として選ばれた国会議員といえども必ずしも法律の専門家ばかりではありません。しかし、国会は立法府(=新しい法律をつくるところ)です。

もし法律の専門的知識が必要なら、専門委員に諮問してもいい。考えうるさまざまなケースを想定して、あまり具体的に書きすぎることなく包括的・普遍的に、しかも政権や司法の判断いかんによっては無制限に拡大解釈されないように条文を練り、それをもとにしっかり議論し、精査し、与野党とも理解・納得できる法案を通す必要があるはずです。

「法律の専門家ではないので…」とおっしゃる方に、Q3~Q5の回答は求めません(→それに関する私の見解は次に述べます)。

しかしせめて最後のQ6、すなわち「上にあげたような基本的なことが、国会の審議できちんと説明され、議論は尽くされたと思いますか?」…はどうでしょうか。

「ちゃんと議論されたとは言えませんね」と、そこは素直に認めてくれました。
ただし「与党も、(くだらない質問をする)野党もグダグダですね」と一言添えて。

はたしてそうでしょうか…?


野党はしっかり質問している

国会議員の中にも、弁護士の資格を持つ方や検察での実務経験のある方もいらっしゃいます。

たとえば社民党の福島みずほ氏、民進党の山尾志桜里氏、日本共産党の小池晃氏…etc.
彼らは、これまでの国会でもNHKの朝の政治討論番組でも、法律の専門家の立場から、まさに私の挙げたQ3~Q5のような質問を繰り返し投げ続けてこられました。

しかし、それに対してきちんと答えてこなかった(=答えることができない)のは安倍総理および大臣ら与党側ですよ。

安倍総理は「この法案は犯罪組織を対象とするもので、一般人を対象とするものではない(→だから心配には及ばない)」と繰り返してきました。

これは喩えるなら、薬の副作用を心配する患者に対して「この薬は本来〇〇を治療するためのものですから」と言っているのと同じレベルです。心配・質問への答えになっていません。

では組織犯罪集団と一般の団体・個人とをどうやって見分けるのか?

捜査してみなければ分からないではないか?
誰(どこ)が「疑わしい」と決めて捜査対象とするのか?

もともと表向き「犯罪目的」で設立される組織なんてどこにも実在しません。本来の設立目的は宗教団体であったり市民活動を掲げる団体であったり会社であったり…しかしある時「犯罪目的」に豹変することがありうるとすれば、どの段階でそれを「危険な犯罪組織」と見極めることができるのか?

刑事局長は「すべての人・団体が対象となりうる」と答弁しました。安倍総理の言っていることとまったく矛盾してるじゃないですか!

一般人が捜査対象になることは当然あるのです。そこをなぜ安倍総理は正直に言わないのでしょうか?



また、277もの「行為」を列挙してますが、それらが「テロ等の準備」に当たるかどうかをどうやって見極めるんでしょうか?

この議論の中で、「山菜やタケノコを不法に採って売れば、テロの資金となる可能性がある」だの、「花見にはふつうお酒と弁当をもっていくもの。もし双眼鏡や地図を持っていたら『下見』である」などというバカげた議論が出てきました。答弁する側(法務大臣)の口から出てきたのです。決して野党の質問がくだらないからじゃありません。

何をもって「テロ等の準備」とみなすのか、その定義も判断基準もあいまいな中で、そこを問いただすのは、法案を議論する上でごく当然の質問です。

山尾議員からの「では海産物はどうなんですか?」という質問をバカげてるとおっしゃいますが、あえてそういう質問をぶつけることで、「山菜やタケノコだけでなく海産物だって売ればテロの資金に流れる可能性だってありうるわけですよね?」を確認し→「そんなバカげた法案があり得ますか?」ということを国会での質問を通じて国民に示してくれたわけです。

とにかくこうした矛盾が、質疑を重ねれば重ねるほど露呈してくるわけです。だからさっさと審議を打ち切って強引に通してしまいたいのでしょう。


◆Q3~Q5は 「答えられない」が答え

私からいろいろと「問いかけ」を列挙しましたが、Q3~Q5に関してはいずれも「答えられない、答えようがない」というのが私の結論です。思わせぶりに申し訳ありません。
しかし法案を出した与党側も、法務大臣もまともに答えられないんですから、私から代弁して答えられるはずがありません。

仮にもこの法案に賛成され、いまの政権を良しとする方たちは、このあたりをどう理解してどうお答えになるんだろう…と。
それが私からの問いかけだったのです。

街でプラカードを掲げて反対していた20代の女子大生、30代とおぼしき主婦とちょっと話したことがありますが、まさに私がQ3~Q5で書いたようなことがあいまいで、「政府や司法の判断いかんによってはいかようにも適用できてしまい、国民の自由な権利を著しく犯す憲法違反ともいえるこの法案を通すわけにはいかない」と、ちゃんと本質を分かって反対してらっしゃるんです。
感情論で、自民党案になんてもかんでも「反対」してるんじゃないんですね。

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一方、安倍政権をなんとなく信じて支持(容認)してきて、表向きかかげる目的・大義名分は「ごもっとも」だから…?
それだけでなんとなく「賛成(容認)」されてるんでしょうか?
まあ、それはいいとして、ではその中身について安倍総理がいつも口にするように「ていねいに説明」され「しっかり議論」していると言えるんでしょうか?

それができていないのに、どうして「賛成(容認)」できるんでしょうか?
もし私が「賛成論に回って記事を書け」と言われたら、もうちょっともっともらしい理由をこじつけますけどね…(笑)

★例えば、私の見解ですが…

重大な犯罪を未然に防ぐためのものとして、いまも警察官による職務質問がありますね。
夜自転車に乗っているだけで、警察官に呼び止められ、根掘り葉掘りいろいろ聞かれ、住所や免許証など個人情報を提示させられ、反抗したり振り切って逃げたりすれば公務執行妨害で逮捕される…ある意味人権侵害ですよね。
しかし、もしかしたら重大犯罪の疑いがある人物かもしれない。それを警察官は職権として質問するわけです。

つまり、社会の安全を守ること(=公共の福祉)とのバランスで、多少なりとも個人の自由・権利を制限せざるを得ない場面もある…テロ等準備罪もそういう視点で必要なものである、と。
そのうえで、防ぐべき危険とのバランスにおいて、何をどの程度まで捜査対象と認めるか、基本的人権が不当に侵害されないための対策は…といった議論をしても良いのではないでしょうか?


♪金田法務大臣もお気の毒…

不信任決議案や問責決議案を突き付けられたあの金田法務大臣、ネット上ではかなり皆さんから罵倒されているようですが、私は最近、あの方は気の毒だと思うようになりました。

問責決議案を出されでも怒ることなく、「私としては一生懸命答弁してきたつもり」と答え…
仮にも一橋大学の法学部の出身で、エリート官僚の道を進んできた人物。脳梗塞の後遺症もあってか活舌が悪かったりしますが、決して頭の悪い人ではない、少なくとも悪徳政治家ではないんじゃないかと。

むしろ法律に関する一般常識があるから、あんな法案について「説明のしようがない、答えようがない」。
具体的に突っ込まれて真面目に答弁しようとすればするほど(法案の)ボロが出る、そういう法案なんだと私は見ます。

安倍政権のもとでこの時期に法務大臣に任ぜられ、なんとかこの場をしのいで法案の可決成立にもっていくように…との絶対的使命を負って針の筵のような毎日をすごした気の毒な方…そんな風にさえ思えてきます。


目的→法案のすり替え

これまでの「特定秘密保護法案」しかり、「集団的自衛権」しかり、大義名分として掲げる目的と、そのために出してくる法案の中味がまったくかみ合ってないのです。そのすり替え・トリックをどう見るのでしょう?


*特定秘密保護法


公的機関が情報の流出を防がなくてはいけないこと(=特定秘密)がある。
そのために、「国民の知る権利」や「報道の自由・表現の自由」を多少犠牲にしてもやむを得ない場合もある。

たとえば人質を取られた事件が進行中に、必ずしも捜査情報をマスコミに流さずに伏せる、など、人質の命を守り、犯人側に捜査の手の内を明かさないために…

こうした趣旨をきちんと丁寧に説明し、もしそれに類することが他の省庁においてもあるとすれば、それはどういうものが考えられるのか?といったことを具体的に出して、それを精査して検討する。そういう議論がきちんと国会でなされたといえるでしょうか?

質疑を打ち切り、強引に採決して通してから、各省庁に「どんなことを特定秘密にしますか」的なアンケートを取っている…話の順序が逆でしょう!

★いま問題となっている文科省の内部文書の存在を勇気をもって(=森裕子議員の言葉を借りれば「命がけ」で)告発した職員。
彼らを「行政の内部事情を漏洩した」として処分しようなどという不穏な話しもあるようですが、公務員による秘密漏洩にこれまで以上に厳しい罰則を与えようというのがこの「特定秘密保護法」です。

メディアからの取材に「身の上を考えると、答えるわけにはいかない」となる。それは国民が真実を知る権利、メディアの報道の自由を脅かすものです。
女優の藤原紀香さんも、あの法案が出てきたときにまさにこれを心配して「とんでもない法案」と自身のblogで訴えられていたのです。なのに安倍総理は「報道の自由を脅かすものではない」と言い続けました。



*集団的自衛権

もし「日本人の命と安全を守るため」なのだとしたら、なぜいきなり集団的自衛権なんでしょうか?
万一の大災害や他国から攻撃を受けるといった非常事態に、今の憲法の下でできうる自衛隊の活動・範囲・指揮命令系統についてしっかり議論されたでしょうか?

そして個別的自衛権の範囲内でできうることを議論したうえで、こういうケースではどうしても対応できないから、集団的自衛権も必要になるのでは、という筋道を立てた議論が国会でなされたでしょうか?

そうした議論は、まったくと言ってよいほどされてませんよね!
そして自衛隊は南スーダンへ。情勢が悪化し、迫撃砲がすぐ近くに打ち込まれ、隊員の中には「死」を覚悟して家族に遺書を書いた人も…。それでも政府は「戦闘行為」は行われていない、と。
そして「日本の発展に寄与した」って、何を言ってるんでしょうか?


*テロ等準備罪=共謀罪あらため

今回の「テロ等準備罪」も同様、目的として掲げたこと(=凶悪なテロを未然に防ぐこと、および国際的な基準に標準をあわせること)は大切なこと。世界の各地でテロが多発している昨今、誰も否定できないことですね。
でも、本当にテロを未然に防ぐ目的で法案を出すのであれば、あの法案なんでしょうか?

今は人権侵害にあたるとして禁止されている「おとり捜査」「通信傍受」といったことが捜査機関によって行われるようになるなど、運用によっては国民の人権を侵害する危険があるだけで、その割には、現実的にテロの予防にこんな法案がどれほど役立つのでしょう?

現実に起こりうるテロに対応するのであれば、交通機関や多くの人が集まる施設・街の監視カメラのチェック体制の強化、インターネットのセキュリティ強化と危険な用語のチェック、過去に犯罪歴のある者の情報を全国の都道府県の警察で共有できているか、海外に渡航中の危険な人物の情報をどこまで把握できているか…etc.

「山菜やタケノコ採り」なんかを議論してる暇に、現実のテロ対策としてやるべきことが山ほどあるでしょう。


政府(時の政権)の判断次第でいかようにも…

野党からの質問にまともに答え(られ)ず、議論になっていない…
そんな法案をなぜ今国会の会期中に何が何でも可決成立させたいんでしょうか?

都議選も近づく中、いったん出した法案を撤回したら印象が悪くなる(=いわば「引っ込みがつかない」から)でしょうか?
むしろこんなに多くの国民が反対している法案をまたしても強引に通したら、ますますイメージが悪くなると思いますが…

これまで「数の力」で通してきた法案・政策すべてに言えることですが、「政府(時の政権)の判断」でいかようにでも適用範囲を広げることができ、「力を発動できる体制」を早く作りたいのでしょう。

さまざまな「忖度」に絡む疑惑追及の手も迫ってきている中で、早く「形」をつくってしまいたかったのではないでしょうか?

だとすれば、それは完全に民主主義への冒涜です。こんなにも議会運営をないがしろにした暴挙が、はたして民主主義国家で許されるのでしょうか?

どうか心ある国民・有権者たちは、そこをしっかり見て怒るべきところは怒ってほしいと思います。まさにそれが民主主義の力=「民意」だと私は思います。

→ 民意の「民」は、民主主義の「民」


民意の「民」は、民主主義の「民」

6月14日(水)


まだ犯罪の実行に着手していない段階で、277もの行為を捜査・処罰の対象にできる「テロ等準備罪=共謀債あらため」の参議院での採決が秒読み段階に入っています。

しかしこの法案の基本的な問題はどこにあるのか、その内容とあわせてどれほどの人が正しく理解されているのでしょうか?

テロ等準備罪


一方、「政治とカネ」の疑惑は後を絶たず、政治資金規正法違反の疑いで辞任した大臣、公私混同で辞めた前東京都知事、そして今問題となっている森友や加計に代表されるさまざまな「忖度」の疑惑…
挙げたらきりがありません。

また、政権側から出されてくる政策・法案の内容についてはいかがでしょう?

本当に国民生活を守り、豊かにしてくれるものでしょうか…?
私にはどうも今の政権から出されてくる政策・法案は、大企業や政治にとって有利なもの、庶民の暮らしをますます苦しめて格差を拡大するものが圧倒的に多いように思えてなりません。

しかし日本の国民(有権者・納税者)はとっても大人しく、疑惑を追及する声も、政策や法案に反対を唱える声も全体の中では一部にとどまっているようです。

疑惑追及から辞任に追い込まれた大臣や元東京都知事などの例も記憶に新しいところですが、みな公職を「辞任」すればそれで幕引きで、その後「政治資金規正法違反」「業務上横領」などの罪で刑事告発される例はほとんどありません。なぜなのでしょう?

こうした政治家の不正・疑惑に対して、一部の人たちはネット上で「とんでもない!」と怒りますが、内閣の支持率は一向に下がることもなく、次の選挙結果へもつながらない不思議…



◆「民意」ということ


これらの現象を「民意(民度)が低い」と表現すると、「日本の国民をバカにしている」とお叱りが飛んできますが、どうも「民意(民度)」という言葉を私がこうした場面で使うのとはまったく違う意味でとらえられているのではないかと思うのです。

日本人は昔から「和」を尊び、美しいものを求める民族です。
社会的な安定・秩序、安全、順序良く並ぶなど公共マナーといった面での「民意」は世界に誇れるほど高いと思います。

また、文字を読み書きできない人はほとんどいませんね。なんだかんだ義務教育の徹底により、国民の知的水準は保たれてきました。

また、コンサートで来日した演奏家がアンコールに応えてなにかもう一曲演奏してくれる際に、英語だけではなくフランス語・ドイツ語・チェコ語などその演奏家の母国語で曲名を言うと、観客の中にはその曲名をすぐに理解して拍手する人がけっこう多いことに驚きます。そうした文化・教養レベルはとても高いのです。

ところが…

政治に対する関心・意識は?

決して知識・教養レベルが低いわけではなく、頭が悪いわけでもない。
しかし、こと政治の問題(=私たちの社会に関する問題、子どもたちの将来に関する大切な問題)になると、とたんに口をつぐんでしまう人が多いのです。

日本では宗教の話と政治の話はタブーみたいな風潮があって、あまり自分の意見・どの政党を支持するか・今の政権や政策についてどう思うか…といった話題をほとんど口にしない傾向が強いです。

お隣の韓国をはじめ、欧州(イギリス、アイルランド、ドイツなど)と比べても、選挙や国民投票などの投票率が軒並み日本よりはるかに高いです。街頭インタビューでも、若者たちが将来の国の行く末を本当に心配し、ある政治家に期待を託す声、あるいは現職の政治家を弾劾する声がかなり具体的に出てきます。

それに対して日本では国政選挙でも地方選挙でも、どこの地域でも軒並み50%そこそこの投票率。
しかも、投票に行く人の多くは「いまの与党も問題だけど、野党もねぇ」「他よりマシだから」でけっきょくなんだかんだ「現状維持」「安定政権」を支持(容認)して現政権に「数の力」を与えてしまう…

いまの政治の体質的な問題、政策論の中味がしっかり議論されることなく、なんでも「数の力」で押し切られてしまう異常ともいうべき国会運営…

安倍総理がいつも口にする「丁寧に説明」、「しっかり議論」、「理解を深めていく」ということが、国会の審議の中できちんと実行されていると言えますか?

野党の反対意見や質問をいかにはぐらかし、逃げ、ごまかして、さっさと法案を「数の力」で通してしまおう…そんな姑息な国会運営ばかりがあまりにも多すぎませんか?

国会は本来「国民のための議論の場」です。なのに、与野党の政治的な「かけひきの場」になってしまっていて、ちっとも本質的な議論、かみあう議論がなされていません。
野党の声もちゃんと聴いて、多角的な検討をしっかり積み重ねて、野党の理解・賛成も得られなくてはどんな法案も通らないようにする…そうした民主主義の基本はどうなってしまったのでしょうか?


民主主義の「民」

「数の力」への驕りから、政治家・閣僚らのとんでもない失言問題や汚職にも結び付いているのではないか、と指摘されています。
では、そもそも、なぜそのような「数の力」を与えてしまったのでしょうか?

私は思うに「優勢なのはA党かB党か」といった二者択一で、「どっちが勝つか」の勝ち馬に一票、みんな(多数)が支持してるだろうから…という意識がこういう結果を招いていしまっていると。

そもそも民主主義って何なんでしょうか?

政治家の不正が発覚すると「まあ、そういう人を選んだのはわれわれ有権者だから」などと妙に物分かりのいい大人たち。
選挙の段階では、公約・信条を信じてその人に一票投じたんですよね。その人が、公約に反することをやったり、まして違法な行為を行ったら、それは有権者に対する「裏切り」ですよね。なぜそこを厳しく追及しないんでしょうか?

投票で選ばれた私たちの「代表」のその後を見守る、われわれの声を代弁してくれてたら応援する、そして不正は追求する…そこまで見届けて次の選挙に反映させるまでがわれわれ有権者の務めではないんでしょうか?

このように、さまざまな場面で「あれ?、本当に民主主義の基本を分かってるのかな?」と思わざるを得ないような発言・行動が目につくのです。

せっかくわれわれ国民に平等に与えられた「民主主義」。その民主主義をきちんと理解し、無駄にしないで活かす、そういう意味での「民」の力、「民」の意思、それが「民意(民度)」ではないでしょうか?


日本人の深層意識

まさかここに来て、40年ちかく前の大学での一般教養の内容を思い出すとは思いませんでしたが…

日本人の「法」に対する意識(=一般教養の「法学」にて)。

法律を勉強する、あるいは司法試験を受けて弁護士・検事・裁判官になる。そういう世界は一般の人から見ると敷居の高い別世界、という意識が日本人には強いと。
一方、私人間のトラブルを話し合いで解決できず「裁判」に持ち込んだり法律の条文を持ち出したりすると、「あの人は…」と白い目で見られる風潮がある、とも。
つまり日本人の意識の中には、法律はいわば「伝家の宝刀」のように、高いところに飾られたもので、めったなことで抜くべきではない、という意識があると。

そしてもうひとつ

政治的無関心(=「社会学」大衆文化論の中で)

勤勉で、経済に敏感で、産業・技術の進歩では目覚ましい力を発揮する日本人。最近では先端産業(←1970年代の言葉です)など、いっそう専門特化した分野の発展も著しい。
ある専門分野に関してはものすごく素晴らしい能力が磨かれている一方、仕事から解放された個人の自由時間には、あまり難しいことを考えたくない、のんびり楽しくすごしたい…という欲求も当然強くなる。
そこで、政治の話などは、本当は私たち社会みんなにとって大切な話であるにもかかわらず、仕事以外ではあまり難しいことは考えたくない、自分には直接関係ないこと、という意識が少なからず生まれやすいのではないか、と。



これらはいずれも、社会学的なマクロな目から見た仮説です。
文化人類学でいう「日本人論」も、さまざまな日本人や外国人のさまざまな立場の人たちの目から、日本人という民族の歴史や自然的・社会的環境などと関連づけながら、「日本人」という大きな集団のもつ特性について研究する分野です。

たとえばその中で、日本人は農耕民族だから、みなと一緒に種を蒔き、皆と一緒に刈り取り、村の行事は総出で助け合う…それが当たり前とされてきた。村八分となることは死活問題。みなと一緒に行動し、みなと一緒に楽しみ、みなと一緒に分かち合う…そういう国民性が長年の習慣の中でも身についてきた、と。

だから、遊牧民族のように、天候や羊たちの体力などを自分で判断して行く先・行動を決める「主体性」を要求しても、民族の特性として難しいのではないかと。

こうした「日本人論」の仮説的な見方はとても興味を引くものです。

しかし中には「日本人といったって色々いる。全員がそうじゃないはずだし、私は違う、一緒にしないでくれ」などという反論が必ず出るわけです。場合によっては「日本人をバカにするのか」とも(笑)。



社会科学というのは、自然科学と違って実験装置の中にある条件だけを入れて「実験」してその結果を科学的に検証することはできません。さまざまな要素が複雑に絡み合っている中で、ある要因とある結果になんらかの因果関係があるのではないか、を考察するものです。

それを「すべてがそうとは言えない」などと反証を挙げたり、「どっちが優れてるか」みたいなニュアンスで受け取って感情論で反発していたら、意義のある考察はすべて意味のないものになってしまい、文化人類学も民俗学も社会学や集団心理学も語れなくなってしまいます。

それと同様、日本人がもし世界の先進国の中でも政治的無関心が多く「民意」が低いとすれば、それは否定できないと受け止めるのが賢明だと私は思うのです。日本人に対する偏見でもさげすんだ見方でもないのです。

そこをちゃんと認めたうえで、現代・この現状において、はたしてこれで良いのだろうか、政治的な話題(=私たち社会の話題)にどうしたら関心が高まるのだろうか、どうしたら民主主義のよりよい姿になるのだろうか…と考える必要があると思うのです。


♪関連する過去のblog記事

→ 考えること、表現することの大切さ(2015年9月)
→ 答えは風の中…?(2017年4月)


プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

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