地上52m GAO!

10月20日(木)

新宿のビルの谷間、カフェテラスに巨大な岩…??

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もう少し回り込んでみると…

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ゴ…、ゴジラ!
(♪伊福部さんのテーマ音楽…は流れません!)

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細部までリアルで、間近で見るとなかなかの迫力!

はい、こちら新宿歌舞伎町、コマ劇場の跡地に昨年(2015年)4月にオープンした東宝シネマズ新宿

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JRの車窓からも、西武新宿駅の茶色い建物の脇にちらっと見えます。

今年の夏から上映されている「シン・ゴジラ」ではなく、1984年と1991年に上映され、新宿副都心を破壊したあのゴジラ。

地上40mの位置に設置された、12mの巨大なゴジラ頭部。映画で設定されたゴジラの等身大、地上からの高さも同じ設定です。



東宝シネマズと併設しているホテル・グレイスリー新宿の8階。
裏側の入口から入って、ホテル用のエレベーターで8階へ。
ホテルのフロントと同じブロアにあるカフェ「ボンジュール」。

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カフェでもゴジラがお出迎えしてくれます。
ここのカフェに入って、ちょっと値段は高めですがコーヒーを一杯たのめば、外のテラスでゴジラとご対面できます。

地上52m、「ゴジラ目線」から眺める代々木・渋谷方面。

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昼12:00~夜20:00まで、毎時ジャストにゴジラが吠え、口から煙(蒸気)を吐いてくれます。

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背景の空が明るくてよく見えませんが、間近で見るとかなりの迫力です!

日没後は、ライトアップされているので、その時間帯はより迫力があると思います。
秋分から1か月経ち、日没時刻も早くなってきましたから、夕方5時~チャンスは4回!


歴代のゴジラ

エレベーターホールには、歴代のゴジラ映画のポスターが展示されています。

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★クリックすると大きな画面でご覧になれます


初代ゴジラは1954年、あの第五福竜丸がビキニ沖で水爆実験の「死の灰」を浴びた事件のあった年の11月3日(文化の日)に封切られました。

水爆実験によって古代生物が突然変異でよみがえり日本を襲う…という設定。
ゴジラは「核の恐怖」の象徴であり、文明が生み出してしまった「矛盾の象徴」なのです。

そのゴジラが、一時(1960年代)は子ども向けの怪獣映画に仲間入りして、顔もややコメディな感じになり、人間の味方となってほかの怪獣と戦ってくれる存在に。

映画離れでしばらく休眠した後、1984年にふたたび恐ろしいゴジラとして生まれ変わりました。

ゴジラが戦う相手は、その時代ごとに日本が直面している社会問題とも見事にオーバーラップしています。
(高橋敏夫著「ゴジラの来る夜に」参照)

→ ゴジラと日本人

まさにゴジラは、日本人にとって切っても切れない存在であり、日本人はまだまだこれからもゴジラと共存していくことでしょう。

シン・ゴジラ

9月12日(月)

「シン・ゴジラ」、ついに観てまいりました!

学生たちの夏休みが終わる9月になってからと思ってましたが、土日はなにかと予定が入ったり、都合のつく上映時間枠はけっこう満席だったり…
週明け早々の平日の夕方、ぽかっと時間ができたので、即決で行ってしまいました!

まだ上映中ですのでくれぐれも「ネタバレ」にならないように…

シン・ゴジラ20160912


日本(人)にとってのゴジラ

さかのぼること1954(昭和29)年、第五福竜丸がビキニ環礁での水爆実験による「死の灰」を浴びました。日本にとってヒロシマ・ナガサキに次ぐ第三の被ばくです。
第一作の「ゴジラ」は、この年の11月3日(文化の日)に封切られました。核の放射能を浴びて太古の恐竜が突然変異を起こして日本を襲う…という設定です。

「明るい未来を拓くエネルギー」として「鉄腕アトム」に象徴される「原子力」と同じ化学反応でありながら、人類にとっての脅威の「核」。ゴジラは「核の脅威」の象徴なのです。

人類が生み出した科学技術の矛盾によって誕生し、南から日本に上陸して都市を襲うゴジラは、戦時中の記憶もまだ残る日本人にとっては「空襲」の再来とも、さらに「台風」「地震」「津波」といった自然災害の恐怖とも重なる恐怖の象徴であり、日本(人)にとって切っても切れない存在。

そして襲いかかるゴジラと向き合う日本人の姿(=ゴジラが戦う相手、ときにゴジラ以外に別の怪獣が現れることもある)は、その時々の日本が直面する社会問題・矛盾の象徴です。
(公害問題が深刻な時代の「ゴジラ対ヘドラ」、コピー時代の「ゴジラ対メカゴジラ」、バイオと生命倫理が問題となっていたころの「ゴジラ対ビオランテ」…など)

これについては、「ゴジラの来る夜に」(高橋敏夫著)を参照しつつ、以前このブログでも紹介しました。
→ 「ゴジラと日本人」

つまりゴジラ映画は新作が作られるたびに、その時々の日本が直面する大きなテーマと重ね合わせて描かれているのです。

今回も「まったく新しいゴジラ」とされながらも、最後のタイトルバックに流れたのは伊福部昭さん作曲の歴代のゴジラの懐かしいテーマ音楽のメドレーでしたし、最後に出る「終」の書体も、モノクロの昭和時代の映画を思わせるレトロなものでした。


今回のシン・ゴジラをどう観るか


「ネタバレ」にならないように書くのは難しいですが…

登場人物・ストーリー展開・結末には触れず(←すでに他でネタバレしてるでしょうが…)、私なりにとらえた映像表現・象徴されているテーマについて書こうと思います。

まず、今回のゴジラ映画は、これまでのゴジラとは違うまったく新しいものだと聞いていました。
それは…


*CG主体の表現

これまでのゴジラ映画では、ゴジラが破壊する都市や自衛隊の戦車ではミニュチュアが主役でしたが、いまはもう完全にCGの時代になったんですね。
実在する地域の実写とCGとの合成によって、リアルに描かれています。

おりしも昨日は9.11、また東日本大震災と津波以来、各地での大規模災害を彷彿させるリアルな描写もありました。


*未知なる、新たなゴジラ

今回のゴジラは、これまでのシリーズもののゴジラが再び日本を襲う設定ではなく、まったく未知の海底の巨大生物が出現するという設定になっています(→結局のところ「ゴジラ」になるんですが)。ハリウッド映画にもなった「GOD-ZILLA」、つまり「神」「恐竜」という意味が今回のネーミングにも生きています。

この2点は、この映画を見る前からバレていたことですから問題ないでしょう。

で、今回ゴジラと向き合う「現代の日本」を象徴するテーマとは?



*政府の危機管理

前半、巨大生物の出現・上陸・対応策…そのすべてが「官邸用語」によって進行されるイメージです。
いかに省庁の縦割り・前例主義では何の対応もできないか…
「想定外」というキイワードもしばしば登場します。

ゴジラ映画と言えば自衛隊が大活躍するのはお決まりの伝統ですが、自衛隊が出動する前の政府の決定までのプロセス、記者発表で何というか、政界の舞台裏…ここまで風刺的に(?)描いたのは初めてでしょう。何度となく吹き出してしまいました。


*放射性物質・冷却

いうまでもなく、福島第一原発の事故以来すっかり定着した放射性物質、いまの日本が直面する最大の不安・脅威のキイワードです。
「シーベルト」という放射線量を示す単位が頻繁に登場するのも、これまでのゴジラ映画にはなかった点です。
もうひとつ、放射性物質の根源(=ゴジラ)への対応策として、「冷却(凍結)」も重要なキイワードとなります。


<対比的な2極のテーマ>

*「アメリカ・国連」と「日本」

日本を襲うゴジラに対して、これまでは日本が独自に戦ってきました。
しかし今回は、アメリカが深く関与してきます。そして国連の決定や多国籍軍も…
グローバルな視点で、日本は国際社会の協力なくしてはやっていけない、という面を描いています。
しかし、「戦後は続くよどこまでも」…結局のところアメリカの言うなりにするしかないのか…?


*「新」と「旧」

前例のない想定外の危機に直面して、政府内・各省庁の思惑によって、さらにアメリカからの力によって動くしかない日本政府のトップ(=旧)。
それに対して、各省庁内の「変人・オタク・一匹狼」たちの寄せ集めともいえるような若い頭脳チーム(=新)。
日本の将来はどちらに託されるのか…?


*熱核攻撃か、それとも冷却・凍結か?

単体で増殖するゴジラを壊滅させるべく、核による攻撃の道を選ぶのか、それとも冷却・凍結か…?
アメリカや国連に頼ってその指示に従うのか、日本で独自の解決策を見出すのか…?

これは今日の日本に突きつけられている究極の選択であり、また人類に突きつけられている原子力とどう向き合うかというテーマそのもののように思えます。

原子力(=核)に対して人類はどう向き合い、どういう選択をしていくのか?
さらに「核の脅威」に対して「核武装」によって制していくのか、それとも「冷却」という他の解決の道を見出すのか…?


日本は、ゴジラ(=核の脅威)と共存していくしかないのでしょうか…?

ナターシャさんの歌声

3月11日(金)


チェルノブイリの原発事故を経験されたナターシャ(ナターリャ)・グジーさん。

日本語もとても流暢で、「いつも何度でも」「防人のうた」「秋桜(コスモス)」など、日本の歌をとても美しい澄んだ声で弾き語りされます。 
以前、生でお話しと歌をお聴きする機会があり、とても暖かい気持ちになりました。

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「心につばさ」第二回コンサート(2013年2月9日)



最近テレビでも紹介された動画をフェイスブックで見つけたのでご紹介します。


https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=xQJog0rs7Eg



以前ナターシャさんから直接聞いたお話しです。

彼女の故郷ヤノフは、自然豊かな静かな村。チェルノブイリであの事故があったときも、最初の丸1日は何が起こったのかまったく知らされず、人々は「ごくふつうの日」を過ごしていたそうです。

そして「ほんの少しの間(3日間)だけ避難してください」と言われ、必要最小限の身の回りの荷物だけもって出たけれど、その後何十年たった今でも帰ることはできない。

いま、村は土に埋められ、子どものころ過ごした家も、近くの公園も、森も…すべてが幻になってしまった、と。

美しい火の国ニッポンで…

7月1日(水)

火山や地震の専門家の意見を無視し、揺れの種類も勝手に1種類に限定し、安全基準値だけ引き上げて耐震は不十分なまま、再稼働を進めようとする政府。
火山噴火の予測は立たないことは明らかなのに、九電は「わかる」という。超能力者でもいるんでしょうか…?

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★見開き左右、いずれもクリックすると大きな画面でご覧になれます。


なぜこんなおかしなことができるのでしょうか?

その背景にあるのは、
「人の命よりも、地球よりも、企業の利益は重い」という価値観です!

このブログ内の「豊かさとは?」「社会時事に思う」のカテゴリー(下記参照)でもたびたび書いてきましたが、国や企業の絡む不正や事件のほとんどに、この発想があるのではないでしょうか?

国民の命を犠牲にしても、地球環境を踏みにじっても、企業の利益になることは是が非でも通そうとする政府。そうした悪魔の企業からの政治献金があるという循環です。

「自民か民主か、どこに政権を取らせたらよいか?」と、いくら選挙の時に真剣に考えて選んでも、政権与党となった瞬間に、財界や官僚の思惑によってこのしがらみ構造の中に取り込まれてしまうのでしょうか…



戦争法案も、武器輸出も、この同じ構造が背景にあることは言うまでもありません。

「そろそろどこかで戦争でも起きてくれないことには、日本の経済も立ち行かなくなりますなぁ」と発言した財界人がいました。今の安倍政権とも深い関わりのある財界人の中にも、同じような本音を持っている人が多数いるはずです。

そのことにも触れて昨年7月に書いたブログ記事をあらためて…
→ 「イスラエルより愛をこめて

戦争法案や武器輸出によって、世界各地で起こる紛争や戦争に、日本も大いに関わることになるのです。「われわれには関係ないこと」ではないのです!

そして、政府にとって都合の悪い報道をするメディアは「けしからん」「潰せ」といったとんでもない発言が飛び出す背景にも、「(民放は)スポンサー企業からの資金が断たれることが一番痛手のはず。経済界に働きかけよう」などといった経済の原則が根底にあるのです。

これも私のブログ内で書いてきたことですが、「経済=企業のカネ儲けの原則」こそが人類の敵なのかもしれません。


<参考>

カテゴリー「★豊かさとは…?」
      「★社会・時事に思う」


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青森・大間原発(建設中)に審査申請

12月16日(火)


<時事通信 2014年12月16日(火)9時54分配信>

電源開発は16日、建設中の大間原発(青森県大間町、出力138万キロワット)について、運転開始の前提となる新規制基準の適合性審査を原子力規制委員会に申請した。昨年7月に新基準が施行されて以降、建設中の原発の申請は初めて。同社は2021年度中の運転開始を目指している。

16日午前、規制委に申請書を提出した同社の永島順次常務は「できる限りの安全対策をしっかり仕上げて運転を開始したい」と述べた。

電源開発は、三陸沖北部の断層が引き起こすマグニチュード8.3の地震などを想定。地震の揺れ(基準地震動)は650ガル、敷地に到達する津波の高さを6.3メートルとした。また、新基準施行時には5年間の猶予が認められていたが、運転開始予定が7年後になることから第二制御室などのテロ対策施設(特定重大事故等対処施設)なども準備。新基準への対応工事費は約1300億円に達するとしている。

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普通の原発でも問題なのに、Mox?
Mox って…私も専門外のさらに外のことなんでよく分かりませんが、通常の原発で使われる使用済み燃料は冷却期間5年ですが、Moxは50年冷却期間が必要といわれています。これに燃料プルトニウムを混ぜるというのです。

この大間原発を巡る論争、津軽海峡を越えた函館も原発から50キロ圏内に入るため猛反対しているというニュースは、今回の解散総選挙よりももっと前から出てましたよね。

ちなみに北海道電力の相次ぐ電力値上げに対向して、北海道では「新電力」と称する民間の小さな電力会社が産業廃棄物のプラスチックを燃やしてその火力で発電し、安い電力供給をはじめていて、企業や自治体でもそちらに契約を切り替えてるというニュースもあります。

まだ小渕優子経済産業大臣が就任して間もなかったころに私のブログに書いた記事です。ちょっと長いですが、この記事の後半をご参照ください。
→ 
「原発再稼働と民意 ~新たな提案~」

「原発に頼る道しかない」のではなく、「原発から脱却する」を大前提に、「じゃ、どうする?」と知恵を絞る道はあるのです。

原発再稼働と民意 ~新たな提案~

9月19日(金)


◆「原子力ムラ」のロボットがまたひとり

小渕経済産業大臣は、「福島の復興に全力を捧げます」と発言したが、原発の再稼働に関しては9月3日の就任会見で「安全性が確認された原発の再稼働を進める」と、政府方針通りの見解を述べた。

さらに9日の大臣会見では、昨年7月に施行された新規制基準について、テロ対策が不十分であることや、メルトダウンした際に核燃料を受け止めるコアキャッチャーが義務付けられていないなどの不備について記者から指摘されると、「様々なご意見はあると思いますが、規制委員会における基準というのは、『世界においても一番厳しい』と言われる規制だと承知しております」と、「原子力ムラ」の公式見解通りの答弁に終始した。 (以上、週刊朝日2014年9月26日号の記事より要旨をリライト)


政治家批判ではなく、国民がいま何を考えるべきか?

この二世政治家の小渕大臣が優秀なのかそうでないのか、私はそこにはあえて触れません。政治家個人をけなすことが私のブログの趣旨ではありません。

ただ、いまの原子力規制委員会もしかり、1大臣もしかり、しょせんは「ロボット」に過ぎず、自分の信念をもって国民の安全のために知恵を絞ろう、大勢に立ち向かって尽力しようとする公僕はもう完全に絶滅してしまったのか!?、と問いたいのです。

そんな今の日本の政治を嘆いて批難したらそれこそ枚挙にいとまがありませんが、それだけではだめだと思うのです。
政治が国民を無視するなら、国民も政治をあてにしないで生きるすべを考えなくてはいけません。
では、われわれ国民は今なにをすべきか?  

まず、正しい情報を自分で探し、現実から逃げることなく、ことの本質をきちんと見ることです。

福島の問題にしても原発問題にしても、感情論や人への偏見によってかなり本質から外れた無慈悲な発言をする人も少なからずいることを残念に思います。

たとえば、福島で殺処分にするしかないとされた動物たちを救おうと、中央省庁に何度も足を運んで訴え、救済の道を見出して『希望の牧場』をつくった人がいます。
私も渋谷駅でその方の演説を聞き、直接本人とお話しもして本も買いました。ところがなんとその人に向かって「お前ら福島の人間のお蔭で放射能が、電気代が…」と筋違いの怒りをぶつける輩もいると聞きます。 「福島の人=うざい」んでしょうか…?

一方、「福島の悲劇を繰り返さない」という表現は福島の人たちに失礼だ、という声もあるようですが、それって何のための「配慮」でしょうか?
傷ものに触れないように口をつぐみ、心の中では差別と偏見の目を向ける…かつてヒロシマ・ナガサキの被爆者たちも、被爆したことに加えて、そのような人々の目によって戦後どれほど苦しんでこられたことでしょう?

避難生活を余技なくされている人の気持ちを察したり、なかなか進まない復興支援に憤りを感じることは人として当然の感情であり、それを素直に表現したり、せめて何かできないかを考えることは素晴らしいことです。そういうことではなく、変な同情や、差別・偏見の目があることも事実で、私が言いたいのはそちらに対してです。

日本人は「和」を尊び、思いやりに満ちた国民ではなかったのでしょうか?
いまは福島だけではなく、日本全体いや世界中が原発の被害者であるとも言えます。
なのに、狭い日本に住む者同士、なぜ福島県民に対してだけ特別の意識で目を向けるのでしょうか?

何か言うと反論されるかもしれない、自分がどう思われるかを気にして、何もしない、見て見ぬふり、「無関心」を装う(→本当に無関心になってしまう)のはもっと罪悪です。
「『愛』の反対語は『無関心』である」…たしかマザー・テレサの言葉でしたね。


「原発反対」を訴えるにしても、単に「福島の被害はひどい→原発には反対だ」ではなく、もう少し長い目でわが国の電力供給についても考え、化石燃料を燃やして得られる電力に依存している現状と、そこから脱却する新しいエネルギー供給のあり方まで少し考えてみる。

それこそ中学生の夏の課題で身近な社会問題について「ちょっと調べてみよう・考えてみよう」というレベルでいいと思うのです。なまじ専門的な知識や既成の常識に埋もれるよりも、まずは人として素朴な疑問を持つことからスタートした方が「ものごとの本質」に近い発想ができる場合があります。

以下、とくに何かを引用することなく、私なりの問題意識を自分の言葉で書いてみます。


◆そもそも原発(再稼働)は何のため?

先ごろ火山の噴火をめぐる認識についての議論もありましたが、原発の安全基準そのものが曖昧である中、なにがなんでも「再稼働ありき」という流れで着々と進められています。
これは明らかに、「国民の命よりも、地球よりも、企業の利権は重い」という「経済=大企業の論理」が働いていることの証しです。

東電は国から多額の費用補てんを受けつつも、いまだ福島の避難生活者への責任も保障も取り切れておらず、役員は一般企業よりも高い役員報酬を受け取り続け、さらに「原発を再稼働させなければ値上げもやむを得ない」などと言っています。

これは東電のみならず、北海道電力・東北電力など日本列島のブロックごとにこれまで電力供給(販売)を一手に独占してきた大手電力会社各社とも同じです。
そのような大手の電力会社の言いなりになって、電力供給をずっと独占させて依存したままで良いのでしょうか?



いま現在、日本では1基の原発も動いていない中で、この夏の猛暑もなんとか電力不足に陥ることなく乗り切ることができました。
「原発はなくても電気はまかなえるんだということが実証された」と原発反対派は声を大にして言います。

しかし、原発を動かすことなく得られている電力とは、化石燃料(=石油)を燃やして電力を得る火力発電に依存しているのが現状です。
このような状況が未来永劫続けられると考えてはいけません。そもそも、化石燃料に頼らなくてもよいための「新しいエネルギー」として原発がこれまで推進されてきたのではないでしょうか?

電力会社各社も、石油燃料に頼ることの先行き不安とコストを理由に、「原発を再稼働させてくれれば電気代を下げます」などと言い出すのです。原発開発・建設にこれまでかけてきた莫大なコストパフォーマンスも背景にあることは言うまでもありません。

政府もまた、これまで多くの国家予算を投じて原発の研究開発・建設に関わってきたわけですから、企業の利益に追い風となる政策を打ち立てるわけです。

そこに、「人の命よりも、地球よりも、企業利益は重い」というおかしな原理が出てくるのです。

もし、人の命や地球への環境を配慮して本当に原発廃止を訴えるのであれは(私自身も含めて)、石油に代わるなんらかの燃料、もしくはいまの火力発電以外の方法について知恵を絞って提案していく、あるいは大手電力会社の独占体制を変えていく必要があります。


大手電力会社の独占体制を崩す新しい知恵を!

いま北海道あたりで新しい動きがあることを先日テレビで知りました。

節電にも限界があり、これ以上電気代を値上げされたら本当に困る中小の事業所や学校などが、大手電力会社よりも安く電気を供給する「新電力」と称する民間の小さな電力会社に契約を切り替える動きが出てきているそうです。
火力で発電しますが、その燃料は産業廃棄物で出るプラスチックとのこと。
 
なにか閃きませんか?

★各地のゴミ処理施設で発電できないか?

日本各地にあるゴミ処理施設で、毎日大量に出される家庭や事業所からの可燃ごみを燃やすエネルギーを電気に変える、つまりゴミ処理施設に発電の機能を持たせることはできないのでしょうか?

私の住んでいる東京・世田谷区では、2~3年前からゴミの分別収集の方法が変わりました。それまで紙類は「可燃ゴミ」、プラスティックやスチロールなどは「不燃ごみ」と分けなくてはなりませんでしたが、最近はたいていのものは「可燃」でよくなりました。
つまり焼却施設の性能が向上し、高温で完全燃焼させることができるようになったため、有害なダイオキシンを発生させる心配もなくなったというのです。

ならば、その巨大な熱のエネルギーで発電もできないのか?…というのは中学生でも思う素朴な疑問ではないでしょうか。

現在のところ、ゴミ処理施設に温水プールを併設するなど熱利用を進めているところは多いですが、発電までやって地域に電力を供給しているところがあるかどうか…まだあまり話には聞きません。

ならば、全国各地にあるゴミ処理施設に毎日出されるゴミを燃焼させるのに放出される巨大な熱エネルギーを考えない手はないと思いませんか?

最近よく聞かれる地熱発電があります。マレーシアやニュージーランドなどでは地熱発電が活躍していて、発電のためのタービンは日本のメーカー製らしいです。日本の技術で十分できるのですね。
ただ、わが国では地熱発電がなかなか進んでいません。その理由のひとつに、マグマの熱を利用できる場所の多くは国立公園になっていて発電のための施設を作れないことがあります。

ただ、国立公園内にも多くの商業施設は建っています。国の決断によっては、例外措置などで発電施設を作ることも必ずしも不可能ではないと思うのですが…



ところで発電機モーターとは同じ構造です。コイルを巻き、永久磁石に囲まれたところに回転軸を設けた「装置」です。
コイルに電気を流してやれば磁力が発生し、それが永久磁石と引き合ったり反発したりして「回転」という運動を起こします。それがモーターですね。
それに対して、同じ装置に何らかの力で回転を与えてやって電気を発生させるのが発電機です。

試しに、自転車のタイヤに接触させて前照灯を光らせるあの装置に、直流12Vほどの電気を流してやるとちゃんと回転します。
また、模型用の小さなモーターを2つ用意し、2つのモーターの軸と軸をパイプでつなぎ、一方のモーターに電気を流してやると一緒に回転します。電気をつないでいない方のモーターの端子に豆電球をつなげば光ります。これ、中学生の理科の知識ですね。

つまり、発電機とモーターは装置としてはまったく同じものと言ってよいのです。なんらかの力でモーターを回せば電気は作り出せるのです。ゴミ処理施設のように安定した熱源さえあれば、発電するための装置そのものは決して特殊で高価なものではないのです。

ただ、先ほどアイディアとして出したゴミ焼却施設に発電装置を設置して、ある程度のエリアの電力を確保するには、それなりの規模の炉とタービンを回す装置、送電のための設備を新たに設置しなくてはいけません。
でも、少なくとも原発を再稼働させるために新たな安全設備をつくる費用や、福島のような事故が万一起きた場合、それを収束するにも方法論さえ見えない対策のためにかかる費用に比べたら、はるかに安くできるのではないかと思うのですが。
 

★太陽光・風力・水力など自然エネルギーを使った発電

わが家を今から10年前に建て替えた際にも、太陽光パネルの設置もいちおう考えたんです。でも、屋根全面に太陽光パネルを設置するのにざっと300万円、さらに屋根や瓦の耐重量対策にプラス100万円近くかかると見積られました!

仮にそれで電気代はゼロになったとしても、設備投資に400万円というのは、一般家庭の電気代が仮に月に1万5千円だとして、なんと22年分の電気代に匹敵します!
しかも、それだけの太陽光パネルをつけても、今の技術では発電能力は充分とは言えないとか。

もし近い将来、今より高性能で安価な太陽光パネルが普及したら設置も検討できるように、壁内の配線工事だけはやりましたが、現状では見送ることにしたのです。

日本は1960年ごろから原子力の研究開発をすすめ全国に60基以上の原発を建設してきました。そのために、いったいどれほどの国家予算がつぎ込まれたことでしょう?
その費用のせめて半分でも、自然エネルギーの研究開発に充てていたら、おそらく今より安価で高性能な装置が普及していたのではないかと思えてなりません。

ところが、せっかくの自然エネルギーの研究開発・普及を国や電力会社の圧力によって妨害するような動きもあったと聞きます。民間や各家庭でより安価な電力を自らまかなえるようになってしまったら、大手の電力会社が電気の供給を独占する基盤がそこなわれるからです。醜い話です。



いまこそ官・民の知恵を合わせて、原発に頼ることを前提としない電力供給の方法もあると思うのです。
感情論だけで東電をつぶせと言っているのではありません。必然的に大手電力会社の独占体制は崩れ、競争の原理によって大手電力会社も体質を変えざるを得なくなるでしょう。決して不可能な話ではないのです。 

ここはちょっと政治的な話になりますが、有権者ひとりひとりが社会のこと、政治のことに関心をもち、国民のための政治をやる人を選挙で選ぶしかありません。
そして議員や政府が国民の声を無視して暴走したら、ちゃんと怒って立ち上がること、つまり「民意を高めること」です。 そして「政財分離」、すなわち政治と財界との関係をそろそろ断ち切る必要もあるでしょう。

これらについては、これまでにも別の項目で色々書いてきましたので、ここでは省略します。

ともかく、政治家や大企業を批判するだけでなく、民間のわれわれ国民ひとりひとりがちょっとした意識を変え、行動に表していくことによって、あたらしい知恵がより結集され、あたらしい豊かさへの道が切り開かれていくことを信じます。

ぜひ皆さんからのご意見もお待ちしています!


泊原発に反対する高校生の切実な声をあらためて

2013年 8月3日(土)


おととい「高校生のまともな声を!」という記事を書きましたが、「大切なことをちゃんと言おう」というメッセージの方に多くの文面を割いてしまったので、“本題”をあらためて。

先日もURLを貼り付けたのでお読みいただいた方もいらっしゃるかもしれませんが、こちらがその記事の内容です。


泊原発廃炉訴訟第6回口頭弁論で、高校2年生が意見陳述をする予定でしたが、直前になって認められませんでした。終了後の報告会で本人が朗読した陳述書の一部を本人の了承のもとに公開します。
日本の全ての大人たちは、彼女の声を聞くべきです(アメブロ「脱原発の日のブログ」より、転載)。


原告意見陳述要旨(2013年7月29日)


2011年3月の原発事故は私の人生を一気に曇らせました。
福島原発の状況を報道するテレビの声を聞きながら、私は不安でのどが詰まるような思いがし、視界が灰色になっていくように感じました。
あの時の報道でも既に日本国民へ向けての計画的なだましが始まっていたのだと思うと、なお、怖ろしい思いです。
私はそれまで、日本がこんな残酷な国だったとは知りませんでした。
私は事故からの2年間、この時代に生まれてきたことを何度悔やんだかわかりません。

(中略)

未だに原発を続けようとしている、というところを見ると、知らない、というか知ろうとしない、知りたくないんだと思いますが、もうすでに放射性物質による健康被害は出ているんです。
後回しにしていられる問題ではありません。
みるみるうちに人口は減ります。子供がいなくなります。
子供がいなくては未来がありません。
自分はもうすぐ死ぬからどうでもいいと思っているんですか。
何も心配せず食べたいものを食べ、
行きたい所へ行ける幸せな子供時代を送り、
この先何が起こってもどうせ自分が居ないのだからどうなってもいいと思っているんでしょう。
たとえ汚染されたものを食べ発病しても寿命だと思って死んでいくのでしょう。

(中略)

自分だけいい思いをして子供も未来を汚しても平気なんですか。
罪悪感もないんですか。
恥ずかしくないんですか。

(中略)

ドイツは福島原発の事故を機に原発推進派だったメルケル首相が脱原発を決定しました。
それなのになぜ、日本にはそうする勇気がないんですか?
これだけひどい事故を起こしておきながら、
国民のほとんどはその被害に自覚さえありません。
日本は命よりも経済を優先し、ぐずぐずと原発を動かし続ける、
こんなだらしない国だったんですか?

さらに、大事故を起こした実績のある日本の原発を恥もなく輸出しようだなんてもってのほかです。
一番大切なものを忘れて人間として正しい選択ができなくなっているんじゃないですか。
無表情で必死に言い訳をして原発を動かし続けようとするその精神が理解できません。
いい加減目を覚ましませんか。

(中略)

現時点でもうすでに大人が残した原発は私たち子供にとって大変な重荷です。
それをさらに増やすつもりですか。
自分の子供や孫の顔を思い浮かべてもう一度よく考えてください。

私たち子供は大人たちに憤りを感じています。
私はたかが電気のために命を危険にさらし、涙を流すなんて、まっぴらごめんです。
そんなものに人生を左右されるのも、未来を縛られるのも許せません。
未来はあなたたちのものではありません。
私たち子供のものです。
大人の一時的な都合で私たちの未来をこれ以上汚さないでください。
私たちの夢を奪わないで下さい。



この記事を読んで、直接どこかに抗議しよう、署名を集めよう、といったことを呼びかけているわけではありません。
ただ、こういうまともな声を上げている高校生もいるということを知り、社会に対して怒り、なんらかの問題意識と感情をもって受け止めましょう、ということを申し上げたいのです!
「拍手」もコメントも残さず、ただ黙って通り過ぎるSilent peopleではなく…

よく電車の中でわけのわからない独り言をぶつぶつ言っている人がいたら、よほど危険な行動に出ない限りみなさんたいてい関わらないように無視しますよね。でも、クラスや地域の問題を話し合う場で、誰かが何か問題提起しても、何の反応もせずただ無表情に黙って座ってるだけですか?

私はアマチュアながらも音楽をやる人間です。何がいけないって「無表情・無反応は人類の敵だ!」とさえ思っています。

何か感じてください。そして何か反応してください。

それができず、私がたびたびこういう記事をアップしているのが煩わしいと思われる方は、ブロともさん・FBつながりの友達から削除して頂いてもかまいません。ただし、ひとこと理由をコメントしてから去ってくださいね。人としての最低限のマナーとして。
 
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これが原発の実態だ!

今はもう亡くなられた平井憲夫さんという方は、「私は決して原発の反対運動家ではありません」と冒頭に述べつつ、長年原発で働いてこられた経験から、我々の知らない原発内部での作業のこと、ニュース報道には出ない実態、さらに日本の原発政策について、じつに多くの真実を語られています。

facebookでシェアさせていただいたところ、多くの方が衝撃を受けられています。ぜひご一読ください。

http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

原発のさまざまな実態にも今さらながら驚かされることばかりですが、日本の原子力政策について「日本には途中でやめる勇気がない」という一節に、あらためて強い共感と怒りを感じます。


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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