「プレミアムフライデー」に想う

2017.2月24日(金)

「プレミアムフライデー」がスタートしました。
働くみなさんはどう受け止めてますか?

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過労死=KAROUSHIが国際語になるなんて情けない…
ブラック企業の犠牲になって若い命を絶つ…なんと悲しいことでしょうか。
そんな中、ようやく国も重い腰を上げて「働き方改革」に乗り出しました。あまりにも遅いとも言えますが「なんとかしよう」と。少なくともその大前提は評価します。

しかし、具体的なルールを国(政府)と経団連が相談して一律に決め、決まったから「さあ、やりましょう」ということなのでしょうか…?
サービス業、医療関係、交通関係、放送関係…いくら国に旗を振られても、「はい、今日はプレミアムフライデーです、15時で上がります」なんてできませんよね(笑)。

公務員や大企業など、仕事面でもお金の面でも余裕のある人は、金曜日はさっさと仕事を切り上げて、お金をどんどん使いましょう…という「消費拡大のキャンペーン」のように見えなくもありません。

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ワークバランスということ

私は大学を出て社会人となった20代のころからずっと思っていたことが大きく2つあります。

(1)「5時です、はいさようなら」で終わる仕事なんてつまらない

民間の小さな研究所で「まちづくり」の仕事をしていたころ、その後、放送関係の裏方の仕事に転じてからも、仕事にはそれなりに使命感・責任・やりがいがあってしかるべき。5時ぴったりになったらスイッチOFFなんてありえない、と。

しかしその一方で…

(2)会社だけがすべての人生なんて冗談じゃない!

仕事以外の自分の世界、文化活動、さまざまな世界に触れて見識を深めること、大いに遊んで発想力を養うこと…「会社の仕事」だけに閉じこもっていてはいけない、人生にとって大切なことは他にあるでしょう、と。
『仕事だからしょうがない』というセリフが多すぎませんか?」という記事を以前つづったこともありました。


この(1)と(2)は矛盾するように見えるかもしれませんが、仕事はしっかりやるときはやる、でも休む時はしっかり休む、要はメリハリなんですね。

翌日までに企画書をまとめなくてはいけないときは終電まで頑張る、徹夜もある。そういう時もある。
しかし、優先的な仕事が一段落して余裕のある時は外に出る。昼休みをゆっくり取ったり、まだ空の明るいうちに退勤してコンサート会場へ、平日に休みが取れたら特急列車にのって小さな旅へ…ほんのちょっといつもと違う行動をするだけで、とっても豊かな気持ちになれます。

それは、各自の仕事の段取りによって自己管理でやるべきことであって、一律に会社・組織、ましてや国から「はい、この日は休みましょう」なんて言われてやることではありません!


決められて与えられることが多すぎるニッポン

ところで、有給休暇に関する国際比較をデータで検索してみました。
このようなデータはこれまでにもいろいろと見たことがあります。


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日本では、有給休暇として与えられているのは10日ちょっと、しかもそれを半分も取得していない…そこだけを見ると、まさに日本は「働きすぎ」「休まない国民」ということになりますね。

しかし私はこの手の比較表を見るたびに思うのですが、日本にはカレンダーの赤い数字の日=「国民の祝日」が多いということです。それがこの表には反映していないのです。


1月…成人の日、2月…建国記念日、3月…春分の日、4月…昭和の日(旧天皇誕生日)、 5月…憲法記念日・みどりの日・こどもの日、6月…海の日、8月…山の日、9月…敬老の日・秋分の日、10月…体育の日、11月…文化の日・勤労感謝の日、12月…天皇誕生日。

2017年度のカレンダーで確認してみると年間の「国民の祝日」15日もあります。
さらに「年末年始」がだいたい5日、8月の「お盆」3日も加えると、年間で23日にもなります!

正社員の場合、タイムカード上にも「国民の祝日」は赤くマーキングされ、その日に出勤しなくても「欠勤」とはならず、月の給与も変わりません。いわば「強制的に与えられた有給休暇」と言えるでしょう。

お盆や年末年始は赤くマーキングされていなくても、たいていの会社・組織では「夏休み」と「年末年始」は通常の有給休暇とは別枠で設けられていますから、実質「有給」ですね。

ですから、上の表では日本がもっとも低いとされる「有給=10日ちょっと」の他に、「国民の祝日」「年末年始」「お盆休み」の23日を加えると、なんと35日になります!通常の土日とは別にです。
逆にこんなに「休む権利」だけは与えられている国は日本をおいて他にないでしょう。



そもそも、「〇〇の日」と称する「国民の祝日」がこんなに多くある国は他にあるでしょうか?
国にもよりますが、たいていは新年(ニューイヤー)とクリスマス、あとは「独立記念日」のようにその国にとって特別の祝いの日があるぐらい。

諸外国ではみな、プライベートな予定を各自で立てて、仕事をやりくりし、働く仲間とも休みをいつ取るかを調整しながら、しっかり自主的に休みを取っているのです。

とくに最近ドイツなどでは、定時に縛られることのない働き方や、職場内の調整によって男性でも育児のために堂々と休んだり、長期バカンスに出かけたり…ということがよりスムーズにできる社会になっている、という羨ましい限りの実態がテレビで紹介されていました。

それに対して日本は、年次ごとにいつでも各自が自由に取れる「有給休暇」は10日ちょっとで、「国民の祝日」として「みんな休みましょう」と決められている有給休暇がその倍以上ある、ということなんです。

*信号機が増えすぎると、赤信号を掲げられないと止まらない車が増える。状況判断や危険予測による自主的な徐行・停止をしなくなる…「命令されたことしかやらない・できない」…そんな心理とも重なってしまいます。


みんなと一緒じゃなく

私も長年、世間が祝日だからといって必ずしも休めるわけではない職種に携わってきましたから、祝日でも出勤しなくてはならないのはいわば当たり前。

それに、大型連休はどこに行っても混んでますから、そんなときにわざわざ一緒に動かず、混雑する新幹線や成田空港の様子をニュースで傍観してきた側です。

その代わり、祝日に出勤せざるを得ない場合は、しっかり振休(前後1週間)または代休(2か月以内)を取るよう、自己管理でやってきました。とくに私の場合、音楽活動を続けていたので、とくに予定のない休日出勤は拒みませんが、本番当日は確実に休めるように前もってあの手この手を使ってきました。

ただ、家族とともにどこかへ出かけるとなると、パートナーとも休みを合わせる、さらに子どもが学校に通うようになると、子どもの夏・冬・春の休みの間で休みを取る…という調整は必要になりますね。


<反論をふまえて>

「とはいっても、お盆の時期に帰省しないと、法事もできないし、離れ離れの親戚とも会えないし…」

はい、日本らしいごもっともなご意見ですね。
しかし、たとえば大晦日の除夜の鐘みたいに全国一斉にやるような法事が8月のお盆にありますか?むしろ各地のお寺さんもその時期に集中して大変(=少し分散してくれたら楽)というのが正直な声。
それに、帰省するのは法事のためというよりも、おじいちゃん・おばあちゃんと孫たちの再会、実家でのんびり過ごす、子どもたちはカブトムシを捕まえたり海で遊んだり、自然と触れ合う…という人が大半ではないでしょうか?

だったら、ご先祖様の命日に合わせて親戚の人たちが示し合わせて一緒の時期に休みを取って帰省し、みなで顔を合わせることも可能ですよね。なにも8月の第2週に通勤ラッシュ並みの新幹線や大渋滞の高速道路に集中して大移動しなくても…

後述のこととも関連しますが、むしろ会社・組織が「その時期でないと休めない」ところに問題があるのではないでしょうか?


◆休みを増やす=「商売=経済効果」?

大型連休・お盆・年末年始の時期は、新幹線も飛行機もふだんより高い値段になりますね。
これ、私も長年納得できないシステムです。ふだんよりも混雑していて、同じ自由席特急券を買っても座れない可能性だってあるんですよ。ただでさえ混雑して儲かってるときに、ふだんより高い値段にするんでしょう!?

一事が万事、みんなが休む=みんながどこかへ出かけてお金を使ってくれる…さあ商売だ、という図式が色濃くあるのです。

観光地も、滝や湖の美しい風景を眺めるのに、ちょっと車を駐めたい…そのたびに何百円かずつ取られますね。
自然のままの美しい湖を眺めてしばしたたずみたいのに、そこには白鳥の観光船が行き来し、土産物屋さんからのスピーカーの音声が…
どっちを向いても「商売」なんです。

以前旅したカナダの国立公園などでは、景観のすばらしいポイントには案内表示があり、車を止めるにもお金は取られません。国立公園内の高速道路も無料です。
ステンレスのレリーフ板に、その地域で見られる動植物の姿や名前を刻んだもの、山の標高を示すものなどのサインはありますが、余計なものは一切ありません。ゴミはみんなが持ち帰るのが常識ですから、くずかごもありません。
何か食べものを提供してくれるお店とトイレは必要ですが、商魂たくましいごちゃごちゃしたものはいらないんです。

日本列島津々浦々、すべての自治体が「観光地」になって人がたくさん来てくれることを望んでいます。
どこかを掘ったら温泉がわき出した、ドラマの舞台になった…となると大騒ぎして「観光客の誘致」「地域の活性化」という言葉で沸きかえります。

今回の「プレミアムフライデー」も、すでに「商売のチャンス」として色めきだつ業界も続々と現れているようです。この構想を進めてきたのは「政府」「経団連」ですから、妙に納得してしまいます(笑)。

とにかく、すべてが「商売=経済効果」という価値観なんですね、ニッポンって。


◆本当の意味での「働き方の見直し」を!

プレミアムフライデーとならんで、残業時間に上限を設け、違反した企業には罰則を与える、ということも検討されています。

いくら言ってもなくならないブラック企業、過労死、自殺…etc.
これを国としても放置しておけないことはよくわかります。

しかし、刑法で定める「犯罪」のように、国が一律に決めてできる性質のものではありません。あくまで個々の職場のしくみの問題だと私は思います。



以前からあった「ノー残業デイ」もそうですが、たまたま「その日」にどうしても対応しなくてはいけない仕事がある人はどうするんですか!? 

私のかつていた職場でも「ノー残業デイ」制度はできましたが、各人が担当する仕事(番組)の収録などスケジュールを見て「私は何曜日をノー残業デイにします」と定め、それでもその曜日にどうしても外せない仕事が入ったときは、週のうちで代わりにどこかをノー残業にする、という対応をしてきました。

私もかつて組合の執行部を経験しましたが、労使で「残業を減らそう」といくら協議しても、働く個人が本当に効率よく仕事を終えて、本気で休みたいと思うかどうか、にかかってるんだと実感しました。

冒頭の「仕事だからしょうがない」というセリフが多すぎるんです。会社は会社で、仕事熱心な社員に甘えている。働く側も「仕事なんだから(=残業代もつくし)」という甘えがあるんです。その甘えの相互依存を断ち切らないかぎり、本当に残業を減らすことはできません。

要は、働く現場をどう管理するか、という問題なのです。キャンペーンのように「ノー残業デイ」「プレミアムフライデイ」を一律に定めたり、守れなかったら罰則規定を設ける…といったことを国が決める前に、もっと根本的に見直すべきことがあると思うのです。

最後に私なりに思いつく範囲で、大原則を3点ほどまとめておきましょう。


(1)企業・組織の「効率主義」を見直す

5人でやってきた仕事を3人で、2人でやってきた仕事を1人で…と「効率化」を企業・組織はすすめてきました。企業の論理、経営の論理、ひいては経済最優先の論理です。

その結果、「休めない環境」を作ってきて、身体的・精神的な負担を増加させてきました。観光バスの運転手のいねむり事故の背景にも、そうした企業の効率主義があったことは否定できません。
多少効率は落ちても、安全第一、ゆとりある働き方を第一に、という方向へと修正しなくてはいけません。

(2)要員の確保でワークシェアリング

人の命にかかわる仕事をはじめ24時間待ったなしの職種もあります。救急外来を受け付ける病院などがその代表ですが、医師や看護師も3交代勤務で無理なく働ける環境ばかりではないようです。
働く一人一人に負担がかからないように余裕ある要員を確保し、無理のないシフトを組む。ちゃんと人を雇って仕事を分かち合う(=ワークシェアリング)発想が必要です。

だれも病気で倒れない、欠員が出ないことを前提に、最小限の人件費で回すことを追求してきた結果、いくら制度としての「休む権利」はあっても、実際なかなか休めない環境をつくってきたのです。
働きたくても仕事がない人、休みたくても休めない人…その格差をなくすためにも、企業は効率よりも「人」を重視すべきです。

(3)過剰なサービスの見直し

24時間対応のコンビニや、宅配業など、いつでもどんなことでも対応してくれるのが当たり前、というサービス業の過度な競争も問題ではないでしょうか?
役所のように「はい、5時になりました、さようなら、がらがらがら…」とはいかない仕事もあるでしょうが、あまりにも時間外に無理な要求をされても「ご無理ごもっとも」で対応するのが当たり前、やれば売り上げにつながるし、そうしなければ他との競争に勝ち残れないから…と、あまりにもサービス労働に対して過度な期待が寄せられ、企業の寡頭競争を激化させてきた結果ではないでしょうか?

(4)仕事から解放された時間をどう使うか?

仕事を早く終わる=会社から追い出される=行き場所・やることがない…で、結局飲みに行く…という人もけっこう多いんじゃないでしょうかね? あとは買い物、ちょっとリッチにナイトクルージング、金曜夕方~土日に旅行…etc.?
まあ、経団連が旗振り役ですから、そういった「消費拡大」が狙いなんでしょうけど…。

同じお金を使うのでも、コンサート・観劇・スポーツなど自分の好きな世界のある人、セミナーなどへの参加で何かを学んで自己研鑽を…と考える人、あるいはお金を使わない時間の過ごし方、たとえば自然とふれあう・子どもとの時間を大切にしている人は、逆にこんな「プレミアム〇〇」なんてなくても、今でも時間を上手にやりくりしてすでに何かやってると思います。
要は、「会社」以外の時間の使い方=「生き方」の問題でしょう。



いずれにしても、この「キャンペーン」をひとつのきっかけに、働く側も、組織・企業も、サービスを受ける側(=客)も、「人としての原点」→「豊かさとは何か?」をあらためて見つめ直せたらいいな、と私は思います。

<参考>

以前のblog記事 → 「仕事だからしょうがない」が多すぎませんか?(2013年6月)


「経済成長」は永遠なのか?

1月4日(水)

3が日明けの朝日新聞、1面と2面を大きく割いて「経済成長、永遠なのか?」と取り上げた。

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★クリックすると大きな画面になります


◆問題提起

いつしか「経済成長」は私たちにとって当たり前のものとなっていた。だが、それは永遠のものなのだろうか?
(編集委員・原真人)

アベノミクスの大黒柱である日本銀行の異次元緩和はお札をどんどん刷って国債を買い支えるという、かなり危うい政策である。にもかかわらず世論の支持が高いことが不思議だった。
思えば「成長よ再び」という威勢のいい掛け声と、「必ず物価は上がって経済は好循環になる」と自信満々の公約に、人々は希望を託したのかもしれない。
希望をくじいたのはくしくも日銀が放った新たな切り札「マイナス金利政策」だった。昨年1月に日銀が打ち出すや世論調査で6割超の人が「評価できない」と答えた。いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようせかす狙いだった。これには、そこまでする必要があるのか、と疑問を抱いた人が多かったのだろう。(以上、一面冒頭部分より)



焼野原となってモノのない時代から復興して「去年より今年、今年より来年…」と経済成長を遂げた日本。
しかしこの「経済成長」という言葉、いったいいつまで求められるのだろうか? 物価がどんどん上がっても賃金はそれに追いつかず、修理するより買った方が安いと言われ、大量にモノを消費してお金を使わせられ、「ものを大切にする」ことは古い発想となり、毎日大量の食料を捨て…それが果たして「豊か」なのだろうか?

私がブログを始めた2010年の秋から、この「豊かさとは…?」というカテゴリーを設けてさんざん書いてきたことだ。
今の安倍政権が成立してから、アベノミクスへの疑問についてもいろいろと書いてきた。ここにきて朝日新聞もまさにその原点に触れる記事を出してくれたな、というのが正直な思いである。


安倍政権が最重要視するGDPがすべてなのか?

ふたたび記事からの引用。

ゼロ成長はそんなに「悪」なのか? 失われた20年と言われたその間も、私たちの豊かさへの歩みが止まったわけではない。
(中略)
若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったかを想像してほしい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全35巻で20万円超…。控えめに見積もったとしても、軽く80万円を超える。
スマホに備わるテレビ電話や会話する人工知能の機能となると、25年前ならSF映画の世界の話だった。

ただ、この便益の飛躍的な向上は国内総生産(GDP)というモノサシで測ったとたんに見えなくなる。80万超の大型消費が、統計上はスマホの8万円だけに減ることさえあるのだ。
そこで見えなくなってしまう豊かさの向上を考慮せず、「どんな政策手段を使ってでもとにかくGDPを膨らませよ」というのがアベノミクスの思想である。

人間はそうまでして成長を追い求めるべきなのか。



大企業ばかりを優遇し、「投資」によって金回りを活発にすることで見かけの数字を上げる政策が本当に正しいのか?
その答えは、時代が過ぎてからしか出ないかもしれない。

しかしながら、武器を売ってまで利益を上げる企業を支援することが、本当に平和主義国家のやるべきことなのか?
ある程度「投資」に回せるお金のある富裕層には良いかもしれないが、今日・明日の生活もぎりぎりの弱い立場の人はどうなるのか…?

私なりにこの「豊かさとは…?」のカテゴリーで問い続けていきたい。
2016年3月の記事ですが、ご参考まで。 
→ アベノミクスは「投資のすすめ」 ~本当の豊かさとは?~ 
 


諸行「無情」の響きあり

9月23日(金)

♪祇園精舎の鐘のこえ、諸行「無情」の響きあり…


遠く異朝をとぶらえば…♪

ニューヨークを訪問していた安倍総理は、現地の金融・ビジネス関係者を前に講演し、TPP=環太平洋パートナーシップ協定の批准に向けたアメリカ政府の努力を求めました。

「安倍晋三です、マリオではありません。でもマリオのように闘い続けています。日本経済を加速させるために闘っています」(TBS電子ニュースより)

自民党って、もともとは「TPPに反対します!」を公約に掲げてませんでしたっけ?
それが、いつのまにかTPPに同意する方向へ、そして今は逆にアメリカに求める方向へ…?

農産物の輸出・輸入を自由化して、農業にも競争の原理を、アジア太平洋での連携を、といった部分で肯定的な見方もあるでしょう。

しかし、本来の「自然の恵みを育て、いただく農業」から「大企業のビジネスとしての農業」へ。
そこには効率主義や採算主義が最優先するということは大いに懸念されることです。

モンサント社などに代表される遺伝子組み換え作物や虫もつかない農薬まみれの作物など、「食の安全」はどう保障されるのか?、という指摘も多くなされています。

★モンサント社をはじめとするバイオ技術の恐ろしさは、TPPが話題に出て早々に特集番組が組まれたり、いろいろと騒がれました。こちらは2011年のブログ記事で、貼り付けておいた動画はもう見られませんが…
→ 
遺伝子組換え作物の輸入自由化の危機!

もともとTPPの推進役だった本家アメリカが、企業最優先の発想から「国民のため」を第一に考えた結果、「TPPをやめよう」と言い出しているのに、「TPP反対」を公約に掲げていたはずの日本のトップがアメリカに「批准をすすめる」とは何ごと!

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近く本朝をうかがうに…♪

民進党玉木雄一郎幹事長代理によると、この秋の臨時国会で 「年金減額強化法案」が安倍政権から提出され審議されるといいます。
物価が上昇しデフレから脱却しても、賃金が下がるのならば、年金支給額もスライドして減額する、というもの。

「ん?」…減らす?
年金の「減額」を「強化」する法案!?

私は目を疑って何度も読み返してしまいました!

物価は上がる、でも賃金は上がらない、庶民は苦しい、まして年金受給者は…
そこで年金受給額を上げて救済するんじゃなくて、逆に減らす?

いったいどんな頭で、何がどうつながって、そんな発想が出てくるのでしょうか?
弱い立場をさんざん追いつめ切り捨ててきて、さらにとどめを刺すような悪法案です!



ちょっと初歩的なところからあらためて…
そもそもインフレ政策は、物価を上げて数字上の「カネまわり」をよくしようというもの。
それと平行して進められてきたのが低金利政策(→さらに今はマイナス金利!)。
これによって「デフレからの脱却」を図ろうというのですね。

この政策の方向で、物価は上がります。で、銀行にお金を預けておいても金利はろくにつきません。つまりお金の価値はどんどん下がるんです。だからどんどん投資しましょう、お金を使いましょう、という方向ですね。

預金の一部を「投資(=ギャンブル)」につぎ込める、そこそこ余裕のある富裕層にはまあいいでしょう。

しかしそこまでの余裕のない一般の庶民には恩恵はありません。むしろ生活は厳しくなった、格差が広がった、というのが現実です。

企業が儲かれば従業員の給与も上がり、下請けも潤い、みんなが豊かになる…というトリクルダウンの嘘!

トリクルダウン


さらに一般のサラリーマン以上に深刻なのはお年寄りたちです。
いま65歳以上の老人の6人に一人は「貧困」を訴えているのです。

年金や生活保護などを受けても年間100万円以下で生活しなくてはならない「底流老人」と呼ばれる層が深刻化しています。

アベノミクスの最大の遺産、「格差の拡大」です。

ここで、物価が上がった(=インフレが成功した)、しかし賃金は上がってない…という状況を見て、年金受給額をやして貧困層を救済しよう、というのなら分かります。

ところが真逆に、「年金を減額しよう」という法案を出そうとしているのです!
弱い立場のお年寄りたちはどうやって生きていけというのでしょうか!?




あと、最近のニュースでもう一つありますね。
そう「配偶者控除の見直し」です。

妻の収入で言われた「(年収)130万円の壁」を「106万円」に引き下げ、社会保険への加入枠を広げようというもの。

「さまざまな働き方に対応」「選択肢を増やした」「一億総活躍」?…はい、これも働ける人にとってはいいかもしれませんね。
収入の上限を気にすることなく思う存分働いて、「扶養」ではなく自分で社会保険にも加入でき、自立できる。

しかし、子どもを保育園に預け、あるいは親の介護をしながら働いている人たちにとっては、今以上に働く時間を増やすことはできない人もいらっしゃいます。
そういう人たちにとっては、収入を上げることは不可能なのに、扶養として許容される限度額が引き下げられ、取られるものが増えて、ますます苦しくなる…

そこに物価の上昇、歳をとってからもらえる年金受給額の減額が追い討ちをかけるわけです。


所行「無情」の響きあり!

内外ともども、どっちを向いても アベコベクス!

国民の命・生活を見捨てて、海外に「支援」という名の「投資」をばらまいて大企業にビジネスチャンスを…

アメリカからキューバに向かった安倍総理は、首脳会談に先駆けてかつての活動家カストロと会見し、またしても13億円の援助を約束!

国民のための「援助」をどんどん切り捨てて愛のない「無情な政策」ばかり進め、海外には「援助」をばらまきまくる。

奢れるものも久しからず…♪
いったい誰のカネをばらまいているのか…!?

さらに、平和憲法を壊して他国のために戦争できる国づくり、武器輸出の道を開き…
このカテゴリーでさんざん繰り返してきたフレーズをあたらめて…

「人の命よりも、地球よりも、経済(=企業の利益)は重い」…のか?

★詳しくは、過去の記事…
→ 
「アフリカへ3兆円投資!」
→ 
「アベノミクスは投資のすすめ」(←こちらはちょっと長いです


ひとえに、風の前の塵に同じ…♪

いったいどこまで国民・庶民の生活を切り捨てたら気が済むんでしょうか?
いったいどっちを向いて、誰のための政治をやってるんでしょうか!?

こうした事実に目を向けない無関心層、自分には関係ないと思って話題にすら出さない人、なお安倍政権を良しとし支持しているのは「経済の虫」たち…?

盛者必衰の理をあらはす…♪


「(前略)…旧主先皇の政(まつりごと)に従わず、楽しみをきわめ、諫めをも思い入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の憂うるところを知らざりしかば、久しからずして亡じにしものどもなり」

~♪途中引用「平家物語」より~

昭和人の名言

9月20日(火)

「え、あの人も!」…

残念なことに、昭和を生きた名優・名作家・演奏家などが次々に天に召されています。

その中から、私にとっても思い出深いお二人の方が週刊誌で詳しく紹介されていました。
お二人が残された「名言」が掲載されていたので、ここにご紹介させていただきます。

永六輔・大橋巨泉 名言集20160920


永六輔さんといえば、作曲家の中村大さん・歌手の坂本さんとともに「六・八・九」の3羽ガラスとも言われ、♪「上を向いて歩こう」♪「見上げてごらん夜の星を」などの名曲を残されました。

それらの曲がリアルタイムで紹介されていた番組が、NHKの元祖バラエティ番組「夢で逢いましょう」*↓
私がまだ幼稚園~小学校低学年のころ、毎週土曜日の夜10時~、歯磨きなど寝る支度をすべて終えてベッドに入ってこの番組だけは観ることが許されていて、とても楽しみにしていました。

当時のNHKは内幸町にあり、日比谷のスタジオから毎週生放送。私の大先輩たちが裏方で苦労されてたことなど何も知らず、ベッドの中から観ていました。
でも途中で寝てしまうことは絶対にありませんでした。あの番組中に流れた曲やエンディングの音楽・画像は今でも鮮明に覚えています。

♪「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)、♪「おさななじみ」(デュークエイセス)、♪「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)なども同時期の作品。越路吹雪さんや丸山明宏(のちの美輪明宏)さんも登場してました。

私にとっては幼いころの思い出ですが、私より1まわり先輩にとっては、まさに青春の思い出、懐メロでしょうね。

*「夢で逢いましょう」
1961(昭和36)年4月~1966(昭和41)年4月まで続き、その後番組として「夢をあなたに」(司会:フランキー堺)に代わりましたが、そちらは1年ほどで終了したように記憶しています。
♪「銀色の道」(ダークダックス)や「帰ろかな」(北島三郎)は「夢をあなたに」で登場。



そしてもうひとり、大橋巨泉さん。
こちらは「夢で逢いましょう」より少し遅れて、私が小学校高学年のころTVでよく拝見しました。

「お笑い頭の体操」「ゲバゲバ90分」にはじまり、「クイズダービー」の名司会者として名をはせ、「野球は巨人、司会は巨泉」とも言われたほど。

私は学生時代になってややテレビ離れしましたが、「11PM」で競馬やマージャンなど、いわゆる「大人の遊び」の世界をとことん追求した方という印象もあります。その後カナダにも移住(?)され、バンクバーには彼の写真が大きく飾られた店がありました。

まさに私から見ても人生を謳歌された方だと思いますが、亡くなられる直前、病ですっかりやつれた姿を見たのが、「戦争できる国にしてはいけない」という、今の日本が進もうとしている方向を危惧する遺言とも言える記事でした。




いまも若く優秀な芸能人が数多くいらして、みなさんそれぞれご自身を磨いてらっしゃることでしょうが、やはり昭和の方たちは「偉人」だと思いますね。

人をこよなく愛し、人としての生き方を、そしてこの国の行く末について真剣に考えてこられた方たちなんだな…と。もちろん長い年輪からにじみ出るのでしょうが。



渋谷に私が行きつけの床屋さんがあり、そこに永六輔さんも生前よくいらしていたようです。

上の記事にも太字で紹介されている、
「生きているということは、誰かに借りをつくること。生きていくということは、その借りを返していくこと」
と自筆で書かれた色紙がいまも飾られています。

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現代社会は、とかく人間関係が難しく、ややもすると「人に迷惑をかけないように」、「人に借りをつくらないように」、ついつい必要以上に頑張って生きようとしがちではないでしょうか?

ところが「人に借りをつくらないように」「自分はちゃんとしなきゃ」と頑張り過ぎることで無理な力がかかったり、「私はこんなに頑張ってるのに、~~さんは全然〇〇してくれない、逆に迷惑ばっかりかけてくれて…」と、相手に対する不満・ストレスになり、「ありがとう」や「ごめんなさい」という言葉が素直に出にくくなってしまったり…

永六輔さんのこの言葉を、私も50代になってようやく「そうだな~」と受け止められるような気がして、生意気にもこんなことをブログにつづったことがあります。

→ 
「お世話になり、迷惑をかけ、生かされている」 (…カテゴリー「自分を見つめる」より)


   
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アフリカへ3兆円投資!

8月28日(日)

アフリカ(ケニア)を訪問中の安倍総理は27日、「アフリカの夢を、ともに実現するニッポン」との新たな外交戦略を打ちたてました。

 「アジアで根付いた民主主義、法の支配、市場経済のもとでの成長。それらの生んだ自信と責任意識が、やさしい風とともにアフリカ全土を包むこと。それがわたしの願いです」

安倍首相は27日に開幕した第6回アフリカ開発会議(TICADVI)での基調演説でこう力を込めたのです。

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首相が示したのは「自由で開かれたインド太平洋戦略」とする新外交戦略。

アジアからインド洋を隔てアフリカの成長の実現を目指す。テコとなるのは「質」と「技術力」を誇る日本のインフラ整備。低コストを武器に売り込みをかけアフリカ大陸への影響力を拡大する中国に対抗する構え。
発展著しいアジアの成功体験と潜在力あふれるアフリカを連結させ、さらなる成長を日本主導で牽引(けんいん)する構想。

そのために「援助」を表明。その額はなんと3兆円!


海外への美辞麗句はいいが…

今回も前もってお断りしておきますが、国際的にグローバルな視点で海外援助を行うことはもちろん意義あることです。国際社会への貢献も世界規模での経済発展も大切、そこは否定しません。

ただ、前々から申し上げているように、低所得世帯の保育無料化(=年間240億でできる)を「財源がない」を理由に公約を破棄して白紙にするなど、日本国内における弱い立場の人への施策をどんどん切り捨てている一方で、大企業や富裕層ばかりを優遇し、海外にはどんどんお金をばらまくそのバランス感覚やいかに!?

しかも、その「援助」の中味は、インフラ整備をはじめとする日本企業の技術を売るためのもの。
今回のアフリカ訪問には、商社やゼネコン、食品など約80の企業・団体による経済ミッションも参加

首相のトップセールスで売り込みを図り、日本企業のビジネスチャンスを広げるもの。
「お小遣いをあげるから、日本企業から買ってくださいね、発注よろしくね」という「見返り」を期待しての「投資」なのです。

われわれが納めた税金を、国内では弱者への施策をどんどん切り捨て、海外にどんどん「投資」してばらまき、見返りで儲かった大企業からは自民党へ献金…という循環は当然あるでしょう。



◆「支援」と称する「投資」

伊勢志摩サミットに先駆けて安倍総理は、「20兆円規模の途上国支援」を表明していました。

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安倍総理が就任以来、海外に「支援」と称してばらまいてきたお金は、今年(2016年)3月の時点ですでに85兆円以上だったと記憶しています。さらに20兆円規模を援助に使うとすると、その額は100兆円を超えることになります。
昨年度の国家予算がたしか96兆円。日本国を運営する年間の予算を超える額を海外にばらまくことになります。

よくそれだけの財源がありますね!?


国民から預かった年金資金を政府主導で国内外の株などに「投資」し、その結果は?
昨年度の1年間で5兆3千億円の損失、今年4月~6月の3か月間でさらに5兆2千億円の損失。その損失の合計は10兆5千億円にも上ります。

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一昨日アップした「年金あれこれ」でもご紹介しましたが、今年の3月に書いたアベノミクスの本質について、あらためて…

→ アベノミクスは投資のすすめ ~本当の豊かさとは?~

かなり長い記事ですが、ここに集約されると思います。みなさんどうお感じになりますか?


人の命の重さとは? ~社会の病理から~

7月26日(火)

またしても今日未明に、神奈川県内でとんでもない事件が起きてしまいました。

障がい者の施設の元従業員が、深夜に施設に刃物をもって侵入し、入所者を次々に殺害!
お昼の報道の時点で、死亡した方は19名。まだこれから増える可能性もあります。朝からこのニュースばかり。まともな人たちのまともな出来事はほとんど報道されていません。

こういう事件報道ばかりを観させられていると、まるで世の中全体がおかしくなっているような、とてもすさんだ気持ちになってきます。

これを単に1個人の「犯罪」として、何人殺したから死刑だろう、いや大麻の反応も出たらしい、精神鑑定の必要も…といった法律的な見解で一時的にとらえるよりも、私はむしろ、社会の病理の一面が現れたのではないか、と思ってしまいます。

「なぜこんな事件が多発するんだろう?」「社会全体が病理におかされているんじゃないか?」「その原因は何か?」…と。



思考停止、身勝手、未成熟、短絡的…

そういう人間による犯罪が突然変異のように出てきた訳じゃなく、親も含めた大人たち、ひいては社会全体の問題だと私思います。

背景にある大きな遠因のひとつは
★「資本主義社会の歪んだ姿」じゃないかと。

子供のころから競争社会の中で育ち、自分の目的のためなら手段を選ばず、成功してお金持ちになること、お金があれば何をやってもいい、お金を持っているのは成功者、そして自分がうまくいかないのは○○のせいだと思い込み、まわりはすべて競争相手であり敵。

…とてもストレスの溜まる社会です。そこに堪えられなくなって自暴自棄になって爆発するものも現れる…
だとすると、こうした事件はますます増えてくるんじゃないかと。

教育の問題をその要因に考える方も多いと思います。もちろんそれもあると思いますが、教育も社会システムの一部であり、社会の価値観がそのまま教育の現場にも反映されます。

教育にだけ焦点を当てて問題視する(=教育のせいにする)のではなく、むしろ社会全体、国全体に目を向ける必要があると私は思います。


◆日本はどこへ向かおうとしているのか?

いま、一国の政権が主導する形で、世界各地の紛争に「支援」という名のもとに武器を輸出する道を開き、わが国が戦後70年余り守ってきた平和の礎が大きく揺らごうとしています。

武器輸出

★クリックすると大きな画像になります


私がこのカテゴリー内でしばしば用いる表現ですが
「人の命よりも、地球よりも、経済(=大企業の利益)は重い」
といった方向に日本全体が動いている(動かされている)ように思えてなりません。

命の大切さをいくら一方で訴えても、それをかき消してしまう大きな力があるのです。
「経済」という名の人間の欲望によって、その力は「がん細胞」のようにどんどん大きくなっていきます。

つい先月にもこんな本をご紹介したばかりです。
→ 
「なぜ世界から戦争がなくならないのか?」


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やはり私たち社会の一人一人が、人としての優しさ・思いやり・想像力をもっともっと強くし、社会全体で★「本当の豊かさとは何か?」を考える必要があると思います。

「趣味」・「ボランティア」とは? ~本当の豊かさを考えるヒント~

2016年7月12日(火)


私が若いころから(←今でも気持ちは若いつもりですが…笑)こだわってきた言葉に「趣味」「ボランティア」があります。
どちらも「仕事以外のこと」(=余裕があったらやればよいこと)というニュアンスでとらえられることの多い言葉かと思います。

★「給料をもらってやる仕事」以外のこと=すべて「趣味」なんでしょうか?
★お金にならないけど大切な仕事=ボランティア=無料奉仕があたり前、なんでしょうか?


◆あらためて問題提起

演劇をやっている方やジャズシンガーなど、本当にやりたいことはそっちだけど、それだけでは食べていけないので他に「本業」としての「仕事」を持っている方は多いと思います。 そういう方にとって、「仕事ではないこと=趣味」なんでしょうか?

「仕事=当然ながら真剣にやるべきこと」VS「趣味=自分の楽しみ」という区分で片付けるにはどうしても抵抗があります。
あと「ボランティア」という言葉についても同様です。「ボランティア=無料奉仕があたりまえ」なんでしょうか?

ビジネスとしての仕事ではなく、誰からも命じられたことではないけど、真剣に取り組まなければできない世界、それを必要としている人たちに応える責任もともなう世界…
もしかすると、「お金をもらってるんだからやって当然の仕事」以上に真剣にならないと成り立たない世界かもしれません。

「ライフワーク」っていう言葉もありますが、なんとなく仕事の一線からはリタイアして、残る人生、お金になる・ならないに関係なく自分が本当にやりたかったことをやる…そんな最終的な大きなテーマのような言葉ではないでしょうか?
そこまで大げさな言葉ではなく、若いうちから「会社だけ人間」になることなく、好奇心と情熱をもって真剣に取り組む仕事以外の世界…、なにかいい呼び方はないものでしょうかね?



趣味とは?

言葉としては「趣(おもむき)を味わう」こと。あたかも平安貴族の「管弦の遊び」のような、とても優雅な世界を想像させますね。

一方、英語では「Hobby」という言葉があります。 こちらはミニカーや鉄道模型といったミニチュアをコレクションするイメージがわきます。

もうひとつ、ミニチュアならぬ「アマチュア」という言葉が浮かびます。それを生業(なりわい)として報酬を得ている「プロフェッショナル(プロ)」と対峙する言葉で、報酬はもらわずに、もっぱら個人の「楽しみ」としてやる世界。

私が「趣味」という言葉を用いる場合、3番目の「アマチュア」というニュアンスで使うことが多いように思います。ただ、その使われ方にちょっと違和感を感じることがあるのです。



たとえば音楽の世界で、仕事(プロ)としてオーケストラをやるのと、アマチュアとしてオーケストラをやるのとの違いはなんでしょう?

もちろん演奏の技術面・表現力には天と地ほどの差がありますから、比較すること自体おこがましいのですが…

プロの方は基礎も十分できていて、ふだんの練習量・レパートリー・場数経験・表現力…どれも充分ある方たちですから、たいていどんな曲でも2~3回合わせ練習をして、指揮者が求めている音楽を理解し、要所ごとに確認する程度で、本番では素晴らしいアンサンブルができます。

一方アマチュアは、さまざまな年齢・さまざまな職業の人たち、楽器経験も異なる人たちが集まって「1」から音づくりをしていかなくてはいけません。
たいていのアマチュアは年に2回ほどの定期演奏会を開くとして、ひとつの曲に半年ぐらいの練習を重ねることになります。長い道のりです。

編成の大きな曲を演奏しようと思ったら、プロでもアマチュアでも同じ楽器・奏者が必要になります。
数回のリハーサルだけで本番を迎えられるようなベテラン揃いの「一発オーケストラ」は別として、多くのアマチュア団体は半年ほど練習を重ねるので、大型楽器も毎回揃えて運ばなくてはなりません。

プロのオーケストラだったら専属の事務局があり、演奏面以外のことは事務局がやってくれるので、演奏する人は音楽面・演奏にだけ集中すればよいでしょう。もちろん演奏面に求められる質の高さ、厳しさ、責任は大きいですが。

一方アマチュアには、そこまで演奏面での責任はないとはいえ、やはりそれなりの演奏レベルにもっていくまでの長い道のりがあり、毎回の練習会場の確保、楽器の手配、運搬、練習計画、本番会場の手配、チケッ・チラシ・プログラムの作成、告知、次回の曲目選定、そのほか団の運営に関するもろもろのこと…etc.

それこそ演奏以外にも膨大な「仕事」があります。
それらすべてを、演奏する団員が自分たちでやるのです。それぞれ忙しい本業をほかに持ちながら…

ここであえて逆説的なことを書かせていただきます。
プロだから大変、アマチュアだから適当に「遊び」でいい…なんでしょうか?



もしプロの演奏家だったら、それが本業ですから、朝から晩まで音楽に集中していても誰からも文句は言われません。でも「アマチュア」が、仕事の休みの日に朝から晩まで楽器の練習ばかりやってたら、家族から見放されます(笑…ごとではありません!)

「やって当然」とされないことを、どうやって本気で時間を作り出して続けるか…?

また「仕事」だったら、万が一本番当日に怪我をしたり病気になったり家族に何かあった場合、急きょ休んでもたいてい代役がいるでしょう(乗り番・降り番のシフトがあって、降り番の人が急きょピンチヒッターで入る。万一に備えて代役で注目を集められるように、したたかに練習している人もいるかもしれません)。

音楽以外の世界で見ても、たとえば会社の仕事は「組織」で動いてますから、個人ひとり欠けても組織として誰かがフォローしてちゃんと機能しなくてはいけません。むしろ「その人でないと分からない」ような抱え込みがあったら組織としては良くないのです。

一方アマチュアは、何か月も前から練習を重ねてきて、各楽器の音色や微妙なタイミングも「その人が頼り」という要素も大きいです。
ずっと練習に参加してきて、本番当日に何か急な仕事が入ったから、家族が病気になったから「ごめん、俺ちょっと出られないわ」は簡単には許されません。楽器にもよりますが、代役はそうそう簡単には立てられません。

仮にお金を払ってプロに頼めば、その本番はなんとかクリアできるでしょう。でも、自分が出られる時・出たい時だけ参加して、本番当日「ごめんなさい」が簡単に許されるとしたら、アマチュアとして一緒にやる意味はなくなってしまいます。

つまり「仕事」だったらお金をもらってるんだから、やって当然、できて当然ですね。
一方アマチュアは、仕事ではないから「義務」ではありません。でも、「義務ではない=そのうち余裕があったらやればいい=遊び」という感覚では、いつまでたっても「そのうちできたらいいな」でしょう。

また、「好きな時だけ、出られる時はやればいい」では活動として成り立ちません。やる以上は「仕事以上」に真剣に覚悟を決めて取り組まなくては成り立たない世界。

この「真剣にやらなければ成り立たない世界=本気の遊びの哲学」を学んだのは私がまだ中学生のころ、今もご健在の鉄道模型屋さんのおやじさんからでした。

こちら、過去のブログ記事から…

→ 
「遊びから学ぶ 人生の恩人」 (2010年7月)



いまから10年以上前ですが、かみさんにそんな話をしたら、「あなたにとって家族とは、趣味より下にあるものなのね!」と言われてしまいました。いまだに言われます(泣)。
やる以上は決して生半可な「楽しみ」のレベルではなく、責任も伴い、それなりの覚悟がなければできないことなんだよ。釣りとかパチンコのように、好きな時・できる時だけやればいい気楽で無責任な遊びとは違うんだよ、ということが言いたかったのですが…

はい、本業の仕事、家族との時間も大切にきちんと向き合い、人並以上にやった上で、趣味にも真剣に取り組まなくてはいけない、と表現を修整させていただきます。


◆ボランティアとは?

「趣味」と並んでもうひとつ私の中で気になる言葉として「ボランティア」があります。

これも、「仕事=報酬を伴うもの=当然の義務としてやるべきこと」に対して、「ボランティア=任意で、報酬を受けないでやること」という風にとらえられることが多いように思います。

しかし、そもそも「ボランティア=無料奉仕があたりまえのこと」ではないのです。
本来は「自分の意志にもとづいて行う活動・仕事」という意味です。

給料をともなう「仕事」として、組織の上から命じられてやらなくてはいけない仕事、ビジネスとしての「仕事」ではなく、大切なこと、必要としている人のために、積極的な意志(=善意)によって行う仕事です。


一方、ビジネスとしての「仕事」は、会社が利益を上げなくてはいけませんから、世の中に対して会社が作り出す需要というものも存在します。

経済学の喩え話に「エスキモーにどうやって冷蔵庫を売り込むか?」という話があります。

氷原で暮らすエスキモーたちには冷蔵庫なんて必要ないように思いますよね。昔から冷蔵庫なして彼らは生きてきたんですから。
そこで、彼らに「ビールのおいしい飲み方」を教えるんだそうです。ビールももともとエスキモーにはなかったものでしょう。ひとつの「新しい文化を伝えること」と言ってもいいかもしれません。

そして、氷の中にビールを突っ込んでおいたらガチガチに凍ってしまいますよね。
そこで、ビールを凍らせることなく、適温で冷やしておくために、冷蔵庫というものが必要なんですよ。これがあると便利ですよね、と営業するわけです。

ちょっと悪い言い方かもしれませんが、もともと需要(=ニーズ)のなかったところに、新たな需要(=欲求)を作り出し、そこに「仕事」を作り出す、ということです。
ビジネスとしての「仕事」の中には少なからずそういう側面もあるでしょう。



一方「ボランティア」はどうでしょうか?

被災地の瓦礫を撤去する、お年寄りの施設で介護のお手伝いをする…どれも本当にそれを必要としている人が現実にいます。
しかしそれを企業の論理(=採算性)で考えたら、「仕事」としては成り立たない世界。
でもそれを必要としている人にとっては「待ったなし」の仕事が現にそこにあるのです!

そこに、お金目的ではなくあくまで「善意」で駆けつけて、親身になって働くのが「ボランティア」ではないでしょうか?

ならば、最低限の交通費・必要経費、そしてなにより彼らの「善意」による「かけがえのない働き」に見合ったなんらかの報酬はあっても良いのではないでしょうか?

決して「もうけ主義」に走るような高すぎる報酬は必要ありませんが、考え方によっては、「会社が儲かるための仕事」以上に、報酬面でも社会的にもきちんと認められてよいのではないかと。

このあたりも、以前のブログ記事に書いていることと重複します。

→ 
「本当に必要なことにお金が回る仕組みを」 (2013年9月)



もう一歩踏み込んで言わせていただくなら、政治家・議員たちこそ、「社会のため・世のため・人のために行う有償のボランティアで」という発想があっても良いのではないでしょうか?

もちろんただ(無料奉仕)で働けとは言いませんが、一般の労働者の賃金とはおよそかけ離れた異常に高い報酬や特権を与える必要はありません。アメリカのように「労働者の平均的賃金」とすべきです。

そうすれば、カネ儲けのために政治家になる人や、政治家になったとたんに金銭感覚がマヒしておかしな不正を働くような人は現れなくなるのではないでしょうか!?

政治倫理の問題と合わせて、税金の使われ方も大きく変わり、その分を福祉などの社会保障の充実に回せば、財源問題も大いに解決でき、何よりの政治改革・行政改革になるのではないでしょうか?


仕事だからしょうがない…?

最後に、ここまで「趣味」や「ボランティア」と対極にあった言葉は、いうまでもなく「仕事」ですね。
報酬をいただき、義務も責任もともなう「仕事」が大切なことは言うまでもありません。

しかし、いつも「仕事が忙しいから」を言い訳にして、「会社がすべて」になってませんか?
飲み会やゴルフなど、会社の人がちょっとでも関係するとすべて「仕事」なんでしょうか?
大切な人や家族との約束をドタキャンしたりすっぽかしたときに「仕事だからしょうがない」を言い訳にしすぎてませんか?

入社面接で、あるいは新しい部署のトップとの面接で、「仕事以外に休日にこんな活動をしています」と言うと、みなさん「それは素晴らしいことだ。ぜひ続けてください」と言われます。

ところが実際の職場では、せっかく計画的に仕事もこなしてきて、週末近くになって、急な休日出勤をしなければならないかもしれない事態になることも。ふだんの休日なら出勤もいといませんが、前々から予定していた行事のある休日だったら…?

そんな時かならず言われるのが、「仕事とプライベートとどっちが大切なんだ?」

「仕事かプライベートか」と究極の二者択一を問う前に、仕事の中身、仕事の段取り・進め方、トータルなワークバランスを考えてみることが大切ではないでしょうか?

これも過去のブログ記事から…

→ 「仕事だからしょうがない」が多すぎませんか? (2013年6月)



「趣味」、「ボランティア」、そして「仕事」…ふだん当たり前のように耳にする言葉ですが、その中身について、「常識」とはちょっと違う切り口でつづってみました。

これは私自身が30年以上サラリーマンを経験してきた中で感じてきた、今の日本社会の価値観への問題提起でもあり、その中には「本当の豊かさとは何か…?」を考えるヒントも隠されているのではないでしょうか?


  よかったら、ご意見をコメントに残していただけたら…
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あまりの商業ベースは、豊かさを奪う


★4年前、2012年の記事をあらためて掘り起し、リライトを加えました。


◆古き良きもの

それも単に博物館のガラスケースに大切に保管されているだけでなく、ちゃんと生きた状態で使われてこそ価値があるというもの。

弦楽器の名器ストラディヴァリウスは、300歳を過ぎた今になってますます音色を輝かせてくれます。木の乾燥具合、一説によるとカビが音の秘訣とも言われますが、いずれにしても素晴らしい持ち主によって音の命を吹き込まれてこそその価値は輝くのです。

イギリスでは蒸気機関車など過去の「産業文化財」を大切にしようとする意識が社会全体に定着しています。日本でも最近は蒸気機関車の動態保存は各地で行われ、もと国鉄職員や職人さんたちが部品の鋳造から釜の手入れまで大変なご苦労をされ、まるで生き物のような蒸気機関車の魅力を子供たちにも伝えてくれています。

われわれの身の回りでも、古き良きもの、その心を大切にしたいですね。



少し前に「カッコウ時計(はと時計)」の記事をこのブログに書きましたが、カッコウ時計は1870年代にドイツの小さな街・シュバルツバルトで誕生しました。

重りの力で機構を動かし、中には2本の竹笛と吹子(ふいご)による小さなパイプオルガンのような仕掛けを内蔵し、定時になると扉が開いて鳥が顔を出して時刻の数だけ「パッポウ」と鳴きます。

まさに遊び心を職人さんが本気で形にした素晴らしい文化ですね。
シュバルツバルトには今でもカッコウ時計の協会があり、100年ものの時計を大切にメンテナンスしてくれると聞きます。

(→ 「カッコウ時計」 の記事)
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ところが最近の日本では、街の時計屋さんでもデパートでも、ほとんどの時計は電池式のムーブメントを内蔵したものばかり。ぜんまい仕掛けの時計は注文しないと手に入りません。
 
まあ、それはいいとして…
♪「おじいさんの時計」のような「100年休まずに…」とまではいかないまでも、時計は何かの記念に買って贈られ、末永く使うもの、ではなかったのでしょうか…?


たった半年でお別れした「はと時計モドキ」

今年(2012年)の春、娘の誕生日に電池式の「はと時計モドキ」を買ったのですが、わずか半年足らずで不具合が起き、修理に出す際に故障の原因について説明を求めたのですが、なんの回答もなく新しく来た“代替品”には別の不具合が!

買ったお店は量販店で、修理はおろか、商品の内容はまったく分らず、ただメーカーの工場に修理に送って、戻ってきたら連絡してくるのみ。
教えてもらったメーカーの窓口に問い合わせても、技術担当でないと何がどういう不具合だったのかも一切分らず…

けっきょく技術(修理)担当者まで電話で追いかけ、説明を求めたところ、不具合の原因は、ABS樹脂(プラスチックの一種)の歯車が割れたことが原因とのこと。肝心な稼働部分が、金属の歯車ではない…?

そして修理から戻ってきて動かしてみたら、また別の不具合(=小窓の開閉がひっかかる)。
納得できなかった私は、その技術担当者と営業担当者を呼び出し、説明を求めました。

また分解しないと見えない他の可動部分のパーツにも、驚くべきところが金属ではなくABS樹脂が使われていることも分かりました。 

いまもし新品の同機に交換してもらっても、また同じような不具合が起きる可能性もあるし、一年以内の保証期間内なら修理も可能だけど、ある期間を過ぎて新しい商品になったらこの型は製造中止となり、部品を保管しておく一定の期間が過ぎたら、もはや修理もできなくなる可能性も大ですね?」と問うと、営業担当者も技術担当者も返答に困ってらっしゃる。

これでは、娘の誕生日の記念としては意味をなさないと判断し、半年間わが家で鳴いてくれた記念の時計への愛着もありましたが、結局のところ「返品」とさせていただきました。


基本的な操作ができない新製品

時計に限らず、カメラしかり、ラジカセ(←古い…笑)しかり…

昔ほど「高級品」ではなくなって量産化が進んだのはいいことですが、すぐ壊れる。修理を頼もうとするともう今は製造していなくて部品がない、「修理するよりも新しいものを買った方が安いですよ」という時代。

それだけではありません、本来その道具が備えていたごくごく基本的な機能、実際に使う人が、それまで当たり前のように使ってきた基本的な機能がどんどんなくなって、見た目・流行りの売れ筋だけで、画一化した同じような商品ばかりになってしまうのです。

例えば、先ほどの古い話ですがラジカセ(ラジオも聞けるカセットテープレコーダー)。
テープのA面とB面をひっくり返して入れる原始的なタイプからずっと愛用してきた私は、FM放送で流れる音楽を録音したり、音楽のリハーサルを生録音したりしてきました。

カセットの取り出し口は透明のアクリルで、中のテープの回転・テープ残量がよく見えてました。また、アナログで3ケタの数字が回転し、リセットすると「000」になるカウンター。録音中でも再生中でもリセットボタンを押して「000」にしておいて、後で巻き戻してその箇所を探すのにも、テープの残量を知る目安にするにも、何かと便利な機能でした。

ところが、ダブルカセット(=カセットテープが2本入り、一方を再生してもう一本のテープにダビングできる)や、オートリバース(=A面サイドの再生が終わると、自動的にヘッドが回転し、テープが逆回転してB面サイドを再生してくれる)になると、それまでの基本的な機能が消えて私には使いづらいものとなってしまいました。

車の中で聴くような場合、A面が終わりまで行ったら、いちいちテープを取り出してひっくり返して入れ直さなくでも自動的にB面になってくれたら、たしかに便利です。

また、テープを友達にコピー(ダビング)してあげたい場合、それまでは2台のラジカセを用意して「出力」から「入力」へラインをつないで、一方を「再生」に、一方を「録音」にしてやるしかなかったけど、ダブルカセットなら、1台の機械にテープを2本入れ、再生・録音ボタンひとつでダビングができる、しかも倍速でやってくれるから時間も半分で済む…たしかに便利です。

だれでも簡単に、ある決まった使い方だけなら便利で簡単でいいでしょう。でも、でもです。

本来エアチェック(=放送を録音)するにしても、生録するにしても、テープの途中で止めたり、自分の入れたい途中の箇所から別の音楽を録音したい、これはA面に録音したい、こっちはB面の途中から(例.この曲の次に)入れたい…といったことは当然あったわけですね。

あと私がよくやったのは、手元に片面60分のテープしかなくて、FM放送で録音したい交響曲の演奏時間が70分、という場合…
3楽章まで終わったら、客席でごほんごほんと咳払いのする隙間時間に素早くテープを取り出してB面にひっくり返して再び録画ボタンを押す、ということをやれば、1曲全部録音できたんです。

ところが、オートリバースではこの芸当はできなくなりました。そればかりか、入れたテープがどっち方向に回り出すのかも分かりません(ボタンを1回押すと、いま回っている方向を逆転させてはくれますが、いま録音・再生ボタンを押したらどっちに回り始めるかは分かりません)。
またデザイン優先のため、カセットののぞき窓がサングラスのように黒くなっているものが多く、中のテープが今どっちに回っているのかも、残量がどのぐらいあるのかも見えなくなってしまいました。

編集もなにもしないで、ただ繰り返し聴くだけ、まったく同じテープをもう一本作って人にあげたいだけ、機械の操作は苦手…そんな人にはいいかもしれませんが、すべてがそうではないはず。
なんでもイージーに使える、お決まりの使い方しか想定されてないものばかりが市場のほとんどを占めてしまうのです。私のような使い方(=本来の録音)をする人たちは、みなさん口をそろえて「使いづらい」と言ってたはずです。

技術的にはできないことではなく、新しく付加された機能よりむしろ単純なことなのに、それができない。
もしその機能を要求するなら、一部の「マニア向け」と称する「高級機種」に限られてしまう。
私の要求って、そんなに規格外なんでしょうか!?


「売れるものを作る=売れるものしか作らない」…無責任!

商品を開発するメーカーも、小売店も、ただ人気があって売れる商品一辺倒になってしまっています。
小売店は、扱っている商品に関する知識もない、修理する技術もない。かつての街の時計屋さんや靴屋さんは偉かった!
いまはみんなが代理店。ただ人気商品を仕入れてきて、並べて売るだけ…? 

そして製造元のメーカーも、販売店も、量産のラインに乗ったものを一定の数作って流せばいい。
新製品が出る情報は伏せて旧製品の在庫を一掃しようとする。

基本的なメカは旧製品と共有されて引き継がれていればまだしも、全く新しい方式のものがどんどん出てくるとそれまでの基本的な機能がどんどん消えていく。修理などのアフターケアも含めて、旧製品のユーザーへのフォローはほとんどない。
 
使う人のこと、道具を愛して長く使いたいと思う人の気持ちなどまったく関係なく、古い部品はどんどん一掃して新商品開発… いわゆる「売りっぱなし」状態…無責任ですよね!


クリスマスを過ぎると市場から消えるポインセチア…これも商業主義?

正月明ければ2月の「節分」で豆まき・恵方巻き一色、それが過ぎると「お雛さま」一色に…
秋になれば「ハロウィン」一色、ハロウィンが終われば「クリスマス」一色に…

デパートからコンビニまで、季節ごとの商戦は過熱する一方ですね。
しかし、「そのイベント」を過ぎると、本来あるはずのものが手に入らなくなる!

もう何年も前の話ですが、お正月にウィーンから生中継される演奏を届ける音楽番組「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」を何年か担当したことがあります。
ある年、ウィーンのコンサート会場ではポインセチアをメインに飾るとの前情報を受け、生中継を受ける東京のスタジオでもテーブル周りにポインセチアを飾りたかったのです。

ところが…

クリスマスを過ぎると花屋さんの店頭からはもちろん、卸しからも生産者からも、すべてのポインセチアが花の市場から消えるんですね!

真夏にポインセチアやシクラメンを要求してるわけではないんですよ!
(もしドラマの収録で季節外れのものを要求されたら、それこそ初めから造花で対応したでしょう)
それが、クリスマスからまだ1週間しかたってないのに、まったくどこにもない…?

クリスマスを過ぎて正月を迎える時に買う人はほとんどないから?…はい、必ずしも売れないものを店頭に並べてくれとは言いません。しかし、花屋さんから市場に問い合わせてもらってどこにもなく、生産者のもとにもないんです!
それも、100鉢とか大量の発注ではなく、ゲストテーブルの前にならべるせいぜい10鉢すらない。なんで!?

栽培農家に残っていたものもすべて焼却処分され、市場でも一切取引してはいけない、なんて禁止令でも敷かれてしまうのでしょうか!?

クリスマス前に鉢植えにされたものでも、わずか1週間で枯れてしまうなんてことはないはずです(←ポインセチアの赤く見えている部分は「花」ではなく「ガク」なので、けっこう長持ちし、以前私の実家で母が買ってた鉢植えは年明けの2月ごろまで元気でした)。

少なくともウィーンではステージいっぱいに飾られているものが、日本の市場からはクリスマスを過ぎたとたんにすべて消滅してしまうのは、あまりにも商業主義に走り過ぎてるのではないでしょうか?

しかたなく、その年は赤と白のバラをスタジオ一杯に飾りました!
常設番組の基本セットを使ったので、美術予算の大半を「花」にあてたのです。
巨大な花輪で“パチンコ屋さんの開店祝い”にならないように(笑)、テーブルやバックにちりばめて…

朝からスタジオ中がバラの香りで満たされ、匂いに酔う人が出ないか心配したほど。
でも喜んだのは出演者だけではありませんでした。お正月のその番組のために出勤した照明さん・音声さん・番組スタッフ(ほとんど男性)も、収録後はみなさんバラの花を抜いて紙に包んで持って帰られました。

災い転じてなんとやら…。私の現役時代の思い出のひとつです。
(業務上知り得た守秘義務はもうとっくに消滅してるので書かせていただきました)



このような私の価値観って、おかしいんでしょうか?
「売れるものしか置かない、それは当たり前じゃん」なんでしょうか?
驚いたり、嘆いたり、ちょっと文句を言いたくなるのは間違ってるのでしょうか…?

あまりにも市場原理・経済の原則ばかりが優先され、どんどん使い捨て商品を産み、画一化されたものだけとなり、人の想像力も精神的な豊かさも奪われてきたような気がしてなりません。

古いものだけに固執するつもりはありません。最新技術も素晴らしい世界を切り開いてくれます。
でも、モノと人との関係って何なんでしょう?
ただ売れるものを並べればいいのでしょうか?

本来のモノが持っていたはずの基本的な意味、備えていたはずの基本的な機能、それを使う人たちのモノへの愛着、そこから広がる想像力…

企業としての利益、商売の成立ももちろん大切でしょうが、人として大切なことを商業主義はどんどん奪ってきたのではないでしょうか?


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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