金星と木星

10月25日(日)

ここ数日、眠りが浅くやや不規則。けさは、4時半ごろ目が覚めてしまいました。
先月から、夜明け前の東の空に、金星(明けの明星)と木星が輝いていることを思い出し、カメラをもってわが家の屋上に。

きょうの東京の日出は5:56。 
まだ真っ暗な東の空の、けっこう高いところに2つの星は輝いていました。

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右の明るいのが金星。地球より内側を回る内惑星ですから、太陽に面した左側の面だけが半月のように照らされているはずですが、私のカメラでは丸い光の点としか映りません。

木星は、地球よりも外側の軌道を回る、とてつもなく大きな惑星ですね。何年か前には、日没後の西の空で木星と金星が近くに見えたことがありました。 
→ 月・木・金 (2013年3月)

ふたたび木星と金星のデュエットが見られるのは何年後か…


一方真南の空には…

3文字入

明け方4時半ごろには、もう冬の大三角形がほぼ真南にあるんですね。
つい2~3か月前には、夜8時ごろ「さそり座」がいたあたりです。



権利=授かったものへの感謝から

7月30日(木)

真夏の夜に帰宅するバスでふと思ったことを綴ります。


◆「権利」とは?

バスでも電車でも、運賃を払えば「乗る権利」が得られます(乗車権?…笑)

よく「権利には義務が伴う」といったことが言われます。
でも、権利と義務は、ギブ&テイクのようなかけ引きだけのことなんでしょか?

市民権、永住権、選挙権、被選挙権、投票権、居住権、請求権…etc.
どれも法律で定められた大切な権利ですが、ちゃんとその価値を活かしてるでしょうか?

法律も含めて人間が作ったもの、人間界のレベルで考えられること、あるいは極端な場合信じられるのは自分自身だけ、という発想からは、本当の意味での「権利」はなかなか見えてこないのではないでしょうか?

われわれに授かっているものは「あたり前」ではなく、実は大変なこと、ありがたい(有り難い)こと。
それに対する感謝の気持ちがあって初めて、授かったものを「活かそう」と思える…それが本当の意味での「権利」ではないかと。

そしてそれを活かそうとしない怠慢、さらに究極は自らの命を絶つこと、それこそが「罪」なのだと。


<着想 その1>

●「私には~~する権利がある」=「当然でしょ?」と主張し、自分が軽くあしらわれていることに文句を言うようなニュアンスがあるのでは?

●「あなたに、そんなこと言う権利があるんですか?」=いったいあなたは何様のつもり?

自分が持つことは当然で、相手が持つのはけしからん…核兵器みたいなものでしょうか(笑)?

さらに…

●勝手に決める権利、人の命やものを奪い取る権利、ある者にだけ与えられた特別な権利…etc.

●自分は特権階級にあり、権利がたくさんあるように勘違いする傲慢さ、さらにそれが寄り集まった「数の力」が、政(まつりごと)の道、ひいては人としての道を誤らせるのではないでしょうか?

◆人が与える権利?

子どもが親との約束にもとづいてお小遣いをもらう権利、もらったお小遣いで自由にものを買える権利、会社に所属して一定のルールに従って働くことを条件に与えられるさまざまな権利、住民税を納めている住民が行政サービスを受けられる権利…etc.

これらはみな、人が人に与える権利。人間社会において一定のルールを守ること(=義務)を条件に与えられる「権利」ですね。

でも、憲法で定める「人権」、すなわち人として尊厳をもって生きる権利は、そもそも人が人に与えるものなのでしょうか…?

憲法改正が粛々と言われる中、この根本を考えてみたかったのです。

本当の意味での「人権」という概念は、国の権力者が国民に与えるものではありません。
「生かされているすべての命」という考えがベースにあってこそ気づくものではないかと。

与えられた命に感謝し、命あるものがお互い尊重し合い、ともに生き、与えられたものを最大限活かす…そこではじめて「人権(権利)」の意味が浮き上がったくるのではないかと。


<着想 その2>


つぎに、自然界の生き物に目を向けた時にいつも思うことです。

擬態ってご存知ですか?
「ものまね」や「かくれんぼ」のうまい生き物が、周りの環境に溶け込んだ姿をしていて、天敵から身を守ったり、獲物を騙して捕獲したりする、あれです。

カメレオンやタコのように、身体の表面の色素が周りの環境に応じて変化する擬態もありますが、中には生まれながらこんな姿をしているものも…

ハナカマキリ
ハナカマキリ

ハカマキリ
ハカマキリ

カレハチョウ
カレハチョウ

どうしてこんなに周りの環境にそっくりな姿で生まれてくるんでしょう?

昆虫だけではありません。昆虫に姿を似させた植物もあります。

ハンマーオーキッド(蘭の仲間)
ハンマーオーキッド

雌蕊(めしべ)の先がある昆虫のメスとそっくりな形状・色をしていて、匂いまで発しているとか!
オスがやってきて、メスを連れ去ろうとしますが、雌蕊(めしべ)ですから離れません。バネのような力で虫を雄蕊(おしべ)に叩きつけて花粉を付けるのです。なんという知恵を持った植物でしょう!?

植物の中には、ある特定の虫と共生するしくみを備えているものがあります。不思議ですね。



ダーウィンの進化論を否定するつもりはありません。生き物たちは環境に順応させて進化をつづけ、環境に適応したものだけが生き残り…長い歴史の中で今のような多様な種がそれぞれの環境の中で生まれてきたんだと思います。

しかし、一部のこうした生き物たちを見ていると、偶然そういう形で生まれてきて、たまたま環境に適応したものが生き残った、あるいは自分の意思でそういう形に進化した…とはどうしても思えないのです。

神様から、「はい、あなたにはこういう姿を授けます。こういう場所に生きて、こうやって敵から身を守りなさい、こうやってエサを取るんですよ、こうやって子孫を残すんですよ…」と言われて命を授かったとしか思えません。

まさに命は授かったもの、そしてみんな命を与えられて生かされているのです。
*擬態についてこんな記事も以前書いてます。→ 「辰年にちなんで 海のドラゴン」



<着想 その3>

つぎに地球上に生きる者たちへ。
子どものころ、動物園で、あるいは動物図鑑で、この名前をはじめて聞いて笑った人も多いのではないでしょうか?

ナマケモノ
ナマケモノ

一生のうちほとんどを木にぶら下がって生活し、ほとんど動きません。だから怠け者=だらしなく怠惰な生き物。なんとも失礼なネーミングですよね!

その昔、人はこの動物を見たとき、風から栄養を得て生きていると思ったそうです。
でも、よく観察すると、わずかながら木(ユーカリなど)の葉っぱを食べているんですね。
1日にわずか8gの葉っぱを食べれば生きていけるそうです。

寝ても起きても木にぶら下がり、仲間同士で縄張りを争うこともなく、他の動物や昆虫を捕まえることもなく、環境をむしばむこともなく、静かに平和に生きているのです。

でも、そのナマケモノがいま絶滅の危機に瀕しています!

1日たった8g、ユーカリの葉にして数枚です。たったそれだけで生きられる環境さえも失われようとしているのです。これは深刻です!

こんな罪もない平和な生き物の生きる権利さえも奪う権利が、はたして人間にあるのでしょうか?


◆私なりの答え

キリスト教の神様でもいい、ユダヤ教やイスラム教の神様でもいい、日本の八百万(やおよろず)の神様でもいい、仏教でいう仏でもいい…
人間の常識を超えた、はるかに大きな力、絶対的なもの、宇宙の力、あるいは「光」といってもいいでしょう。

そういう大きなスケールから人間を見て、人間に与えられているもの、授かっているものに気づいて感謝し、畏敬の念を抱くとき、命の尊さに気付く。
生きている以上それを活かさなくてはいけないと思う。謙虚さをもって、ほかの命と「ともに生きていく」…それが本当の意味での「権利」という概念につながるんじゃないか、と。

私が法学部の学生だったころから、なんとなく漠然と思っていたことへの、いまの私なりの答えです。


   
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弁天さま

◆鎌倉・銭洗い弁天

鎌倉の大仏のある長谷から小道を登って源氏山へ入り、化粧(けはい)坂を抜けて北鎌倉へ…散策にはいいコースですね。

その途中に銭洗い弁天があるのをご存知でしょうか?
岩から出る湧水で銭(お金)を洗うと、何倍にもなって返ってくると言われています。

銭洗弁天

ところで、弁天さまって、どういう神様なんでしょうか?


◆弁才天(弁財天)、弁天さまとは?

原語は「サラスヴァティー」で、聖なる河の名を表すサンスクリット語。

古代インドの河神で、河の流れる音や河畔の祭祀での賛歌から、言葉を司る女神ヴァーチェと同一視され、音楽の神、福徳の神、学芸の神など幅広い性格をもつに至ったといいます。

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こんな美しい偶像もあるんですね。琵琶のような楽器を手にしています。
七福神にも入っていますが、唯一の女性神です。

経典に準拠した漢字表記は本来「弁才天」ですが、日本では財宝の神様としての性格も付加され、「財」の字を充てて「弁財天」と書かれることが多いようです。

元来インドでは河神であることから、日本でも、河・湖・池・泉など「水」に関係の深い場所に祀られることが多く、「弁天島」「弁天池」「弁天橋」といった名称のつく地名も多いですね。

井の頭恩賜池

東京の井之頭恩賜公園のボート池とつながったもうひとつの池にも弁財天が祀られ、「弁天橋」も架かっています。
この池で恋人同士がボートに乗ると別れるというジンクスは、女性神である弁天様がやきもちをやくからだ、という俗説から来ているようです。
こんな美しい神様に、ちょっとやきもちを焼いてもらいたいと思いませんか?



◆「水」と言えば…

水と深い関係があって、言葉・音楽・学芸を司る神様…ふむふむ、なるほど~!

ところで「水魚の交わり」という故事成語をご存知でしょうか?
水と魚のように切っても切れない関係、欠くことのできない友、という意味ですね。

では「木魚の交わり」は?
お坊さんと木魚のように、切っても切れない、欠くことのできない深い関係…?
 
「水」と「木」、曜日でもうっかり見間違えるぐらいですから、日本語を勉強している外国人がうっかり間違えて覚えてしまうかもしれませんが、「水魚」でも「木魚」でも、意味はあまり変わらないみたいですね!(笑)

そして「魚」といえば…??
携帯から突如発射されて脇腹を直撃するくだらな~いギャグメールのことを「魚雷メール」といいます。→魚雷ギャグとは

音楽や日常の話題、ちょっと好奇心を刺激する雑学的な話題から、「ことば遊び」&とんでもない「発想の転換」へと流れ流れて、右脳を豊かにし、笑いと幸せの世界へ…


「ゆく川の魚雷は絶えずして、しかももとの魚雷にあらず。よどみに浮かぶ勃発は、かつ消えかつ結びて久しく静まりたるためしなし」 ~鴨の腸詰『豊冗記』より~

→魚雷列島津々浦々

いずれにして、弁天様はちょっと気になる神様です。

雷と竜巻

まだまだ残暑も厳しいですが、カレンダーはもう9月ですね。

日没時間が早くなったのと、朝晩の風やコオロギの声にほんの少しながら秋の気配を感じます。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?

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9月になってもまだまだ30℃以上のところが…



この夏のはじめ、まだ梅雨も半ばの6月終わりごろに「雷」に関する記事を書きました。
これからやって来る夏に期待を寄せつつ、「雷」や「嵐」にまつわる音楽のお話などを…

(カテゴリ ★ティンパニのつぶやきの「雷・嵐と音楽と」、およびカテゴリ★季節・日記の「風神・雷神」参照)

風神雷神図(俵屋宗達)
風神雷神図(俵屋宗達)


今年はすさまじい猛暑で、東京では夜になっても気温が25℃以下に下がらない熱帯夜が今日までで24日も続き、観測記録を更新しているそうです。

にもかかわらず、東京の南部・世田谷あたりではほとんど雨も雷もなく、夜遠くの雲の中を走る稲妻を見た程度。雷好きにとってはちょっと残念です!

一方、北関東の山沿いの群馬・栃木あたりでは連日37度を超え、かなり激しい雷と豪雨にも見舞われたようですね。

北関東の猛暑と雷雨は、南からの風がヒートアイランドと化した東京を吹き抜けてさらに熱せられ、その風が北関東の山にぶつかって急激に上昇するため…と言われています。
名古屋市を含む濃尾平野でも、その北に位置する岐阜県の多治見市あたりで異常な暑さと集中豪雨がよく起こるようですね。


上昇気流がもたらすもの

「上昇気流」という言葉は、ちょっと元気のない世の中にはいい言葉にも聞えますが…

温かい空気には水蒸気をたくさん含むことができますが、それが急激に上昇して上空で冷やされると水蒸気が飽和(ほうわ=もうこれ以上含んでいられない!)状態となり、水滴または氷の粒になります。

それが上昇気流によって攪拌(かくはん)されて激しく混じり合う時に静電気が発生します。その電気が放電されるのが「」ですね。


上空でできた氷の粒は、地上へと落下しようとしますが、激しい上昇気流によって再び上空に戻されて、飽和状態のまわりの水蒸気を吸着させてさらに大きな氷の粒へと成長します。
そして大きくなった氷の粒が重さに耐えられなくなって地上に降り注ぐ…それがヒョウですね。
加速度のついた大粒の氷はとても危険で、放牧されている牛が被害に会うことも…


積乱雲(=入道雲・雷雲)を外から眺めている分には夏の風物詩ですし、前に真夏に飛行機で九州に向かうとき、むくむくと湧き上がる入道雲を上空から見ましたが、まるで巨大な鍾乳洞の中を遊泳しているような不思議な感覚になりました。

でも積乱雲の中は、乱気流・氷の粒・電気によってすさまじい状態らしく、パイロットの間では「積乱雲の中へ突っ込むのは自殺行為!」というのが常識だそうですね(…『機長の1万日』田口美貴夫著・講談社)。


上昇気流がもたらす自然現象にもうひとつ、竜巻があります。

建物のコーナーなどで風が渦を巻く“つむじ風”が大きくなったのが竜巻?…とも思いますが、アメリカ大陸などで何もない平野で突然起こる竜巻の原理はまだよく分かっていないそうです。

ただ、どうやら急激な上昇気流が竜巻の発生と深い関係があるらしいことが最近わかってきて、日本でも「竜巻注意報」が出るようになりました。

雷・ヒョウ・竜巻は、いずれも急激な上昇気流と深い関係があるんですね。

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画像サイトで「竜巻」と探してみたら、海外のものでしょうか、けっこうたくさんあることに驚きました!

突然発生して甚大な被害をもたらす竜巻は怖いですが、こうして画像だけ見ていると自然の偉大さに感動し、不気味さと同時になんとも幻想的な美しささえ感じます。


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昔の人はおそらくこんな光景から、伝説の龍(竜)を想像の中でつくり上げたんでしょうね。
英語で「トルネード」というと凄まじいひねり・回転を連想しますが、日本語で「竜巻」というと、昇り竜が天まで届く姿を連想させるように思いませんか?


『登り龍』最晩年、北斎87歳の作!
『登り龍』 葛飾北斎87歳(最晩年)の作!

龍虎図部分(谷文晁江戸時代)
龍虎図(部分) 谷文晁・江戸時代

九龍図・部分(陳容・南宋13世紀)
九龍図(部分) 陳容・南宋13世紀

九龍といえば、ジャッキーチェンやブルースリーが活躍した香港映画の舞台が「九龍(クーロン)島」ですね。さすがはドラゴンの国!

…「九龍」という名前について、ちょっとサイトで調べてみました。

九龍伝説

古代雲南省の大理地方には前漢時代から伝わり、後漢書、水経注、華陽国志などの漢籍に収められている「哀牢九隆伝説」がある。これが「九龍伝説」とも言われる。

「哀牢山ふもとに住む沙壹という名の婦人が、水中の沈木に触れて感性し、10人の男子を産んだ。沈木に化していた龍が水中から出てきた時、九人の子供は龍を恐れ逃げたが、ただ一人、末の子は逃げずに龍の背に座り、龍から頭を舐められた。そのことで『九隆(龍)』と名づけられ、後に長じて王となった」…という伝説である。



伝説の「龍」も、おそらく竜巻現象から神への畏れ・自然への驚異の念によって生み出されたのなのかもしれませんね。

風神・雷神

暑中、というか酷暑、お見舞い申し上げます!

梅雨明けしてから連日ぐんぐん気温が上がり、北関東では40℃近い日が続いています。
車の屋根板で、餃子はちょっと無理でも目玉焼きぐらいなら焼けるのではないでしょうか?

埼玉・神奈川の北部あたりでは、この前の週末あたりから雷雨!
夜、世田谷からも遠くの雲の中に稲妻が走るのを見ましたが、土日も期待した雨のめぐみはなし…

家の前の道路に水をまきましたが、まさに「焼け石に水」!

→略して「やけみず

①あまりにも暑いのでやけになって水をまくこと。 
②お酒を飲めない人が、失恋など辛いことがあった時に水をがぶ飲みすること。

…失礼いたしました!



ところで、以前「雷」に関する記事を書きましたね。
(カテゴリ「★ティンパニのつぶやき(音に関して)」内 6月30日の記事)

音楽のモチーフとして登場する、いずれも西洋の雷のイメージを見てみたわけですが、
今回は日本の美術の世界に目を向けてみましょう。

「風神・雷神図屏風」といえば、中学・高校の社会科の教科書にも出ていた俵屋宗達の晩年の筆によるものが一番有名でしょう。

風神雷神図(俵屋宗達)
俵屋宗達 作「風神雷神図屏風」・国宝

正確な製作年は不明ながら、江戸時代初期の寛政年間の作といわれ、京都の建仁寺に所蔵されていました(現在は京都国立博物館に寄贈)。

向かって左にいるのが「雷神」で、太鼓をたくさん数珠つなぎにして持ってますね。
日本の雷(かみなり=神が鳴る)のイメージといえば、やっぱりこれをおいて他にはないでしょう!
もともとは「北野天神縁起絵巻(弘本系)」の巻六第三段「清涼殿落雷の場」の図様からの転用であると言われています(↓<追記>参照)。



さてこの「風神雷神図屏風」、構図・モチーフとも非常によく似たものが江戸時代に他の画家によっても描かれています。
でもいわゆるパクリ(盗作)ではなく「模写」です。絵を勉強するために、あるいは素晴らしいモチーフを自分なりに描いてみたい、というものですね。

●「かきつばた」で有名な尾形光琳は…
尾形光琳(模写)
東京国立博物館 所蔵・国の重要文化財

●さらに酒井抱一は…
酒井抱一

出光美術館 所蔵



どの画家による作品も、微妙な差こそありますが、顔の表情・姿などは迫力満点ですね。
ただ、私にはやはりあの 太鼓の大きさ が気になります。
あんな小さな、でんでん太鼓に毛の生えたような太鼓で、あの腹の底に響きわたるような重低音が出せるのだろうか? どんなバチを何本ぐらいどんな風に使って叩くのか…??

そろそろ本当の雷の音を聴きたくなってきました!
 
ところで、この「雷神」の元のイメージとなったのは、意外なことに菅原道真公の怨霊なのです!
京都の「北野縁起絵巻」の中にある「清涼殿落雷の図」に描かれた雷神がもとになっていると言われます。 以下をご参照



◆天神様とは

全国に「天神さま」と呼ばれる神社はたくさんある。菅原道真を祭ってあり、湯島天神をはじめ学問の神様とされている。

菅原道真は勤勉で頭もよく皆から信頼されていたが、政治的な陰謀で排斥されて流された。

道真が亡くなった後、平安京で雷などの天変が相次ぎ、清涼殿への落雷で大納言の藤原清貫が亡くなったことから、道真は雷の神である天神(雷神)と同一視されるようになった。「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来であるという(…ウィキペディア参照)。


北野天神縁起絵巻1
北野天神縁起絵巻 巻六第三段 「清涼殿落雷の場」


★資料画像はすべてサイトより

このブログは営利を目的としないごく私的なもので、また著作物の文化的価値を汚すような趣旨はありませんので、著作権(=作者の死後50年はとっくに経過していますが、原画の所有元の権利・その他版権など諸々の権利)の侵害にはあたらないと判断し、イメージをお伝えするために掲載させていただいております。



プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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