「旅ごころ」を大切に…

11月8日(火)

これは今年(2016年)の5月、朝7時前の新宿駅。

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通勤電車の発着するすぐ隣のホームに、新旧の特急列車が顔合わせ!
向こう側は7:00発の「スーパーあずさ」松本行き。

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旧型の特急列車で「修学旅行」なんて、うらやましい!
私はこのあと反対側のホームから通勤電車に乗りました。


日常からの脱出願望

朝、あるいは夕暮れ時、通勤電車の脇を抜けていく特急列車を見ると、無性に「旅」をしたくなる時があります。通勤電車とわずか数メートル離れて並走する特急列車の車内は、まったく「別世界」なのです!

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ぽかっと時間の空いた平日、自由席特急券を買って衝動的にその「別世界」へ…

100キロ圏内を周遊して富士山を近くで見て戻ることもありますし、時間がなければ単に八王子か大月、小田原あたりまで往復でもいいのです。

とにかくふだんの通勤電車とは違う「長距離列車」に乗りたくなるのです。

ふつうは、なんらかの目的があって、目的地までの移動手段として鉄道を使うわけですが、一部の人にとっては「鉄道に乗ること」そのものが目的となったりします(=いわゆる「ノリ鉄」)。

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2016年1月のある日 学生時代オーケストラの合宿でよく行った河口湖畔にて


子どもみたいな遊びごころ、非日常の世界に飛び出したい…
ある種の「現実逃避」と言ってもよいでしょうが、じつはそれだけではないんです。



◆旅の効能

1.「旅」は好奇心と感動のアンテナをより強めてくれる

見るもの聞くものすべてが「非日常」で新鮮。
まあこれは当然でしょう。


2.あらたな自分との出会い・発見

昔住んでいた場所、訪ねたことのある場所でも、大人になった今あらためて訪ねてみると…
ただ単に昔にタイムスリップしたような懐かしさだけでなく、「今の自分」と「あのころの自分」が出会います。
そして何かしら新しい発見があったり、あのころの自分からエネルギーをもらえることも。

「いい日旅立ち」(鬼束ちひろ)の2番の歌詞に、♪「出逢いも別れも黄昏にあずけたら 自分の影を捜しに西へ行く」…というくだりがあります。幼少期を関西で過ごした私には沁みます。


3.時間は無限ではないことを実感

次どこに移動する、いつここを発つ、明日の予定は…
ここに滞在できる時間は限られている中で、「せっかくここまで来たんだから~~を見ておきたい、~~をやりたい、~~を食べたい」…etc.

「そのうち~しよう」はないのです。「今」は今しかないのです。
旅先では好奇心と行動力は全開となります。

逆に東京に住んでいると「いつでも行ける」という感覚があって、案外東京の名所に行ってなかったり、「そのうち行きたい」でそれっきりだったり、まだまだ知らない街の素顔も…


4.無理はしない

いくら行動力全開でも、旅の途中で怪我や病気をするわけにはいきません。
水辺でうっかり足を滑らせでドボン…でも着替えにも限りがあります(笑)。
だから、後先を考えて決して無理をしなくなるのです。


5.よそ者の謙虚さ、感謝

道を尋ねる、交通の便を尋ねる、美味しい季節のものをいただく…etc.
旅先では私は「よそ者」です。
「教えて下さい」という謙虚さと、感謝の気持が沸きやすい環境に身を置くことになります。

またいつここを訪ねる機会があるかはまったくわかりません。
駅員さん、おいしかった蕎麦屋のおばあさん、道を教えてくれた中学生…一期一会、みなさんの健康と幸せを祈りたくなります。


◆いつも「旅ごころ」を

これって、「いい生き方」の条件がすべて揃っているんじゃないでしょうか?
人生そのものを「旅」になぞらえたのは、江戸時代の俳人・松尾芭蕉でしたね。

ふだんから常に「旅」してるような毎日が送れたら、きっと素晴らしいでしょうね。
でも、どうしても日常のしがらみに埋もれて、感性が鈍り、ついつい面倒くさくなり…

そんなときは、ふらっと「旅」に出よう!

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きのう(2016年11月7日)の世田谷公園

必ずしも遠くに行くばかりが「旅」ではありません。
ふだんとちょっと違う回り道してみたり、身近な公園で季節を感じたり…

いい「旅」してますか?


世田谷線ウォッチング 2016

7月3日(日)

関東はまだ梅雨明けしませんが、朝からうだるような暑さでした。

私の地元・世田谷を走るローカル電車・世田谷線をあらためてウォッチング。

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東急世田谷線は、三軒茶屋~下高井戸を結ぶ全長5キロの路線。
かつて渋谷~二子玉川を結んでいた路面電車=玉電(たまでん)の支線でした。

渋谷~二子玉川の本線は、大阪万博の前年・1969(昭和44)年の秋に廃止になり、国道246号の上に首都高速3号線が用賀まで開通して東名高速道路に直結。いまは地下の「田園都市線」として生まれ変わっています。

玉電の走った今・昔20160704

高度成長期の変わりゆく東京の街から姿を消した路面電車ですが、砂利の敷かれた線路(=専用軌道)の区間だけが生き残りました。都電の荒川線とも同じ運命といえますね。

もともと路面電車ですから、駅のホームは低く、車両にはステップがあってバスのように乗るスタイル。しかしいまの世田谷線にはヨーロッパスタイルの低床式の連接車両が走っていて、ホームもその床面の高さに合わせて改修がなされています。

★これについては以前詳しくご紹介した記事をご参照ください。
  →
世田谷線ウォッチング 2010


下高井戸

さて今回は、京王線の下高井戸から三軒茶屋まで、主な車窓をウォッチングする小さな旅へ。

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全線区間で上下線がすれ違える「複線」ですが、終点の駅では1車線になっています。
出発するときは向かって左側の路線に侵入するようにポイントが開いています。

登山電車ではありませんが、ある意味「スイッチバック」 (=終点で進行方向が変わり、入ってきた線とは違う線に出ていく)ですね。


出発進行!

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下高井戸を発車すると、しばらく急な右カーブ。ここは「制限10(制限時速10キロ)」。
直線に差しかかり「制限10」が解除されるあたり… 見えてきました!

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「爺」の看板! …ん? じじい??

…海鮮のおいしい居酒屋さんの看板なんです。

夕方以降に下高井戸あたりを歩く機会がなく、残念ながらまだ入ったことがないんですが、一度は行ってみたいとかなり前から気になってます。

世田谷線の運転手さんも、カーブを抜けて「制限解除!」と指さし確認してマスコンを上げる時に見える信号機のようなこの丸い看板、絶対に見落とすことはないはずです!
いちど機会があったら、新人の運転手さんと「爺」で一緒に飲めたらな~(笑)


松原付近

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都心とは思えないほど、草の生い茂った軌道を進みます。

この線路、JR・小田急・京王などの「狭軌」よりも広いです。新幹線と同じ内寸1444ミリの「標準軌」。
かつての玉電も、東京でもっとも古い地下鉄銀座線や丸の内線もこのゲージです。


山下

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後ろに見える高架は小田急線、「豪徳寺」駅です。

沿線にはアジサイの美しい場所も。
ただ、今年のアジサイは見ごろを過ぎてしまったかな?

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宮の坂


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この駅は宮坂区民センターに隣接していて、かつて世田谷線を走っていた車両で、いちど江ノ電に移籍して里帰りした車両が保存されています。

この車両についても、先ほどご紹介した以前の記事で詳しくご紹介してます。
(→ 世田谷線ウォッチング 2010 

この宮の坂駅の手前の踏切近くのたこ焼き屋さんもおすすめ!


上町

宮の坂を過ぎると左に大きくカーブして上町駅。ここには車両基地があります。
わが家の最寄り駅でもあります。

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上町駅近くの茶房「しろやま」

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だいぶ前の画像データより

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デジタル一眼レフを購入した2009年6月、カメラのテストを兼ねて「動く被写体」を狙ったのがこの世田谷線でした。ちょうどアジサイが見ごろの頃でした。


若林

世田谷区役所の最寄り駅、松陰神社前~世田谷を過ぎ…
ここからは「世田谷通り」とほぼ並走して三軒茶屋へと向かいます。

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この若林駅の先に、有名な環状七号線との交差点があります。

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ここでは、道路の信号が優先し、赤信号で電車が待つのです。この道路を横切るときだけが、かつての「路面電車」の面影を漂わせます。


西太子堂付近

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進行方向正面にキャロットタワーが見えてきます。

三軒茶屋にそびえ立つ世田谷では数少ない高層ビル。1996年に竣工していますから、今年でちょうど20年。オレンジ色にそびえていることから「にんじん=キャロット」、当時小学生の応募したネーミングだそうです。

西太子堂の駅を過ぎ、電車は5キロの旅を終えてキャロットタワー下の三軒茶屋駅に到着。

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ここもやはり駅構内は1車線で、向かって左が降車ホーム、右が乗車ホームです。


キャロットタワー26階の展望ラウンジより

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土用に先がけて

湿気も多く、かなり蒸し暑さを感じる1日でした。
ここ何か月も食べてなかった大好物のうなぎを、ちょっと贅沢していただくことに!

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私のセカンドルーム近くの「和食屋さん」。ここでは愛知県・三河のうなぎを生きたまま仕入れ、いけすで泳いでいるのを店内でさばいて、焼いて蒸して、たれをつけて焼いて…注文してから30分はかかりますので、事前に電話してからお邪魔しました。

久しぶりの贅沢、ごちそうさまでした!

青ガエル さようなら

2月14日(日)


今年のバレンタインは、「虫」の話題ではなく「青ガエル」の話題です。
…って言われても、一般の方には「?」でしょうね。

はい、鉄道のお話しです。

きのう14日(日)、熊本で活躍していた元東急電鉄の5000系電車(=通称「青ガエル」)が最後の営業運転をして引退したのです。
地元の子どもたちや、全国から詰めかけたファンたちが別れを惜む様子がニュースでも取り上げられました。

東急時代

東急の5000系は、東京の東急電鉄が1950年代に生み出した、新鋭の電気系統を備えた新型車両で、まさに高度成長時代のシンボルのような存在。
当時流行していた「流線型」のモダンなデザインで、全体に丸みを帯び、正面に大きな2枚の窓をもつところから、「青ガエル」の愛称で親しまれました。

東横線、大井町線、池上線など東急各線で活躍して、引退後は地方の鉄道会社に譲渡されました。
熊本電気鉄道にも2両が譲渡されたほか、長野電鉄・松本電気鉄道・岳南鉄道・福島交通・上田交通など、全国各地で第二の人生を過ごしてきましたが、車両の老朽化にともなって姿を消し、ついにきのう(2016年2月14日)の熊本で最後の営業運転となったのです。

私は、模型を作ったり写真に収めるなど大の鉄道好きです。これまで、私にとって思い出のつまった車両や路線が姿を消していきましたが、最後のお別れ運転の時には現場に行かないことがほとんどでした。
全国の国鉄路線から蒸気機関車が完全に姿を消した時もそうでした。多くのファンがつめかけ、通勤電車並みにびっしりと乗客で埋まり、花輪をつけてもらって走る姿を見るとかえって悲しくなるし、それまで「現役」で活躍していた時とは表情もまったく違います。私はあえてそのような場には行かず、「現役」時代の姿を想いながら、静かに別れを告げてきました。


◆2006年 熊本での出会い

いまからちょうど10年前の9月、オーケストラの演奏旅行で熊本を訪れた時に、私はこのもと東急5000系と「再会」し、写真に収めていました。

台風が九州に上陸し、指揮者が途中足止めされて熊本入りできず、貴重なリハーサルが1日なくなってしまった思い出の演奏旅行(→コバケン先生との出会い 06熊本)。
私は遅めの夏休みを取っていて、台風上陸の前々日に熊本入りしていたのです。


懐かしい青ガエルの顔

東急時代には何両かの編成で運転されていたので、先頭車の運転台はこの「顔」のある側だけでした。
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熊本電気鉄道では、1両だけで往復運転を行うため、かつて連結面だった側にも運転台が設置されヘッドライトおよびテールランプも付けられています。

懐かしい車内! 
天井には旧式の扇風機が取り付けられ、つり革は東急時代のまま!

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ワンマン運転のため、車内に料金箱が置かれ、運転台には車内放送用のマイクが伸びています。

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車両基地にもお邪魔し、「5002」とも対面。
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熊本電気鉄道には、2両の青ガエルが譲渡されたようです。
本来の東急と同じ5000系として「5001」「5002」と命名されてますが、このナンバーは熊本でつけられたものでしょう。

本来の東急5000系の製造番号1号である「5001」は、現在渋谷駅前に置かれ、ハチ公とともに待ち合わせスポットとなっています(下回りははずされ、車体も途中でカットされて短くされています)

渋谷駅前


青ガエルの仲間たち

1950年代に誕生したこの5000系は、まさに私と同年代(少しこの電車の方が先輩です)。
幼かった頃、父の転勤先だった関西から夏休み・冬休みに東京のおばあちゃんの家(母の実家)に遊びに来ると、楽しみに乗っていた車両でした。この電車に迎えられると「東京に来たな」と実感したものです。

この年代生まれの車両には、当時国鉄でも流行っていた「流線型」の影響を受けたものが少なくありません。

国鉄が戦後開発した近代型の電車の草分けとして、1950年代に入って作られたのが、「湘南電車」の愛称で親しまれた80系という電車。
それまでの旧型の国電(国鉄の電車)から新世代へ、長距離輸送の主力が「電車」へと移る幕開けとなり、ビジネス特急「こだま」が誕生するさきがけとなった車両です。

国鉄80系

卵のような丸みを帯びた車体に正面2枚窓のスタイルの5000系とならんで、東急の路面電車の玉電(渋谷ー二子玉川、渋谷ー下高井戸=現在の世田谷線)の新型車両200系は「ぺこちゃん」「いもむし」の愛称で親しまれました。

玉電

この「ぺこちゃん」、現在、田園都市線・宮崎台駅にある「電車とバスの博物館」に1編成が保存されていて、車内のシートでくつろぐことができます。

電車にも個性が感じられた、古き良き時代の仲間たち。
熊本の5000系は、車庫に保存され、今後イベント時などには展示されるとのことです。


★まだテツな話題にお付き合いできる方は…

熊本電気鉄道には、かつて広島にいた車両で、原爆が投下された瞬間たまたまトンネル内に入っていて無傷だった車両も譲渡されています!
この内の1両が、車籍はないので本線は走れないものの、工場内では牽引に使われる状態で保存されていたので写真に収め、模型で再現しました。この記事内にも元東急5000系の紹介もしています。
火の国に譲渡された車両たち


鉄道アラカルト ~車両の呼び名あれこれ~

5月25日(土)


今さら申し上げるまでもなく、鉄道好きです!

そんな私にとって、蒸気機関車の牽く列車や、朝の連続ドラマ「甘ちゃん」に登場する三陸鉄道の1両だけで走るディーゼルカーなど、線路の上を走る車両たちを、なんでもかんでも「電車」と呼ばれてしまうのにはちょっと抵抗があります。

でも、かく言う私も子供のころ、夏休みに旅行に行くときに乗るような長距離列車のことを「汽車」と呼んでいました。私の両親がそう呼んでいたのです。両親の育った昭和初期は、「旅」といえば蒸気機関車の引っ張る「汽車」だったので、ごく自然にそう呼んでいたのでしょう。

4人向い合せのクロスシートまたはリクライニングシートの車両で、お弁当を食べながらちょっと遠くまで「旅」する時に乗るのは、ふだん見慣れた通勤スタイルの「電車」ではなく、「汽車」という感覚なんです。たとえそれが電車であってもディーゼル(気動車)であっても。

ふだんの通勤・通学に使っている「電車」とは区別して呼びたい、鉄道(=線路の上を走る車両)の色々な呼び方、あらためてちょっと考えてみたいですね。



汽車=蒸気機関車の牽く列車

台湾や中国では街のいたるところに「汽車」と書かれた店が目につきます。中国語で「汽車」とはバイクのことなんです。ちなみに日本語の「汽車」のことを中国語では「火車(ファツー)」といいます。紛らわしいですね。

さて日本の鉄道の話に戻しましょう。

「汽車」は上に書いた通り、「蒸気機関車の牽く列車」のことです。

「汽車ぽっぽ」と言うように「汽車=蒸気機関車」と考えてもいいのですが、操車場で入れ替え作業をしていたり、転車台(ターンテーブル)で向きを変えたり、機関庫に単独でいる時にはあまり「汽車」とは言いません。「機関車」と言った方がしっくりきます。

乗客が乗る客車、または貨車をつなげた「列車」の状態になって「汽車」というイメージになります。先頭を行く機関車はもちろん、汽笛やドレイン(蒸気を吐く音)、客車の車内、車窓…そのすべてが「汽車の旅」なのです。夜行列車のことを「夜汽車」というのも情緒があっていいですね。

最近は蒸気機関車のことを「SL(Steam Locomotive)」といい、それの牽く列車のことまで「SL 」と呼ぶことも多いようですが、ちょっと言いづらくても私はやはり「蒸気機関車」、そして蒸気機関車の牽く列車=「汽車」という言葉の響きの方が好きですね。「SL」だと情緒がちょっと違ってきてしまうんです。


機関車の牽く客車列車

「機関車」には、蒸気で動く「蒸気機関車」だけでなく、ディーゼルで動く「ディーゼル機関車」、電気で動く「電気機関車」があります。これら「機関車」に乗客は乗ることはできません。

電気機関車の屋根には架線から電気をとるためのパンタグラフがついていますが、あれを「電車」とは呼ばないでくださいね。「機関車」です。

電気機関車と電車の区別。電気機関車は一般に窓が小さく機械室のような外観で、運転席が前後または中央部にあり、動輪が大きく、全体に重量感があります。色は、直流電気機関車は茶色、またはブルー(特急塗装)、そして交流は赤、交直両用はややピンクがかった赤です。 最近は「桃太郎」とか「金太郎」と書かれた2両一体の力持ちがいますが、JR貨物用の機関車ですね。

電気、蒸気など動力は略してただ「機関車」と言ったり、蒸気機関車のことを「蒸機」、電気機関車のことを「電機」と書くこともあります。

一方機関車に牽かれて走る動力のない旅客用の車両を「客車」といいます。
機関車につながれた客車のことを何と呼ぶか?…まあ平たく「列車」と言って良いでしょう。

昭和33年に誕生した「あさかぜ」に代表される寝台特急(=いわゆるブルートレイン)は東海道・山陽からついに姿を消してしまいましたが、上野と札幌を結ぶ「北斗星」や「カシオペア」は、今となっては貴重な「客車列車」の寝台特急です。
 
こちらがその寝台特急「北斗星」。

寝台特急「北斗星」 

上野~青森、青森~函館は電気機関車が牽引しますが、函館~札幌は電化されていない区間を走るため、このようなディーゼル機関車が2両で牽引します。
 
もう少し詳しく言うと、上野~黒磯までは直流の電化区間。黒磯から青森は交流です。上野~青森までは交直両用のEF81という電気機関車が引っ張ります。
青森駅では、前の機関車を切り離して後ろに交流電気機関車をつなぎ、進行方向が変わって津軽海峡線へと入っていきます(明け方です)。
そして青函トンネルを抜けて北海道に入り、朝6時半ごろ函館に着きます。函館山を正面に列車が止まると、後ろに待機していた青色のディーゼル機関車が重連で連結され、先頭の電気機関車は切り離されてとどまり、列車はふたたび進行方向を変えて終点札幌をめざします。上野を出発した時と同じ進行方向になって札幌駅 に到着するのです。

もし「北斗星」に乗られたら、「客車に乗ったよ、寝台特急に乗ったよ」と自慢してくださいね。


電車 VS ディーゼルカー(気動車)

ふだんの会話の中で、「電車が遅れた」「電車の中でのマナーが悪い」「電車の中で寝よう」…などと言いますね。 おもに通勤・通学に使う日常的な公共交通機関で、「バス」に対して「電車」という意味で使われます。

また、通勤時間帯の電車に乗っている時、つまり「いつ、どこで」という指示代名詞のように「電車の中で」「電車を待っている時に」などと使われることも多いですね。

そこでは厳密な車両の種類を言っているわけではありませんから、鉄道にあまり詳しくない方がディーゼルカー(気動車)のことを「電車」と呼んでも、私もあまり気になりません。いえ、気にしないようにしています(笑)。

ただ、千葉県の小湊鉄道や九州・北海道など、自分の日常生活圏から離れた地域をのどかに走るディーゼルカーを、TVレポーターなどに「電車」と紹介されると「違うだろ!」となるのです(笑)。

ディーゼルカー(気動車)は、電化されていない区間を走る車両で、バスのようなエンジン音を響かせながら屋根から黒い煙(排気ガス)を吐いて走ります。

朝のドラマ「甘ちゃん」に出てくるような、1両だけでのどかに走る車両もありますが、北海道の「北斗」のように10両編成で走る特急列車もディーゼル(気動車)です。「ディーゼル特急」と言います。

こちらは懐かしい国鉄色のキハ58というディーゼル(気動車)
昭和40~70年代、全国各地で急行用としても使われていた車両です。
キハ58系

しかし最近の新しいディーゼルカーはカラフルで、車両の色やデザインをぱっと見ただけでは「電車」なのか「ディーゼル」なのか分かりにくいかもしれませんね。
床下や台車をマニアックに識別できなくても、誰でも簡単に見分けられる方法があります。

まず、線路の上に架線がない、電化されていない区間を走るということ。
でも、電化された区間にディーゼルカーが乗り入れることもありますから、架線の有無だけでなく車両の屋根の上を見てください。パンタグラフがあれば電車です。 何両かが連結されていてもどこにもパンタグラフがなく、機関車に牽かれることもなく自走できたらディーゼルです。

あと、駅に停車中にバスのようなアイドリング音がしていて、灯油系の匂いがしたらディーゼルです。

たとえば中央本線は電化されていますが、小淵沢から清里方面に向かう小海線はディーゼルです。もし乗り換える際に、目的地は電化されていない区間の先なのに、間違って隣のホームに停車中の「電車」に乗ってしまった、なんていうミスは、多少テツの知識があれば防げるはずです(→みんなに役立つ明るいテツになりましょう!)


◆「電車」の黄金時代へ

「電車」とは電気で動く車両で、先ほどご紹介した電気機関車に牽かれる客車列車以外のものを広く「電車」と言います。今日では鉄道の代名詞とも言えますね。

しかし明治のころは「電車」といえば、いわゆる路面電車を指しました。
また地下鉄は、地下のトンネル内に排気ガスを出したくないこともあって早くから電化されていました。「電車」は一般に軌道の上に張られた架線から電気を取りますが、地下鉄のように天井までの高さに制限がある場合、線路脇の「第三軌道」という線から集電するものもあります。今日の銀座線や丸ノ内線にその原型を見ることができます。

「汽車」に比べて「電車」の歴史は浅く、昭和30年代に入る前は「電車」といえば近距離用のあまりスピードの出ない乗り物として位置づけられていました。

自動車に例えると、最近ようやく電気自動車も性能が向上して普及しつつありますが、まだ主流はガソリンエンジン車が一般的でしょう。ちょっと大きめの車で高速道路を何時間も走って行く時にはまだ電気自動車ではないですね。
昭和30年代のはじめごろの「電車」はまだそんな感じで、特急や急行などの長距離列車といえば機関車の引っ張る「客車」列車が主流だったのです。

ところが、東海道線が全線電化された1956(昭和31)年から、国鉄は最新型の「電車」の開発に本格的に取り組みます。私が生まれる前の年です。

緑とオレンジに塗られた斬新な「湘南電車」と呼ばれる車両(80系)が誕生します。振動を抑える新型の台車も開発され、空気抵抗を考えた「流線型」という言葉が流行しはじめます。

80系湘南型 

そして1959(昭和33)年、東京~大阪間を6時間半で結ぶビジネス特急が誕生します。
ボンネットの上に運転台があり、肌色と赤に塗り分けられた151系「こだま型」は、今日に至る特急の原型ともいえる美しいスタイル。当時の国鉄の威信をかけた一大プロジェクトだったようです。

「こだま」を走らせた男たち 

私も幼いころ新幹線が開通するまで、夏休みに東京の祖母の家に来る時は同型の「はと」や「つばめ」のお世話になりました。


◆「電車」なのに、あえて「電車」と呼ばない場面

この「こだま型」特急も、新幹線も、もちろん紛れもなく「電車」です。
でも皆さん、新幹線で旅行する場合に「電車で行く」って言いますか?
「新幹線で行く」と言い、あえて「電車で行く」とは言わないのではないでしょうか?

新幹線に限らず、在来線でも「特急・急行・快速」など中長距離の列車、それも「あまぎ」「踊り子」「あずさ」など列車名がついた特急列車に乗る場合、「特急で行く」とか「あずさで行く」と言うのが一般的でしょう。

そうなんです。日常の空間を抜け出して「旅」に出るときにお世話になる特別な列車のことをあえて「電車」とは呼ばない(呼びたくない)のです。

高速バスや自家用車で行くのと区別して言う場合も、「電車で行く」というよりは「列車で行く」「鉄道で行く」と言うでしょう。私としても不思議で面白い、偏見といっても良い「言葉えらび」です。「電車」は必ずしも動力装置による車両の分類だけではない、ということです。

これは私のあくまで個人的な感覚として、山手線や埼京線などは「電車」でよいのですが、東海道線や東北線を走る「急行」以上の列車で、乗る距離が100キロ前後、乗車時間にして1時間前後ぐらいのところに、「電車」が電車でなくなる境界線があるみたいなんです。

日常と非日常の微妙な壁、子どものころ「汽車」と呼んでいたあの世界に近づく境界線です。この感覚はどうしようもないのです。ごめんなさい。


◆「電車」であっても「旅」の情緒に大切な座席配置 

最近、東北本線(=愛称・宇都宮線)や東海道本線を走る快速列車のほとんどが、ロングシートでつり革のぶら下がった、いわゆる通勤スタイルの「電車」に成り下がって(?)しまいました。

通勤圏がそれだけ広がったということでしょう。また、ドア付近に人がどうしても固まってしまうので、車内の中程まで人の動きがスムーズになるように、味気のない通勤スタイルになってしまったのでしょうが、「旅」好きにはなんとも残念ですね。

ふと時間ができて日帰りのぶらり旅に出たいと思っても、私が東北方面を避けるのは、あの通勤スタイルの車両しかないことが大きなネックになっています。
宇都宮、黒磯、那須方面に出かけるのに、あの車両はあんまりじゃありませんか!
(宇都宮方面から通勤されている方には申し訳ありませんが…)


「旅」にはやはりクロスシートの車両を!

クハ165系(急行型)…
車両の前後にデッキ(乗降口)があり客室と隔てらている
165系外観 165系車内
*クリックすると大きな画像でご覧になれます

クハ115系(近郊型)…車両の片側に3箇所ドアがあり、通勤スタイルが一部混在
115系外観 115系車内
*クリックすると大きな画像でご覧になれます

いつまでも古いものにばかり固執するつもりはありません。新型の乗り心地のいい車両もいいのですが…
せめて総武線・横須賀線の快速や東海道線の列車の前後に併結されているような、4人向い合せのクロスシートの車両もぜひ残していただき、通勤ラッシュ以外の時間帯や休日にはもっと増やしてほしいですね。

もしこのブログをJR関係者がご覧になったら、ぜひ前向きにご検討ください!


◆「電車」のもうひとつの顔

日常生活圏の「通勤電車」以外に、あえて「電車」と呼ぶ場合、私は「路面電車」とか、地方の電鉄会社の古い車両、ちょっと模型で作ってみたくなるような可愛らしい車両をイメージします。
モハ71完成 
以前「模型ギャラリー」でご紹介した、熊本電気鉄道の模型(手づくり)
 →火の国に移籍した車両たち


よく路面電車のような小さな電車を「ちんちん電車」と呼びますが、なぜだかご存知でしょうか?

運転手と車掌が乗務していた時代、乗客の乗り降りが終わってドアを閉め、安全確認を終えた車掌が運転手に「発車していいですよ」のサインとしてベルを「ちんちん」と2つ鳴らしていたんですね。
その名残りで、いまも世田谷線の最新車両はワンマン運転であるにも関わらず、ドアが閉まると電子音で「ちんちん」という音がするのはその時代の遺物です。

そして昔の「電車」のあのモーター音がまたいいですね。台車に取り付けられた吊り掛けモーターの回転数が上がるにつれ、音程が「ガーー」と上がっていき、「ダダン、ダダンダダン」…という車輪の音と重なります。そう、これこそまさに「電車」なんです!

こういう「電車」だったら、長椅子ロングシートでつり革がぶら下がっていてもいいのです。路面電車のつり革がブランコのようにバッタンバッタンと揺れるのもまたいいですね。

千葉県の「銚子電鉄」や、少し前に娘と出かけた記事をアップした静岡県の「岳南電車(少し前まで「岳南鉄道」だった)」のように、「~~電鉄」「~~電気軌道」「~~電車」といった社名が付いている路線は電化されていて、そこを走る車両たちは「電車」だと思っていただいて間違いありません。


◆テツの情緒を大切に!

日本人は情緒をとても大切にする(してきた)国民だと思います。

麦わら帽子の匂い・夏の思い出と重なるバッタ、キリギリスの仲間たち。
バッタにもショウリョウバッタ、トノサマバッタ、ツチバッタ…色々いますね。
また秋の夜長に鳴くスズムシ、マツムシ、ウマオイ、コオロギ(エンマコオロギ・オカメコオロギ・ミツカドコオロギなど)たち…
その鳴き方を「ことば」で感じ取るなど、日本人は素晴らしい感性で虫たちと接してきました。

ところがアメリカ人はそれらをまったく区別することなく「グラスホッパー=草むらで跳ねてる奴ら)」とひとくくりで呼びます。アメリカにだっていろんな虫たちがいるはずなんですが…。

いくらアメリカ人の友達がいても、こればかりは譲れません!
「なんて情緒のない、アバウトな奴らなんだ!」…と(笑)


そうなんです!私にとって、線路の上を走るものをなんでもかんでも「電車」と総くくりで呼ばれるのは、この感覚に近いと言ってもいいかもしれません。

さまざまな日本の風景、旅への思いを秘めて線路の上を走る車両たちを、ただの「移動のための手段」としてしか見ず、ふだんの日常の世界にいる通勤電車と同じレベルで、総くくりで「電車」と呼ばれてるような気がして、私の心はとても傷つき、寂しくなるのです。

せっかくの「旅」の情緒もかき消されるような、デリカシーをわし掴みにされたような、なんとも切ない気持ちになるのです(←そこまで言うか?…笑)

動力装置などをマニアックに瞬時に見分けて正確に呼べなくてもいいのです。かつて「汽車」と大きなくくりで捉えていた私としても、そこまで要求してはいません(笑)

皆さんもさすがに、北海道へ向かう「寝台特急」も、京都の保津川に沿って走るのどかな「とろっこ列車」も、ふだん通勤で使っている「電車」とまったく同じとお感じにはならないでしょう?

では「電車」に代わる何かいい呼び名はあるのでしょうか…?


◆「電車」 →「鉄道」・「列車」と置き換えてみてください

2本の並行した鉄の線路、およびその上を走る車両たちを広~く呼ぶ時は、「鉄道」と言ってやってください。
 
蒸気機関車の大好きな人は「電車マニア」ではありません。「鉄道マニア」なんです!
「鉄道」と言っておけば、あらゆる種類の車両および路線を広く包括してとらえられます。

あと、走ってくる車両を見て、電車なのかディーゼルなのか客車なのか、すぐに判別できなかったら、とりあえず「列車」と言っておいてください!

「列車」とは英語の「Train(トレイン)」、つまり2両以上連結したものを指すのが一般的ですが、運行上の単位としては「一両編成の列車」などと言う場合もありますから、「列車」と言っていただいても良いでしょう。

いかがですか? 今まで何でもかんでも「電車」と言っていた時よりも、たった2つの言葉に置き換えただけで「旅」の世界にぐっと近づいた感じがしませんか?
列車の旅に出て美味しいお弁当や美しい車窓に会いたくなりませんか?
そう感じていただけたら私もとても嬉しいので、ぜひ今後のご参考まで!(笑)

ちなみに「テツな道」のことを、剣道・柔道・合気道と同じく、イントネーションの終わりを少し下げて「鉄道(てつどう)」と言ってもいいかもしれませんね(←まだ市民権は得てませんが)

長々と失礼いたしました!



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岳南鉄道

4月4日(木)

前夜までの風雨もおさまり春の日差し。年度はじめ早々ながら有休をとり、下の娘と静岡方面に「テツ旅」に出かけました。

上の娘(この春中3)とは小湊鉄道・銚子電鉄・江ノ電・箱根登山鉄道…とあちこち出かけましたが、下の娘は鉄道の旅より「工作派」で、家族旅行以外に私と2人きりでノリ鉄の旅に出かけることはなかったな~、とあらためて。

朝のラッシュタイムも過ぎた9時半過ぎの渋谷駅にやってきたのは緑色の山手線。昨年から話題になっていましたが、うまく遭遇して乗れたのは初めてです。

1 2

品川から東海道新幹線で三島へ

3 4
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三島から東海道本線で吉原へ
7_20130404232407.jpg 8_20130404232408.jpg


◆きょうの訪問先はこちら
岳南鉄道(つい最近「岳南電車」と社名変更) です。

岳南1 岳南2
 
岳南4b 岳南4c

沿線には紙工場も多く、全長9.2キロという短い区間ながらかつては貨物輸送も盛んで、新幹線からもちらりと見えた記憶があります。

岳南3 岳南4 

懐かしい固い紙のきっぷ。駅員さんのご好意により自分で入鉄。
岳南4a

岳南5 岳南6 

かつての京王帝都・井の頭線の7000系。1両だけで往復運行できるよう両側に運転台を設けてあります。このオレンジのほかに緑色の車両もあるらしいのですが、今日はお目にかかれませんでした。

岳南7 岳南9 
富士岡29 富士岡30

岳南8 岳南10
少し雲に隠れてしまいましたが、正面には富士山

復路3 復路4
工場のすぐ近く(工場敷地内といった方がいいかも…)も通る。


そして今日の私のお目当てはこちら。
途中駅「岳南富士岡」駅に憩う新旧の電気機関車たち。

富士岡1 富士岡2 

貨物の需要はしだいに少なくなり、ついに引退した機関車たち。
「保存車両」というわけではなく、動力としてはちゃんとまだ動く状態にありながら、イベント時以外には走る機会もなく、「現役」の原型をとどめた状態のままこんなに間近に見られるのです(とくに旧型の車両は、博物館に静態保存されたものしか見られない)。 今のうちに見ておきたいと前から気になっていた場所です。

以下、ちょっとテツな画像が続きますので、一般の方は適当に飛ばしてください。
画像はすべてクリックすると大きくなります。

ED29 型
富士岡4 富士岡5 富士岡7 

豊川鉄道(後の国鉄飯田線)で「デキ52」として活躍した電気機関車。1927(昭和2)年、日本車両製造。国鉄時代に「ED29」と改名され、岳南鉄道に移籍された後もそのまま「ED29」として活躍。現役時代ライトブルーに塗装されていた時期もある。


501 (旧ED500)型

富士岡9 富士岡10a 富士岡10b 富士岡12 富士岡13 富士岡14

昭和3年に川崎造船所で作られた、ボンネットが前後に飛び出したいわゆる「凸電」。
上田温泉電軌(現在の上田交通)で「デキ300」として活躍したのち、名鉄(名古屋鉄道)に移籍されて「デキ501」となって「501」と表示され、その後岳南鉄道に移籍されて「ED500」となった。ナンバー表示は名鉄時代の「501」のまま。


ED40 型

富士岡15 富士岡16 富士岡17 富士岡18
富士岡19 富士岡20

こちらは松本電気鉄道(現在のアルピコ交通)が1965年に新製(日本車両製造)した機関車。曲面窓の近代的なスタイルながら、正面貫通ドアにデッキから乗務するタイプ。現役時代には赤く塗られていた写真も見たことがあります。ED402とED403の2両在籍。

富士岡21 
ED40 2は、仮の台車を履いて整備中



木製の枕木、だるま型の転轍機、手押しトロッコなど、昭和の引き込み線風景が懐かしい。

富士岡28 富士岡27 富士岡22 富士岡23 富士岡24 富士岡25 富士岡26 


付き合ってくれてありがとう!

富士岡3 富士岡8 復路2
復路6 復路7

娘にとっては初めての東海道新幹線。往きの車中でリュックから色えんぴつをとり出して描きはじめ、おやつタイムに富士山を入れました。私も子供のころ、「こだま型」(新幹線ができる前の肌色と赤の特急)を左頭に、バックに富士山をよく描いてました。これって遺伝…?

新幹線1 新幹線2

帰りは東海道本線を1回乗り継いで小田原まで戻り、小田急にて帰途へ。
復路8 復路8b

小田原駅では初めて「北口」に降りてみたところ、寄木細工のお店を発見!
復路9 復路10

鋳物の風鈴(松虫)がとてもいい音色だったので記念に購入。小田原一帯では鋳物職人さんはたった一人になってしまったというお話を伺っていたら、娘は寄木細工の箱を発見。開けてみたら美しいオルゴールの音色がすっかりお気に入り。
「さかもと」のご主人に寄木細工のサンプル板も見せていただいて今日の記念に購入。

曲は「♪いい日旅立ち」

1週間後には8歳の誕生日を迎えます。今日の旅を、ずっと覚えててね!



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さようなら わが青春の渋谷の原風景

2013年 3月16日

渋谷駅のひとつの歴史に幕が降りました。そして新しい渋谷がスタートします。

85年の歴史 新駅1 新駅2
★画像はクリックすると大きな画像でご覧いただけます


東急東横線の代官山~渋谷間が地下にもぐり、東京メトロ副都心線と直通運転をはじめるのに伴い、地上2階のかまぼこ型の屋根のある東横線渋谷駅のホームは15日(金)の終電をもって閉鎖されます。

追って東急百貨店(東横店)・のれん街も閉鎖(移転)し、近い将来山手線・銀座線を跨ぐ形で超高層ビルの渋谷駅に生まれ変わります。

気付けばその直通運転の開始は16日(土)。
前夜からの雨も午前中に上がった14日(木)、遅番勤務の出勤前に、見納めとなる風景をカメラに収めてきましたので、ここにご紹介させていただきます。


◆かまぼこ型屋根の東横線ホーム(地上2階)

かまぼこ屋根1 かまぼこ屋根2 かまぼこ屋根3
東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年から変わらぬ風景だった。


◆正面改札~ホーム

正面改札 正面改札1 正面改札2 ホーム1 ホーム2 ホーム3


◆誰が呼んだか「東横ボード」

東横ボード2 ヒカリエ歩道橋

東横線の正面改札を出たフロアから、階段を登ればJR山手線と地下鉄銀座線、階段を降りれば地上1階、ガラス張りの陸橋を渡れば東急文化会館(現在のヒカリエ)へ。
広くまとまったスペースで分かりやすく、待合せによく使われていた。私が学生時代、誰が名づけたとも知れず「東横ボード」と呼んでいた。

文化会館へと通じる陸橋の脇には駅務室があり、伝言板も置かれていた。
「○○くん、先に~~に行ってるよ」といった伝言メッセージから、「2時間待ったけどもうお別れだね。青春の思い出をありがとう!」などといった恋人へのお別れ宣言まで、2時間で消されるメッセージが多くの青春に刻まれたことだろう。


◆ヒカリエへ通じる歩道橋

ヒカリエ歩道橋4 ヒカリエ歩道橋1 
かつての東急文化会館へと通じるガラス張り歩道橋は銀座線の高架のすぐ脇に並行していたが、今回行ってみたらかつての歩道橋は取り壊され、少し南にずれてヒカリエ正面に直結する新しい歩道橋が架けられていた。
ヒカリエ歩道橋2 ヒカリエ歩道橋3
コンクリートの橋脚跡が見えている位置がかつて歩道橋のあったところ。東急文化会館の脇(=銀座線の脇)の細い路地に直結していて、正面突き当たりが東京書店だった。宮益坂が登っているため、ガラス張り歩道橋から階段を降りることなくまっ直ぐ出れば「地上」で、銀座線もこのあたりからトンネルに入っていく。

ガラス張り歩道橋が銀座線から少し離れたことで、渋谷駅をバックにこのように銀座線の高架を見られるのは新しい風景。


◆銀座線降車口から「東横ボード」へと降りてくる階段

銀座線1 銀座線2 銀座線3

いかにも「戦後」を思わせる鉄骨+木造の構造が見えていた。これも取り壊される日は近い。


◆東急百貨店(東横店)とのれん街

東急百貨店のれん街4 東急百貨店のれん街 東急百貨店のれん街1 東急百貨店のれん街2 東急百貨店のれん街3


◆南口歩道橋より

南口陸橋3 南口陸橋4

歩道橋と東横線ホームはほぼ同じ高さで、下を国道246、上を高速3号(渋谷線)がクロスしている。

南口陸橋1 南口陸橋2
この歩道橋上から南を見ると、渋谷川に沿って走っていく東横線が見える。この風景に思い出のある方たちだろうか、さまざまな年齢層のカメラマンたちが思い思いにシャッターを切っておられた。

南口改札

南口歩道橋を下りてすぐのところにある、もうひとつの改札口。この改札を入って階段を登るとホームの横浜寄りに出る。


◆渋谷川に沿って

渋谷川1 渋谷川2


◆代官山までの車窓

地上を走る1 地上を走る2 地上を走る3 地上を走る4


◆代官山付近

代官山1 代官山 代官山3
3枚目の画像前方が渋谷方面。鉄骨と鉄板で覆われている工事現場が地下へと入っていく新線。

代官山4
この踏切の坂を登ると「劇団ひまわり」がある。このあたりから地下に入っていく。



鉄道ファンだけのイベントではなく

鉄道好きな私ですが、列車や車両がなくなる最後の日にわざわざカメラを持って出かけることはこれまであえてしませんでした。
いずれなくなることが分かってから、まだ平常運転の時に撮る機会があれば撮りますが、いよいよ最後となる日が近づくと列車も華々しく最後の花道で飾られ、別れを惜しむファンたちが押しかけます。そこには、それまでお世話になった地道に活躍する日常の姿はありません。私はそういう場へはあえて足を踏み入れることなく、かつての原風景を胸に、遠くから別れを告げてきました。

でも今回ばかりは、鉄道車両そのものがテーマではありません。
渋谷は子どものころから「東京のおばあちゃんの家」に来るには必ず通るターミナル駅でした。高校受験を控えた中学3年の春、父の転勤先を離れて東京の祖母の家に出てきて以来、渋谷は常に通学経路の中心でしたし、とくに青山学院大学に通った4年間はまさに私にとって青春の舞台でした。そして今の勤務地も渋谷。私は渋谷で育ったようなものなのです。

今回、渋谷駅かいわいを訪れていらした多くの方たちも、決して熱烈な鉄道ファンばかりではなく、私と同じようにこの「渋谷」というステージにご自身の青春の思い出が重なるさまざまな年齢層の方たちが、男女を問わず思い思いにカメラに収められていたようにお見受けしました。


渋谷駅(東急)の沿革

1926(大正15=昭和元)年、東急の前進である東京横浜電鉄が丸子多摩川(現・多摩川)~神奈川(現・横浜付近)間を開業。翌1927(昭和2)年、丸子多摩川~渋谷間が開業。この時からカウントして「85年分のありがとう」だったのです。

85年の歴史1 85年の歴史2
<駅構内に飾られていた写真>

その後1932(昭和7)年に横浜~高島町~桜木町が開業、1939(昭和14)年に東京横浜電鉄は目黒蒲田電鉄との合併等を経て、1942年に現在の「東京急行電鉄」となります。

神奈川(横浜)と東京(渋谷)を結ぶ東横線、その渋谷駅に東急百貨店(東横店)がオープンしたのは1934(昭和9)年、まだ私が生まれるよりはるか昔の戦前のお話しです。

百貨店は戦後1954(昭和29)年に増築されて現在の西館、さらに1970(昭和45)年に増築されて現在の南館ができ、ほぼ今日の姿となります。
東横線から地上に下りた1階コンコースには「東横のれん街」もできていました。


私の原風景 今むかし

私が生まれる前年、昭和31年には渋谷駅東口に「東急文化会館」がオープン。
中には映画館や結婚式場ゴールデンホールなどもあり、屋上には大きな銀色のドームが輝き、日本にまだ4台しかなかった星空投影機・プラネタリウムが設置されていました。

東急文化会館(画像検索サイトより) 
<サイト検索画像より>

私も幼少のころから夏休みに東京の「おばあちゃんの家」に遊びに来て何度か連れて行ってもらった思い出があります。これが2003(平成15)年に閉館して取り壊され、「ヒカリエ」として2012(平成24)年に生まれ変わりました。


そして、今回お別れとなる地上2階のかまぼこ型屋根のある東横線ホームは1964(昭和39)年にできたそうです。昭和39年といえば10月に東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが華々しく開催された年です。私は小学校1年生でした。

まだその頃は、路面電車の東急玉川線、いわゆる「玉電(たまでん)」が渋谷~二子玉川間を走っていました。
玉電の渋谷駅は、いまマークシティとなっている井ノ頭線ホームのすぐ脇の1階(ハチ公前に渡る横断歩道のほぼ正面)で、地下鉄銀座線の待機線と井ノ頭線の間を縫うように坂を上がっていって、道玄坂交番付近(上通り4丁目)で道玄坂に合流していました。
その坂は玉電が廃止された後も長距離バスの発着所として使われていましたが、マークシティの建設とともに姿を消しました。

玉電1 5.建設中のマークシティ(平成11年3月)
<JTB出版「玉電が走った街 今昔」より>
写真左 渋谷駅を発車して道玄坂上へ登ってくる玉電。左が井の頭線、右が銀座線車庫。 
写真右 建設中のマークシティ(平成11年3月)

路面を走る玉電は自動車の増加の波に押されて大阪万博の前年1969(昭和44)年に廃止されましたが、その支線で砂利の敷かれた専用軌道だった三軒茶屋~下高井戸間は「世田谷線」として今日まで生き残りました。

国道246号の上には首都高速渋谷線が建設され、東名高速の用賀インターへと直結。かつて玉電の走っていた道筋の地下にあらたに建設されたのが新玉川線(今の呼び名は「田園都市線」)です。


3月15日(金) 最後の夜

最後の夜1
西の空に浮かぶ三日月(画面左上)と、渋谷に到着する銀座線(画面右)

最後の夜2 最後の夜3

私が幼い頃から親しんできた渋谷の原風景。渋谷マークシティができ、東急文化会館が取り壊されて「ヒカリエ」として生まれ変わり、そして今回ついに東横線のホームが地上から姿を消し、やがて東急百貨店も取り壊されて新しい超高層ビルへと生まれ変わり…

一方の横浜でも、2004年にみなとみらい線との直通運転によって東白楽~横浜間が地下になり、東横線・桜木町駅が姿を消しました。

ひとつ、またひとつ、時代は塗りかえられていくんですね。

「湘南新宿ライン」との上手な付き合い方

「湘南新宿ライン」という名前が親しまれてだいぶたちますが、具体的にどこからどこまでの区間を言うかご存知ですか? JRの窓口でお尋ねになっても、駅員でもきちんと答えられる方がどのぐらいいらっしゃるか…?

それもそのはず、横浜よりも西の東海道線・横須賀線(いわゆる湘南)方面から、山手線の西側(渋谷・新宿・池袋)を経由して、赤羽・大宮、さらに北(東北・上越)方面へと直通で運行される列車を総称した“愛称”だからです。鉄道路線として厳密にどこからどこまでという起点・終点はないのです。

「湘南新宿ライン」のルーツを知るにはまず「埼京線」について、さらに埼京線ができるきっかけとなった東北・上越新幹線にさかのぼる必要があります。


東北・上越新幹線の生い立ち

東北新幹線は1982年に、上越新幹線はその翌年の1983年に開業しましたが、その当時は大宮がスタート地点で、新幹線の特急券を持っている乗客には特急券なしで乗れる「リレー号」というのが上野~大宮間を走っていました。

東北・上越新幹線がやがて上野・東京駅まで伸びる計画は当初からありました。
ふつうは下り列車の先頭が1号車ですが、東北・上越新幹線の場合は北へ向かう列車のいちばん後ろが1号車となっています。列車がこの向きのまま東京駅まで進入することを想定して、東海道・山陽新幹線の西寄りが1号車であることに合わせたためです。
走行システムが異なるため、東北・上越新幹線と東海道・山陽新幹線とが直通で乗り入れることはありませんが、東京駅で東北・上越新幹線のホームでは北寄りの先頭が1号車、東海道・山陽新幹線のホームでは南寄り(西行き)の先頭が1号車…では混乱をきたしますから…。


通勤新線「埼京線」の誕生

さて、東北・上越新幹線が大宮から上野・東京へと至るルートは、東北本線(宇都宮線)・高崎線・京浜東北線が並走しているよりも西寄りのルート(南浦和~戸田経由)を通ります。そこに新幹線の高架を新たに建設するのにあわせて、高架に併設する形で通勤電車を走らせるルートを作れば、新たに用地を買収しなくても埼玉~東京へのあたらしいアクセスが作れるという構想が生まれました。
通勤新線 構造

構想段階ではまだ「埼京線」という名称はなく、「通勤新線」という仮の名称で呼ばれていました。
この大宮~赤羽間の新幹線脇に新たにできる区間(下図中の区間A)を中心に、赤羽~池袋間にはそれまでの「赤羽線」(区間B)が、また大宮~川越までは「川越線」(区間C)がありましたから、その線路をそのまま使って直通運転ができるように。こうして、1985年9月30日、川越~池袋間に「埼京線」が開業したのです。

★湘南新宿ライン


南へと伸びる埼京線

構想・計画段階から「通勤新線を新宿へ」とか「渋谷へ」と大きくかかれた横断幕をご覧になった記憶のある方もいらっしゃるでしょう。

山手線と並走する形でかつては貨物列車が往来していました。しかし貨物の需要は少なくなり、たまに臨時列車やお召し列車が通る程度となっていました。この貨物線の線路を使うことで、池袋からさらに南の新宿・渋谷・恵比寿へと埼京線を伸ばすことができると考えられていたのです。

問題はホームの設置工事でした。新宿駅は、かつての貨物駅跡地が再開発されるのに合わせて、南口に大型デパートができるなど駅周辺が大きく生まれ変わろうとしていました。それに合わせて埼京線のホームも新設されました。各発車番線によって異なるミュージックチャイムも新鮮に響きました。

一方、山手線の渋谷駅はゆるやかにカーブしていて片側ホームが2面。そのすぐ内側を貨物線が並走していますが、線路の両側にはデパートが併設されているため、貨物線の敷地を拡幅して新たにホームを作ることはできません。しかたなく恵比寿寄りにやや離れた位置に埼京線のホームが作られました。
そして埼京線はさらに恵比寿・大崎へと伸びていきました。

埼京線ができるまでは、埼玉から東京へ出るには田端・日暮里・上野方面に出て山手線に乗り継ぐか、赤羽から赤羽線で池袋まで出て、そこからさらに山手線に乗り換えて新宿・渋谷方面へ…という手段しかありませんでした。池袋・新宿・渋谷・恵比寿など東京の西方面にある若者の街と埼玉とが直結された便利さは計り知れません。


大崎から湘南方面へ

山手線と並走する貨物線は、大崎を過ぎたところで一方は新橋方面に位置する汐留の貨物ターミナルへ、もう一方は横浜・鶴見の操車場へと大きく分岐します。

南下してきた埼京線をもし東へと誘導すれば、品川・新橋・東京・上野・田端へとぐるっと回してふたたび埼玉方面へ戻るルートができたでしょう。
しかし品川~東京~上野~田端は、山手線と京浜東北線が並走している区間。そこにさらに埼京線まで並走させるメリットはあまりなかったのでしょう。

むしろ大崎から西方面へと向かう旅客ルートはそれまでなかったのです。大崎を出て新幹線の高架をいったんくぐってターンすると、東海道・山陽新幹線の高架に沿って横須賀線が走っています。多摩川を渡る前後からはしばらく東海道新幹線と並走します。

P8198360.jpg

そして大井・西大井・武蔵小杉・川崎・新鶴見を経て横浜へ、そして東海道線・横須賀線方面へとつながります。


これまでの経緯からもお分かりのとおり、路線として新たに作られたのは大宮~赤羽間だけで、それ以外はそれまであった在来線をつないで誕生した、いわば相互乗入れ区間なのです。

「川越線」「赤羽線」という旧線名は「埼京線」に吸収されて路線名としては消えましたが、西方面への「横須賀線」・「東海道本線」、新宿から出る「中央線」、大宮から先の「東北本線」「高崎線」「上越線」などの正式な路線名は生きています。
そこを相互乗り入れによって各方面への直通列車を走らせ、それらを総称して「湘南新宿ライン」と呼んでいる、ということなのです。


直通運転の便利さと盲点

埼玉以北に住む人にとっては、池袋・新宿・渋谷を経由して、そのまま横浜・湘南方面へも直通で行けるようになりました。
また逆に湘南・横浜・川崎に住む人が東北・高崎・上越方面に出かけるには、それまでは京浜東北線でいったん上野(=東北・高崎・上越方面への玄関口)まで出て長距離列車に乗るしかありませんでした。また新宿から中央線方面へ向かう場合は、品川まで行って山手線で少しもどる形で新宿まで来なくてはなりませんでした。

それが「湘南新宿ライン」の誕生によって、横浜・川崎方面から直通で、宇都宮・小山・黒磯方面へ、あるいは甲府・松本方面へ、高崎・草津・吾妻方面へと行けるようになりました。

このように「乗り換えなしに1本で行ける便利さ」はもちろん大きなメリットです。
新たに営業運転がはじまると、鉄道会社はとかく今までなかったルートが最短でつながった時間短縮を強調します。いつでもその最短時間で行けるかのように。

でも、お目当ての直通列車が1時間にどのぐらいの本数で走っているかが問題です。
延長された乗り入れ区間では、もともとその線を走っている列車のすき間に直通列車を走らせるダイヤを組まなくてはなりません。当然ながらその本数にも限界があります。湘南新宿ラインの場合、行き先にもよりますが、だいたい30分に1本程度ではないでしょうか?
 
また直通区間が伸びたということは、どこかで事故や信号トラブルなどがあった場合、運転見合わせ等ダイヤが乱れる区間も非常に長くなるという危険も承知しておく必要があります。
それらを含めて、従来からある別のルートや、待ち時間も含めて目的地までかかる平均的な所要時間を知っておく必要があります。


その時刻の列車に乗れればいいが…

事前にネットで検索したりして「○時○分の湘南新宿ラインに乗ろう」と決めて確実に乗れればたしかに便利でしょう。
でもたとえば「渋谷で何か用事を済ませてから、なるべく早く大船まで行きたい。いちいちネットで検索してる暇はない!とにかく駅に行って、乗れる列車で行こう」という場合、直通の湘南新宿ラインの最短時間だけを当てにするのは危険です。

渋谷駅の改札を入る時に表示されている次の湘南新宿ラインの発車まで時間があるように見えても、ご存知のように埼京線(湘南新宿ライン)のホームは動く歩道を3本も乗り継いで行くほど遠く離れています。うまく間に合えばいいですが、もし逃したら最低30分は待たなくてはなりません。次に来る違う行き先の列車で途中まで行っても、結局そこでまた待たされることになります。

そんな時、もし私だったら山手線で品川まで出て、品川で東海道線か横須賀線のいずれか先に来る列車(←駅の表示板を見る)に乗ります。
東海道・横須賀線は途中少しルートが違いますが、大船までほぼ似たような所要時間で着けます。
あるいは、渋谷駅からだったら東急東横線の急行か特急で横浜に出れば料金も安いですね。 横浜から大船まではJRに乗り継ぎますが、横浜駅では東海道線・横須賀線・湘南新宿ラインのホームは並行していますから、一番先にやってくる列車を案内板で見てその発車ホームに上がれば良いのです。

東海道または横須賀線といった選択肢があり、先に来る列車に乗るならば、待ち時間はせいぜい数分単位。待ち・乗換え時間を含めたいわば「平均所要時間」は読みやすく、先方に「だいたい何時ごろ着くでしょう」と伝えることもできますね。

このように、直通運転がはじまるとアピールされる「最短時間」だけを期待して、「逃したら30分待ち」という危険な賭けに出るよりも、従来からあるルートでの所要時間や何かあった時に振替えも可能な別ルートもあわせて把握しておき、「もし(直通列車に)当たって乗れればラッキー!」ぐらいに考えておくのが、「湘南新宿ライン」のような長距離直通列車との上手な付合い方かもしれませんね。

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わたらせ渓谷鉄道&足尾

4月30日、5月1・2日と出勤し、楽しみにしていたG連休後半は雨!
しかも5月としては記録的な豪雨となってしまいました!

5月3日

スカイツリー線で信号故障のため東武線に大幅な遅れ。特急「りょうもう」も北千住が始発となり定刻より20分遅れ。
相老(あいおい)14:15発のわたらせ渓谷鉄道トロッコ「ワッシー号」が発車を待っていてくれました。

★すべてクリックすると大きな画像でご覧になれます
ワッシー1 ワッシー2 
                    
たい焼き持ってちゃブレーキかけられないよ!

ワッシー2a ワッシー3 

雨しぶきの渡良瀬川。めったに見られない風景でしょう。

ワッシー4 ワッシー4b ワッシー4c ワッシー5a

<わたらせ渓谷鉄道>

かつての特定地方交通線「足尾線」をひきついで、1989年(平成元年)に第三セクターによる「わたらせ渓谷鉄道」(略称「わてつ」)となり現在にいたる。
各種トロッコ列車の運行は平成10年ごろからはじまったが、この「ワッシー号」は今年(2012年)の4月から。

宿1 宿でのんびり早い夕食


5月4日

朝方まで降っていた雨もようやく上がり青空が!
宿4 宿2 宿3

標高600mほどの位置にある宿の主人も「桜とつつじが一緒に咲くのは珍しい」とおっしゃっていました。ウグイスの声も聴きました。


<足尾銅山と足尾鉱毒事件>

足尾銅山は1610年に発見されて幕府直営の銅山となって以来、1973年に閉山されるまでの360年あまりにわたって、日本の銅生産の40%以上をまかない、産業を支え、外貨の獲得にも貢献した。
しかしその反面、足尾の鉱毒が渡良瀬川流域の農業地域に被害を及ぼし、日本で最初の公害問題ともなった。田中正造は明治23(1890)年、衆議院議員としてその被害を国会にも訴え続けたがなかなか進展せず、明治天皇に対して直訴するという、まさに命がけの覚悟でこの問題に取り組んだ。その後、汚染原因が古河鉱業(株)にあると認められたものの、各地への損害賠償が完結するのは閉山の翌1974年、毛里田地区への15億5千万円で成立するまで、じつに84年もの歳月がかかっている。

詳しくはネットなどで検索していただくとして、そんな社会見学も兼ねて…

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<足尾町>
足尾祭り1 足尾祭り2
「足尾祭り」が雨のため1日延期されていた

栃木県の西、群馬県との県境に位置する「足尾町」は2006年、いわゆる平成の大合併によって、今市市・藤原町・栗山村などとともに「日光市」の1地区となった。
鉱山の町として栄えたかつての「足尾町」は、最盛期の1916年には県内で宇都宮市に次ぐ人口3万8千人あまりを抱えていたが、1973年の閉山以降人口は減り続け、合併前の足尾町の人口は3000人にまで減ってしまった。
わたらせ渓谷号2 

かつての精錬所あと 後ろに見える岩山がいわゆる足尾銅山
掘られた坑道の総延長は、東京~博多の距離に匹敵するという。 

足尾の春
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トロッコ「わたらせ渓谷号」

わたらせ渓谷号1 わたらせ渓谷号4 わたらせ渓谷号9 わたらせ渓谷号10

旧国鉄DE10型ディーゼル機関車にひかれ、12系客車を前後に挟んだ4両編成で運行されている。

わたらせ渓谷号3 わたらせ渓谷号7
わたらせ渓谷号5 わたらせ渓谷号6  沢入駅にて
わたらせ渓谷号8 トンネル内では天井に発光ダイオードのイルミネーションが光る


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プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

音楽寄りの話題、社会・時事に関する日常的なあれこれを徒然なるままに…
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