プロローグ(序章)

大変僭越ながら、新たに「★オペラの世界へ」なるカテゴリーをつくってしまいました。
アマチュアながらたまたま3回ほど劇版での演奏機会に恵まれたオペラ『カルメン』について、以前雑記しておいたものも交え、以下8つの記事につづります…



1枚の鉄片から

蹄鉄

これは馬の蹄鉄(ていてつ)です。蹄(ひづめ)を保護するために、一頭ずつそれぞれの足(蹄)の大きさ・形に合わせて作られ、鋲(びょう)で打ちつけて固定されます。

最近はアルミ製やゴム製のものもありますが、やはり蹄鉄という名のとおり、本来は“鉄”ですね。

すり減ってきたら交換され、回収されてふたたび溶かして新しい蹄鉄に生まれ変わります。ですから勝手に盗んできてはいけません!
これは以前、ある乗馬クラブで交換されたものを分けていただいたもの。
馬の種類はアラブ、前足についていたものですが、こうして屋内であらためて見ると大きいですね。

溝に土やワラがしっかり埋まって固まっていたのをほじり出し、表面をサンドペーパーでよく磨き、焼いて水に入れて表面を黒くし、けやきの木片に打ちつけてみました。

蹄鉄2

部屋のインテリアにしてもよし、ドア脇にぶら下げてメモを挟んで伝言版のように使ってもよし、鍋敷きとして使ってもいいでしょう。
(後ろのウィンチェスター銃は もちろん本物…ではありません、残念ながら…)



馬好きな人にとって蹄鉄の形はとても美しく魅力的で、見ているだけで心が和みます。
化粧品メーカーのロゴマークにも、あるいはバッグの金具などにも、この蹄鉄をモチーフにデザイン化されたものは多いように思います。
地域によっては縁起のいいもの・魔よけとして信仰され、ドアなどに打ちつけられています。また上が開いている状態は縁起がよく、逆に下に開いていると不運を呼び込むとも言われるようです。

ところでこの「馬蹄形」、馬がこの地球上に誕生してからずっと自然界にはあったわけですが、わざわざ馬の脚の裏をひっくり返して見ることもあまりなく、もともと人の目にそうそう触れるものではなかったはずです。

ヨーロッパでは4世紀ごろから、馬に乗ったり作業をさせたり、人間が家畜として馬と付き合うようになってから蹄鉄が作られるようになり、その造形を目にすることも日常化して「馬蹄形」という言葉も生まれたのでしょう。

ちなみに日本では…
日本の馬・広重
歌川広重「名所江戸百景」より

明治以前の日本には蹄鉄の知識がなく、馬は専用のわらじを履いていました。一部の地域では蹄鉄のようなものをつけていたかもしれませんが、少なくとも全国的に組織だって定着はしていなかったようです。ですから時代劇に蹄鉄をつけた馬が登場するのは本来おかしいのですが、お馬さんからいちいち蹄鉄をはずすのは大変なんで、撮影のときはあまりはっきり映らないように…。


とってもテツな 鉄のお話し

さて「鉄」といえば…?テツな話題にもちょっと触れておきたいですね(笑)。
模型ですが、こんな台車をご存じでしょうか?

客車台車

一見ごくふつうの客車用の台車ですが、軸受のあたりをよく見ていただくと…

馬蹄形の軸受

そう、軸受の部分が“馬蹄形”をしているんです!

これはかつて九州地方で「ある列車」と呼ばれた幻の客車の台車ですが、もともとこのタイプの台車はアメリカに多く見られたスタイルですね。


馬蹄形の建物といえば…

さて、これからご紹介する何点かの画像は地球の裏側から、芸術・オペラの都イタリアです。

ブログを通じて知り合った音楽家で、現在イタリアにご在住のチェンバロ奏者I.Yさんは、ご自身で撮られた素晴らしい画像をブログにたくさん掲載されています。その中からほんの何点かを、この記事を書くために使用許可いただいて…

テアトロ
・テアトロデッローペラ (Teatro dell'Opera )の客席

オペラハウスの多くは、このように2階から5階までの客席が馬蹄形にぐるりと舞台を取り囲むように作られています。

一方、時代も目的も全く異なりますが、かつてのローマ帝政期に造られた屋外の円形競技場の観客席ともなんとなく似てるように見えませんか…?

コロッセオ
・コロッセオ(ローマ)

見たいものを丸くとり囲む発想、あるいは上からの重量を支え力を分散させるアーチ型の構造…それらすべてが馬蹄形をヒントに造られた訳ではないでしょうが、自然界にある造形というのは、ときに機能的で理にかなった美しい姿をしているものだな…と思うことがよくあります。

さて、ふたたびオペラハウスに目を戻しましょう。

テアトロロッシーニ
・テアトロロッシーニ(Teatro Rossini)の舞台

この画像では幕が下りていますが、オペラの舞台には日本のコンサートホールには決してない、ある大胆な“仕掛け”がしてあるのをご存じでしょうか?


傾斜した舞台!

傾斜した舞台面(プラトー)

イタリアのI.Yさんのブログに掲載されていたこの画像を拝見して「おぉ、これだ!」と思わず膝を叩いてしまいました。ピアノの手前の足にご注目ください!

ピアノを水平に設置するために手前の足を底上げし、ペダルを踏む両足もちゃんと両足のかかとが水平につくように専用のくさび型の台が用意され、椅子の手前の足にもかさ上げが施されています。

舞台はこれだけ傾斜している、ということです!
いったい何のため? 水はけをよくするため?…ではありません(笑)。

1階席から少しでも舞台を見やすくするために、オペラハウスの舞台面(プラトー)には5~8%の傾斜が設けられているのです。
2階席以上の高い位置から見ても、舞台が少し前に傾斜していることで、舞台上空に観客がせり出したような臨場感が増すはずです。

オペラの舞台にはこのような傾斜があるという話は前にも聞いたことがあります。
でも、舞台写真や平面図を見ても、あるいは舞台中継などを見ても、舞台の傾斜がはっきりと手に取るように分かるような決定的な画像には今までなかなかお目にかかるチャンスがなかったんです。
この画像はとっても分かりやすい“動かぬ証拠”!…I.Yさん、貴重な画像を本当にありがとうございました!


8%の傾斜といえば…

先ほどの画像から、テアトルロッシーニの舞台には相当きつい傾斜があるように見受けられます。
ピアノの両足の間隔はおよそ150センチ。手前に底上げされている木片は見た感じ10センチ以上ありそうです。仮に12センチだとすると…傾斜は8%!

またしてもテツな話に無理やりもっていきますが…(笑)

急勾配(ケーブルカーを除く)といえば“登山電車”ですね。
こちらの画像は、東京から日帰り圏内にある箱根登山鉄道です。

80パーミルの勾配
80パーミル

箱根湯本の駅を出てすぐにさしかかる急勾配がまさに80パーミル。
鉄道では千分率(‰=パーミル)を用いて表しますので「80.00」と表示されていますが、これがまさに8%の勾配です。

画面左に僅かながら写っている地面がほぼ水平だとして、かなりの急勾配であることが写真からもお分かりいただけるでしょうか?



オペラハウスの舞台面にはこの登山電車なみの傾斜があるわけです!

くり返しますが、決して水はけをよくするためでも、舞台上にばらまいた花弁などを掃き掃除しやすくするためでもありません。
客席から舞台面が少しでも見えることで、役者の動きにも舞台演出にも奥行き感が増します。

いかにお客様に少しでも臨場感のある舞台を楽しんでいただけるかを第一に考え、こんなに傾斜した床の上で踊ったり歌ったり演技をしている…それがオペラの世界なんですね。     

ではこの先、オペラの世界へ…

 ↓ オペラの世界へ…「カルメン」を中心に

オペラの世界へ

◆俗っぽい題材から

オペラは高い芸術性をもった高尚な趣味、というイメージがあるかもしれないが、ストーリーを見てみると、男と女が出会い、恋に落ち、運命のいたずらによって事件に発展し…場合によっては神様とか悪魔が登場し…と、わりと俗っぽいテーマで、映画やドラマと同じように楽しめる“娯楽”だ。

ただ、現代の映画やドラマとは作り方が違う。こま切れに撮影して編集することができない。編集した映像の尺(長さ)に合わせて後から音声を入れることも、音楽の尺(長さ)に合わせて映像をつないで編集することもできない。

大掛りな舞台セットを転換して幕ごとの場面をつくり、役を演じる歌手が歌い、歌っていない時も音楽の流れに沿って動き、演技し、すべて“生”でストーリーが展開されていく。
だから音楽は、舞台の上でどういう場面が展開するか、役者の動きや間合いなどもちゃんと計算して適切な長さで、その情景にふさわしい曲が書かれている。音楽の流れを止めることなく舞台は進行していく。つまり指揮者の見ている総譜(スコア)が“台本”なのである。

幕が開く前に演奏される「前奏曲」や、幕と幕の間に演奏される「間奏曲」、主人公がせつせつと想いを歌う「アリア」(1人)、同じ曲の中で複数の主人公が旋律をかけ合わせる「デュエット」(2人)や「トリオ」(3人)、さらに周りの群衆の歌(合唱)もあれば、登場人物の動きやちょっとした舞台上での場面転換に応じてオーケストラだけが演奏する“つなぎ”としての音楽…。それらが見事にリアルタイムの芸術を生み出していく。

また、オペラの魅力のひとつとして、現実的な日常とは離れた世界につれていってくれるようなところがある。
例えば今日のトレンディドラマだったら、日本なら日本、韓国なら韓国と、それぞれ視聴者たちもよく知っている自分たちの国の街や風景が舞台となることが多い。それに対してオペラは、なぜか作曲者や聴衆たちにとって母国ではない、遠い異国の地が舞台となっていることもけっこうある。

イタリアのプッチーニという作曲家は、スケートの荒川静香選手がイナバウアーで有名にした「誰も寝てはならぬ」を含む『トゥーランドット』を中国を舞台に書き、さらに極東の国・日本を舞台に『蝶々夫人』を書いている。

舞台が中国にしては、“トゥーランドット姫”や“カラフ王子”なんていう名前はちょっと変だと思うし、『蝶々夫人』の舞台は、あのグラバー邸のある長崎の港を望む丘の上あたりがモデルといわれるが、そこからなぜか富士山が見えることになっている(笑)。
だがそうしたリアリティを追及することよりも、むしろ自分たちの日常をはるかに離れた異国の地を舞台にすることで、なにか非日常的な世界へと夢をいざなってくれるようなところが、オペラにはあるのかも知れない。


◆「カルメン」…劇版と組曲

「カルメン」も、フランスの作曲家・ビゼーが、やはり母国フランスではなくスペインを舞台に描いた作品である(歌詞はフランス語で書かれている)。

場面ごとに使われている音楽はどれも素晴らしく、さほどクラシック音楽に詳しくない方でも「あ、カルメンだ!」と分かる曲、あるいはメロディを聴けば必ず「あ~、聴いたことある!」と思える曲が非常に多い。フィギュアスケートの選手たちが「カルメン」の中から選曲することも多い。
ひとつのオペラの中にこれだけ数多くの名曲があり、今日まで多くの人たちに愛されている作品も珍しいのではないかと思う。

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ここで、同じ「カルメン」にも、劇版と組曲版があるということにちょっと触れておかなくてはいけない。

オペラではオーケストラはいわば下座(げざ)で、舞台の前に掘られたオーケストラピットという観客からあまり見えない暗い箱の中で演奏し、舞台の上では歌手である役者たちが演技をする。オケピットはとても深く、その中で演奏していると舞台上の演技がまったく見えないのが残念だ。

<オーケストラピット>
オケピット


劇版の「カルメン」全幕はおよそ3時間かかる。しかしオーケストラがステージに上がる“演奏会”では、長いオペラの全曲ではなく劇中の有名なシーンで使われた曲を選び出し、前後につなぎのように入っている部分はカットするなど編曲し、曲順も第一幕・第二幕…といったストーリーの流れとは必ずしも関係なく並べかえた「組曲版」で演奏することが多い。

音楽の楽しみ方も、原作としての劇の楽しみ方もいろいろある。たとえば映画にしても、原作や映画作品を見てから、そこで使われていた音楽をサウンドトラックで聴くと素晴らしかった映画のシーンが蘇るし、逆に大ヒットしたその音楽を何度となく聴く機会があり、その壮大なストーリーを想像し、後から映画を見てあらためて感動し…という楽しみ方もあるだろう。

だから決して「オペラは劇版で見なくてはいけない」とか「組曲版は邪道だ」、などと言うつもりは毛頭ない。

ただ、音楽を味わう上で、あるいはこれを読まれる方の中にもご自身で楽器を演奏される方もいらっしゃるなら、その音楽がどういう物語のどういう情景の中で使われている音楽なのか、ということを思い浮かべ、イメージを膨らませながら演奏するのはとても大切なことだと思う。単に楽譜に書いてある音符を追って音を出すだけでなく、感情をこめた表現力も豊かになるはずだ。

そういう意味で、アマチュアのオーケストラでも、有名なシンフォニー(交響曲)や合唱の入る宗教曲などももちろん素晴らしいが、よりストーリー性のはっきりしたオペラ作品を、できれば物語の流れに沿った形で演奏する機会があると、音楽を表現する楽しさや深さもよりいっそう深まると思う。
映画音楽はできればサウンドトラック版で味わいたいと思うのと同じように、できればやはり“劇版”で…。



*サウンドトラックとは?

ちょっと話はそれるが、「サウンドトラック」の意味をご存じだろうか?
もちろん4tトラックではない(笑)。
映画の本編で使われていたのと全く同じ、つまり編曲(アレンジ)されていないオリジナル版の、映画館で聴いたのと全く同じ音のことを「サウンドトラック版(サントラ版)」というのだが、その言葉の元の意味は?

映画フィルムの両端には、投影機に巻き取らせるための穴(=パーフォレーション)があいているが、そのちょっと内側あたりまでは黒い(映像の外側の黒味)。そこには磁気を帯びさせてあり、フィルムをリールに巻いた時にほどけにくくしている。

フィルムの両端はいわば磁気テープになっているのだ。ならば、そこに音声を録音しておくことができたら、映写するのと同時に音も再生できるのではないか!、という素晴らしい発見があったのだ。
それによってチャップリン以前の“無声映画”ではない、映写と同時に音も出る今日のような映画が誕生した。

その「音を入れる磁気テープのライン(トラック)」が「サウンドトラック」なのである。トラックとは、陸上競技で選手たちが走るコースを意味する「トラック」と同じで、いわば「音を走らせるためのトラック」ということである。そこに録音された音声こそ、まさに“映画館で聴いた音”なのである。




「カルメン」もぜひ“サウンドトラック版”で

ストーリーを紹介した文章(プログラムなど)はあっても、そこで用いられている音楽との関連について書かれたものは意外とない。
また音楽面で専門的に研究されたものでは、逆に全体のストーリーや前後関係が分かりづらい。
そこでオペラ全編のストーリーを追いながら、ごく個人的な解釈による音楽面でのチェックポイントも交え、重要なシーンを見ていきたい。

幕間の「間奏曲」や劇中の有名な曲のいくつかは組曲版にも収められているが、物語の展開上とても重要な曲であるにもかかわらず、組曲版には入っていない曲もたくさんある。

またオペラでは、役者の動きや間合いに合わせて、さまざまな“つなぎ”としての音楽がある。
そうした“つなぎ”の音楽の中に、これから起こることへの予感・登場人物のキャラクター・何らかのメッセージ…などが隠されていることも少なくない。
組曲版で有名な曲だけを演奏していたのでは分からないような劇中の細部に隠された面白さが発見できるのも、そうした“つなぎ”の音楽ならではの楽しみである。

また、舞台上にどのようなセットを組んで配置するかによって、また演出によって、役者が移動する距離や場面転換にかかる時間が微妙に変わってくる。
“つなぎ”の曲は、必ずしも楽譜に書いてある通りでなく、必要に応じて途中をカットして縮めたり、あるいは逆に同じフレーズを繰り返して尺(=時間)を延ばしたり…という風にその都度アレンジして演奏されることも多い。おそらくビゼー自身もそれを想定して書いているのではないかとも思う。

「カルメン」は、もともと小説だった原作ストーリーに沿って、登場人物の心理描写も含めて、じつに細部にいたるまで緻密に組み立てられた作品だなとあらためて驚かされる。そのすべてを文章では表現しつくせないのが残念だが…

スコア1
スコア3

歌手の方たちの寄書サインをいただいた『カルメン』のスコア

↓ 次の記事以降「カルメン」ストーリーと音楽 )

オペラ『カルメン』 ストーリーと音楽(1) 第1幕

♪「前奏曲」

第1幕から第4幕までの オペラ全体への「前奏曲」である。
闘牛場を描いた「第4幕」の「行進曲と合唱」をメイン主題とした明るく軽快な音楽で始まる。
途中「闘牛士(トレアドール)」の勇敢なテーマを挟んで再び主題に戻り、華々しく完結する。

カルメン前奏曲1(小)

曲は続いてゆったりしたAndanteに変わり、弦楽器の衝撃的なトレモロによる レ・ファ・ラ のDモール(ニ短調)の暗い響きにのって、「♪レード♯シ♭ド♯ラー」という旋律が現れる。いわゆる「悲劇のテーマ」である。

悲劇のテーマ(前奏曲後半)

このテーマは「この物語は悲劇ですよ」と予感させるものだと、幼少のころ父が教えてくれ、ずっとそう思ってきたが、劇版で演奏する機会に何度か恵まれた中で、実はこれこそがカルメン自身を表すとても重要なモチーフであることに気づいた。そのことは後に「カルメン探訪」で詳しく書くことにする。


<第1幕>


セビリアの町で、衛兵たちが交代で勤務している。近くにはたばこ工場があり、女工たちが毎日働いている。衛兵たちはとくに事件もない平和な(早い話がヒマな)勤務についている。
その中にドンホセという伍長がいる。そのホセを訪ねて、ミカエラという女性(ソプラノ)が訪ねてくるが、次の勤務交代までホセには会えないと詰所の衛兵たちから聞き、「後でまた来ます」と去っていく。


やがてラッパが遠くと近くで2回鳴り、衛兵たちが馬に乗って行進してくる。勤務交代だ。それに合わせて、子供たちも兵隊ごっこをしながら「ラッタッタ…」と追いかける。「ストリートボーイズの合唱」と題する、子どもたちの合唱が加わる軽快な曲だが、組曲版には入っていない。劇版でもこのシーンのためだけに子供の合唱を入れるのが大変なこともあって、省略されてしまうことも多い。


たばこ工場での昼休み、男も女もくつろいで世間話をしたり煙をくゆらせたり踊ったり…。「シガレットガールズの合唱」と題する歌はとてものどかだ。

たばこ工場の女工さんの中に、ひときわ魅力的なカルメンシータ(メゾソプラノ)という女性がいて、いつも大変な人気者のようである。
みなが「カルメンシータはまだ来ないか」と首を長くして待っていると、思わせぶりについにカルメンが現れる。カルメンの登場にはあの「悲劇のテーマ」がとても速いテンポになって現れる。

カルメン登場


♪ Habanera(ハバネラ)

「♪好きだというの?そりゃ勝手だわ。いつ好きになるか、私にも分からない。明日かもしれないし…、だけど今日はだめよ」という前台詞に続いて、有名な「ハバネラ」が始まる。ゆったりした2拍子。もとはキューバの舞踊のリズムがモチーフともいわれる。

ハバネラ(ピアノ伴奏)
(ピアノ伴奏版)

「♪恋は気まぐれ、野の小鳥、だれが何と言おうと、だめなものはだめ、そばで口説くより黙ってる人が好き…」とカルメンが歌うと、女工たちもそれを追いかける。
「恋は気ままもの、掟なんかありゃしない、たとえあなたが嫌でも、私は好きなの、…私に好かれたらご用心」

伍長のホセもその様子を見ていて、カルメンと眼が合う。
「ハバネラ」を歌ったあと、カルメンは妖しげにホセに近づいていく。そこであの「悲劇のテーマ」が8小節ほど静かに流れ、悲劇のはじまりを予感させる。

悲劇の暗示(ハバネラのあと)

ティンパニの一撃(アクセント・トレモロ)でカルメンがホセに花を投げつけると、曲はハイテンポの「ハバネラ」に変わり、みな笑いながら散っていく。

一人たたずむホセは、投げつけられた花を拾い、なにやら感傷にひたる。弦楽器がもの悲しい3拍子のメロディを奏で、最後にまたあの「悲劇のテーマ」のフレーズが木管から低弦へとリレーされて静かに結ばれる。

「ハバネラ」に前後するこの一連のシーンは、カルメンとホセとが最初に出会い、これから起こるすべての運命を予感させるような、とても印象的で重要な場面である。組曲版では「ハバネラ」の部分しか演奏されない(歌もない)が、できればこの前後の情景描写も含めてこのシーンをとらえておきたい。


♪ ホセとミカエラのデュエット

ホセのもとへ、先ほどのミカエラが再び訪ねてくる。
ミカエラは、遠い街で暮らすホセの母に、幼少のころからホセと一緒に育てられた幼なじみで、とても純情で気立てがよく、ホセの母もゆくゆくはミカエラをホセの嫁に、と思っているようである。

ミカエラはホセの母の近況を伝えに、またホセの近況を見に、わざわざ遠くからやって来たのだ。
この曲には「Duet」と記されているだけでとくに題名はないが、後にもう一度ミカエラが登場する「第3幕」の終わりにも使われているテーマである。ホセの母からのメッセージを伝え、ホセとミカエラの故郷を回想する「故郷のテーマ」とでも呼んでおこう。

カルメンの劇中にはどちらかというとリズミカルな舞踊のリズムに乗った曲が多い中で、清楚で堅実なミカエラが故郷を伝えるところは、ゆったりした4拍子で書かれているのも、なぜか清楚で新鮮な印象を受ける。

故郷のテーマ1(ミカエラ)

そして「お母さまからことづかったものがある」と言ってホセに口づけをする。それも情熱的なキスというよりも、頬に軽くさわやかに。見ている方が気恥ずかしくなってしまうほど純情なシーンである。ホセも「懐かしい故郷の景色、おふくろの顔が目に浮かぶ」と3拍子で歌を重ね、やがて美しいデュエットとなる。

故郷のテーマ2(ホセ)

ホセはふと、先ほどたばこ工場でカルメンという女性に花を投げつけられたことを思い出し、「さっきは悪魔に心を奪われるところだった」とこぼす。
ミカエラはすかさず「え、悪魔って?いったい何があったの?」と尋ねるが、それ以上詳しい話にはならない。



やがてミカエラが帰っていったあと、たばこ工場では喧嘩が起こる。
カルメンが同じ工場で働くマヌエリータという女性とつまらないジェラシーのぶつかりあいから取っ組み合いの喧嘩をして、相手に怪我を負わせたらしい。

激しいリズミカルな短調の曲に乗って女工たちが口々に騒ぎ立てる。
このモチーフが明るい長調に変化したのが「第一幕」をしめくくる終曲のテーマ(→後述)にもなっている。

そこに衛兵たちが駆け付け、女工たちから事情を聴き、カルメンは捕えられる。カルメンを連行するのはホセの役目だ。


♪ Seguidilla(セギディリャ)

取調室でカルメンはしきりに色目をつかって歌い、ホセをそそのかす。
♪「セビリアの城壁の近くのパスティアの店で、楽しく飲んで過ごしましょうよ」と。

セギディリア1 


カルメンのこの歌が少し進んだところに、ほんの4小節ばかり「第4幕」の冒頭(=闘牛が始まる前のにぎわいの場面)の主題メロディが隠し絵のように入っている。

セギディリア2(楽しいこと)
これはカルメンにとって「さあ、楽しいことがはじまるよ!」のテーマ、と私は呼んでおくことにする。

しかしホセはそんなカルメンの歌を最初は相手にせず、静かにするようたしなめるが、かわまず「ひとりで歌ってるだけよ」といいながら歌い続ける。

「1人じゃさびしい、好きな人と一緒に行くの。その人は将校さんほど偉くはない、ただの伍長さんだけど、ジプシー女には充分よ」…

ホセはついにカルメンの歌に心を奪われ、「俺がもし本気になったら、お前は裏切らないだろうな?」と念をおし、カルメンを逃がす約束を交わしてしまう。

連行の命令書が届く。両手を縄で縛られて連行されていくカルメンは「ハバネラ」を鼻歌まじりに口ずさんでいるが、ころ合いを見てその縄を引っ張ると、ホセは打合せたとおり馬から転げ落ち、その隙にカルメンは群衆の中へと逃げ去っていく。

ここで「第1幕」は終わる。終曲は、先ほども書いたたばこ工場での喧嘩のテーマを明るい長調に変えたものである。

第一幕終曲(弦楽器)

「カルメン暴れる!」のテーマとでも呼んでおこう。

↓ 「第2幕」へつづく

オペラ『カルメン』 ストーリーと音楽(2) 第2幕

♪「第2幕への間奏曲:竜騎兵の歌」

ホセがジプシーの密輸業者の酒場へカルメンのもとを訪ねてくる時に口ずさむ歌のオケ版である。ファゴットのメロディと小太鼓の刻むリズムが印象的な「竜騎兵のテーマ(アルカラの竜騎兵)」である。組曲版にも入っている。前奏曲や間奏曲など、幕間に流れるオーケストラだけの曲は、基本的に組曲版にも同じ形のままで入っている。

第二幕への前奏曲アルカラの
(ピアノ譜)
 

<第2幕>

♪ Gypsy Song(ジプシー ソング)

舞台はジプシーたちの酒場。カルメンは「ジプシーソング」を歌いはじめ、繰り返すごとに次第にテンポは速くなり、やがて情熱的に踊り狂うようにクライマックスを迎える。タンブリンの響きが効果的な、まさにジプシーの血が騒ぐような熱狂的な音楽で、「ハバネラ」とならんでカルメンを象徴する音楽として、劇中でもひときわ有名な曲のひとつなので、曲の冒頭と展開した部分を楽譜でご紹介しておこう。

ジプシーソング1 

2本のフルートが3度の音程を重ねる。

やがて曲は明るい長調に変わり…

ジプシーソング2
(ピアノ伴奏譜)


♪ Toreador Song(トレアドール ソング)

ジプシーソングのあと短いアリアに続いて、合唱が巻き起こる。
グラナダの闘牛士・エスカミーリオがやってきたのだ。ジプシーの群衆を前に「トレアドール」を華々しく歌って闘牛の魅力をアピールする。広報・宣伝活動といったところだろうか?

こちらも劇中でとても有名な曲である。まずはその冒頭部分から…
トレアドール1
(ピアノ伴奏譜)


ところで「トレアドール」とは? 

…闘牛士のことである。ただ闘牛士にも色々といて、2番の歌詞に出てくる「ピカドール」とは馬に乗って槍を構える闘牛士、そのほかにも牛を追い込む役目、牛のいる木戸を棒でつついて怒らせる役目など、いろんな役割を持った闘牛士たちがチームとして牛と戦い、その一部始終を観客に見せて楽しませる。

その中でも「トレアドール」は、赤い布を振りかざして牛と戦い、最後に槍でとどめをさす、まさに闘牛士の中の闘牛士、スーパーヒーローである(「カルメン」を理解するには闘牛の知識も必要かも!?)。

冒頭の「前奏曲」の中間部にも入っているこのトレアドールのメロディこそ、エスカミーリオのテーマと言ってもよい。

トレアドール2
(ピアノ伴奏譜)

「♪ トレアドール、さあ構えろ、トレアドール、トレアドール…」と、闘牛の魅力と男のロマンをアピールする。
その後半には「♪闘いながらも、忘れないさ、黒い瞳が見つめているのを、黒い瞳を見つめながら、トレアドール…」という歌詞が出てくる。

この「黒い瞳」とは? …どうやら牛ちゃんの瞳ではなさそうだ。
観客の中で熱いまなざしで見つめている素敵な女性。つまり闘っている最中も決して“恋”は忘れない、ということである。

そう“恋”…恋こそまさにカルメンにとって欠くことのできないキイワード、生きるエネルギー源のようなもの。
「トレアドール」の歌がひととおり終わった後、女性たちはエスカミーリオに熱い視線を送りながら「恋~♪」と叫ぶ。カルメンも最後にひときわ熱いエールを送り、エスカミーリオもそれに応えて、カルメンの名をしっかりと記憶に刻んで去って行く。

カルメン&エスカミーリオ

なんとなく、エスカミリオの登場はもう少し後だったようにも思ってしまうのだが、実は「第二幕」がはじまったばかりの、まだカルメンがホセと再会する前の段階で、すでにエスカミーリオが登場しているのだ! 
カルメンの「ジプシーソング」とエスカミリオの「トレアドールソング」とは近接して並んでいて、情熱・恋…といった二人に共通するキイワードが並んでいるのも面白い。





ふたたびジプシーたちの酒場。どうやら健全にお酒を飲むだけではなく、怪しい駆け引きをしたり、賭博をやったり、悪だくみをしたり、2階は個室の売春宿になっていたり…かなり怪しい空間である。
ジプシーの仲間たちが、「悪いことをたくらむ時には、女が一緒だとやりやすい。ゆすりにかたり(たかり?)、何でもうまくいく…」などと企む。

しかし、どうも今日のカルメンは様子が違い、他の男たちの誘惑には乗ってこないようだ。
カルメンを逃した罪で服役していたホセが出てきて、カルメンのもとへ訪ねてくる日らしい。この時のカルメンは、単に逃がしてもらったお礼という義理的な意味だけでなく、それなりにホセに対して純粋な気持ちを抱いて待っていたのだろう。

♪ Song Canzonetta

そこへホセが意気揚揚と竜騎兵の歌(=第2幕への間奏曲のテーマ)を歌いながらやって来る。カルメンは「ほら来た」と喜び勇んで出迎える。

♪ Duet

ホセを部屋に案内し、カルメンは自作自演で歌って踊ってもてなす。
この曲には、「カルメン」全幕で唯一、カスタネットが用いられている。
スペインといえばフラメンコ、フラメンコといえばカスタネットだが、他ではタンブリンが活躍し、カスタネットが出てくるのはなんとこの1曲のみ。
ちょっと意外な感じもするが、それだけにインパクトも大きい。曲の題名もとくになく、たんに「Duet」としか書かれていない。

カルメンがホセに「さあ、そこに座って」とひとり歌を歌いながらカスタネットを鳴らしてご機嫌に踊り始める。やがてそのメロディに重なるように遠くからラッパの音が聞こえてくる。帰営ラッパだ。

カスタネット・ラッパ

ホセは帰営ラッパに気づきカルメンの歌と踊りを制止しようとするが、カルメンは「ブラボー、ブラボー、天から音楽が降ってきた」と構わず踊り続ける。カルメンのカスタネットと歌に重なるトランペット。
そしてついに「分からないか?カルメン、帰営だよ。兵舎に帰らなくてはならぬ」とホセが重ねる。
…全く異なる要素が重なり合うこの曲は短いながらも実に見事に書かれている。

それにしてもホセは、晴れて出所してカルメンと再会できる日。点呼ぐらいちゃんと済ませてからカルメンに会いに来ればいいものを…まったく要領の悪い男だ。

カルメンは「兵舎に?帰る?、あぁ私が馬鹿だった」と怒り心頭!  
当時の売春宿のシステムはよく知らないが、本来なら客である男が金を払うべきところを、「私のおごりでもてなしてるのに」と言っているあたり、おそらく部屋の使用料や飲食代すべてをカルメンが払って、今日はホセと素敵な時間を過ごすつもりで待っていたのだろう。

「ラッパが鳴るとすぐ帰る?」と呆れて怒り、軍服やサーベルを投げつけ「とっとと帰りな」となじるカルメンに、ホセは、「ひどいぞカルメン、聞いてくれ」とアリアを歌いはじめる。

♪ アリア(ホセ)“花の歌”

「俺はずっとお前が投げつけたこの花を大切に持っていた。花はすっかり枯れ、香りも消え失せたが…」
カルメンへの純情な思いを切々と歌い上げるこのアリアは、ホセの歌の中で最も美しい名曲だろう。
ホセの告白「花の歌」
(ピアノ伴奏譜)

ふつうオペラの中で男性がこんなに美しいアリアで想いを語ったら、女性も美しい曲で返し、やがてデュエットとなって恋は実を結び…と進みそうなものだが、カルメンにとってあまり真面目で重い告白はどうも性に合わないようだ。

「ノン、愛してなんかいないわ」と不協和音の中で切り出すと、明るくリズミカルな曲へと変わり「もし私を本当に愛してるのなら、私(たち)と一緒にどこまでも来てくれるはず。一緒に旅に出ましょう」とホセを誘う。

自由の旅へ(1)

「勘弁してくれよ」と懇願するようにホセは「カルメ~ン」と合いの手を入れる。
曲は展開していき、♪「何にも縛られず、世界をねぐらに気ままな暮らし。何より素晴らしいもの、それは自由よ!」と。この曲が第2幕の終曲としても使われる。

自由の旅へ(2)
自由の旅へ(2-2)


ホセとしては、そもそもカルメンのトラブルに巻き込まれ、誘惑にのって逃がしてやり、その罪で独房に入れられ、ようやく出てきたら、帰営ラッパものがしてしまい、あげくの果てはジプシーの仲間に…?
「冗談じゃない!」

カルメンとホセとは決裂し、「とっととお帰り!」とカルメンが投げつけた軍服・サーベルを身につけて出て行こうとする。

と…「ゴンゴンゴン」とドアをノックする音!
ホセの上官(スニガ)が、やはりカルメンに会いにやってきたのだ。上官は「おやおや、これはいったいどうしたことだ?将校の私が来てやると言っているのに、兵隊なんぞを連れ込んで」とカルメンをたしなめる。

しかしジプシーの仲間たちによってこの上官は捉えられ、カルメンに「ねえ隊長さん、悪いところへ来たものね。われわれはこれから出かけるの。おとなしくしてて」とたしなめられ…(このあとスニガをどう始末するかは演出によってさまざま →後述)。

ホセは、カルメンとの関係も上官に知られるところとなり、上官に対してこんな仕打ちをしてしまった以上、もう引き返すわけにもいかず、“仕方なく”ジプシーの仲間となり“脱走兵”となってしまうのである。

ここで「第2幕」は終わる。「第2幕」の終曲は、カルメンが先ほど歌っていた「素晴らしいもの、それは自由よ」のテーマである。


( ↓ 「第3幕・第4幕」へつづく

オペラ『カルメン』 ストーリーと音楽(3) 第3幕・第4幕

♪「第3幕への間奏曲」

ハープの伴奏とフルートソロによる名曲である。途中から弦楽器がハーモニーを重ねる。同じビゼーの作品「アルルの女」の中にも、似たようなハープとフルートソロによる間奏曲がある。

第3幕への間奏曲


<第3幕>

舞台は人里はなれた山の中。険しい山道を超えてジプシーの旅は続く。
ホセもジプシーの仲間に入ったものの、みなが荷物を降ろして休憩をしている時に見張り番を命じられるなど、下っ端のような使われ方をしているようで、カルメンとの仲もしっくりとはいっていないようだ。

ジプシーの一行の旅は、まともな商売やボランティア活動、あるいはチャリティコンサートをしながら…といった健全な旅ではなさそうだ。ゆすりにかたり(たかり?)、密輸など、それなりに悪いこともしながらの旅。だから、休憩の時には“見張り”が必要になるわけだ。

そこへ第2幕で登場したエスカミーリオが、牛ならぬ、馬に乗ってやってくる。


♪ Duet(ホセ・エスカミリオ)

見張りに立っていたホセは、その不審な侵入者に向けて銃を1発放つが命中せず、エスカミーリオが「危ないところだった。俺はグラナダの闘牛士、エスカミーリオ」と名乗ると、ホセは「エスカミーリオ?ああ、名前は知ってる。歓迎するが、こんなところにやってきたら危ないぞ」と忠告する。

ホセ対エスカミリオ

エスカミーリオは「しかし俺はいま恋をしてるんだ。相手はジプシーの女だが、その名は、カルメン」と歌うと、「何?カルメン!?」ホセはハッとする。

エスカミーリオはさらに続けて、
「カルメンに心を奪われ、すべてをなくした哀れな兵士がいたと聞くが、カルメンの恋はせいぜい半年、もうそろそろ終わった頃だろう…」と歌う。
ホセはジェラシーと怒りに燃え、ついにナイフを取り出してエスカミーリオに決闘を挑む。エスカミーリオは「そうか分かったぞ。お前がその脱走兵でカルメンの恋人…だった男か」と決闘に応じる。

男同士の、アクティブなデュエットが展開していき、やがてホセはナイフを奪われ組み伏せられる。エスカミーリオは「命はもらった。だが俺の仕事は牛を殺すことで、人を殺すことではない」と。

なんとも屈辱的な言葉にホセはさらに怒りを爆発させまた決闘となるが、騒ぎに気づいて駆けつけたジプシーたちに仲裁される。そこにはカルメンの姿も。 

エスカミーリオは「ぜひ次の闘牛へ皆さんをご招待したい」と伝え、ふたたび馬に乗って去っていく。弦楽器によるトレアドールのテーマが静かに流れる中、ふり返って馬上で一礼して去っていくエスカミーリオは、あまりにも格好良すぎる!



さて「第3幕」にはもうひとり重要な客がジプシー一行のもとを訪れている。
ミカエラがホセを連れ戻しに、恐ろしい山賊の潜む山へと勇気をふり絞ってやって来るのである。

♪ Aria(ミカエラのアリア)

ミカエラが山中に向かう途中に歌うアリア。曲の順序としてはエスカミリオとホセの決闘よりも前に入っている。

山中のミカエラ

ゆったりとした3拍子、ティンパニの細かい刻みにのって、ホルンが牧歌的な旋律を響かせる前奏に続いて、ミカエラは「こんな恐ろしい山奥にたったひとり、本当は怖くて死にそうよ」と歌いながらも、「でも、ホセを誘惑したあのカルメンという女、危険だけど魅力的な女、ちゃんと見届けてやるわ!」としっかり言うあたり、女性の強さを感じる。



ミカエラがジプシー一行のもとへ姿を見せ、カルメンを前にホセを説得する場面。
この場面は、ホセと決闘してエスカミーリオが去って行ったあと、ジプシーたちも出発しようとする時に「おい、あそこにまだ誰かいるぞ」と気づき、もの陰に隠れていたミカエラが登場する、という流れで書かれていて、曲の構成上は「第3幕」の終曲(Finale)の中に位置している。

ジプシーたちの前に現れたミカエラは、第一幕と同じ4拍子のメロディ(故郷のテーマ)を歌いながら、ホセに戻るように勧める。

しかしカルメンへの未練を断ち難く、その場をなかなか離れようとしないホセに、ミカエラは「お母様が危篤なのです。息子のことが気がかりで、でも最後に息子のことを許して死にたいと、あなたの帰りを待っています」と説得すると、さすがにホセもミカエラとともに母のもとへと戻ることにする。
しかしカルメンに「絶対にまた来るからな」と決意を伝えて。

ホセとミカエラが去った後、終曲はふたたびエスカミーリオが去っていく時にも流れた「闘牛士のテーマ」へと展開し、「第4幕」の闘牛場の場面へとつながっていく。
カルメンの心は、もはやホセから完全に離れてエスカミーリオに移っていることを表しているかのように…
こういうあたりの音楽の構成が非常にうまく出来ていると思う。

ここでもし…、ホセがカルメンのことはもう諦めて(どうせならカルメンとはもっと上手に一時の恋を楽しんで)、心配をかけた母やミカエラにきちんと謝り、もとの衛兵にはもう復帰できないとしても何かまともな仕事を探して、ミカエラと堅実な家庭を築いていたら、何も悲劇は起こらないのだが…



♪「第4幕への間奏曲」
  (組曲版では「アラゴネーズ」)

華麗なスペインのリズムをタンブリンが刻み、闘牛場の場面へと誘なう…
8分の3拍子で書かれているが、2小節ごとのかたまりで見ると8分の6拍子。123・456…と大きく二つに聞こえたり、12・34・56…と大きく三つに聞こえたりする、スペインの“フェミオレ”のリズムである。

第4幕への間奏曲(アラゴネーズ)

<第4幕>

舞台は、これから闘牛が始まる会場の前。オレンジや扇子など、観戦するお客を相手に売り子たちの声がコーラスで響く。カルメンの一行もそこへ到着する。
明るく軽快な3拍子。「レーミファ♯ミレド♯シララ」というメロディは、第一幕で捕えられたカルメンがホセをそそのかす歌の中間部分に、わずか4小節ながら顔を覗かせていた、「楽しいことがはじまるよ」のテーマ(←高木解釈)である。

第4幕のはじまり



やがて闘牛場内では、いよいよ準備も整い、興奮は高まっていく。
「行進曲と合唱」と称されるこの曲は、第一幕が開く前に演奏された「前奏曲」をベースとしているが、合唱が加わり、途中に闘牛士たちを称える部分が入っていて、より華やかな展開となっている。

さて、華やかに盛り上がる闘牛場に、なんとホセの姿が!
カルメンはさっさと話しをつけるつもりでホセのところへ。ホセはカルメンへの想いを絶ち切れず、復縁を迫るが、もうカルメンにはホセへの未練など全くない。

まして、今のカルメンにとっては、憧れのエスカミーリオの晴れ舞台が始まろうというまさにその時。
そういう場所にのこのこやって来てカルメンを説得しようということ自体、ホセはカルメンの気持ち(女心)を全く分からない不器用者!…しかしジェラシーに燃えるホセにはそうするしかなかったのだろうが…。

「あいつ(エスカミーリオ)と一緒に俺をあざ笑う姿が目に浮かぶ」「もう一度だけ最後に聞く、俺のところに戻るか?」…と繰り返し問い正すが、カルメンの答えは変わらず「ノン」、闘牛場内から時々沸き起こる歓声が気になる。

絶望のホセ!
絶望の淵に立たされるホセの声に、断続的に「悲劇のテーマ」が響きわたる。

そして「いつかあなたにもらった指輪、返すわよ!」とカルメンから指輪を投げつけられると、ついにホセはカルメンにナイフを立ててしまう。

倒れるカルメンに、「俺の愛するカルメン!」と無力に泣き崩れるホセ…



遠く闘牛場内では、「トレアドール」のテーマが高らかに鳴り響き、歓声が上がっている。華々しいトランペットのメロディに、冷たい風が渡ってくるような弦楽器の不穏な音色が重なる。
一方場外ではカルメンが倒れ「悲劇のテーマ」が大音響でなり響く…。

まるで競技場の中と外とを2元中継するかのように、オーケストラが2つのテーマを行き来するように終結へと向かう。

闘牛場の内も外も、それぞれに“血の海”。
ただそこにはふたつの対照的な男の生きざまが…

大勢の観客を前に牛を殺してヒーローになっているひとりの男と、自分のすべてを失いながらも愛そうとした女性を、ついに自分の手で殺してしまった哀れな男と…


…<幕>



ストーリーと音楽を追ったところで、あらためて「カルメンとはどんな女性?」「あの悲劇のテーマに象徴される運命とは?」…など、気になる「なぜ?」について。

( ↓「カルメン探訪(1)」へつづく 

カルメン探訪 <1>女性・カルメン

あらためて、カルメンとはどんな女性なのか…?

妖しい魅力の溢れる女、おてんば、あばずれ、自由奔放、束縛されるのが嫌い、マイペース、気まぐれ、わがまま、その時その時を情熱的に生きる、いつも人気の頂点、目立ちたがり、恋の達人、恋に生きる女、一途、自分の気持ちに正直、強い女…etc.

私はそこにもう一つ、絶対に外せないキイワードがあるように思う。それは、どこか内に秘められた、とてつもなく重い「暗さ」である。
 
単に考え方が暗いとか、性格がネクラだとか、そんなレベルの暗さではない、もっと奥深くに秘められた“運命的な暗さ”である。


悲劇の暗示 & カルメン

「前奏曲」後半の「悲劇のテーマ」のところでもちょっとさわり程度に書いたが、あの「♪レード♯シ♭ド♯ラー」という悲劇のテーマの旋律。

<前奏曲(後半)の弦楽器>
悲劇のテーマ(前奏曲後半・弦楽器部分)


それがカルメンが登場するたびに、2倍速・3倍速の速いテンポになって出るのはなぜか?

<第1幕 カルメンが初めて登場するタバコ工場の昼休み>
カルメン登場


ストーリー全体が最終的には悲劇であることを表しているのなら、たとえば第一幕で「ハバネラ」を歌い終えたカルメンが、ホセに花をぶつけに近づいていく、最初の出会いのシーンなどに静かに流れるのは理解できる。

<第1幕 ハバネラの後 ホセに近づき花を投げる>
悲劇の暗示(ハバネラのあと)

しかし、カルメンが登場するたびに、あるいはちょっとした動作をするたびに、まるで香水の香りを周囲に放つように、あの悲劇のテーマのエッセンスが常に放たれるのは、いったいなぜだろう?

組曲版だけではそこに気づく由もなかったが、劇版で何回か演奏する機会に恵まれるうちに疑問に感じたのである。
そしてしばらくひっかかっていたその疑問を解く重要なカギは、「第3幕」の中に出てくる「トランプ占い」のシーンにあるのではないか!…と。

先ほどのストーリー展開の中では書かなかったが、第3幕の前半部分でジプシー一行が山で休憩している時に、フラスキータとメルセデスの2人が楽しげにトランプ占いをするシーンがある。


♪ Trio(カルタのトリオ)~カルタ・カルテ・カード…すべて同じ語源である~

ジプシーの女性二人(フラスキータとメルセデス)が、楽しそうにトランプ占いをやっている。「どんな恋が生まれるか、だれが好きなのか、カードよ教えて」と、明るくたわいなく楽しげに歌っている。

そこへカルメンがやってきて「私もやってみる」とカードをめくる。
カードをめくる動作にも、やはりあの「悲劇のテーマ」が速いテンポで重なっている。

<カルメンがカードをめくる>
トランプ占い(第3幕)

めくったカードは「ダイヤ!スペード!」。弦楽器が下降形で不穏な響きを奏で「死の暗示だわ!」と。
それが2回続いた後、ティンパニが静かにリズムを刻んでいくと、カルメンは独り言のように、実に悲しみに満ちた旋律を歌いはじめる。

「♪カードは正直。幸せな人のもとではカードも楽しそうに並ぶ。どんなに切り混ぜても何度やっても幸せな人は大丈夫。でも私にはいつも死が…」と。

<カルメンに潜む死の暗示>
トランプ占い


このカルメンが独り言のように歌う旋律は、全幕を通して他の曲とはまったく異質な印象を受ける。美しいが不気味で恐ろしささえ感じる。そしてこの曲の中にこそ、カルメンの本質を知る何か重大なヒントが隠されているように思う。

(第4幕で、闘牛場にやってきたホセが最後にカルメンを説得しようとするシーンで、この旋律に似た不安定な上昇系の音をヴァイオリンが静かに重ねている。)


カルメン…死の運命を背負った存在

ではカルメンが「死」を意識し、その逃れられない「運命」を感じはじめたのは、いったいいつ頃からなのだろうか?

ジプシーの旅生活の中でホセとしっくりいかず、しかしホセの性格から、このままだと私はいつか彼に殺されるのではないか、という危機感を抱くようになった…という解釈ももちろんできるだろう。

しかし私は、このトランプ占いの場面でカルメンが独り言のように歌う歌詞は謎めいていて、もっと以前からカルメンに忍び寄る「運命」のようなものを感じるのである。物語の原作者にはもはやたしかめるすべもないが…。

カルメンがいったいどんな星のもとに生まれ、どういう育ち方をしたのか、カルメンの両親は?…といったことは、劇中にははっきりとは描かれていない。

ただ、たった一か所、第一幕で調書を作っているホセに話しかけ「あなたはどこの生まれ?私はエッチャラールの生まれよ。幼い頃ジプシーにさらわれたの」と歌うところがある(=「セギディリア」のひとつ前の曲)。

いずれにしても第一幕にカルメンが登場するよりもはるか以前の幼少の頃から(もしかすると前世からの因縁も含めて)、持って生まれた「死の運命」のようなものがあるように思えてならないのである。そして、カルメン自身もそのことには気づいて生きてきた。

だからその裏返しとして、生きている今この瞬間を自由奔放に、楽しく、情熱的に恋をして…という生き方を身につけ、そういうキャラクターを形成してきたのではないかと…。そう考えると、すべてつじつまが合い、すべての謎が解けるのである。


そういえば「ハバネラ」にも…

カルメンが登場して最初に歌う「ハバネラ」にいま一度目を向けてみると…

カルメンがソロで歌い始める部分は悲劇のテーマと同じ短調だが、それを追いかけるように女工さんたちの歌が入ってくるところからは、タンブリンも加わって明るい長調に変わっている。
やはりカルメンには他の女性たちとは根本的に異なる運命的な暗さが伴って独特の妖艶さを醸し出しているように思えてくる。

ちなみに、調(=音の高さ)を見てみると…、
「ハバネラ」の前半(=カルメンがソロで歌う部分)はDモール(ニ短調)。そして、前奏曲の後半で最初に呈示される「悲劇のテーマ」も、♯や♭の数で調が特定されるような記譜にはなっていないものの、出だしの部分は明らかにDモール(ニ短調)の響きである。

…これは単なる偶然なのだろうか?

ふと明け方近くの夢でそんなことを閃いて、起き出してスコアをめくってそのことを確かめた時、全身になにか寒いものが走った。
私はよく風邪で寝込んでいて熱が下がりかけたころに、音楽に関して何かひっかかっていたことに関する大切なヒントを夢から頂くことがある(笑)。

そこで得た私なりの結論は…

カルメンが初めてホセに近づいて花を投げつけるシーンのように、「悲劇のテーマ」がゆったりしたテンポで忍び寄るように流れるときは、物語としての“悲劇の暗示”で、カルメンの登場や動作に合わせて速いテンポで現れるときは、死の運命を背負って生きる“カルメン自身のモチーフ”なのではないか…と。


運命の足音

私が担当した楽器の話で恐縮だが、トランプ占いでカードをめくって死の暗示が出てから、独り言のようにカルメンが歌い始める前に数小節ほど、ティンパニが「鼓動」のようにリズムを刻むところが出てくる。
「鼓動」と書いたが、それは下振りの若い指揮者がそう表現されたのである。

その若い指揮者には申し訳ないが(笑)、私としてはあれは「鼓動」ではなく、むしろ「運命が近づいてくる足音」として捕えた方がいいと思っている。

実はティンパニが似たような役割で静かにリズムを刻む場面がもう一か所、「第4幕」にもあるのだ。
闘牛場でホセがカルメンに最後の説得を試みるものの、カルメンには戻る意思が全くないと知り、絶望の淵に立たされる、あの場面である。
リズムの形は違うものの、静かに刻まれるティンパニが劇中に果たしている役割としては非常に近いのではないかと思っている。

私は幸いまだ人を殺したことはないが、これから人を、それも自分の愛している大切な人を他人の手に渡すことができない究極の選択として殺そうという時に、あのように落ち着いた「鼓動」が刻まれるものだろうか?

第3幕のトランプ占いの中間部も、第4幕のホセの最後の説得のシーンでも、私は「運命が近づいてくる足音」をイメージして叩いた方がしっくりといき、説得力のある音が出せるような気がするのだが…

では次に、「カルメン」の意外な「脇役」にスポットを当ててみると…

( ↓「カルメン探訪(2)」へつづく 

カルメン探訪  <2>スニガの役回り

◆スニガとは?

ホセの上官にあたる人物である。第1幕から登場していて、第2幕の最後で、カルメンと決裂して酒場から出て行こうとするホセと鉢合わせする。
ただ、劇中で「スニガ」とはっきり名前が呼ばれる場面も記憶になく、「♪スニガのテーマ」にあたるような音楽もとくに書かれていないため、スニガという名前を聞いてもあまりピンとこないかもしれない。

スニガが登場するシーンをあらためて第一幕からたどってみると…

第1幕

最初にミカエラがホセを訪ねてくるが、衛兵たちが「交代勤務までは会えない」と伝え、「それまで我々のところで待ってなさい」と勧める。衛兵の中でさかんにミカエラを引き留めようとするのがスニガである。しかし「後でまた来ます」とミカエラが行ってしまうと「小鳥は逃げた」とがっかり!

交代勤務のあと、スニガはホセに「あのたばこ工場では、いい女たちがたくさん働いているのか?」と聞く。純情で固ぶつのホセは「いえ、女には興味がありませんから分かりません」と返すと、「おさげ髪で紺のスカートの女は好きなんだな?」とホセを冷やかしてカマをかける。先ほど訪ねてきたミカエラのことだ。ホセは「ああ、あれはミカエラといって、幼なじみです」と答える。

たばこ工場で喧嘩騒ぎがあり、とらえたカルメンをホセに「連行しろ」と命ずる。


第2幕

第2幕が開くとジプシーたちの酒場、カルメンもいきつけのパスティアの店。ジプシーソングを歌って踊るカルメンをスニガも一杯飲みながら見つめている(台詞もとくにないが)。
続いてエスカミーリオが登場して「トレアドール」を歌った後、「闘牛士は兵隊さんとよく気が合う」と声をかけられ乾杯する場面で僅かな台詞がある。つまりその場にスニガもいる設定である。

酒場でカルメンと「私を逃がしたあの兵隊さんは?」「ああ、奴はもう出てきた」などと会話を交わしている。カルメンが「今夜はホセが訪ねてくる」と知りえたのも、スニガからの情報によるのかもしれない。衛兵の内部情報をカルメンに漏らしていることになる。

やがて酒場のオーナーであるパスティアが「もう閉店だから帰ってくれ」と客を追い出す。一般の客を早々に追い帰して、ジプシーたちがうまい儲け仕事(♪ゆすりにかたり…)の相談をするためだ。
スニガは店を出ていくときカルメンに「点呼を済ませたら戻ってくるからな」と口説いているが、カルメンから「今夜はやめといた方がいいわよ」とたしなめられる。


このようにちょこちょこ登場する、女好きな上官として見れば単なる脇役である。
しかし、ホセとの関係、カルメンとの関係を細かく見ていくと、けっこう重要な鍵を握る人物として浮かび上がってくるのである。


ホセ VS スニガ

「点呼を済ませたら来るからな」と言うあたり、少なくともホセより遊び慣れていて要領は良さそう。
それに引きかえホセは、点呼の時間などまったくどこかへ飛んでしまっていたのだろうか? これから点呼の時間だと言うのに竜騎兵の歌を高らかに歌いながら意気揚々とカルメンのもとへやってくる。

「ん? 来る途中、酒場から兵舎へ戻っていく上官スニガとすれ違ってないのか?」…そこを追求してしまうと物語が成立しなくなってしまうので、きっと違う道を通ってきたんだと考えておこう(笑)。

服役を終えてカルメンのもとを訪ね、カルメンも喜んで迎え入れてカスタネットを打ち鳴らしながら踊り、さあいよいよ素敵な時間がはじまる…というタイミングで点呼のラッパが鳴りはじめる!
帰営が気になるホセと、呆れて怒り心頭のカルメン。なじるカルメンに、独房の中で抱いていたカルメンへの熱い思いを歌う純情なホセ。それに対してもっと自由なジプシーの旅へと誘うカルメン。「冗談じゃない!」と我に返るホセと「出てきなさい」と本気で怒るカルメン。

…決裂して身支度をして出て行こうとするところに「ドンドンドン!」とドアをノックする音。 「返事がないなら勝手に開けるぞ」と入ってくるスニガとホセは鉢合わせする。
ホセはスニガから「とっとと失せろ」と言われるが、「いや行かぬ」とナイフを抜いて決闘になる。

女のもとを訪ねている所でもし上官と鉢合わせしたら、ふつうなら慌てて取り繕うのではないかとも思うのだが…。しかもカルメンとはたったいま決別したばかりなのに、男の意地だろうか…?
たしかにそういう意地もあるだろうが、ホセが上官スニガに向かってナイフを抜いて挑みかかるには、それまでに相当な恨み・憎しみを蓄積させてきた何かがあったと見るべきだろう。

ホセとスニガの決闘は、カルメンが叫んでジプシーたちを呼び寄せることですぐに収まり、スニガの方がジプシーらに取り押さえられて縛られてしまう。 そしてカルメンに「ねえ隊長さん、悪いところへ来たものね」と軽くあしらわれる。

Q.さてここで問題! 
 捕えられたスニガはこの後どうされてしまうのでしょうか?

演出によっていろんな“始末の仕方”があり、ちょっとマニアックな見どころでもある。もしあなたが演出家だったら…?

スニガの出番はこの第2幕の終わりまでで、もうそのあとには登場しない。この第2幕が終われば劇場は休憩に入る。煮て食おうが焼いて食おうがその後の展開にはあまり影響ないようにも思えるが…

ある演出では、スニガは椅子に縄で縛りつけられ部屋に置き去りにされる。「私たちはこれから出かけるの。ほんのすぐそこまで“お散歩”よ。ちょっとの間おとなしくしていてね」というとっても平和的なもの。

またある演出では、縛られて袋叩きにされて表に放り出されてしまう。まあこのあたりがだいたい定番の演出かもしれない。

しかし、もっと過激な演出も!(←歌劇なだけに…)

ジプシーらに羽交い絞めにされたスニガを、ホセがナイフで思いっきり刺して殺してしまうという演出があるのだ。


より過激な演出のために…

ホセがスニガを殺してしまうほどに憎むには、第1幕から相当な恨みを蓄積させておく必要がある。

第1幕では、ホセに長靴を磨かせたり足蹴りにしたり…といった上官風を吹かせまくる憎らしい存在として描く演出もあるらしい。
またハバネラを歌うカルメン、ホセと目が合い花を投げつけるカルメン、それらの場面では必ず舞台上のどこかにスニガがいてじっとカルメンを見ている。たばこ工場での事件で捕えたカルメンに舐めるような視線を投げかける…そんな演出もあるだろう。

だがその程度の表面的なキャラづくりだけでなく、ホセにとってスニガが“宿敵”となる決定的な“鍵”を握らせる方法がある。


スニガの“のぞき見”

それは、ホセがカルメンと取調室で二人きりになる場面。
「セギディリア」を歌いながらカルメンがホセを誘惑し、行きつけの酒場に誘い、ホセがついその気になってカルメンを逃がす段取りを打ち合わせる場面…その一部始終をスニガがしっかり“のぞき見”している、という演出である。

部屋はふつう4面の壁で囲まれてどこかにドアや窓があるわけだが、観客に見せる舞台上の“部屋”は、手前の壁は“あるはず”の設定でオープンに造られている。
そちら側、つまり客席に一番近い位置から、スニガが取調室の二人の様子を“のぞき見”して一部始終をしっかり見届け、「フムフム」とうなづいてほくそ笑む。
それからドアを開けて「おい、命令書ができたぞ。(カルメンを)連行しろ」とホセに命ずるのである。

カルメンが連行される途中で脱走したのは偶然の事故ではなく、ホセとカルメンが共謀して意図的にやったことだと上官であるスニガは事前に知っていて、あえてホセにそれをやらせ、その罪でホセを格下げして独房に放り込んだ、という設定になる。

また第2幕の最初で、なぜスニガがカルメンの行きつけの酒場(=パスティアの店)にちゃっかり常連客のように居るのか?…それも、取り調べ室の二人の様子をのぞき見してカルメンの行きつけの店の場所と名前を聞いていたとなればつじつまが合う。

そもそも暴行・傷害事件の容疑者であり逃走中の身であるカルメンの行きつけの酒場をちゃんと知っていて、衛兵(警官)の指揮官の身でありながらそこを訪ね、一緒に酒を飲み、ホセが服役を終えたこと(内部事情)を漏らし、ちゃっかり口説こうとしているのだ!!

女好きで、公私混同も甚だしい、部下には冷血で、自分は遊び人…「許しがたい上官」という構図が完璧に出来上がるのである!


鉢合わせしたホセの心理

ドアを開けて入ってきたスニガはカルメンに向かって「これはこれは、将校の私が来てやるといっているのに、兵隊なんぞを連れ込んで」…。ホセにしてみればなんとも屈辱的な言葉である。
しかも、自分が服役していた間に、自分を告発した上官スニガがこの店に通ってカルメンを口説いていた、ということをホセはこの時に知るわけだ。

カルメンとは決裂して兵舎に戻ろうとしたものの、こうなったら男の意地もあって引くに引けない!
どうせ点呼のラッパはとっくに鳴りやんでいて、カルメンとの関係も知れるところとなってしまい、いまさら戻るに戻れない。しかもその憎き上官はいまジプシー仲間らによって取り押さえられている…

決して衝動的に「ついカッとなって」とか「ムシャクシャして」「誰でもよかった」などという今風の曖昧な動機ではなく、追いつめられた男の意地と上官への激しい憎しみが一気に爆発して… 明確な動機と殺意が成立する。


その後のホセ

上官を殺してしまったことで、ホセにはもはや引き返す道は完全に断たれ、カルメンの誘いどおりジプシーの仲間に加わって旅に出るしかない…という経緯もより明確になる。

そしてその後のホセは?
ここまで全てを失ったのは、そもそもカルメンのため。もはやカルメンと一緒にいることだけが生きるすべて。

一方カルメンは、常に自由を求め情熱的な恋に生きる女。
囚われの身から助けてもらったホセに一時は本当に恋心を抱いていたかもしれないが、帰営ラッパの一件で熱も一気に冷めたはず。

しかも今やすべてを無くして情けなく落ちぶれ、すがるように束縛してくるホセなんかより、命がけで牛と闘い、情熱的な恋に生きるエスカミリオの方がはるかに魅力的な存在へと変わっている。

そんなカルメンに対してホセは、性格・生き方・相性が合うかどうか、本当に愛しているのか、将来の人生設計は…ということではなく、「オレはここまで全てを無くしてまでお前について来たのに…」という執着心でカルメンを追い求め、ストーカーと化していくのである。

そんなホセの生き方を決定づける上でも、スニガは非常に重要な鍵を握る“偉大なる脇役”に見えてくる。

そしてカルメンというひとりの女性をめぐるスニガ、ホセ、エスカミリオという3人の男たちの対比的な生きざまは、時代や国を超えて現代にも充分通じるものがありそうだ。 そのあたりも「カルメン」が多くの人の共感を呼ぶ魅力といえるだろう。

この物語誕生の秘話とは…?

( ↓「カルメン探訪(3・完結)」へつづく )

カルメン探訪<3・完>

作品誕生の経緯とオペラの初演

原作はプロスペル・メリメの小説「カルメン」。

メリメがスペインを旅していた時、案内役の人に勧められて立ち寄ったレストランで、給仕をしていた女性と話す機会があり、名前をたずねたところ女性の名は「カルメンシータ」だった。
また、同じく旅の道中、愛人を殺してしまった哀れな男の事件(物語?)を聴く機会もあった。

「カルメンシータ」…“歌姫”という意味をもつその名前の響きから、まったく架空の「カルメンシータ」という女性像を描き出し、その女性を主人公にした小説に書きあげたのではないかと言われている。

素晴らしく豊かな想像力の持ち主だったに違いないが、おそらくストーリーに悩んで苦労してひねり出したというよりも、案外直感によってすっと出てきて形になったのではないか、と個人的には思う。それぐらい、時代を超えて非常に分かりやすい無理のないストーリーになっているように思うのだ。

そして戯曲化もされたこの物語をもとに、オペラ作品に仕上げたのがフランスの作曲家・ビゼーである。
同じビゼーの「アルルの女」など他の作品と比べてもはっきり申し上げて比べ物にならないほど、音楽的にもストーリー的にも細部に至るまで緻密に構成されていると思う。おそらくビゼー自身も相当な思い入れを込めて完成させた自信作だったに違いない。

しかし初演では…

オペラが初演されたのは1875年、フランス・パリのオペラ=コミック座だが、なんと非常に残念なことに、初演はきわめて不評に終わったそうである。

ジプシーや売春宿、密輸集団といった登場人物や舞台の設定、闘牛や殺人といった血なまぐさい世界…etc.
それらがまず当時のフランス貴族の女性たちには好ましく受け入れられなかったようだ。
 
さらに、上演にあたっての技術的な問題もあったかもしれない。
それまでのオペラは、合唱もオーケストラと同じく、舞台裏に隠れて歌うスタイルだった。それが合唱のメンバーが顔にどうらんを塗り衣装をつけ、たばこ工場の女工に扮したり、ジプシーに扮したりして、舞台転換に合わせて移動して演技しながら歌う、という新しい試みに、かなりの抵抗と戸惑いもあったに違いない。

いずれにしても、ビゼーにとっては相当な思い入れもあって完成させた「カルメン」がパリ初演であまりにも不評に終わったことは大きな衝撃だったことだろう。
初演からわずか数か月後に、ビゼーは湖に入って謎の死を遂げている。さまざまな疲労ゆえの衝動的な自殺だったのではないか、とも言われている。

しかし初演からわずか7か月後のウィーン歌劇場での公演では大成功をおさめ、その後イタリアなどでの評価も高まっていくが、残念ながらその時すでにビゼーはこの世を去っていた…。

その後さらにいくつかの改訂版も作られ、世界的にもポピュラーなオペラの代表作として今日まで各国で上演され、日本でも藤原歌劇団をはじめ多くの団体が公演に取り組んでいる。

またスペインの作曲家サラサーテによって「カルメン幻想曲」という曲も書かれている。ビゼーの音楽をモチーフにヴァイオリンが超絶技巧を魅せる素晴らしい曲である。

その「カルメン幻想曲」、およびビゼーのオリジナルの「カルメン」の劇中の音楽が今日でもフィギュアスケートでもよく使われ、「あ、カルメンだ!」と誰が聴いてもすぐ分かる曲が1つの作品の中にこれだけたくさんある例もおそらく他にないだろう。

もし初演をフランスではなくイタリアかスペインで行っていたら?…いや、母国語フランス語で書かれた作品であるからフランス初演でも良かったが、せめてビゼーの近くに数人でもいいから、この作品の素晴らしさを理解して認めてくれる人がいてくれてたら…

ビゼーも謎の死を遂げることなく、もっともっと素晴らしい作品を世に残してくれただろうに、と思うと残念でならない。

<完>

~「カルメン雑感」(09年9月)より~
プロフィール

高木 章

Author:高木 章
アマチュアの打楽器奏者です。

某放送局関連に勤務しながら長年趣味で続けてきた音楽活動。あるご縁から、障がいのある方たちとも音楽を通じてのバリアフリーを、また東日本大震災以降は「がんばろう日本」…そんな活動を続けています。

単に自分が音楽が好きだから演奏したいだけでなく、「音楽の力」で「せめて自分にできることを」!

50代半ばにして勤め帰りに学校に通い「音楽療法」を学びました。

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